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第三部『終焉と破滅と』

最上真紀子の場合ーその19

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「気分はどうだい?お姫様」

真紀子に何を言われても皮肉に聞こえる。檻の中で希空はそう考えていた。
希空が閉じ込められているのは新たに建設された最上真紀子の屋敷の一室。
その地下に存在するベッドと机とタンスがあるだけの簡素な一室である。

「……最悪に決まってるでしょ?」

何を分かり切った事をと言わんばかりの口調で希空は尋ね返す。

「ハッ、そうかい?おや、夕食も残してるのかよ。いかんぞ、食わねーと生き残れないんだぜ」

「フン、誰が」

希空の近くの机の上にはお盆の上に載ったパンとスープとが置いてあった。
このパンとスープは夕食のために用意されたものであるのだが、希空は敢えて手を付けない事で反抗の意思を示していたのである。
真紀子もそんな希空の反抗の事くらいは理解していた。だから食事を残されても平気で笑っていたのである。
真紀子は一通り希空を嘲笑った後に戻っていったのである。
希空はそんな真紀子の背中を強く睨み付けながら用意された部屋のベッドの上に腰を掛けたのである。
自分は少し前までは権力をフル活用して、生きていた。天堂グループを率いていた彼女はまさしく頂点に達していたのだ。
だが、それは簒奪者によってみるも無惨に奪われてしまった。
彼女の心境たるや察して余るものだ。
希空は舌を打ちながら部屋の中を歩き回っていく。
まるで、檻の中の熊の様だ。希空がそんな事を考えていた時だ。ふと、部屋の壁の隅に暗くて不気味な影な様なものが浮かぶ。
これは一体なんなのだろうか。希空が近寄っていってみると、それは人の型をした染みでしかなかった。どうして自分はそんな幻覚を見てしまったのだろう。 地位を追われて早くも一ヶ月が経つ。
その間ずっと部屋にいるものだから退屈になって脳が幻覚を見てしまっているのだろう。
希空はそんな自分が情けなくなり、思わず溜息を吐いてしまう。
そんな時だ。不意に目の前に見知った人物が姿を表す。
間違いなく兄の福音である。勿論幼い頃より礼儀作法を躾けられている希空は情けなく福音に抱き着いたりはしなかった。
代わりに安堵の表情を見せて、笑いかけた。

「兄さん、久し振り……早速で悪いんだけど、私を連れ出してくれないかな?」

「勿論だとも、それと、ぼくは謝らないといけないな」

「どうして?」

希空が首を傾げながら尋ねる。

「最上真紀子がここまで酷い奴だったとは思いもしなかったからだよ。人類を救うという大義名分のためにお前を会長の地位から引き下ろそうとしたが、まさかここまでの扱いを受けるとは思わなくて……」

「『泣いて馬謖を切る』って気分だったのかな?兄さんとしては」

「だったかもな。だが、ぼくはもうそんな事はしない。血を分けた妹の命を助けに来たんだ」

福音はそういうと妹の前に立つと、武装を施して双手槍を構えて扉を破壊した。
それから、そのまま外へと姿を消したのであった。
無論楽な逃避行ではない。追手が迫り、その度に福音はサタンの息子としての力を振るう事を余儀なくされたのであった。
加えて、不幸な事に本日は新会長である真紀子が取引先である大物政治家との会食のために不在にしていたのである。
希空の脱獄を知った真紀子は会食先のレストランの廊下で報告に現れた部下の胸ぐらを怒りのために強く掴んだ。

「テメェ、何を考えてやがる?希空の奴をちゃんと見張ってろつったよなぁ?」

「……勿論です。ただ、都市伝説の話で聞く様な恐ろしい鎧兜を纏った奴が一緒でして、我々一同は懸命に戦ったのですがーー」

「福音の奴か……クソッタレッ!」

真紀子は悔しそうに地団駄を踏んだが、それ以上は何も言わずに一言だけ告げた。

「すぐに希空の行方を探せ……金を幾ら使っても構わん。お姫様を担ぎ上げて、あたしに謀反を起こされても困るからな」

真紀子の言葉を聞いて、黒服は頭を下げてその場から下がっていく。
真紀子はすぐに秘書に連絡を行う。新たに雇った秘書は大阪にいる自分の代行をさせている。激務ではあるが、自分の呼び出しに応じない事はないだろう。容易に連絡が届く筈だ。
新たな若い男性の秘書は自身の携帯電話から応対し、真紀子と事務的なやり取りを交わした後に了承の旨を伝えた。

「いいか、網を張れよ……福音と共に逃げたんだったら奴は関西にいる可能性が高いからな」

『わかっております。大阪という大都市の情報網を使えばどこに居るのかくらいは把握できるかと思われます』

「頼んだぜ」

真紀子はそれだけ告げると、電話を切り、会食先の相手の元へと戻っていく。
会食の相手は大物政治家である。待たせては申し訳がない。
真紀子は席を立った詫びを入れてから贅を尽くしたフレンチのフルコースに舌鼓を打ちつつ、今後の計画を纏めていくのである。
表向きこそ円滑に話を進めていくのだが、頭の中は逃げた希空の事でいっぱいであった事はいうまでもあるまい。
加えて、ゲームの進行具合が予想以上に遅い事にも真紀子は苛立っていた。
ゲームがダラダラ進むと、その度に大阪に呼び出されるのだ。真紀子は新幹線の代金が減ってしまう事に苛立ちを感じてしまうのだ。いい加減にしてもらえないだろうか。
真紀子は自分の苛立ちをお首にも出さずに政治家に向かって淑女に相応しい微笑を浮かべていた。

一方で、希空の方はといえば自身のかつての思い人である神通恭介の元へと身を寄せようとしたのだが、恭介は生憎と美憂のシンパである。
そんなところへ向かえばすぐにでも捕まってしまうだろう。やむを得ずに希空は兄と共にホテルの中へと籠城する事にしたのである。根城にしたのは中心部にあるビジネスホテルである。食事は全て兄が買ってきたファーストフードかコンビニエンスストアで購入した食料品である。
希空はストレスに弱いからといってそれに負けて無駄な食事を行ったりはしなかった。日本の王女というプライドがそれを妨げたのである。
だが、外に出れない状況には辟易させられた。ましてや逃亡から一週間もの月日が経てば苛立ってくるのも無理はあるまい。

「一体いつまで篭っていなくちゃあいけないのよ!ふざけないで!」

「いつまでってそりゃあ、最上真紀子がぼくたちを諦めるまでだよ。今はむりかもしれないけど、いつかその日がーー」

「いつかその日!?それっていつの事よッ!」

希空は鼻息を荒げながら福音に突っ掛かっていく。

「わからない。けど、いつかは解放される日が来るはずだよ」

福音は優しく妹を宥めたつもりであったのだが、妹の方はまだ苛立ちが収まらないらしい。常にイライラとした表情を浮かべながら狭いホテルの一室をあてもなくウロウロとしていた。その姿は動物園の中で退屈そうに歩き回る熊の様だ。
最上真紀子の手によって囚われていた時もそうだが、これは希空の癖であった。
追い詰められると動きたくなるのは彼女の悪い癖とでもいうべきであろう。
やがて、彼女は耐えきれずに外へと飛び出そうとした時だ。
不意に扉が蹴破られ、機関銃を構えた黒服の姿が見えた。

「見つけたぞ!やはり、このホテルだッ!」

「おのれ、見つかったかッ!」

福音は武装を施し、黒服たちに向かって襲い掛かろうとしたのだが、希空がそれを押し退け、黒服たちに向かって威厳と尊厳とを漂わせ、彼らに威圧を与えながら言った。

「あなたたち誰にその銃を向けてるの?」

その問い掛けに黒服たちは堪らなくなって両肩を震わせていく。
それを好機とした希空は両手を組みながら尊厳を崩す事なく話を続けていくのであった。
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