上 下
29 / 75
第五章

康永金夢楼(七)

しおりを挟む
 ずい、と ずい、と唐回とうかいが前に出てきて、さらにその取り巻きも現れた。全員昼間と同様、亡者もうじゃまとったまま柳葉刀りゅうようとうを抜いて構えている。くるわで一番広い太夫の部屋が、人で一杯になっていた。

(やるしかない)
 その瞬間、燕青も腹を決めた。目をすうっと細め半眼はんがんになり、わずか膝を緩めた。

「昼間、あなたが何やら術を使っていたのを見ていたんですよ。さぁ、大事なお得意様にとり憑いた亡者どもを祓いなさい。そうすれば命だけは助けてあげ」

 皆まで言わせず、燕青はいきなり目の前の若い衆の胸板むないた蹴倒けたおす。多勢たぜいを頼りに油断して下卑げびた笑いを浮かべていた廓の男は、たまらずうしろに吹き飛び、三人ほど巻き添えにして倒れ込んだ。

 別の若い衆が殴りかかってくる。燕青は顔面に伸びてきた拳を払いのけ、下から金的を狙って足を跳ね上げる。男は慌ててそれを防ごうと手を下ろした瞬間、燕青の右足が、飛燕のごとくひるがえり、下を向いた男の左側頭部を蹴り飛ばした。失神して男が吹き飛ぶ。 

この下段から上段への蹴りの変化は燕青の得意技で、これを防いだとしても、さらに跳び上がって体を捻りながらの左踵ひだりかかと回し蹴りがくる。最低でも三段蹴り以上の連携技につながるのである。
 
さらに燕青は蹴り飛ばした脚を下ろさず、そのまま踵から別の若い衆の側頭部を蹴りに行った。男は慌てて腕を上げ防御しようとしたが、今度は防御の直前に上段からがら空きになった脇腹へと脚が翻り、強烈な踵蹴《かかとげ》りが男の肋骨をへし折り、たまらず男はその場に転がりのたうち回る。

「ぐわっ!」
 燕青の後ろで叫び声がしたかと思うと、からんと何かが落ちた音がした。
 振り返ると、手の甲に深々と飛刀の突き立った男が跪き、その前に柳葉刀が落ちている。
 四娘の飛刀が炸裂したのだ。
「助かった!」燕青が叫ぶと、飛刀を構えた四娘が親指を立ててみせる。

 それと見た他の唐回の手下が一斉に柳葉刀を振りかざし斬りかかってきた。
 先頭の男が振り下ろす刀を躱して側面に回り込み、横から足裏で膝の関節を踏み砕いた。膝関節は横からの衝撃に弱い。いとも簡単に男の膝はあり得ない方向に折れ曲がり、男が絶叫した。

 同時に、男の刀を握った手首をひねりあげ、擒拿術きんなじゅつで押さえた手首と肘の関節をへし折り、奪った刀で身近な唐回の手下に襲いかかった。

 首、手首、太股ふとももの内側、腕の付け根と、太い血脈けつみゃくが通る所ばかりを狙い、血しぶきをあげながら正確に切り飛ばしていく燕青の姿は、四娘が初めて見る憤怒ふんぬの表情、修羅しゅら所業しょぎょうである。

 切られた唐回の手下はみな致命傷である。そして彼らが動きを止めるたびに、その手下にとり憑いていた亡霊たちは姿を消していった。

 更に店の若い衆も、落ちた刀を拾いあげて燕青に斬りかかったが、素人剣術がかなうはずもなく、刀を取り上げられたうえ、膝の関節を蹴り砕かれたり、肩の関節を外されたりと、身動き出来ず倒れ伏して呻くのみ。

 唐回と洪泰元は、次々に手下たちを斬り殺されたり、戦闘不能にされる様をみて、腰を抜かしへたり込んでしまった。

 燕青は素早く駆けより二人のあごの関節を外した。助けを呼ばれないように、である。次に二人のひざ関節を踏み砕く。一切の情けも手加減もなく、淡々と、まるで流れ作業で鶏を絞めるようにこなす燕青を見て、さすがの四娘も青ざめ、太夫もその場にへたりこんでしまった。

 「さてまず洪さんよ。王扇太夫は落籍ぬけさせてもらうぜ、もちろん身代金なしだが、なんか文句あるかい?」
 血脂まみれになった刀を捨て、床に落ちていた別の柳葉刀の切れ味を指先で確かめながら、視線も合わさず静かに問うてくる燕青に、あがあが言葉にならぬ返事をし、青ざめて汗だくの顔で、何度もなんどもうなづく洪泰元《こうたいげん》。

「あーそういえばお前さんさっき、命だけはどうだこうだ言ってたよな?」
 ものすごい勢いでうなづき、額を床に擦りつける洪泰元と唐回。

 そんな二人を燕青は睨みつけ、
「だがなぁ、てめぇみてぇに金のためならくるわの法もねじ曲げる、仁義孝悌忠信廉恥じんぎこうていちゅうしんれんちを全部忘れた忘八ぼうはち野郎を生かしといちゃあ、このさき廓の御女郎おじょろうさんたちのためにならねぇ。だから、おれは命だけもらっておくぜ、あばよ」

 柳葉刀一閃りゅうようとういっせん。洪泰元の首は、あんぐりと口を開けたまま宙に飛んだ。

 それを見届けてから燕青は持っていた柳葉刀を、からりと放り捨て、唐回の両肩に手を置き、
「さて、唐回とうかいだっけ?全ての元凶はてめぇだ。まさか今さら命乞いはしないよな?」

 涙、鼻水、よだれ、汗と、顔面のありとあらゆる所から、水をダラダラ滝のように流しながら、唐回は首を横に振り続ける。

「じゃぁお慈悲じひだ。すぐには殺さねぇ、もう少し生かしておいてやる」
 それを見て、ぱっと希望の表情を浮かべた唐回の、両肩の関節を一気に外し、胸板を蹴り倒して仰向けになったその股間こかんを、足裏でずしり、と踏みつけた。
 毎日一刻(二時間)の、「馬歩站椿まほたんとう」で鍛えてきた、「錬気れんき」の籠もった踏みつけである。なんでたまろう、ぶちゃりっ、という嫌な感触とともに、唐回の男根だんこん睾丸こうがんは、薄紙のごとく平べったく踏み潰されたのである。

 かはぁぁ、と悶絶の表情で息を吐き出し、手足の関節が動かないまま胴体だけでのたうち回る唐回。

 激痛の波がいったんいったん引いたのをみて、燕青はさらに、両前腕部の骨を踏みつけて砕く。続いて上腕部。次に下腿骨かたいこつ大腿骨だいたいこつと次々に踏み砕き、最後に腹部を思い切り踏みつけると、内臓のあらかたが肛門から吹き出し、血と糞尿ふんにょうまみれで、やっと唐回は絶命した。

 見れば、唐回にとり憑いていた亡者の姿も、一つ残らず見えなくなっていた。
「お望み通り、祓ってやったぜ。大盤振おおばんぶいだ、この祓いは無料ただにしてやらあ」

 返り血だらけの姿で、燕青はぼそっとつぶやいて、身動きができずに床でうごめいている金夢楼きんむろうの若い衆にむかって叫んだ。

「いいかお前ら、命だけは助けてやる。だがこの先追っ手を出したり、役人に余計なことしゃべりやがったらかならずこの金夢楼みせを潰しにくるからな。その覚悟でいろよ!」

 そう吐き捨て、二人を手で招いた。
 われに返った四娘しじょう王扇太夫おうせんだゆうは、吐き気を押さえつつ死骸を飛び越えて燕青を追い、馬小屋へと向かった。

 途中で何人かの金夢楼の者が襲いかかってきたが、すべて燕青が投げ飛ばし、殴り飛ばし、蹴りつけて道を切り開いた。

 馬房に出て大急ぎで白兎馬はくとばに鞍をつけ、王扇太夫を乗せそのうしろに四娘を放りあげ、
「白兎、大急ぎで千住院せんじゅういんに戻れ!お前なら道がわかるだろ!」

 尻をひとつひっぱたくと、白兎は猛烈な勢いで走り出した。燕青も急いで隣にいた馬に鞍をつけ、二人の後を追って走り出した。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜

かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。 徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。 堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる…… 豊臣家に味方する者はいない。 西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。 しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。 全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

戦国三法師伝

kya
歴史・時代
歴史物だけれども、誰にでも見てもらえるような作品にしていこうと思っています。 異世界転生物を見る気分で読んでみてください。 本能寺の変は戦国の覇王織田信長ばかりではなく織田家当主織田信忠をも戦国の世から葬り去り、織田家没落の危機を迎えるはずだったが。 信忠が子、三法師は平成日本の人間が転生した者だった…

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

時代小説の愉しみ

相良武有
歴史・時代
 女渡世人、やさぐれ同心、錺簪師、お庭番に酌女・・・ 武士も町人も、不器用にしか生きられない男と女。男が呻吟し女が慟哭する・・・ 剣が舞い落花が散り・・・時代小説の愉しみ

我らの輝かしきとき ~拝啓、坂の上から~

城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
講和内容の骨子は、以下の通りである。 一、日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。 二、日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤退する。 三、ロシアは樺太を永久に日本へ譲渡する。 四、ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。 五、ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。 六、ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。 そして、1907年7月30日のことである。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

処理中です...