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第一部『悪魔と人』

二本松秀明の場合ーその②

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秀明が手にした栄光は全て塵に返した。全てはただ一人の女のために無に返した。
怪しげなパーティーへの出資と出席のために必要な金は派手だった秀明の生活を改めさせるのには十分過ぎたといえる。
大学の学費に加えて、生活費に使途不明の出資金が加われば、それに関するもみ消しの為の代金や洗浄する為の代金で手一杯となり、とても派手な生活を送る余裕などない。

秀明は大学のトイレの個室に篭りながら一人でタバコをふかしていた。派手な遊びに使うための金がなくなると、大学の友人は掌を返し、あっという間に秀明の元から去っていった。
所詮彼ら彼女らは秀明という存在を『金』と『肩書き』という上辺だけのもので見ていたに違いない。
秀明は自戒していた。俺は浮かれ過ぎていた。あの日の夜にあんな変な女を引っ掛けなければこんな事にはならなかった、と。
悔恨の思いが胸を締め付けていく。彼が自身のない表情を浮かべて、その視線を下に向けていた時だ。

「お兄ちゃん。元気?」

彼を絶望の底へと追い落とした元凶が自身の籠るトイレの個室の壁に背を預けて立っていたではないか。
彼女は彼の元へと近寄っていくと、そのまま勢いよく実の兄の頬を勢いよく叩く。
彼は吹き飛ばされ、そのまま手に持っていたタバコもろとも地面の上を転がっていく。彼の妹は地面の上に転がるタバコをヒールの踵で乱暴に揉み消した後にその顎を持ち上げて言った。

「テメーの大事な妹が元気かって聞いてんだから答えろや。バカ兄貴」

「……す、すまん」

トイレの中で縮こまる若き大手社長。なんと情けない姿なのだろう。次世代を牽引する次世代の社長のこんな姿を見たら役員や社員、それに投資家たちはどんな顔をするだろう。
彼が打ちひしがれた子供のように震えていたためか、妹は大きな声で笑っていく。
邪悪な笑みが俺の視界に飛び込んでくる。妹はひとしきり悪魔のような笑顔を浮かべた後に真顔を浮かべ俺に向かって言った。

「そうしけた顔をするなよ。兄貴……あんたには前のパーティーの時に上等の女と酒につまみ、それにを与えてやっただろ?それに各界の有力者たちともそれらを通じて有意義な時間を過ごせたじゃあねぇか、あたしはあんたの出資額に見合うサービスは受けさせてやっているんだけどなぁ」

「日本の各界があんなに堕落しているとは情けない限りだ」

「同感だけど、あんたは聖職者にでもなったつもりかい?……なぁ、兄貴……人間というのは誰しも欲求には抗えないんだ。酒もクスリも色も口には言わねーだけでみんな好きなんだよ」

「……なぁ、真紀子。お前は御大層な事を言っているが、お前に無理矢理あんなパーティーに参加させられて泣いている子もいるんだぞ……」

「泣いている?あいつらには寝るところと食うところ、それに働きに応じてクスリまでやってるんだ。感謝こそすれ、恨まれる筋合いなんてどこにもねーぜ」

「……お前に無理矢理売春させられているようなもんじゃあないか……とにかく、兄として忠告するけどなーー」

だが、秀明の忠告は最後まで発する事はなかった。というのも妹の靴の踵が彼の顔に直撃したからだ。
妹は舌を鳴らすとなぜか憎悪に満ちた目で兄を見つめていた。

「バカ兄貴のくせに忠告かよ。何様だ……今日はあんたと哲学や倫理観の話をしに来たんじゃねーよ、あんたをあるゲームに勧誘しようと思って来たんだ」

妹は靴で兄の顔を楽しそうに踏みながら話を続けていく。
彼女曰くそれは悪魔同士による殺し合いのゲームだという。
ゲームの内容は至極単純なものである。悪魔と契約を結んだ13人のサタンの息子たちが最期の生き残りをかけて戦うのだ。肝心なのは悪魔との契約の内容である。契約の内容としては三割の願いを叶えた後に残りの七割を勝者に叶えさせるというものであるのだ。
斬新なシステムだ。秀明が感心しながら聞いていると、その契約者の一人である妹が顔を近付けながら言った。

「簡単な話さ。あんたはそのゲームであたしの手駒になってくれればいい。あたしと一緒にあたしの弟……まぁあんたにとっても弟である少年を守ってくれればいいんだよ」

「……昨日聞いた志恩ってガキの事だよな?」

妹は不意に靴を顔面から離すと、そのまま秀明の腹に狙いをつけたかと思うと、そのまま勢いよく蹴り付けたのだった。
突然の鳩尾を喰らって、彼は地面の上を転がっていく。
それでも妹は容赦しない。腹を執拗に蹴りながら横たわる兄を痛ぶっていく。

「ガキだぁ~言葉に気を付けろよ。あんたなんかと違って志恩はあたしのかわいい弟なんだよ。同じ血を引いている家族でも扱いにゃあ、天と地ほどの差があるって事を覚えておきな」

「ヘン、家族だとよく言うぜ……実の兄をいかがわしいパーティーに誘う淫乱女のくせによ」

「ハハッ、当たってるよ。あたしはそうだよ。きったねぇ女だよ。あんたのいう『淫乱』って言葉が似合うこの世で一番似合う女だろうさ。そりゃあどうあがいてもひっくり返せない事実だからねぇ……そこは否定しないよ。けど志恩は違うんだ。あたしが育ってた純真培養な真っ直ぐで優しい子なんだ。わかったか?わかったんなら今後は絶対に志恩を侮辱するんじゃあねぇぞ」

「……わかった。それでお前のいうゲームとやらでおれは何をしたらいいんだ?」

「簡単な話さ、あんたは資金を援助してくれさえすればいい。あたしが戦いで資金に困った時に金を出すのがあんたの役目さ、悪くないだろ?」

「……わかった」

「感謝するぜ、兄貴」

妹は最後に兄の頬を強く叩いてトイレの扉を閉めて何処かへと去っていく。

「クソッタレ、あのアマ……何処からうちの大学に入りやがったんだ」

秀明は体をゆっくりと起こすと痛む頭を抑えながらふらふらと足取りでトイレから立ち去っていく。
結局その日は授業にも経営にも身が入らなかった。その日の秀明からはかつての自信に満ちた面影は全くと言っていいほど感じられなかった。
秀明はその日の仕事が終わるとそのまま社長室の革張りの椅子に深く腰を掛けながら煙草を噴かす。

それから社長室の卓上カレンダーを見て次のパーティーの日を計算していく。
妹の言う通りあのパーティーは上等の酒やつまみばかりではなく薬を味わえるし、綺麗なドレスに身を包んだ可愛い女の子とも自在に触れ合える。何より各界の有力者が参加するからコネクションも持てる。
それでもそれに掛かる費用はバカにならないのだ。できる事ならば参加などしたくない。
彼が両手を枕に背後の椅子に深く腰を掛けた時だ。

(力が欲しいか?)

と、しわがれた老人の声がどこからか聞こえた。

「あ、あんたは一体誰だ!?」

(おれか?おれの名前はアスモデウス。このゲームに参加する悪魔に参加する悪魔の一体だ)

悪魔?なんという非科学的な言葉だろう。文明と化学の力によって生きる現代人には無縁とも思える言葉である。
誰かの悪戯だろうと訝しかんだのだが、それならば自身の机の上に現れた悍ましい影の事が説明できない。
その影は悪魔と主張しているので、今のところはそれ以外に説明がつかないので、この影は悪魔で間違いないだろう。
そう考えれば楽かもしれない。彼は半ば投げやり気味に答えた。

「で?その悪魔がなんの用だよ」

「決まっておろう。お前と契約を交わし、ルシファーの奴めが定めたゲームを勝ち抜くのだ」

「んだぁ、そりゃあ」

「今にわかる……で、契約するのか?しないのか?」

「決まっているだろ?契約してやるさ。悪魔様よ」

秀明は口元を三日月の型に歪めながら答えた。今のこの状況を打開できるのならば悪魔にでも縋りたい気持ちであったからだ。
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