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夏の章 領地経営とふたり暮らし

第16話 想いすれちがい

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 それにしても鍛治師かじしか……。
 だいぶ村のみなの顔も名前も覚えてきたと思ったけど、そんな人いたっけ?

 ……というわたしの疑問が顔に出ていたのだろう。
 カレンはため息をついた。

 “領主のクセにそんなことも知らないのか“と言いたげだった。
 いっしょに暮らしているうちに、表情だけでわたしの内心がだいぶ読まれるようになってしまった。

 こっちも、カレンが何を考えているのか、ため息だけでだいぶ分かるようになった。
 あまりジマンにならないけど……

「アクストさんは腕のいい鍛冶師ですが、奥さんと子どもが亡くなられてから、ずっとふさぎこんでいる、と以前父がこぼしていましたが」
「……いまは仕事をしていないのか?」
「そうみたいです。酒ばかり飲んでいる、と」

 それはもったいない。

「もしかしてカレンが持参してきたハサミや包丁も、そのアクストという者が打ったのか」
「はい、たぶん。村の鉄製品はだいたいそうではないかと……」
「それはすごいな」

 曲がりなりにもわたしは宮廷騎士だ。
 刃物を見る目には自信がある。

 カレンの使うハサミや包丁は使いこまれた印象だが、刃こぼれもなく表面の滑らかさも失っていない。
 相当丁寧な仕事であると見て取れる。

 正直、こんな小さな村で目にかかるとは思わなかったくらい、上質な代物だ。
 それだけに、いま仕事をしていないというのは、なおさら残念だ。

「なんとか説得して鍛治仕事を再開してもらえないものかな……」
「それも領主のお仕事では?」
「それもそうだ」

 カレンの言うことはまったくの正論だった。
 彼がふさいで鍛治仕事をしないのは、村にとっても損失だろう。
 領主として、どうにか説得してみよう。

「……けれど、ヘタな言葉を投げかけてかえって追い詰めないようお気をつけください」
「ああ、分かった」
「レイリア様、空気が読めないとこありますから」
「そういうカレンもひと言多いぞ」

 わたしが返しても、カレンは澄まし顔だった。
 肩をすくめてきびすを返す。

「お役に立てて良かったです。それでは、今度こそ失礼します」
「ああ、ありがとう。おやすみ、カレン」
 
 わたしはカレンの後ろ姿を笑って見送る。
 けど――、
 部屋を出ようとしたカレンの頭が不意に、ぐらりと揺れた。

「カレン!?」

 カレンはそのまま膝から崩れ落ち、床に座り込んだ。
 わたしは急いで駆け寄り、その両肩を抱く。

「だいじょうぶです。少し立ちくらみがしただけですので……」

 カレンは首だけ振り返って答える。

「ほんとになんともないのか?」
「ええ。ですので、もうはなしてください」

 そこで初めて、自分がカレンの肩を強く抱いていることに気づいた。
 我知らず、彼女の背中に密着する格好だった。
 肩に触れた手から、彼女の熱が伝わってくる。
 わたしがあわてて手をどけると、カレンは何事もなかったかのように立ち上がった。

「す、すまない。とにかく少し横になってくれ」
「平気だと申し上げました。心配し過ぎです」

 そうは言っても、心なしか顔色も悪いように思える。
 放っておけなかった。

「しかし、もしカレンが倒れでもしたらわたしの責任だ」
「……なんですかそれはッ?」

 カレンは髪がばさりと音を立てるくらいの勢いで振り返った。
 思いがけず強い声でとがめられ、わたしはもう一度伸ばしかけた手を宙でさまよわせた。

 その手を今度は強く払いのけて、カレンはわたしをキッと睨む。
 あの冷たいまなざしが、至近距離でわたしの心臓をえぐる。
 彼女にこの視線で見られることは、久しくなかった……。

「万一、わたしが不養生で倒れたならそれはわたし自身の責任です。レイリア様に責を負っていただく必要はありません」

 押し殺したような声音が、かえって怒りを伝えてくるようだった。

「し、しかし……」
「あなたはそうやってなんでもかんでも一人で……っ」

 こらえきれなくなったというように、カレンは言葉を切り、きびすを返した。

「言ってもムダのようですので、やめにします。おやすみなさいませ、レイリア様」
「カレン!」

 冷たく言い捨て、そのまま部屋を去っていってしまった。
 強く鳴る扉の音が、彼女の拒絶の意を示しているようだった。

「カレン、わたしは……」

 何を間違えてしまったのだろう。
 すぐに追いかけたい衝動に駆られるけれど、言葉が思い浮かばない。
 何に怒っているのか分からないのに、とりあえずで謝るのは不誠実な気がした。

 しばらくのあいだ、彼女の閉ざした扉を呆然と眺めていた。
 部屋のまんなかでマヌケに立ちつくす。

 結局、わたしは机に戻ってしまった。
 いま追いかけても、カレンは自分の部屋のドアを開けてはくれないだろう、と思った。

 カレンの運んでくれたカップを、両手で包みこむように持つ。
 ハチミツを水で薄めたミードは温かかった。

「わざわざ湯を沸かしてくれたのか……」

 口をつけ、ゆっくりと飲む。
 ほんのりとした甘さと温かさが、そのまま胸に沁みこんでいくような心地だった。
 起こして悪かったと思う一方、カレンの気づかいがありがたかった。

 もちろん、鍛冶師のアクストのことを助言してくれたのは大いに助かる。
 けれど、それだけじゃない。
 カレンが世話係としていっしょに暮らし、そばにいてくれることが、わたしの心の支えになっている。

 この広い屋敷に、もし一人きりだったら……。
 きっといまよりずっと寂しい思いをしていただろう。

 ――そうだ、彼女は文字が読めるんだった。

 そう思いだし、インクを走らせる。
 
 “いつもありがとう。助かっている“

 メモ書きを下に敷いて、カップを炊事場に戻した。
 わたしよりも早起きなカレンが、翌朝気づいてくれるだろう。
 これを読んだとき彼女がどう思うか分からないが、何もしないよりはマシだと思えた。

 ともかく明日はカレンの教えてくれた鍛冶師に会ってみよう。
 ふさいでいるということだけど、わたしに説得できるだろうか。
 一番身近にいる人の気持ちもよく分からずに、怒らせてしまったというのに……。

 なんにせよ、会ってみないことには何も分からない。
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