上 下
74 / 75
第二部 第四章

渭南県鄭城・南岳衡山・二仙山(十)

しおりを挟む
「くそっ、あの若僧め、  この恨みはらさでおくべきかっ!」
 龍虎山の乾道おとこたちにあてがわれた広い部屋の中央で、椅子に腰掛けた道士筆頭の郭庸かくようは、親指の爪を噛みながら道士にあるまじき呪詛の言葉を吐き出していた。

 部屋の隅の寝台では、燕青に叩きのめされた道士たちが、やっと吐き気が収まったり、顎の骨を嵌めてもらったが痛みで食事もままならなかったりと、一様に膝を抱え悄然しょうぜんと座り込んでいる。

 明らかに酔っ払って因縁をつけにいった龍虎山側に非があるのだが、奢り高ぶり尊大に構えた彼らにしてみれば、吹けば飛ぶような二仙山などという田舎道士たちなど圧倒的に格下の存在であり、その格下相手に大の男が五人も出かけていって、たった一人の若僧にいいようにやられておめおめ逃げ帰ってくるなど言語道断である。

 まとめ役である郭庸にとって、すでにことの善し悪しは二の次。こう面子を潰された以上、あの若僧だけでなく、二仙山の道士全員、額を土に擦りつけさせ、許しを請わせねば気が済まない。
 
 だが、酔っていたとは言え、出かけていった五人はいずれも、どちらかというと仙術よりも腕力に覚えのある者ばかり。それがあっという間に叩きのめされたのである。そう簡単ではない。

 とりあえず二仙山の筆頭道士の成仁せいじんには、通りすがりの龍虎山道士五人に、燕青とかいう若僧が難癖をつけ暴行に及んだ、とねじ込んだが、「よくお調べになった方がよろしいかと」と素っ気なくあしらわれてしまった。

 このまま手をこまねいていては龍虎山の、ひいては筆頭道士たる自分の沽券こけんに関わる。おのれ、どうしてくれよう?
「ぐぬぬ……」
 ますます激しく爪を噛む郭庸のところに、配下の道士が一通の手紙を渡しにきた。

 苦虫を噛み潰したような顔で、その手紙の差し出し人の名を見た郭庸はそれまでの沈鬱な表情を変え、大急ぎで中身を読みこむとぱあっと表情を明るくし笑い出した。

「そうかそうか、彼らが来てくれるなら何の心配もいらぬわ!」
「郭庸様、どうなさったので?」
 いぶかしんで近づいてきた弟子に手紙を見せ、
「ふふふ、近日中に武当山ぶとうざんから清魁せいかい道人と、その弟子でわしの甥である郭均かくきんが、陣中見舞いに会いに来るそうな。ふたりとも武当拳ぶとうけんで並ぶ者のない強者つわもの。ひとつここはあのふたりに……はっはっはっ」

 武当山は湖北省にある広大な道教の聖地である。
 七十二峰を抱える武当山は、現在も百を超える道観が建ち並び、「玄天真武大帝げんてんしんふたいてい」を祀る武当派道教の中心地だ。

 それとともに、これより百年ほど下がった南宋の時代に、道士「張三丰ちょうさんぽう」(三豊とも)によって、かの有名な「太極拳たいきょくけん」が編み出されたとされる拳法の聖地でもあり、現在も世界各国から拳法を学びにくる者が後を絶たない。

 その武当拳の名手を、燕青と戦わせようという算段はらづもりなのだ。
「しょせん付け焼き刃の田舎拳法使いよ。伝統ある武当拳の前には、風前の灯火ともしび螳螂とうろうの斧。あの若僧の両手両足の骨をへし折り、頭を踏みつけて命乞いさせてくれる。 もう勘弁してくれと泣いて詫びたとて聞かぬぞ、ふふふっ」


「あの、もう勘弁してくれませんかご先祖様。少し休ませてください」
(なんじゃ、もう泣き言か。修行すると言ったのはおぬしではないか。泣いて詫びたって聞かぬぞ)
「そんなこと言ったって……」
(まだ導引どういんの第三形ではないか。これを極めてこそ小周天しょうしゅうてんの体得に近づけるというものだ。それ、また呼吸が漏れた。もう一度!)

 神界の御殿の前庭で四娘が演じていたのは、仙術の基礎となる「導引術」のうち、「華陀かだ」の「五禽戯ごきんぎ」である。

 導引とは、体内の気の巡りを活発化させるための、呼吸と体の動きを合わせる鍛錬法である。
 一口に導引と言っても、多種多様な方法があるが、そのうちの一つ「五禽戯ごきんぎ」は、三国志の時代の名医「華陀かだ」が考案したとされる、虎、熊、鹿、猿、鳥の五獣の形を模した修練法なのだ。

 四娘とて、「五禽戯ごきんぎ」は小さい頃から二仙山で教わっていたので、動きは身についているが、今祝融神に教わっているのは、呼吸を合わせて行うやり方である。
 鼻から吸って口から吐く。吸ったら一度息を止め、体に清らかな気が巡ったのを感じたら静かに体内の濁った気を吐き出す。

 問題は、どれくらいの時間息を止めるかである。

 四娘は、羅真人からは「普通の呼吸十二回分の時間をかけて吐き出す」よう教わっていた。 これができる者を「小通しょうつう」という。

 ところが、今祝融神が命じているのは十倍、つまり「普通の呼吸百二十回分の時間をかけて吐き出す」という「大通だいつう」の段階なのだ。
 この呼吸を乱さずに第一虎形から第五鳥形までを、一切の乱れなくゆっくりと行う、これが四娘に与えられている課題である。

 正確な体の使い方とともに、長く息を止めたままの動きを何度も要求され、四娘は歯を食いしばって頑張っていたが、やがてめまいや吐き気、耳鳴りを感じ、さらに酸欠を起こしたらしくふらふらと倒れ込んでしまった。
 仰向けになり荒い息をつきながら、思わず悔し涙が流れてきた。

「ご先祖様、どうしても呼吸が持ちません……」
(ううむ、確かにまだ体が十分に成熟していないからきつかろう。特に胸が)
「ちょっと!  ご先祖様までそんなことを!」
 四娘、苦しいのも忘れ祝融神をきっと睨みつけた。

(ふふふ、違う違う。おぬしの肺臓のことよ。仙術でも体術でも言えることだが、肺臓は心臓や丹田と並んで、術の威力に直結する臓器よ。鍛えておくにこしたことはない。「大通だいつう」ができるようになれば、「小周天しょうしゅうてん」の会得により近づくことが出来るだろうし、おぬしの術力も飛躍的に向上するはずだ)
 日頃気にしているせいで、あらぬ勘違いをしたことに気づき、四娘は真っ赤になった。

小周天しょうしゅうてん」とは、簡単に言うと体内の三つの丹田たんでん、すなわち腎臓周辺の下丹田、心臓周辺の中丹田、脳髄周辺の上丹田の間で「気」を循環させることである。
 仙人を目指すならば、必須と言っても過言ではない技法だが、この域に達するのは容易なことではない。仮に一度通っただけでも、気の運用がそれまでとは比べものにならないほど円滑になるほどだ。

 仙術の基本であり根本ではあるが、無意識に循環させられるのは、羅真人、張天師ほか何人いることであろうか。これができねば「五雷天罡正法ごらいてんこうせいほう」の体得はおぼつかないのである。

 四娘は別に仙人になりたいわけではない。むしろ自分を育ててくれた師父の羅真人に恩返しをしたあとは、道士を辞めて誰かと所帯を持ち、幸せな家庭を築きたいというのが密かな願いだ。

 だが同時に、道士として術力を加増したいとは思っている。ひょっとしたらいずれ「四凶しきょう」など強力な魔物と戦うことも考えられるからだ。まだ見たいこともやりたいこともたくさんあるし、死にたくはない。

 だんだん呼吸も楽になってきたところで、持ち前の負けじ魂が四娘を奮い立たせた。ふうっとひとつ息を吐き出し立ち上がる。
「もう一回やります! お願いします」
 両足を揃え、手を脇に添えたところから息を調え、大きく鼻から吸い細く息を吐き出しながらゆるゆると動き始めた。

 虎挙こきょ虎撲こぼく熊運ゆううん熊晃ゆうこう鹿抵かてい鹿奔かほん猿提えんてい猿摘えんてき鳥伸ちょうしん鳥飛ちょうひ……
(猿提まで一息で来たぞ。もうひと頑張りだ)

 収めの姿勢である「引気帰元」まであと少し。だがここから先がきついのだ。すでに最初に取り込んだ陽の清気せいきは使い果たし、陰の濁気だくきもすべて吐き出してしまっている。

 四娘の体内に残っているのは、血液中に溶け込んだ気のみ。
 「鳥伸ちょうしん」の姿勢を取ろうとしたところで、四娘の視界はふっつりと真っ暗になり、再び石畳の上に倒れ込んでしまった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

旅路ー元特攻隊員の願いと希望ー

ぽんた
歴史・時代
舞台は1940年代の日本。 軍人になる為に、学校に入学した 主人公の田中昴。 厳しい訓練、激しい戦闘、苦しい戦時中の暮らしの中で、色んな人々と出会い、別れ、彼は成長します。 そんな彼の人生を、年表を辿るように物語りにしました。 ※この作品は、残酷な描写があります。 ※直接的な表現は避けていますが、性的な表現があります。 ※「小説家になろう」「ノベルデイズ」でも連載しています。

女の首を所望いたす

陸 理明
歴史・時代
織田信長亡きあと、天下を狙う秀吉と家康の激突がついに始まろうとしていた。 その先兵となった鬼武蔵こと森長可は三河への中入りを目論み、大軍を率いて丹羽家の居城である岩崎城の傍を通り抜けようとしていた。 「敵の軍を素通りさせて武士といえるのか!」 若き城代・丹羽氏重は死を覚悟する!

漆黒の碁盤

渡岳
歴史・時代
正倉院の宝物の一つに木画紫檀棊局という碁盤がある。史実を探ると信長がこの碁盤を借用したという記録が残っている。果して信長はこの碁盤をどのように用いたのか。同時代を生き、本因坊家の始祖である算砂の視点で物語が展開する。

毛利隆元 ~総領の甚六~

秋山風介
歴史・時代
えー、名将・毛利元就の目下の悩みは、イマイチしまりのない長男・隆元クンでございました──。 父や弟へのコンプレックスにまみれた男が、いかにして自分の才覚を知り、毛利家の命運をかけた『厳島の戦い』を主導するに至ったのかを描く意欲作。 史実を捨てたり拾ったりしながら、なるべくポップに書いておりますので、歴史苦手だなーって方も読んでいただけると嬉しいです。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

時代小説の愉しみ

相良武有
歴史・時代
 女渡世人、やさぐれ同心、錺簪師、お庭番に酌女・・・ 武士も町人も、不器用にしか生きられない男と女。男が呻吟し女が慟哭する・・・ 剣が舞い落花が散り・・・時代小説の愉しみ

龍虎

ヤスムラタケキ
歴史・時代
 幕末動乱期を、彗星のごとく駆け抜けた、2人の若者がいた。  久坂玄瑞と高杉晋作。  互いに競うように、時代の荒波の中に飛び込んでいく。性格が正反対の2人は、時にぶつかり、時に足を引っ張り、時々意気投合する。  龍虎と称された玄瑞と晋作の、火を噴くような青春を描く。

処理中です...