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春の章 出会いと冷めたまなざし
第9話 村娘カレン
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わたしの屋敷は、徴税吏が使っていた役人部屋とは別に用意してもらっていた。
日が落ちる前に、わたしはジラフ村長に今後自分の住まいとなる屋敷に案内してもらった。
屋敷といっても村のほかの家屋より一回り大きいていどなのだが、それでもわたし一人で利用するには、持てあますほどに広い。
孤児院時代はもちろん、自分の部屋なんて存在しなかった。
宮廷騎士となってからも、基本的に女騎士は冷遇《れいぐう》ぎみだ。
自分の部屋は見習い騎士のシーラと相部屋で、ベッドを置けばほかの調度品はほとんど入らない。
基本的に、寝起きするためだけの寮部屋だった。
それが突然の家持ちである。
懲罰《ちょうばつ》に近い領地赴任だけど、カナリオ村の人たちはそんな宮廷事情なんて、もちろん知らないだろう。
領主として、できるかぎりの待遇を用意してくれたのだと思う。
だからと言って宮廷騎士団に戻りたい熱が冷めるわけじゃないが、それはそれ、これはこれだ。
徴税吏の役人部屋は村人が共用で会議所のようにして使うので、ムダにはならないらしい。
正直、こんな立派過ぎるお屋敷、自分には不釣り合いに感じる。
遠慮したい気持ちもむくむくと湧くけれど、それがまた宴会を断ったときみたいな誤解になったら困る。
せっかく、徴税吏を追い払って歓迎ムードになったというのに……。
というわけで、ありがたく好意に甘えることにする。
スペルディアは村の入り口あたりの厩舎に預けたので、村内にいるあいだは少し離れて暮らすことになる。
まあ、宮廷でもわたしと一緒にいる時間は限られていたから、彼が気にすることはないだろう。
いまは、ジラフ村長も屋敷に来てくれている。
村長みずからわたしの荷解きを手伝いながら、今後のことを話しあう。
そうとうな老齢に見えるけど、こうして立ち働く姿を見ると、案外足腰は達者な様子だ。
「これが土地台帳。ええと、これは戸籍の名簿、それに各年の収穫の記録ですな」
「すまない。とても助かる」
ジラフ村長は村の記録に関することであれば、読み書きもできるらしい。
彼がほかの人を寄こすのでなく、自ら手伝ってくれるのは、そういう理由もあるのだろう。
といっても、在地領主が不在でも、村の営みは基本的に成り立っていた。
もっぱらわたしのほうがこの村の事情を聞くばかりで、彼のほうから相談ごとを持ちかけてくることは、いまのところなかった。
あとは、何かもめ事が起きたときの、基本的な村の慣習法なども教えてくれた。
喧嘩やいさかいの仲裁も領主の役目なので、よく聞いておいたほうがいいだろう。
「ジラフ殿は村の者なら、全員顔と名前を覚えているのか?」
「と、思いますなぁ……」
「それはすごい」
推定人口約五百人というのだから、宮廷騎士団全体のちょうど半数くらいの人間が、この村で暮らしていることになる。
わたしは半分どころか、同僚の騎士団の顔と名前が一致する人間なんて、十数人がせいぜいだ。
領主として、村長の村人に関する知識は、大いに助けになりそうだった。
「なに、毎日同じ顔ばかり見ておりますからな。ご覧のとおり小さな村ですが、これで存外、いろいろな職種の者がおりましてな。肉を捌《さば》くならマルコ。石切り職人のリッキー。村でただ一つの酒場のあるじ、ステファン夫婦……と、いっぺんに申し上げても覚えきれませんでしょうな」
最初に会ったときの警戒感も薄れ、ジラフ村長は饒舌《じょうぜつ》に村の人々のことを教えてくれる。
こうして聞くと、村の人間はみんな農民だろうと思っていたのは、都会人の偏見だったみたいだ。
貨幣経済も村内で深く浸透している印象だ。
宮廷の資料からでは、分からないことばかりだった。
そうか、そういう村の実情と顔ぶれを知るためにも、宴会をやってもらったほうがよかったのか……。
いまになって、やっぱりしてくれというのはどうかと思うけど……。
不正を働いていた徴税吏を追い払ったあとだけに、清廉潔白《せいれんけっぱく》な領主像をつらぬくのがよさそうだし……。
話を聞きながら、わたしはふと、川で見かけた――そして村人が集まるなか、冷ややかなまなざしをわたしに向けた、あの少女のことを思い出した。
「ジラフ村長、話をさえぎってすまんが、少し気になる者がいるのだが……」
「ほうほう。どうぞ、なんなりとおたずねください」
わたしは少女の外見的特徴を伝えた。
わたしのことを冷たい目で見ていたというのは、もちろん伏せる。
村長は、すぐにそれが誰か思い当たったみたいだ。
「ああ、それは木こりのハンスの娘で、カレンという子でしょうな」
「ほう……」
「幼いころは、明るい子だったのですがな。生まれつき身体が弱く、年頃になると一人ふさぎこむことが多くなりましてな。嫁ぎ先もなかなかなく、かといって親の仕事もあまり手伝えないありさまでしてなぁ」
あんなにキレイな娘でも、結婚相手が見つからないのか、と少し驚いたけど口には出さなかった。
きっと、王都に生まれ育っていたら、引き手あまただっただろうに……。
「母親が若くして亡くなったせいもあるでしょうな。……まあ、悪い娘では、けっしてないと思いますがな」
なるほど、と内心うなずく。
たしかにあの美しさは、はかなげな気配をともなうものだった。
身体の弱さが生んだ魅力だとすれば、容姿を褒められても本人はあまり嬉しくないかもしれない。
「カレンがどうかしましたかの?」
「あ、いや、特にどうということはないのだが……。なんとなく気になってな」
「ふむ……」
それ以上、ジラフ村長が重ねて何か聞いてくることはなかった。
また、作業をしながら、村のこまごまとした話題にもどる。
だから、カレンという少女の話はそれでおしまいだと思っていた……。
◇◆◇
翌朝。
目が覚めると、とっくに日は昇り、窓から日が差していた。
長旅の疲れが、目的地に着いてどっと出たのかもしれない。
宮廷騎士団なら、間違いなく朝課の訓練に遅刻して怒られる明るさだ。
「む……」
一瞬、見慣れない部屋の景色に「ここはどこだ?」と寝ぼけた頭が混乱した。
けど、すぐに昨日からここが自分の部屋なのだ、と思い出す。
畑仕事のある村人たちはとっくに働いているだろう。
誰が見ているわけではないけど、なんとなくきまり悪い気分だ。
就任翌日から朝寝坊では、村のみなにも示しがつかない。
のそのそとベッドから這いでて、着替えにかかる。
――さて、今日は何から始めるべきか。
まずは、昨日ジラフ村長に教えてもらった村内の店などを視察するか。
と、玄関のドアを叩く、こんこんというひかえめな音がした。
あいにく、まだ着替えの途中でちょっと手がはなせない。
「鍵は開いている。入ってくれ」
わたしは声だけで応じた。
もしかしたらジラフ村長がまた来てくれたのかもしれないけど、わたしの私室は二階にある。
着替えを見られる心配はなかった。
「失礼します」
予想に反して、声は澄んだ女性の声だった。
少し急いで着替えを終えて玄関に向かうと、一人の少女が立っていた。
見覚えのある顔だ。
先日、広場で盛りあがる村人たちのなか、ただ一人冷ややかな目であたしを見ていた娘だった。
ジラフ村長はたしか、カレンと言っていたか。
彼女はあのときのような冷たい目ではないものの、無表情で玄関に立っていた。
なんとなく、出迎えるのが遅れたのをとがめられているような気分になった。
「……えっと、何かわたしに用か?」
寝起きの頭では、状況がすぐに呑み込めない。
わたしの問いかけに、彼女は玄関からさらに一歩家の中に足を踏み入れ、深く頭を下げた。
「カレンと申します」
知っている、と言いかけてわたしはあわてて口をつぐんだ。
「ジラフ村長に、領主様の身の回りの世話をおおせつかりました。どうぞよろしくお願いします」
淡々とそう告げてきた。
「世話係?」
「はい。貧弱な身体なのであまり力仕事などは向きませんが、できるかぎりのことはいたします。どうぞご遠慮なくお申し付けください」
カレンは感情のこもらない声音のまま、わたしの目をじっと見つめていた。
日が落ちる前に、わたしはジラフ村長に今後自分の住まいとなる屋敷に案内してもらった。
屋敷といっても村のほかの家屋より一回り大きいていどなのだが、それでもわたし一人で利用するには、持てあますほどに広い。
孤児院時代はもちろん、自分の部屋なんて存在しなかった。
宮廷騎士となってからも、基本的に女騎士は冷遇《れいぐう》ぎみだ。
自分の部屋は見習い騎士のシーラと相部屋で、ベッドを置けばほかの調度品はほとんど入らない。
基本的に、寝起きするためだけの寮部屋だった。
それが突然の家持ちである。
懲罰《ちょうばつ》に近い領地赴任だけど、カナリオ村の人たちはそんな宮廷事情なんて、もちろん知らないだろう。
領主として、できるかぎりの待遇を用意してくれたのだと思う。
だからと言って宮廷騎士団に戻りたい熱が冷めるわけじゃないが、それはそれ、これはこれだ。
徴税吏の役人部屋は村人が共用で会議所のようにして使うので、ムダにはならないらしい。
正直、こんな立派過ぎるお屋敷、自分には不釣り合いに感じる。
遠慮したい気持ちもむくむくと湧くけれど、それがまた宴会を断ったときみたいな誤解になったら困る。
せっかく、徴税吏を追い払って歓迎ムードになったというのに……。
というわけで、ありがたく好意に甘えることにする。
スペルディアは村の入り口あたりの厩舎に預けたので、村内にいるあいだは少し離れて暮らすことになる。
まあ、宮廷でもわたしと一緒にいる時間は限られていたから、彼が気にすることはないだろう。
いまは、ジラフ村長も屋敷に来てくれている。
村長みずからわたしの荷解きを手伝いながら、今後のことを話しあう。
そうとうな老齢に見えるけど、こうして立ち働く姿を見ると、案外足腰は達者な様子だ。
「これが土地台帳。ええと、これは戸籍の名簿、それに各年の収穫の記録ですな」
「すまない。とても助かる」
ジラフ村長は村の記録に関することであれば、読み書きもできるらしい。
彼がほかの人を寄こすのでなく、自ら手伝ってくれるのは、そういう理由もあるのだろう。
といっても、在地領主が不在でも、村の営みは基本的に成り立っていた。
もっぱらわたしのほうがこの村の事情を聞くばかりで、彼のほうから相談ごとを持ちかけてくることは、いまのところなかった。
あとは、何かもめ事が起きたときの、基本的な村の慣習法なども教えてくれた。
喧嘩やいさかいの仲裁も領主の役目なので、よく聞いておいたほうがいいだろう。
「ジラフ殿は村の者なら、全員顔と名前を覚えているのか?」
「と、思いますなぁ……」
「それはすごい」
推定人口約五百人というのだから、宮廷騎士団全体のちょうど半数くらいの人間が、この村で暮らしていることになる。
わたしは半分どころか、同僚の騎士団の顔と名前が一致する人間なんて、十数人がせいぜいだ。
領主として、村長の村人に関する知識は、大いに助けになりそうだった。
「なに、毎日同じ顔ばかり見ておりますからな。ご覧のとおり小さな村ですが、これで存外、いろいろな職種の者がおりましてな。肉を捌《さば》くならマルコ。石切り職人のリッキー。村でただ一つの酒場のあるじ、ステファン夫婦……と、いっぺんに申し上げても覚えきれませんでしょうな」
最初に会ったときの警戒感も薄れ、ジラフ村長は饒舌《じょうぜつ》に村の人々のことを教えてくれる。
こうして聞くと、村の人間はみんな農民だろうと思っていたのは、都会人の偏見だったみたいだ。
貨幣経済も村内で深く浸透している印象だ。
宮廷の資料からでは、分からないことばかりだった。
そうか、そういう村の実情と顔ぶれを知るためにも、宴会をやってもらったほうがよかったのか……。
いまになって、やっぱりしてくれというのはどうかと思うけど……。
不正を働いていた徴税吏を追い払ったあとだけに、清廉潔白《せいれんけっぱく》な領主像をつらぬくのがよさそうだし……。
話を聞きながら、わたしはふと、川で見かけた――そして村人が集まるなか、冷ややかなまなざしをわたしに向けた、あの少女のことを思い出した。
「ジラフ村長、話をさえぎってすまんが、少し気になる者がいるのだが……」
「ほうほう。どうぞ、なんなりとおたずねください」
わたしは少女の外見的特徴を伝えた。
わたしのことを冷たい目で見ていたというのは、もちろん伏せる。
村長は、すぐにそれが誰か思い当たったみたいだ。
「ああ、それは木こりのハンスの娘で、カレンという子でしょうな」
「ほう……」
「幼いころは、明るい子だったのですがな。生まれつき身体が弱く、年頃になると一人ふさぎこむことが多くなりましてな。嫁ぎ先もなかなかなく、かといって親の仕事もあまり手伝えないありさまでしてなぁ」
あんなにキレイな娘でも、結婚相手が見つからないのか、と少し驚いたけど口には出さなかった。
きっと、王都に生まれ育っていたら、引き手あまただっただろうに……。
「母親が若くして亡くなったせいもあるでしょうな。……まあ、悪い娘では、けっしてないと思いますがな」
なるほど、と内心うなずく。
たしかにあの美しさは、はかなげな気配をともなうものだった。
身体の弱さが生んだ魅力だとすれば、容姿を褒められても本人はあまり嬉しくないかもしれない。
「カレンがどうかしましたかの?」
「あ、いや、特にどうということはないのだが……。なんとなく気になってな」
「ふむ……」
それ以上、ジラフ村長が重ねて何か聞いてくることはなかった。
また、作業をしながら、村のこまごまとした話題にもどる。
だから、カレンという少女の話はそれでおしまいだと思っていた……。
◇◆◇
翌朝。
目が覚めると、とっくに日は昇り、窓から日が差していた。
長旅の疲れが、目的地に着いてどっと出たのかもしれない。
宮廷騎士団なら、間違いなく朝課の訓練に遅刻して怒られる明るさだ。
「む……」
一瞬、見慣れない部屋の景色に「ここはどこだ?」と寝ぼけた頭が混乱した。
けど、すぐに昨日からここが自分の部屋なのだ、と思い出す。
畑仕事のある村人たちはとっくに働いているだろう。
誰が見ているわけではないけど、なんとなくきまり悪い気分だ。
就任翌日から朝寝坊では、村のみなにも示しがつかない。
のそのそとベッドから這いでて、着替えにかかる。
――さて、今日は何から始めるべきか。
まずは、昨日ジラフ村長に教えてもらった村内の店などを視察するか。
と、玄関のドアを叩く、こんこんというひかえめな音がした。
あいにく、まだ着替えの途中でちょっと手がはなせない。
「鍵は開いている。入ってくれ」
わたしは声だけで応じた。
もしかしたらジラフ村長がまた来てくれたのかもしれないけど、わたしの私室は二階にある。
着替えを見られる心配はなかった。
「失礼します」
予想に反して、声は澄んだ女性の声だった。
少し急いで着替えを終えて玄関に向かうと、一人の少女が立っていた。
見覚えのある顔だ。
先日、広場で盛りあがる村人たちのなか、ただ一人冷ややかな目であたしを見ていた娘だった。
ジラフ村長はたしか、カレンと言っていたか。
彼女はあのときのような冷たい目ではないものの、無表情で玄関に立っていた。
なんとなく、出迎えるのが遅れたのをとがめられているような気分になった。
「……えっと、何かわたしに用か?」
寝起きの頭では、状況がすぐに呑み込めない。
わたしの問いかけに、彼女は玄関からさらに一歩家の中に足を踏み入れ、深く頭を下げた。
「カレンと申します」
知っている、と言いかけてわたしはあわてて口をつぐんだ。
「ジラフ村長に、領主様の身の回りの世話をおおせつかりました。どうぞよろしくお願いします」
淡々とそう告げてきた。
「世話係?」
「はい。貧弱な身体なのであまり力仕事などは向きませんが、できるかぎりのことはいたします。どうぞご遠慮なくお申し付けください」
カレンは感情のこもらない声音のまま、わたしの目をじっと見つめていた。
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