花よめ物語2

小柴

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第一部

第一話

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 秋の終わりは冷たい風が、さあっと、木の葉を巻き上げていく。黄色や赤色だった地面がきれいに片付けられ、真っ白な雪に覆われたら冬支度はおしまいだ。
 まだほんの少し秋を残した森に、あざやかな緑色のマントを羽織った少女がいた。木の根にちょこんと座っている。近くには馬が三頭。森の奥から騎士が戻ってきて、ハンカチに包んだ真っ赤なベリーを見せた。

「どうぞ。甘くて美味しいですよ、お疲れでしょう」
「ありがとうございます。サー・ガウェイン」
 立派な体躯の騎士はかがんで少女に差し出す。その拍子に吐息が重なるほど近づき、騎士は耳元でささやいた。「二人きりの時は、ガウェインとお呼びください、と言ったでしょう?」
「え、ええ、……ガウェインさま……」
 名前ひとつで少女は頬をそめた。騎士は少女の恥じらう姿が可愛らしくて、もっともっと、かまいたくなってしまう。額をくっつけ唇も重ねようとしたところで──背後から冷や水をさされた。
「べつに、二人きりってわけでもないんですがね」
「よけいな言葉は慎め、ガヘリス」
 ガウェインはむっとした顔で弟の横やりに応じた。3人は王都キャメロットに向かっていた。アネットをガウェインの婚約者として紹介するためだ。
「『複数の騎士をともなって王都入りしたほうが印象付けやすい』って言うから、ついてきてやったんじゃないか、兄上」
「旅路までついて来いとは言っていない」
「それが兄思いの弟にかける言葉か。レディ・アネット、これがあなたの騎士の本性ですからね」
 アネットは兄弟の遠慮ないやりとりに目を丸くしていたが、やがて口元に手をやって笑った。おだやかで純真な少女は満ち足りた表情をしていた。


 ふたたび馬上の人となり、一刻ほど駆けて森を抜ける。その先に古代ローマ人が残した巨大な石造りの城壁が現れた。中は城市になっていて色とりどりの屋根がひしめきあい、中央の丘にアーサー王の城がそびえ立っていた。
 道ゆく人々は騎士の盾に描かれたマークを見て、さっと道を開ける。とくに少女に寄り添って走る騎士の盾──地色は赤くまんなかに黄金の五芒星──完全無欠の五徳をあらわすサー・ガウェインの印(しるし)は、尊敬のまなざしを集めるものだった。だからこそ人々は「彼が寄り添っている少女は誰だろう」と噂する。
 その正体が知れ渡るのはもう少し後、少女がキャメロットの宮廷で名声を勝ち得てからだ。


■□■□■□■


 少女の指先は緊張でつめたかった。騎士は手を握り、髪を一房すくって唇を落とす。
「アネット、大丈夫ですよ。私が隣にいますからね」
「……はい……」
 万聖節(11月1日)を祝うための人で大広間はいっぱいだった。ぽっかりと口を開けた大扉をくぐり、アネットはガウェインに伴われて大広間に入場する。
「貴(あて)なるアーサー王の甥御サー・ガウェイン、ならびに婚約者・クニス家領主エドモンドの娘アネット、ご到着!」
 埋め尽くさんばかりのまばゆい貴婦人、誇り高い騎士、召使いたち──すべての視線が二人に注がれる。
 アネットはよろめかないよう気を付けて歩んだ。首すじに視線が刺さっているみたいだ。足がすくむ。気遣うガウェインにそっと手を引かれて、アーサー王の御前に進み出た。
「ガウェイン、アネット、よく参った。顔をあげなさい。二人に会えて嬉しいぞ」
 アーサー王の声が大きく響いてアネットはすこしだけホッとした。声に温かく包まれたみたいだ。最敬礼のお辞儀をする。緊張で顔色は真っ白になっていた。
「さすがに緊張しているな。ガウェイン、挨拶が済んだら休ませてあげなさい」
「はい。仰せのままに」
 ガウェインは婚約者の背に手を添え、お辞儀しながらゆっくりと下がる。ぴったり寄り添う彼のすがたに広間中からため息が溢れた。
 ──ご覧になりました? サー・ガウェインのお顔……。
 ──仲睦まじく寄り添われて。目に入れても痛くない可愛がりようとはこのことですね。
 好意、驚き、好奇心、憧れなど宮廷の話題は二人に集中した。もちろん良いものだけではない。嫉妬や困惑、敵意、さまざまな感情がアネットに向けられている……。


「大丈夫ですか、アネット」
 挨拶のあとガウェインはアネットを連れて大広間を抜け出した。回廊の長椅子に彼女を座らせ、召使いに命じて水の入ったゴブレットを用意させる。大広間と中庭をつなぐ回廊は空気が涼しかった。アネットは銀製のゴブレットに口をつけて一呼吸ついた。
「はい……ガウェインさま、申し訳ありません」
「これから何度でも機会はあります。すこしたてば宮廷の雰囲気に慣れるでしょう。アネットは強い女性ですから」
 手の甲でそっとなでられ、アネットの頬に血の気がもどった。回廊の大きな窓から夜空の月が見え、ガウェインの優しい瞳を照らしている。だが吐き出す息はすぐ冷たくなって、下のほうへ流れていく。
「あまりここに居てはいけませんね」
「ええ、体を冷やしてしまいますから。でもすこしだけ。そのあいだに私の兄弟の話をしましょう」
 ガウェインは隣にすわって、扉から大広間の中をながめた。
「ちょうどあそこにガヘリスが見えますね。私のすぐ下の弟です。ご存知のとおり、優秀な騎士のくせに人をからかう悪い趣味があります……あまり本気しないように。
 アーサー王の近くにいる黒髪の騎士がアグラヴェイン、二番目の弟です。愛想がなく口数も少ないですが、あれはよく考えて話す性格で信頼していい相手だ。
 ガレスは、今はいないようですね。冒険に出ているのでしょう。三番目の弟であなたとも歳が近い。
 そして、もう一人──…」

 人影を探しているとき、ちょうど他の騎士がガウェインを呼びにやってきた。王が彼を呼んでいると言う。申し訳なさそうな顔をするガウェインに対して、アネットは「ここでお待ちしています」と微笑む。
 では……とガウェインは立ち上がり、自分の羽織っていたマントを外してアネットの背中にかけた。
「すぐに戻って参りましょう。あなたが寒さを感じる前に。ちなみに末の弟は、モードレッドといいます。彼については……、後でゆっくりと話します」



 ガウェインが席を立ってしばらく、アネットは近づいてくる気配に気づいた。夜の回廊は暗く数歩離れると顔を判別できない。だが田舎育ちのアネットは人並み以上に闇目がきいた。
「………」
 金髪に緑色の瞳だ。金貨に描かれている人物によく似ている。だがすこし細身で、歩き方も違う……。
 青年はアネットにお辞儀をして、おだやかな口調で言った。
「レディはあまり驚かれないのですね。はじめて僕を見る人は、間違って最敬礼することもありますが」
「……申し訳ありませんが、あなたのお名前を存じ上げません。きっと高名な騎士様でいらっしゃるのでしょう。お名前を教えていただけますか?」
 相手が自分より若いことに気づき、アネットは勇気を出して言った。楽しげな笑い声が返ってくる。不思議な威圧感を放つ青年だった。
「初めまして義姉上(あねうえ)。オークニー兄弟の末弟で、モードレッドといいます」
「………!」
 アネットは驚いて長椅子から立ち上る。ガウェインが後で話します、と言った理由がよく分かった。
 まるで神がアーサー王に似せて作ったような青年だった。国王は歳をとらないので、服装を取り替えたら見分けがつかないだろう。モードレッドはほんのすこし細身で声が高い。だがそんなものは誤魔化すことができる。
 ぞっと寒いものが背筋に走った。でも青年は親しげな笑みを浮かべ、礼儀ただしい態度だった。アネットは動揺しつつお辞儀をかえした。

「アネット──! や、お前はモードレッドか……?」
 あかるい大広間から戻ってきたガウェインは婚約者に近づく人影を警戒し、あわてて駆け寄った。月明かりにアーサー王にそっくりな青年を見て、おどろきつつも言葉を発する。
「お久しぶりです、ガウェイン兄上。勝手に兄上の婚約者に話しかけて申し訳ありません」
「いや、お前であれば構わない。しばらく見ないうちに、また王に似てきたな」
「僕たちはアーサー王の親戚です。似ていても不思議はないでしょう」
 モードレッドは落ち着きはらって言う。慣れた言葉のようだった。一方、ガウェインはとまどいが残り、歳の離れた弟をまじまじと見てから抱擁する。モードレッドも兄のたくましい背中に腕をまわした。再会にふさわしく力強い抱擁だった。
「騎士に叙任されたのは知っていたが……いつキャメロットに来た?」
「半年ほど前です。叙任されたあとは冒険へ。それで兄上に会えなかったのでしょう。僕も兄上のような、円卓の騎士になりたくて参ったのです」
 身長の伸びた弟の肩に手を置いて、そうか、とガウェインは感慨深そうに言った。すこし首を傾けて温かい笑みを向ける。
「おまえはこちらに来ないと思っていた」
「成長すると人は変わるものですよ」


 ひとしきり話した後、これ以上はお邪魔になりますので、とモードレッドは会話の腰を丁重に折った。ふたたびお辞儀して去る。ガウェインはしばらく弟の背中を見送っていた。
「あの方がモードレッドどの……あかるくて礼儀正しい人ですね」
 アネットは背伸びして、ガウェインの肩にマントを留め直してあげた。
「ガウェインさまが『後で話す』と言われたのも納得しました。本当によくアーサー王陛下に似ていらっしゃいます」
「ええ、私も久しぶりに会ったので驚きました。昔から似ていると思っていましたが、今は見分けがつかないほどですね」
 ですが、と彼は言葉を切った。アネットに話すのをためらっているようだった。
「『後で話す』と言った理由は……それだけではありません。モードレッドは弟ですが、いまいち分からないところがあるのです。あれは私たち兄弟と距離をとって、いつも母親のそばにいましたから」
「………」
 ガウェインが言いよどむ。きっと、母親について話すことを迷っているのだろう。今度はアネットが勇気を出して、ガウェインの手を優しくにぎる番だった。
 ガウェインはおどろいてアネットを見つめた。──アネットという少女は人並み以上に臆病だ。決断するのが苦手で誰からも軽んじられてきた。だがその弱さのせいか、警戒されずに相手の心へ近づくことができる。その優しさは嘘偽りなく誠のものだ。
 ガウェインはアネットの思いやりに心がほぐれるのを感じた。何を言わずとも労ってくれた少女を愛おしく見つめ、小さく温かい手を握り返した。
「……騎士になってからずっとオークニーに戻っていません。母親とモードレッドには数年会っていないのです。
 しかし、あんな性格の子ではなかったと記憶しています。彼がなぜ毛嫌いしていたキャメロットに来たのか、いまいち納得がいかないのです」

 ガウェインは正直な心を打ち明けた。いつもあおぞらのように澄んで見える瞳が、月明かりの下では悲しげな群青色だった。


 <つづく>


2期の主人公はアネットとモードレッドです。どうぞ最後までお付き合いください。
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