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第百三十五話 王城の困った人たち
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ファイヤーシープは魔物ではない。
草原に住む野生の綿羊である。
つまり動物。
かなりもこもこふわふわした毛をもち、一頭でセーターなら五枚ほど取れる。
バッファローなどの仲間である。
だいたい一〇〇頭ほどの群れで行動している。
繁殖期は年に三回。
あまり増えないのは、マートモンスのドラゴンが食べてしまうから。
一回に二〇頭ほどが、おなかに入ってしまう。
これを脱脂して紡いで布に織ると、あたたかくて肌触りの良い布ができる。
「これでおくるみを作ると最高なのじゃ。」
「それはそうどすけど、どうやって獲りますのん?」
「なに、ここの庭にでも放しておけば、草を食べて暮らすだろうさ。」
「まあ、お花まで食べへんならえんどすけど。」
「そうじゃのう、囲いでも作っておけばよい。」
「ほなら少し欲しおすな。」
「よかろう。先に柵でも作っておくかのう。」
「へえ、お頼の申します。」
なにやら軽い会話が進むが、シャネー夫人は横で聞いていて、気が遠くなりそうだ。
ぜんたいどうしたら、ファイヤーシープなどと言う貴重な動物を取ってこられるのか?
とってきたとして、このお屋敷で飼う?
もう、なにがなんだか、頭の中がぐるぐるしてしまう。
聖女だけでなく、賢者まで加わると、自分の常識などというものが存在意義を失ってしまいそうだ。
シャネー夫人は、それからほどなくオルレアンのタウンハウスを辞した。
「また遊びにいらっしゃいね。」
「はいお姉ちゃん。」
二人と荷物持ちの下男は、午後の陽ざしの中帰って行った。
ティリスは、向きをかえてハウスに戻ろうとした。
二人を見送ったところで、プルミエが口を開いた。
「ではワラワはマートモンスに向かうぞえ。」
「え?今から?」
「おお、ここへファイヤーシープを送るぞえ。」
「わかりました、ではお待ちしますね。」
少し考えて、ティリスは頷いた。
しゅん
プルミエは、一気に空間跳躍した。
「マルクス!」
「はっ」
「ファイヤーシープの柵を作りたいのどす、どこがええ?」
「は、はあ?ファイヤーシープ?ですか。」
「へえ、あっこの隅でもええかなあ?」
ティリスは、屋敷の西側を指さした。
オルレアンのタウンハウスは非常識に広いので、気にならないようだ。
「そ、そうですね、あそこなら。」
「わかりました。」
ティリスは集中してそこに立つ。
「十メートル四方くらいでええかな?」
精霊がぴかぴかしながら集まってくる。
すでにティリスの姿が見えないほど集まっている。
「行きよし。」
すとーんと地面が立って、高さ一メートルほどの柵が立ちあがった。
「草は少ないけど、まあ馬草買ってもええわね。」
「お、お方さま!」
「マルクス、厩に馬草をここに積むように言って。」
「は、はい。」
「ファイヤーシープが十頭ほどやし、少しでええわ。」
「かしこまりました。」
うかうかしていると、プルミエは、めっさ早く捕まえて来そうだ。
彼女にとってはファイヤーシープを狩ることなど朝飯前なんだろう。
今回は生け捕り、さてどのくらい時間がかかるのか?
…と言う気分のときもありました。
『べえええええ・べええええ』
瞬く間にファイヤーシープが庭に現れて、べえべえと濁った声でなく。
「ああ、そっちやおへん!こっちこっち!」
ティリスの声に、シープは右往左往。
それに合わせて執事とメイドも右往左往している。
柵の入り口は開いているが、なかなかそちらに行ってくれない。
ティリスの命令にも従ってくれない。
なぜに?
ティリスは、重いおなかをかかえて、あっちこっちと振り向いているが、シープは興奮しているのか逃げ回る。
ファイヤーシープが、なぜファイヤーシープと呼ばれるか?
それは、的に襲われた時群れが固まって、発火現象を起こすからである。
だから、なるべく離しておかないと、冒険者もやられてしまう。
いまは、ぴょんぴょんと跳んでいるが、いつ固まるかわからないのだ。
「あ~もう!ちゃんと柵に入りよし!」
ティリスは、限界を越えて怒鳴った。
ファイヤーシープは、しおしおと柵に入る。
どうやら彼らは遊んでいただけのようだった。
執事とメイドは、汗まみれでその辺に座り込んでいる。
「みんな鍛え方が足らんなあ。」
ティリスは、その様子を見て体力不足を感じていた。
「おお、みんな柵に入ったのう。」
「プルミエさま。」
「どうじゃ?よさげなのを選んでみたが。」
「そうですね、どの子も健康そうで、賢そうです。」
「そうじゃろそうじゃろ。」
「いままで跳び回っていて大変だったんどすえ。」
「あちゃ~それで使用人たちがヘバっているのかえ?」
「そうどす、まあ、体力不足もありそうどすけど。」
「冒険者じゃあるまいし、そこまで体力がいるかのう?」
「そこはそれ、屋敷の防衛もありますし。」
「うひゃひゃ、厳しい奥さまじゃのう。」
ティリスは、憮然とした表情で腕を組んだ。
最近張ってきたお胸が、腕の上に乗る。
もはや母体は、赤子の産まれることに準備し始めている。
カズマなんか、そう言うことには鈍感だからなあ。
ヘタこかないかと心配だよ。
「なんと、ファイヤーシープだと?」
宰相トルメスは報告に来た細作に聞き返してしまった。
「は、それも十二頭でございます。」
王城からはなった細作は、オルレアンのタウンハウスでの出来事を知らせてきた。
宰相トルメスは、帝国皇帝の行幸を終わらせ、日々の業務に戻っていたが些細な頭痛を覚えた。
「それで?どうすると言うのだ?」
「は、ハウスのメイドの話では、赤子のおくるみを作るのだとか。」
「はあ?最上級のウールで赤子のおくるみ?どういう神経をしておるのだあいつらは。」
「なにせい賢者プルミエの起こすことでございますから。」
「それで済むのか…」
まことに困ったことしか起こらない。
王都にあっては、問題のない日はありえない。
些細なけんかとか、押し込み強盗とか。
まあ、衛兵隊が始末しているが、ここまで上がってくることもない。
そのたび、治安当局の衛兵隊は右往左往しているのだがな。
宰相トルメスは、頭を抱える。
「まあ、自宅で何をしようが自由だが…」
王さまがわがままを言いそうでこわい。
「まあよい、ゆけ。」
「はっ」
細作はまた監視に向かった。
なにしろ、国の第一聖女はご懐妊だ。
産み月は卯月。
如月の半ばを迎えて、新年気分はなくなったが、それでも騒ぎは収まらない。
帝国は、二〇〇万トンの小麦を依頼してきた。
これを各領地に分配し、供出させなければならない。
「オルレアンは、快諾してきたか、さすがだな。」
カズマにも打診があったので、即座に供出を承諾した。
三年続きの豊作である、そんな量など屁でもない。
なんなら全部請け負っても構わないと返信が来た。
それをさせると、見栄っ張りのバロア侯爵が文句を言ってくるだろう。
「まったく、肝っ玉の小さい男だ…」
人に聞かれたくはないが、つい愚痴りたくなる。
現在、左大臣が不在で、右大臣がバロア侯爵。
かれが、政務全般に権力を持っている。
カズマが置いていった絵画や壺などでたいへん機嫌が良いのが助かる。
当分は些細なことに気を取られず、国政も安泰そうだ。
ずっといい機嫌でいてくれると良いのだが、あの御仁はつまらないことでへそを曲げるからな。
なにか、起死回生の一発が欲しいものだ。
カズマはなにか持っているかな?
トルメスとしては、せめて南部の雄『リヨン大公』がいてほしい。
王国とて一枚岩ではないのだ。
「いちいち聞かねばならん訳でもあるまい。自宅の庭でなにを飼おうと…」
本音炸裂。
宰相とて、王国の総てを握っているわけでもない。
そう言うことにして、この件は放置することにした。
地球で言うところのビクーニャのウールほど希少なものである。
あるいはカシミヤよりも高級な布が取れる。
「国王が我慢できるかなあ?」
不安は尽きない。
「べえええええ べえええええ」
敷地が広いからファイヤーシープが鳴いても、そう迷惑にはならないが屋敷ではかなりうるさい。
「やかましいわ!」
ティリスが怒るが、鳴きやんで少し経つとまた鳴きはじめる。
どうしたものかと思っていると、プルミエが言う。
「少し恐い目に合えば、鳴きやむのじゃ。」
「どうしはるんどす?」
「丸裸にしてやろうぞ。」
王都の職人を呼んで、大毛刈り大会が行われた。
だれが王都で一番の毛刈り職人かが、ここで決められる。
予選はなし。
代表十二人による選抜方式で、一気に行われる。
各工房は、こぞって第一人者を送り込んだ。
しかし、どこにこんな毛刈り工房などというものがあったのだろう?
「意外とファイヤーシープだけでなく、ウールの取れるシープは多いものじゃよ。」
「へえ~、そうどすか?」
ティリスにしても初耳である。
そうこうするうちに、物見高い王都の市民はオルレアンのタウンハウスに覗きに来た。
「お客さんが大勢来てはりますなあ。」
「どうする?見せてやるか?」
「そうは言っても、お屋形さまもいてませんのに、タウンハウスを開放するのは困ります。」
「そうじゃのう、ま、柵の向こうから覗くだけで満足してもらおうかの。」
アバウトだが、本題はシープの毛刈りを行うことである。
王都中から呼ばれた毛刈り職人が、その技術を競い合い優劣を決める。
実に手狭な選手権は、こぢんまりとその使命を果たした。
「毛刈り第一位、おけら横町のジンパッチ!」
毛刈り組合の顔役が、ジンパッチの手を持ち上げた。
「「「おおお~」」」
まわりから拍手が飛ぶ。
まったくなんでもお祭り騒ぎにしないと気が済まない王都っこである。
丸裸に剥かれたファイヤーシープは、柵に併設された小屋に逃げ込んで、藁の間にもぐりこんだ。
極端な寒がりなのである。
だから、毛が生えるまでは、小屋でおとなしくしている。
「当分は静かにするじゃろうて。」
「まあ。」
各工房は、これからファイヤーシープの毛を洗浄し、紡いで糸にする。
これを柔らかな布に織りあげて、公爵亭に納入するまでが仕事である。
産み月までに、納入できるといいなあ。
これがなかなか手早い職人たちなのであった。
工房には、手間賃とセーター一枚分の糸が下賜される。
工房にとっては、信じられない幸運であった。
ファイヤーシープのセーターで家が建つと言われるほどのものだ。
工房主は狂喜乱舞した。
ここに呼ばれた工房は、やがて王都一と言う看板が付くのだった。
オルレアン公御用達≪ごようだつ≫と言う看板も付いた。
ごようだつが正しいんですよ。
沢村貞子さんもおっしゃっていましたよ。
ごようたしなんて、おトイレじゃあるまいしとね。
まったくマスゴミなんて、ロクな事をしない。
日本語がおかしくなってしまうでしょう。
それはいいけど、こののち王都ではファイヤーシープのセーターと言うとステータスとなった。
それ以外のウールのセーターもはやったそうだ。
「こ、国王陛下、それは?」
如月の末日、宰相は玉座の国王を見て目を見張った。
「おお、マリエナ伯爵家からの献上品じゃ。」
「…」
なんということでしょう。
ファイヤーシープの騒動から、いくらも経たないのに献上されるとは、早業と言うしかない。
いかにも暖かそうな、オフホワイトのセーターは、国王の金髪に良く映えた。
ここまで織りあげた職人の腕もたいしたものだ。
そこに王妃もやってきた。
王妃はドレスの上に緋色のカーディガンを羽織っていた。
「王妃様」
「ほほほ、おけら横丁のジンパッチなるものが刈り上げた、王都一のウールだそうじゃ。」
「ほほう。」
宰相は、頷くしかない。
「いまや王国ではファイヤーシープのセーターは、持っていないと流行遅れと言われるそうじゃ。」
まさかそこまで量はない。
十二頭のファイヤーシープのセーターなら六十枚しか取れない。
大半は別の種類のシープだろう。
だまされた貴族がアホなのだ。
しかも、ティリスはおくるみを作っている。
もちろん、アリスティアさん姉さんの分も取ってある。
つまりセーターは超少ない!
宰相は国王の前を辞して、執務部屋に戻ってきた。
「宰相様、お荷物が届いております。」
廊下の執事見習の少年が声をかけてきた。
「そうか、ごくろうだな。」
少しの銅貨をもらって、見習は下がった。
そっけない包みは、茶色い紙包みである。
「なんだろう?」
モノは軽い。
がさがさと広げてみると、そこには鮮やかな緑色のセーターがあった。
「これは…」
送り主のカードを見ると…
「聖女」
がばりと立ち上がり、オルレアンのタウンハウス方向を見た。
「すまぬな。」
「お方さま、お手紙が来ております。」
マルクスがリビングで話していたティリスに、文箱に入れて持ってきた。
「だれ?」
「はっ、宰相さまでございます。」
「あらまあ。」
さっそく開けてみると、丁寧な謝意を告げていた。
「お堅いことどすな。」
「いかがいたしますか?」
「そう何度も手紙の遣り取りをする間柄でもございませず、放っておきましょう。」
「ははっ」
「よいのか?」
プルミエは、ティリスを見た。
「ええんどす。必要なことはしてあります。」
「そうか。」
「聖女としても、マリエナ家としても、お付き合いはお屋形さまがすればえんどす。」
「それはそうじゃ。」
「今回は、少し騒ぎになりましたし、王家にもお話が上がったらしいのでデベソしましたけど。」
プルミエは、ティリスの肝の太さにおどろいた。
のほほんとしているかと思ったら、意外と心配りもできるものだ。
改めて、ティリスと言う女の深さを知った。
「マルクス、お屋形さまには連絡を入れておいて。」
「はっ」
マルクスもカズマに対応するよりも慇懃である。
王都ではあまり聖女の能力も見せていないのだがな。
草原に住む野生の綿羊である。
つまり動物。
かなりもこもこふわふわした毛をもち、一頭でセーターなら五枚ほど取れる。
バッファローなどの仲間である。
だいたい一〇〇頭ほどの群れで行動している。
繁殖期は年に三回。
あまり増えないのは、マートモンスのドラゴンが食べてしまうから。
一回に二〇頭ほどが、おなかに入ってしまう。
これを脱脂して紡いで布に織ると、あたたかくて肌触りの良い布ができる。
「これでおくるみを作ると最高なのじゃ。」
「それはそうどすけど、どうやって獲りますのん?」
「なに、ここの庭にでも放しておけば、草を食べて暮らすだろうさ。」
「まあ、お花まで食べへんならえんどすけど。」
「そうじゃのう、囲いでも作っておけばよい。」
「ほなら少し欲しおすな。」
「よかろう。先に柵でも作っておくかのう。」
「へえ、お頼の申します。」
なにやら軽い会話が進むが、シャネー夫人は横で聞いていて、気が遠くなりそうだ。
ぜんたいどうしたら、ファイヤーシープなどと言う貴重な動物を取ってこられるのか?
とってきたとして、このお屋敷で飼う?
もう、なにがなんだか、頭の中がぐるぐるしてしまう。
聖女だけでなく、賢者まで加わると、自分の常識などというものが存在意義を失ってしまいそうだ。
シャネー夫人は、それからほどなくオルレアンのタウンハウスを辞した。
「また遊びにいらっしゃいね。」
「はいお姉ちゃん。」
二人と荷物持ちの下男は、午後の陽ざしの中帰って行った。
ティリスは、向きをかえてハウスに戻ろうとした。
二人を見送ったところで、プルミエが口を開いた。
「ではワラワはマートモンスに向かうぞえ。」
「え?今から?」
「おお、ここへファイヤーシープを送るぞえ。」
「わかりました、ではお待ちしますね。」
少し考えて、ティリスは頷いた。
しゅん
プルミエは、一気に空間跳躍した。
「マルクス!」
「はっ」
「ファイヤーシープの柵を作りたいのどす、どこがええ?」
「は、はあ?ファイヤーシープ?ですか。」
「へえ、あっこの隅でもええかなあ?」
ティリスは、屋敷の西側を指さした。
オルレアンのタウンハウスは非常識に広いので、気にならないようだ。
「そ、そうですね、あそこなら。」
「わかりました。」
ティリスは集中してそこに立つ。
「十メートル四方くらいでええかな?」
精霊がぴかぴかしながら集まってくる。
すでにティリスの姿が見えないほど集まっている。
「行きよし。」
すとーんと地面が立って、高さ一メートルほどの柵が立ちあがった。
「草は少ないけど、まあ馬草買ってもええわね。」
「お、お方さま!」
「マルクス、厩に馬草をここに積むように言って。」
「は、はい。」
「ファイヤーシープが十頭ほどやし、少しでええわ。」
「かしこまりました。」
うかうかしていると、プルミエは、めっさ早く捕まえて来そうだ。
彼女にとってはファイヤーシープを狩ることなど朝飯前なんだろう。
今回は生け捕り、さてどのくらい時間がかかるのか?
…と言う気分のときもありました。
『べえええええ・べええええ』
瞬く間にファイヤーシープが庭に現れて、べえべえと濁った声でなく。
「ああ、そっちやおへん!こっちこっち!」
ティリスの声に、シープは右往左往。
それに合わせて執事とメイドも右往左往している。
柵の入り口は開いているが、なかなかそちらに行ってくれない。
ティリスの命令にも従ってくれない。
なぜに?
ティリスは、重いおなかをかかえて、あっちこっちと振り向いているが、シープは興奮しているのか逃げ回る。
ファイヤーシープが、なぜファイヤーシープと呼ばれるか?
それは、的に襲われた時群れが固まって、発火現象を起こすからである。
だから、なるべく離しておかないと、冒険者もやられてしまう。
いまは、ぴょんぴょんと跳んでいるが、いつ固まるかわからないのだ。
「あ~もう!ちゃんと柵に入りよし!」
ティリスは、限界を越えて怒鳴った。
ファイヤーシープは、しおしおと柵に入る。
どうやら彼らは遊んでいただけのようだった。
執事とメイドは、汗まみれでその辺に座り込んでいる。
「みんな鍛え方が足らんなあ。」
ティリスは、その様子を見て体力不足を感じていた。
「おお、みんな柵に入ったのう。」
「プルミエさま。」
「どうじゃ?よさげなのを選んでみたが。」
「そうですね、どの子も健康そうで、賢そうです。」
「そうじゃろそうじゃろ。」
「いままで跳び回っていて大変だったんどすえ。」
「あちゃ~それで使用人たちがヘバっているのかえ?」
「そうどす、まあ、体力不足もありそうどすけど。」
「冒険者じゃあるまいし、そこまで体力がいるかのう?」
「そこはそれ、屋敷の防衛もありますし。」
「うひゃひゃ、厳しい奥さまじゃのう。」
ティリスは、憮然とした表情で腕を組んだ。
最近張ってきたお胸が、腕の上に乗る。
もはや母体は、赤子の産まれることに準備し始めている。
カズマなんか、そう言うことには鈍感だからなあ。
ヘタこかないかと心配だよ。
「なんと、ファイヤーシープだと?」
宰相トルメスは報告に来た細作に聞き返してしまった。
「は、それも十二頭でございます。」
王城からはなった細作は、オルレアンのタウンハウスでの出来事を知らせてきた。
宰相トルメスは、帝国皇帝の行幸を終わらせ、日々の業務に戻っていたが些細な頭痛を覚えた。
「それで?どうすると言うのだ?」
「は、ハウスのメイドの話では、赤子のおくるみを作るのだとか。」
「はあ?最上級のウールで赤子のおくるみ?どういう神経をしておるのだあいつらは。」
「なにせい賢者プルミエの起こすことでございますから。」
「それで済むのか…」
まことに困ったことしか起こらない。
王都にあっては、問題のない日はありえない。
些細なけんかとか、押し込み強盗とか。
まあ、衛兵隊が始末しているが、ここまで上がってくることもない。
そのたび、治安当局の衛兵隊は右往左往しているのだがな。
宰相トルメスは、頭を抱える。
「まあ、自宅で何をしようが自由だが…」
王さまがわがままを言いそうでこわい。
「まあよい、ゆけ。」
「はっ」
細作はまた監視に向かった。
なにしろ、国の第一聖女はご懐妊だ。
産み月は卯月。
如月の半ばを迎えて、新年気分はなくなったが、それでも騒ぎは収まらない。
帝国は、二〇〇万トンの小麦を依頼してきた。
これを各領地に分配し、供出させなければならない。
「オルレアンは、快諾してきたか、さすがだな。」
カズマにも打診があったので、即座に供出を承諾した。
三年続きの豊作である、そんな量など屁でもない。
なんなら全部請け負っても構わないと返信が来た。
それをさせると、見栄っ張りのバロア侯爵が文句を言ってくるだろう。
「まったく、肝っ玉の小さい男だ…」
人に聞かれたくはないが、つい愚痴りたくなる。
現在、左大臣が不在で、右大臣がバロア侯爵。
かれが、政務全般に権力を持っている。
カズマが置いていった絵画や壺などでたいへん機嫌が良いのが助かる。
当分は些細なことに気を取られず、国政も安泰そうだ。
ずっといい機嫌でいてくれると良いのだが、あの御仁はつまらないことでへそを曲げるからな。
なにか、起死回生の一発が欲しいものだ。
カズマはなにか持っているかな?
トルメスとしては、せめて南部の雄『リヨン大公』がいてほしい。
王国とて一枚岩ではないのだ。
「いちいち聞かねばならん訳でもあるまい。自宅の庭でなにを飼おうと…」
本音炸裂。
宰相とて、王国の総てを握っているわけでもない。
そう言うことにして、この件は放置することにした。
地球で言うところのビクーニャのウールほど希少なものである。
あるいはカシミヤよりも高級な布が取れる。
「国王が我慢できるかなあ?」
不安は尽きない。
「べえええええ べえええええ」
敷地が広いからファイヤーシープが鳴いても、そう迷惑にはならないが屋敷ではかなりうるさい。
「やかましいわ!」
ティリスが怒るが、鳴きやんで少し経つとまた鳴きはじめる。
どうしたものかと思っていると、プルミエが言う。
「少し恐い目に合えば、鳴きやむのじゃ。」
「どうしはるんどす?」
「丸裸にしてやろうぞ。」
王都の職人を呼んで、大毛刈り大会が行われた。
だれが王都で一番の毛刈り職人かが、ここで決められる。
予選はなし。
代表十二人による選抜方式で、一気に行われる。
各工房は、こぞって第一人者を送り込んだ。
しかし、どこにこんな毛刈り工房などというものがあったのだろう?
「意外とファイヤーシープだけでなく、ウールの取れるシープは多いものじゃよ。」
「へえ~、そうどすか?」
ティリスにしても初耳である。
そうこうするうちに、物見高い王都の市民はオルレアンのタウンハウスに覗きに来た。
「お客さんが大勢来てはりますなあ。」
「どうする?見せてやるか?」
「そうは言っても、お屋形さまもいてませんのに、タウンハウスを開放するのは困ります。」
「そうじゃのう、ま、柵の向こうから覗くだけで満足してもらおうかの。」
アバウトだが、本題はシープの毛刈りを行うことである。
王都中から呼ばれた毛刈り職人が、その技術を競い合い優劣を決める。
実に手狭な選手権は、こぢんまりとその使命を果たした。
「毛刈り第一位、おけら横町のジンパッチ!」
毛刈り組合の顔役が、ジンパッチの手を持ち上げた。
「「「おおお~」」」
まわりから拍手が飛ぶ。
まったくなんでもお祭り騒ぎにしないと気が済まない王都っこである。
丸裸に剥かれたファイヤーシープは、柵に併設された小屋に逃げ込んで、藁の間にもぐりこんだ。
極端な寒がりなのである。
だから、毛が生えるまでは、小屋でおとなしくしている。
「当分は静かにするじゃろうて。」
「まあ。」
各工房は、これからファイヤーシープの毛を洗浄し、紡いで糸にする。
これを柔らかな布に織りあげて、公爵亭に納入するまでが仕事である。
産み月までに、納入できるといいなあ。
これがなかなか手早い職人たちなのであった。
工房には、手間賃とセーター一枚分の糸が下賜される。
工房にとっては、信じられない幸運であった。
ファイヤーシープのセーターで家が建つと言われるほどのものだ。
工房主は狂喜乱舞した。
ここに呼ばれた工房は、やがて王都一と言う看板が付くのだった。
オルレアン公御用達≪ごようだつ≫と言う看板も付いた。
ごようだつが正しいんですよ。
沢村貞子さんもおっしゃっていましたよ。
ごようたしなんて、おトイレじゃあるまいしとね。
まったくマスゴミなんて、ロクな事をしない。
日本語がおかしくなってしまうでしょう。
それはいいけど、こののち王都ではファイヤーシープのセーターと言うとステータスとなった。
それ以外のウールのセーターもはやったそうだ。
「こ、国王陛下、それは?」
如月の末日、宰相は玉座の国王を見て目を見張った。
「おお、マリエナ伯爵家からの献上品じゃ。」
「…」
なんということでしょう。
ファイヤーシープの騒動から、いくらも経たないのに献上されるとは、早業と言うしかない。
いかにも暖かそうな、オフホワイトのセーターは、国王の金髪に良く映えた。
ここまで織りあげた職人の腕もたいしたものだ。
そこに王妃もやってきた。
王妃はドレスの上に緋色のカーディガンを羽織っていた。
「王妃様」
「ほほほ、おけら横丁のジンパッチなるものが刈り上げた、王都一のウールだそうじゃ。」
「ほほう。」
宰相は、頷くしかない。
「いまや王国ではファイヤーシープのセーターは、持っていないと流行遅れと言われるそうじゃ。」
まさかそこまで量はない。
十二頭のファイヤーシープのセーターなら六十枚しか取れない。
大半は別の種類のシープだろう。
だまされた貴族がアホなのだ。
しかも、ティリスはおくるみを作っている。
もちろん、アリスティアさん姉さんの分も取ってある。
つまりセーターは超少ない!
宰相は国王の前を辞して、執務部屋に戻ってきた。
「宰相様、お荷物が届いております。」
廊下の執事見習の少年が声をかけてきた。
「そうか、ごくろうだな。」
少しの銅貨をもらって、見習は下がった。
そっけない包みは、茶色い紙包みである。
「なんだろう?」
モノは軽い。
がさがさと広げてみると、そこには鮮やかな緑色のセーターがあった。
「これは…」
送り主のカードを見ると…
「聖女」
がばりと立ち上がり、オルレアンのタウンハウス方向を見た。
「すまぬな。」
「お方さま、お手紙が来ております。」
マルクスがリビングで話していたティリスに、文箱に入れて持ってきた。
「だれ?」
「はっ、宰相さまでございます。」
「あらまあ。」
さっそく開けてみると、丁寧な謝意を告げていた。
「お堅いことどすな。」
「いかがいたしますか?」
「そう何度も手紙の遣り取りをする間柄でもございませず、放っておきましょう。」
「ははっ」
「よいのか?」
プルミエは、ティリスを見た。
「ええんどす。必要なことはしてあります。」
「そうか。」
「聖女としても、マリエナ家としても、お付き合いはお屋形さまがすればえんどす。」
「それはそうじゃ。」
「今回は、少し騒ぎになりましたし、王家にもお話が上がったらしいのでデベソしましたけど。」
プルミエは、ティリスの肝の太さにおどろいた。
のほほんとしているかと思ったら、意外と心配りもできるものだ。
改めて、ティリスと言う女の深さを知った。
「マルクス、お屋形さまには連絡を入れておいて。」
「はっ」
マルクスもカズマに対応するよりも慇懃である。
王都ではあまり聖女の能力も見せていないのだがな。
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僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
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ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
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スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。
第13回ファンタジー大賞特別賞受賞!
ありがとうございました!!
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