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第三部『終焉と破滅と』

明日山百合絵の場合

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「おら、早く飛べよ」

と男が迫ってくる。嫌だ。来ないで。彼女ーー明日山百合絵あすやまゆりえは余程そう言ってこの場から逃げ出したかった。
だが、それは不可能な話なのだ。どこへ逃げても彼らは追いかけてくる。東京に逃げようが、沖縄に逃げようがそれは関係ない。
彼女は頭の中でどうしてこんな状況に陥ってしまったのかをゆっくりと思い出していく。
自分たちの元に彼らがやって来たのは彼女の実家のトラブルに漬け込んでの事である。
実家のトラブルに入ってきた彼女はまず妹を支配下に置いた。いわゆる家族同士による暴力を強いたのだ。
それによって高齢の祖母が死に、続いて母が死んだ。その次に父親が複数人からの暴行を受けて亡くなった。
百合絵は堪らなくなり逃げ出したのであった。『人を隠すのならば人の中』という諺にもある様に東京ならば人に紛れて逃れると思っていたのだ。
だが、彼らは僅かな手掛かりから百合絵を見つけ出し、実家へと引き戻したのである。

そこから百合絵の地獄が始まった。狭いマンションの一室に監禁され、凄惨な目に遭わされ続けた。実の妹から何度暴力を受けたのだろうか。一体何度実の妹から暴行を受けたのであろうか。
それでも、隙を見て逃れる事ができたのは不幸中の幸いというべきだろう。
百合絵は今度は沖縄に逃げた。だが、彼らの追求の手が止む事はなかった。そこにも彼らは現れたのである。
沖縄の小さなホテルに閉じこもっていた百合絵であったが、突然部屋の扉が開かれ、その男たちは現れた。
男たちは百合絵を連れ出すと、そのまま責任を取らせる形で沖縄の岩礁の近くへと連れて行ったのである。
百合絵は思い出す限りの惨めな人生であったと思い返し、瞳から涙を零していく。自分が一体何をすればここまで酷い目に遭わされなければならないのだろうか。
百合絵は沖縄の岩礁の先から身を投げ出しながらこれまでの人生を振り返っていた時だ。

(生きたいのか?それとも死にたいのか?)

ある声が自分の頭の中に響き渡っていく。いったい何者なのだろうか。百合絵は落ちていく過程の中で自分の心の内に声を掛けたものに誰であるのかを問い掛けていく。

「あなたは誰?」

(おれの名前はブカバク。水を司る古の悪魔である)

百合絵は勿論こんな事が起こる前は大学に通っていたのだが、生憎な事に通っていた学部は悪魔や神などというものとは無関係の学部であったので、ブカバクという名称に不慣れであったとしても仕方はない。
ピンとこない百合絵であったが、ブカバクは落下し続けている百合絵に向かって話を続けていく。

(生きたいのか?それとも死にたいのか?)

その問い掛けに対して、百合絵は悩んだ。死ぬのならばこのまま岩礁に頭を打ち付けて死ぬのであろうし、助かるのであるのならばこのブカバクなる悪魔が非科学的な手段を用いて助けてくれるだろう。
沖縄の海の中に飛び込むのは気持ちがいいだろうが、その後に頭を岩にぶつけて死ぬなどごめん被る。
それにこのまま死んでしまうのも負けを認めたようで嫌だった。
百合絵はブカバクに向かって小さな声で懇願した。
「生きたい」その一言を聞くと、ブカバクは百合絵の口の中へと入り込み、彼女を落下から救ったのである。
勿論一体化した当初は百合絵は違和感ばかりを感じた。吐き気を感じて何度も吐こうとしたが、喉の奥にセーフティネットの様なものが掛かっているかの様にうまく喉が動かない。
だが、次第にその違和感は消えていき、ブカバクは百合絵の体の中に馴染んでいったのである。
同時に百合絵の体の中を大きな光を生じていき、その体を今までに見た事もない様な服が包んでいたのだ。いや、この場合は中世の鎧と近代から導入された軍服が合わさった様な格好といってもいいだろう。

百合絵が高校生の頃に専攻していたのは世界史であった。百合絵の中における世界史の授業は国語や英語に比べて低い順位であったのだが、テストの成績のために覚える事だけは覚えていたのである。
だから、百合絵は理解が早かった。手に持っているのは槍である。鋭い敵を貫くための槍である。そればかりではない。もう片方の手には悪魔たちとそれに従った人々が神によって洪水の罰を与えられてしまい苦しむ描いた盾を持っていた。
加えて、腰には大きなナイフまでもご丁寧に鞘に下げられて収められたいたのである。
百合絵は体全体から溢れ出る力を利用して自分を殺すために集まってきた男たちを殺害していくのであった。
だが、その男たちはあくまでも主犯格の手下に過ぎない。
そのまま百合絵は行方をくらませた。以後はブカバクの気紛れや制裁といった理由で契約破棄にならないために努力する事になったのだ。力を失えばまた追手が迫ってきて、自分を地獄へと誘うからである。

だから百合絵はここにいるのだ。そしてルシファーという主催者の悪魔が自分たちを加えた事で、彼女はますます逃れられなくなってしまった。
百合絵はそこまでの事を回顧しながら志恩に向かって引き続いて攻撃を加えていく。
今回の戦いでは最初から盾と槍の武器を使用せずに臨んだ。先手必勝であるのならばナイフだけの攻撃で良いと判断したのだ。更に百合絵からすれば盾を捨てて身軽になれた事で、志恩と激しい戦いを繰り広げられるという事も大きかった。
百合絵はナイフを袈裟掛に大きく振るっていき、そのまま志恩を槍ごと地面の上へと弾き飛ばしていく。

「無駄だ。私とキミとでは戦いに賭ける覚悟が違うんだ」

「いいや、それはあなただけじゃあない……ぼくだって……ぼくだってこの戦いを止めるという覚悟をもってゲームに臨んだッ!」

志恩の言葉には確固たる決意が込められていた。
その姿を見て百合絵は思い出した。かつての幼き日の記憶を。
自分が子供だった時の記憶を。幼き頃の自分と妹の記憶。それは無邪気に子供向け特撮番組を眺める二人の姿である。
その時に二人が好きだった主人公が似た様な台詞を吐いたのだ。
百合絵は思わず動揺させられてしまった。その隙を狙って、志恩は彼女の元へと踏み込み、逆袈裟掛けという形でランスを放っていくのである。
装甲から火花が生じ、ランスを放たれた衝撃によって百合絵は地面の上を転がってしまう。
志恩は百合絵にランスの先端を突き付けながら言った。

「お願い。その悪魔と契約を破棄する。もしくはこの世界のために肩を並べて戦う事を約束してくれるのならばぼくはあなたを殺さなくて済むんだ」

「……それで情けをかけたつもりなの?言っておくけど、あたしはゲームを降りて、ブカバクとの契約を破棄するくらいならば自らの死を選ぶよ」

「そんな、どうして!?」

「平穏でそれで優しい世界の中で過ごしてきたキミにはわからない理由だよ」

志恩はその言葉を聞いて納得していた。自分はこれまでの人生の中で悲惨な目に遭っていたかもしれないが、それでも周りには優しい兄や両親がいた。何やり世間一般では凶悪な犯罪者として知られる姉ですら自分には優しかった。
最近ではフリースクールで友達もできた。事態は明るい方に進んでいるのだ。
この女性が言っている事は的を射ていた。
自分の中にある正義やヒーロー願望というのはそんな優しい世界から生み出されたものでしかないのかもしれない。
それでも自分の気持ちに嘘はないつもりであった。
志恩はランスを震わせながら自分の心境を吐露していく。
これで、少しは目の前の女性の心境も変化が生じていくかもしれない。
そんな思いを抱えていた時だ。背後から気配を感じ、志恩は慌てて身を交わすと、そこには剣を振るう美憂の姿。
美憂は志恩に剣を突きつけながら言った。

「悪いな。隙だらけだったもんで」

その時の美憂からは侮蔑の声が混じっていた。
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