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第百四十八話 混乱の戦場
しおりを挟むモンペリエ辺境伯は、聖女の祝福を得て、最高の新年であろう。
ご懐妊のロベリア殿も、すこぶる快調であり、体調も上がった。
まず安産間違いなしだろう。
「いやはや、これほどの幸運はないだろう。マリエナ伯爵は福の神じゃよ。」
オッサン臭い辺境伯は、ひげをひねって喜んでいる。
モンペリエ辺境伯の館は、石造りなので冬場はよく冷える。
海辺の南部なのだが、二月ともなればそれはもう冷える。
辺境伯は、気を遣ってティリスの部屋には、これでもかというほど石炭が焚かれた。
「も、もうけっこうどす。」
たまらずティリスが悲鳴を上げた。
辺境伯領都は、六階建てのアパルトマンも多く、道は複雑に入り組んでいる。
さすがに、砦を持つ領土であるので、敵の侵入に備え、迷いやすくされているらしい。
夜更け、街の灯りもほとんど消えて、酒場もそろそろ店じまいと言う時間。
館では宴も終わって、使用人たちが後片付けに走り回っている。
領主館はまだ眠っていない。
そんなモンペリエの街に悲鳴が響き渡った。
『ぎゃー!』
さっきまでは何もなかったのだ。
しかし、いま、五メートルを越える巨体が、男の足をくわえて空に放り投げる。
ほろ酔い加減で歩いていた男は、なすすべがなかった。
醜く並んだ鋭い歯が、男を切り裂いた。
もう、悲鳴を出す暇もない。
「あ・あ・あ…」
失禁しながら後ずさる男の友人は、すでにコシが抜けている。
「ぎゃぎゃぎゃ!」
二メートル前後の黒い影が、笑うような声を上げた。
「びゃ~!」
はって逃げようとする男は、足に喰いつかれた。
「なんで街中にラプトルが!」
そんな声がかき消される。
いや…小さいのはラプトルだが、大きいのはマイプだ。
福井県で発見された、巨大なラプトル系の魔物だ。
ティラノサウルスレックスでもない。
顔が細くて、目つきが鋭い。
シャープな体躯は素早さを表している。
意外にも異変にいち早く気づいたのはエリシアだった。
「なにごと?」
複数で寝込んでいるベッドで、がばりと起き上がってしまった。
「う~んどないしやはったん?」
ティリスが気づいて目を覚ました。
モンペリエの街は、すでに無理の園に居る。
「なにか悪いことが起こっています。」
「へえ?あ、ホンマや。なにやら悪意が動いてはりますなあ。」
ティリスは、上を向いた。
カズマは暢気に起きる気もない。
「下等な竜が歩いているよ。」
アマルトリウスが、鼻をひくひくさせた。
なぜか彼女も同じベッドに寝ている。
「わからはります?」
エリシアが、アマルトリウスに顔を向けた。
「わかるよ、邪悪な思考が読める。」
「邪悪…」
エリシアは、額に汗をにじませている。
邪悪な思考は、マイプの歓びの声かもしれない。
生き物を殺し、むさぼることがマイプの歓びなのだ。
『げぼぁ!』
魔導士は血反吐を吐いて膝をついた。
「お、おいどうした。」
「だめだ、もう限界だ。」
両手を床について、か細い声で答えた。
「まだラプトルは残っているぞ。」
「だめだ、もう魔力が底を…」
言う間に魔導士は気を失った。
マイプのような大きなものを瞬間移動させるには、大量の魔力を消費する。
この魔導士はよくやったと思う。
鉄の檻の中には、数頭のラプトルがぎちぎちと嫌な音を響かせている。
「どうした、まだラプトルは残っているじゃないか。」
指揮官らしき男が声をかけてきた。
「は、もう限界のようであります。」
指揮官は胡乱な顔をして、倒れた魔導士を見下ろした。
「ふむ、まあいい。モンペリエの街が混乱するなら、今がチャンスだな。」
指揮官は通称『鳥小屋』へと足を向けた。
マイプは、金色の目をギラギラと輝かせた。
ここには、数え切れないほどエサがいる。
そして、引き裂くたびに甘い悲鳴を聞かせてくれる。
なんて心地好い場所なのか。
舌が、思わずヨダレで濡れる。
親方を慕うように、小型のラプトルが付き従う。
コイツラがまた、楽しませてくれるのだ。
エモノ(ニンゲン)を追い詰めて、絶望の悲鳴を聞かせてくれる。
こんな楽しい夜はついぞ過ごしたことがない。
エモノの巣(街)は、悦びで満ちている。
歯ごたえのある成体もいいが、やはり幼体の柔らかな肉はたまらん。
しかも、少しずつ食べると、好い声で鳴くのだ。
カナリヤの歌のように、高音が響く。
その親の、絶望の歌も捨てがたい。
なんと甘美な夜だ。
マイプは有頂天であった。
ニンゲン共にワナにはめられ、へんなものをかぶせられたが、こんなに楽しませてくれるなら、それは許してやる。
いきなり変なところに来たが、なかなか良いところだ。
なによりエサが多い。
ラプトルが呼びに来た。
幼体のたくさん居るところを見つけたらしい。
(孤児院のようだ。)
待ちきれないように、ラプトルどもが走り出す。
巣の隅に固まって震えている幼体を、少しずつ食べるのは楽しみだ。
幼体に手を伸ばしたところ、鋭い痛みが走った。
よく見ると、手の先がない!
(マイプは視力が極端に悪いので、近くで見ないとよくわからない。)
『ぐぎゃあああ!』
痛い!痛い!
ちくしょうめ!
「好き勝手してくれるやないか。」
なんだこの固そうな肉は?
手に棒を持っているようだ。
『ぐわぁ』
マイプは、吠えて硬い肉に噛みつこうとする。
ガキンと顎が空を切った。
『ぎゃ!』
また手の先が減った!
なんなのだあの硬い肉は!
気がつくと、周りにいたラプトルの気配がない。
柔らかそうな肉が、血を浴びてこちらを見ている。
あんなにいたラプトルは、みな地面に寝ている。
ちくしょうめ、オレの手下が。
狭い巣の中では、こちらの分が悪い。
手先からは、ダバダバと血が漏れている。
せっかく好いエサ場だとよろこんだのに。
アタマの被りものが呼ぶ。
(口を開け)
言われると、それに従ってしまう。
かぱりと口を開けたら、口の中が焼ける!
ガバー
口から火の玉が飛び出した。
『ゲボゲボ』
口の中が、焼けて息もできない。
「格子力バリヤー!」
子どもたちには、火の玉が届かなかった。
火の玉は、壁を破って外に向かった。
「この外道が!」
手にした棒が、上から落とされる。
マイプのアタマは、真っ二つに分かれた。
『痛い…』
マイプの最後の思考はそこでとぎれた。
「好き放題やってくれはったな。」
カズマは、マイプを見下ろした。
「お屋形様、こいつにもヘルムが。」
マルノ=マキタが、マイプの頭からヘルメットを外した。
中には、複雑な魔法陣が複数重ねられている。
「ふむ、呪いのたぐいやな。いまので、呪いは返されたかな?」
「そうどすな、かなりキツイ呪いどっさかい、これが反ると心臓とまりまへん?」
「さあ?自業自得と言うやつやろ。」
いま正に返ってきた呪いは、術者に襲いかかる。
『うぎゃあああ!』
「お、おい!」
術者は、その場でのたうちまわると、すぐに動かなくなった。
見れば口から大量の血を吐いている。
「な、なんと言うことだ!」
たぶん、呪い返しだ。
マイプが屠られたことで、その術式の中の呪いが帰って来たのだ。
その三倍になって。
アンダルシャーの首都ロンダは、南面に一〇〇メートルの断崖を持つ特異な街である。
海水の浸食によって削られたのだろうか、入り組んだ地形は岩の上に建つ建物にも表れている。
よくもまあ、こんなところに家を建てたものだ。
その一角で、魔術師は血を吐いて死んでいる。
この地方独特の白い壁にまで、その血は飛び散っている。
「下賤な三本爪の分際で、お屋形さまに手を出そうとは片腹痛い。」
アマルトリウスは、吐き捨てるように言う。
おや?
呼び名が『お屋形さま』になっているぞ。
「申すまでもなく、カズマはドラゴンスレイヤーだもの。認めるしかない。」
そうですか。
「エリシア、よく気づいてくれはった、子供が犠牲にならなくてよかった。」
まあ、大人たちは若干犠牲になったのだが…
「オイタが過ぎる。ひとつ懲らしめてやろう。」
カズマは不敵に笑う。
「お屋形さま?」
エリシアも不安そうだ。
モンペリエからアンダルシャーまでには、連なる山塊が七層はある。
高さが一六〇〇メートルから三二〇〇メートルはあろう。
そこを縫いながら砦を落とそうとするのは、骨の折れる仕事だ。
「アマルトリウス、ひとつ頼まれてくれ。」
「あい。」
ばさりと巨大な翼が闇夜に広がる。
急激な浮遊感を伴って、カズマの体は高空に持ち上げられた。
そのままぎゅうんと横方向に移動を開始する。
まさに、ジャンボジェットさながら、すぐに高度は二千メートルに到達する。
普通であれば一気に凍死する高さにあって、カズマは格子力バリアに守られている。
アマルトリウスは、さらに高度を上げる。
前述の高度は三千二百メートル。
目の前に切り立った壁があるようだ。
魔法を全開にして、アマルトリウスは山の気配をトレースする。
最初カズマは、この山をアマルトリウスのブレスで焼いてやろうかと考えていた。
しかし、それもあまり面白くない。
竜種のパワ-を悪用するような気がする。
今回は、アンダルシャーの様子を見てみることにしたのだ。
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