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第百五十二話 モントロー子爵領にて
しおりを挟む「お嬢さま、お嬢さま。」
ネルがアリスティアを探して、屋敷の中を歩いてきた。
ケリーはネルにからかうような声で話をかけた。
「ネルさん、もうお嬢さまじゃありませんよ~。」
「あ、ああそうね、わたしったら癖が抜けなくて。」
「もう、奥さまでございます。」
ケリーは、すんと鼻を鳴らした。
土色の地面に合わせたような壁石が、壁面を田舎っぽく見せる。
家を囲むように立つ木々の影にも、家を陰気に見せる。
蔦が這う壁面にも屋根にも、歴史が顔をのぞかせる。
二階の窓から顔を出したアリスティアは、ネルを呼んだ。
「なんどす?」
「あ、奥さま、村長宅にはいつごろでかけますか?」
「そうどすなあ、もう少ししたら出かけまひょ。」
「承知しました。」
二階と一階での会話になってしまったが、ふたりは気にもしていなかった。
貴族の奥方が、窓から使用人に声をかけるなどと、はしたない。
睦月の終わりともなれば、少しずつ日差しも長くなって、日当たりのいい庭にはぼつぼつ草も顔を出している。
ネルはケリーに命じて、厩から馬車を出そうとした。
「ネルさん、奥さまはお腹に影響があるから歩いていらっしゃるそうですよ。」
「あらそうなの?じゃあ、お付きは?」
「あら、ネルさんじゃないんですか?」
「アホの子ね、奥さまのお出かけに私一人でどうするの?騎士は二人、侍女は三人追加。すぐ手配なさい。」
ネルは、呆れた顔をしてケリーに諭した。
「かしこまりました。」
ケリーはすぐに体を回して、屋敷のなかに駆けこんでいく。
「侍女は走らない!」
「はい~」
人の見ているところでは、走ったりしてはいけない。
家の周りを囲む椿の木は、冬の陽をあびてつやつやとした光を放っている。
咲き遅れたように赤い花が見られる。
近所の住民からは、カメリア屋敷と呼ばれている。
この屋敷も一五〇年はここに建っているのだから、なにがしかの名が付いてもおかしくはないだろう。
その椿の花を少しなでて、ケリーは空を見上げた。
「お嬢さまが帰ってくることを、あなたたちも待っていたのね。」
一時の感傷だと言うことは、自分自身がよくわかっている。
しかし、そんな感情が自分の胸を満たしていることに、喜びを感じているのも事実なのだ。
玄関からマルセルが顔を出した。
ネルは、そんなマルセルに声をかける。
「マルセル。」
マルセルは、信頼した眼差しでネルにうなずいた。
「ああ、頼むぞ。」
「まかせといてよ、それにここはお嬢さ…奥さまの故郷よ。」
「まあな、まさかアレが来るとも思えんが、アレには気を付けるんだぞ。」
「あ~、アレね、アレはだめね。」
アレとは、街に入ればすぐにわかるのだが、遠縁の男である。
父の遠縁で、モントロー子爵家を頼ってやってきたが、父を怒らせて屋敷を放り出された。
しかし、行く当てもないことから、子爵家の馬場の隅にある馬小屋に暮らしている。
街で日雇いのようなことをしながら糊口をしのいでいるが、畑の作物を盗んだり、家畜の鶏を盗んだりする手くせの悪い男だ。
便宜上『ポチ』と呼ばれている。
マルセルやネルにも金の無心をしたりする。
一度も成功したことはないが。
若干知恵も足りないのかもしれない。
さもしいを絵にかいたような男だが、遠縁と言うことで見ないふりをしてきた。
これで、アリスティアの姿など見かけたら、どんな無理難題を吹っかけてくるかわからない。
どこの領地にも、鼻つまみ者と言うものは存在するのだ。
うねる農地の間をすり抜けて、街道は繋がっている。
馬車を出そうにも、アリスティアは身重なため、馬車に揺られることは好ましくない。
アリスティアも、街には歩いていくつもりなので、まあぼちぼちと行こうか。
屋敷の前の道は、広い庭を抜けたところにあり、小さな林をはさんで西側に広い畑、その向こうに馬場がある。
いまや広い馬場は草むして、使うものもなくその隅はポチによって畑にされていた。
東側の庭も、本来なら幾何学模様をした美しい庭なのだが、面倒をみる者もないので苔むして、雑草に浸食されている。
これが八年に渡って金を遊興に使いこんでいた子爵を詐称する一家のなしたことである。
そろそろと歩くアリスティア一行は、ゆっくりと村長の家を目指した。
ネルがアリスティアの来訪を告げると、村長は訝しげに尋ねた。
「それで、今度は何に税をかけると言うのです?」
「はあ?何を言っているのですか。」
「また税金を出せと言う話でしょう?」
「違いますよ、あの子爵を詐称していた男のかけた税金をなしにする相談に来たのです。」
「は?はあああああ?」
どうも、この村長は屋敷から来た使用人は、凶報をもたらすもんだと信じ込んでいる様子だった。
「村長さん、アリスティアどす。」
アリスティアが前に出て挨拶をすると、とたんに恐縮する村長。
「はは、お嬢様のお帰りでございますか。」
「さようどすな。父がアホなことをしでかしましたので、その後始末にまいりましたんどす。」
「はあああ?」
「長年、皆さまを苦しめてきた父は、わが夫の手で縛に付きました。もう、重税にくるしむことはありません。」
「お、おじょうさま!」
村長は驚いたまま、顔が固定されている。
「へえ、これからは皆さんが働いた作物は搾取されなくなるんどす。」
村長は思わず涙を流していた。
アリスティアは、そんな村長の手を取った。
ささくれた、働く男の手だった。
アリスティアは、その手を優しくさすって言う。
「働く男の立派な手どす。」
村長の涙は止まることを知らないようだ。
「アホな父が、苦労をかけてすんまへんどした。」
「お・おじょうだば」
アリスティアは、銀貨の詰まった袋を村長に渡して言った。
「屋敷の庭や馬場が荒れ放題どす。皆を集めて草を片づけてほしんどす。」
「こ・これでですか。」
「そうどす、すくのうて恥ずかしんどすけど、人を集めて賦役をお願いします。お昼はこちらで出します。」
「そんな、食事など!」
「ええんどす、ほなよろしゅうお頼の申します。」
アリスティアは、優雅に腰を折って見せた。
それを見て、村長はその場で這いつくばって答えていた。
(こ、これが本当の貴族じゃ。)
村長宅を辞する主従を、呆けたように見送る村長。
「ああ、こちらの畑もだれも作ってはらへんのどすか。」
村長の家の裏には、一ヘクタールほどの畑があった。
放置されて、草もぼうぼうである。
「そのようですね、ここのところ出て行く農民も多くて。」
マルセルが、悔しそうな顔をした。
「そうどすなあ、冒険者でも雇えればええんどすけど。」
そう言いながら、アリスティアは畑の隅に軽く手を寄せる。
「行きよし。」
何の気なしに声を出すと、ざあっと大量の精霊が走って、畑を一面耕して行く。
「こうすればええんどす。」
「お、お嬢様!」
ネルは、目の当たりにした出来事に戦慄した。
畑はふかふかと、いつでも種まきができるような状態である。
「ティリスさんお姉さんなら、もっと広くても平気で耕してますけどな。」
「ティ…ティリス様と言えば、豊穣の聖女さまですね。」
ネリーが明るく聞いた。
「そうどす、ネリーはよう知ってはりますな。」
「はい!奥さまは『癒しの聖女』さまですもの。」
人通りもまばらな街の教会前広場に足を踏み入れても、だれもアリスティアのことに気付かない。
黒いローブに、白いレースのベール。
教会のシスターと言われれば、そうかもと思わされる。
そうして、一行は教会に足を運んだ。
「マルセルどの、今日はなんの御用向きでしょうか?」
「おお司祭さま、今日はお嬢様がお戻りになったので、そのご報告ですよ。」
「お嬢様?」
「司祭さま、アリスティアどす、御無沙汰いたしまして、堪忍どすえ。」
「これは、アリスティアお嬢様、ようこそいらっしゃいました。」
「へえ、うちらもお参りさしてもらいまひょと思いましてな。」
「けっこうでございますね、どうぞ変わり映えもしませんが。」
司祭もなかなか言うものだ。
薄暗い聖堂の中に、白いオシリス女神の像が見える。
正面からはステンドグラスの窓が見える。
アリスティアは、祭壇のオシリス像の前に立ち、その顔を上げる。
手を合わせたその体を、金色の光が取り巻き始めた。
「お元気でしたか?アリスティア。」
「へえ、御無沙汰しております、ジェシカさま。」
「今回は、懐妊だそうですね、おめでとう。」
「おそれいります。」
「その子にも祝福を、教会の皆さまにも祝福を。」
ぱあっと金色の波が広がる。
「おおお!なんと言う奇跡!」
司祭は床に膝まづいて、祈りをささげる。
アリスティアは、立ち上がると司祭に聞いた。
「孤児院の子供たちは?」
司祭は、下を向いて答えない。
「孤児院はどうかしたんどすか?」
「いま、孤児院は閉鎖しております。フォンテーヌブローの孤児院に総て移送しました。」
「な、なんでどす?」
「領主さまから補助金を打ち切られましたので…」
アリスティアは、いきなりの言葉に打ちのめされたようにベンチに座り込む。
「な・なんとまあ…お父さまは、なんと言う愚かな…」
「お嬢様。」
ネルはアリスティアの肩を支えた。
「罪深いとは思いましたが、ここまでとは…」
嗚咽をこらえるように、口を手で覆う。
「愚かな…」
自分の父親が、ここまで非道に手を染めていたことに、目眩すら覚える。
「教会のシスターたちも、食うや食わずでおります。」
アリスティアは、すくと立ち上がると懐に手を入れた。
じゃらりと音のする革袋を取り出す。
「ここに金貨が三〇枚おます。これを教会でつこうとくなはれ。」
司祭は、目を丸くした。
金貨三十枚あれば、教会の者が一年食べていける。
「もし孤児がいたら、おなかいっぱい食べられるようにしてあげとくなはれ。」
「かしこまりました。さすが癒しの聖女さま。」
「なにをおっしゃいます、地道に努力された司祭さまこそ教会の鑑どす。」
「も、もったいない。」
司祭は、革袋を押し頂いて、膝をついて泣いた。
「かならず聖女さまのおっしゃるように致します。」
アリスティアは、頷いて司祭の手を取った。
「またお邪魔しに来ます。教会への寄付は、これで終わりやおまへん。」
アリスティアは、懐からワインの入った瓶を取り出した。
「これは、みなさまで。」
女神の血である。
マリエナの乙女たちが足で踏んだ大地の恵みである。
外に出て、広場を見回しても活気がない。
みな一様に下を向いて、足早に通り過ぎる。
商店にも元気がない。
アリスティアは、それを見てなんとかしなければと思うのだが、どうしたものか考え付かなかった。
「あれえ?こんなところでどうしたんだよ。」
「ぽち!」
広場にポチが入ってきていたのだ。
「うかつだった。」
マルセルがうなる。
「ポチさん?」
「ああ、そうだ俺がポチだあ。」
便宜上とは言え、こいつにポチはかわいすぎた。
今からでも『ゴキ』に変えてえ。
「うへへお嬢様だあ。」
ポチは、太ったおなかを揺らした。
「あら、ウチがだれか知ってはる?」
「アリスティアさまだあ、おら知ってるだあ。」
「そう、昔パンをあげましたなあ。」
「そうだあ、お嬢様の朝ご飯だったのによう、おらにくれたんだあ。」
「そんなこともおしたなあ。」
「お嬢様はどこにいたんだあ?」
ポチは、石畳に座り込んだ。
「へえ、ウチはマゼランに居たんどす。」
「マゼラン?」
「はあ、ここからずっと北の、おひげが立派な伯爵さまの街どす。」
「へえ~、そうなんだあ~」
アリスティアは、懐からリンゴを出して見せた。
あの大きな、バレーボールくらいのシロモノである。
「おお~、おじょうさま、どっから出したんだあ?」
「ふふふ、さあ?ぽち、おあがりなさい。」
「うへへへ、リンゴは大好きだあ。」
ポチは、両手でリンゴを持って、がしがしと齧る。
その手が、心なしかやせていることに、アリスティアは気付いた。
「あなた、あまり食べてないのどす?」
「最近はどこも貧乏で、食い物もないんだあ。」
「そう?」
「そしたら自分で畑作って食いものとれっておじさんが言うんだよ。」
「それで?」
「作ってみたけど、草と喰いもんの違いがわからねえ。」
「まあ、あはははは」
「へへへ」
「ほなら、もう一個差し上げまひょ、おなかいっぱい食べておくれやす。」
「お、お嬢様」
ネルが心配して声をかけた。
ポチは急に心配になって、アリスティアに聞く。
「うえ、お嬢様の喰う分がなくなるよう。」
「ウチはええんどす、ポチがお食べ。」
「おじょうさまあ~」
ポチは、街の人が言う乱暴者の噂とは違っていた。
アリスティアは知っている、心の優しい男なのだが、ほかの無頼にだまされて悪いことをしてしまうのだ。
「ポチも、うちに来て草むしりしてくれはる?」
「お嬢様のお願いなら、おらなんでもするぞ。」
「そう、ほしたら明日うちにおいない、お昼御飯も食べさせたげますよって。」
「いいのか?」
「ええ、がんばって草むしりしておくれやす。」
「おらがんばる!リンゴ二個分は働く!」
「そう、よかったわ。」
ポチは、ふんすと力こぶを見せた。
それは、こころなしか痩せていた。
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