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色街の聖女×少年吸血鬼

07

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 家に帰ると、しゃっくりをいまだに上げているものの、ライールはすっかり泣き止んでいた。それでも、わたしと手をつなぎ、反対側の方の手では彼自身の服を握っている様子は、非常に幼く見える。行動が子供っぽいからか、見た目年齢よりもさらに。
 ……まあ、わたしも、そのくらいの勢いに近いくらい泣いていたから、ライールのことをからかえないんだけど。

 人間であるわたしは知らないが、吸血鬼は体の年齢に精神も引っ張られるのだろうか。ライールしか吸血鬼にあったことないから、余計に分からないけど。
 でも、このくらいの男の子って、そう簡単に泣くっけ? わたしは女性従業員の風俗店の店が並ぶ場所に住んでいるので、男娼がいる区画には仕事として行くくらいしかしない。

「き、きらっ、きらいって、言って、ごめんなさい……」

 部屋に上がると、ライールが言った。

「……わたしも、騙してて、それなのに、素直に謝らなくて、ごめんね」

 わたしの方が悪いのに、ライールに、先に謝らせてしまった。

「とりあえず、何か飲んで、落ち着いてから、今後のことを話し合おうよ」

 わたしは台所に立って、牛乳を鍋に入れ、火にかける。ライールは血以外は腹の足しにもならない、と言っていたけれど、温めた牛乳を飲むと、ほっとするのは、きっと一緒のはず。
 わたしが魔設かまどの前に立つと、ぴったりと、くっつくようにすりよってくる。

「……何かあったの?」

 ライールの頬に口紅の跡、移った香は娼婦の中ではやっている香の匂い。聞かなくても、なんとなく、どこかの娼婦に遊ばれたな、というのは分かる。
 それでも、こんなにも離れないなんて、もしかして、何か怖い目にでもあったのだろうか。超上級者向けの店の方に行ってしまったとか? 奥まったところにあるあそこは、店の場所を把握していないとたどり着けないところにあるが、ライールは飛行できるから、道中を全てすっ飛ばして、店の前へと着いてしまったのかもしれない。
 そして、あそこらへんは、超上級者向け、と言われるだけあって、精神的に衝撃を受けても仕方がない。
 わたしだって、成人してからあそこの店にも行くようになったし、初めて行った日の夜は、夢に出てきて大変だった。子供のうちから見たら、きっと悪い意味で、一生忘れられないものになるだろう。

「…………その、ええと……赤紫に光る角灯が下がっている、屋根がある通りに行きついたとか……?」

 わたしはやんわりと、ぼかしながら聞いてみる。本当は、もっと、分かりやすい特徴があるけれど、どれも刺激的すぎるのだ。遊郭の張見世に似てるけど、一緒にしたら遊女から総叩きにされそうなやつとか。
 あまりライールの、嫌な記憶を掘り起こしたらまずいかも、と思いつつ聞いてみたのだが、きょとんとした様子だった。

「そ、そこには行ってない、と思う……」

「そう。ならいいけど……一生行っちゃ駄目だよ」

 流石のわたしでも、ライールをあそこに迷い込ませられない。いや、ライールじゃなくたって、あそこがそういう場所だと分かっている常連以外は全力で止める。
 でも、そうでないなら、一安心だ。

「――……そこには行っていない、けど、入口に、きらきらして綺麗な水槽があるところには行った……」

 ぽそぽそと、ライールが小さな声で言う。わたしが、強く、超上級者向けの店の周辺には行かないように、と念押しをしたからか、怒られると思ったのかもしれない。

「水槽? ……ここから近いところ?」

「うん。あんまり見たことない魚が、一杯いた。小さいのとか、大きいのとか、いろんな種類がいた」

 ……その店、心当たりあるなあ。うみお姉さんが、にこにこと脳内で手を振っている。ライールの言う、あまり見たことのない魚、というのは、夜灯の国だけにしか生息しない、観賞魚のことだろう。しかも、品種改良によって生まれたので、自然界にはいない。だから、長生きのライールでも、見覚えがないのは無理もない。

「……て、適当なところで、野宿して、朝になったら、国を出ていこう、って思ってたんだ。でも、でも、綺麗な女の人が、一晩泊めてくれるっていうから」

 国を出ていこうと思った、という言葉に、一瞬、どきりと心臓が跳ねる。今はもう、すっかり落ち込んで、その気はなさそうだけど……国を、出ていこうって、やっぱり考えてたんだ。

「最初は、断ろうと思ったんだが、危ないって言うから……」

 ライールは一見すると子供にしか見えない。こうもりのような羽は出したりしまったりできるようだし、羽がなければ本当に子供と変わりがない。
 誰かが、気になって声をかけるのも無理はない。

「でも、で、もぉ……っ」

 話しているうちに、当時のことを思い出してきたのか、ライールが再び泣き出してしまった。
目が溶けるのではと思ってしまうほど、大粒の涙をぼたぼたとこぼしながら、ライールは泣く。

 泣いている子供の慰め方なんて分からない。こんな国だから、子供を一人にすることなんてほとんどなくて、わたしが泣いている子供に気が付いたとしても、その子を慰める保護者がすぐ傍にいるのだ。
 故に、泣いている子供と接する機会なんて、ほとんどない。

 わたしはなんとか、あの保護者たちはどうやって子供をあやしていただろうか、と思い出しながら、わたしはライールに目線を合わせ、頭を撫でる。

「大丈夫、泣かないで」

「うん……っ」

 わたしに抱き着いてきたライールの背中に手を回し、肩のあたりをぽんぽんと叩く。さっきのは、泣いた後だったから、涙腺が緩くなっていただけなのだろう。割とすぐに泣き止んでくれた。
 落ち着いたようで、離れたそうな雰囲気を感じ取ったので腕を下すと、ライールがわたしから離れていく。
 そのまま二人で、魔設かまどを背に、並んで座った。

「よかったら、朝まで部屋で休んでいって、って……。それで、きよかのこと、話した……。でも、きよかと喧嘩しちゃったから、帰りたくないって、言ったら、言ったら……っ」

「あぁ……」

 納得の声が、わたしの口からこぼれる。

 その先は、簡単に想像がついた。
 多分、その娼婦も、こんなにもライールが、性的なものに対して慣れていない、なんて思わなかったのだろう。迷子の子供ではなく、入国してきた外の人だと知った娼婦は、そういうことをしに来たのだと思ったに違いない。見た目が子供でも、実年齢と差がある人外種も珍しくないし。

 彼女からすれば、はずれの店を引いた観光客を、自分の客にしようと、自身の勤める店に案内したに過ぎないのだろう。実際のライールはそこより先に、どの店にも足を運んではいないけれど。

「――こわかった」

 しっかりとした声なのに、震えている。本当に恐怖を感じたということが、すぐに分かる。

「き、きよかは、ちゃんと聞いてくれるし、ボクのペースに合わせてくれるのに、どんどん勝手に進めようとするし、話聞いてくれないしっ」

 ……わたしの手が遅いのは、単純に技術が足りないだけなんだけどな……。
 とは口が裂けてもいえない。
 お姉さん方のように極楽を見せてあげられないのなら、せめて痛がらせないように、怖がらせないように、と気を使っているのは事実なので。

「で、でも、泣いたら、別のお姉さんが助けてくれて……に、逃げてきた」

「別のお姉さん?」

「わかめみたいな髪の女の人……。髪は長くて、背はそこまで高くなくて……そ、それで……む、胸が、大きかった」

 もじ、と、気まずそうに服の裾をいじりながら、ライールが教えてくれる。
 わかめみたいな髪、というのは、深緑でうねっているくせっ毛、ということでいいんだろうか。長い髪だと、それなりに稼いでいるお姉さんだろう。長い髪は手入れが大変なので、それなりにお金をかけることになるのだ。

 ライールが照れながら胸が大きい、と言ってくれたのは大変可愛――こほん、頑張ってくれたが、正直、胸の大きさはあんまり参考にならない。何故なら、この国の女は大抵胸がでかいので、小さい、とかならまだしも、大きいというのは特徴にならない。非常に悲しいことに。……非常に悲しいことに!

 あの店にも、深緑の髪色の人、何人もいるしな……。普段からくせっ毛の人もいれば、店に出勤するときだけ、道具を使って髪に波をつくる人もいる。
 それだけの情報じゃ特定は難しいな……。

「他に特徴とか、ある?」

「ちゃ、ちゃんと見てないから分からない……。でも、その、えっと……」

 急にライールが口ごもる。

「そ、そういうことは、きよかちゃんにしてもらいなさいって言ってた。その……うみが、仕込んだからって……」

 うみお姉さん……っ!
 助けてくれてありがとうと言ったらいいのか、余計なこと教えないでと怒ったらいいのか……。

「仕込んだって……何を?」

 ライールの質問に、わたしは答えられなかった。積極的に教えてもらったとか、絶対に言えない。わたしは目を逸らした。

「そ、そうだ、牛乳! 牛乳は、と……」

 わたしは話を逸らすために立ち上がる。随分とわざとらしい声音になってしまったが仕方がない。
 鍋の中の牛乳は、ふつふつと泡が出始めているところだった。砂糖を少し多めに入れる。結構な時間だけど……まあ、いいでしょ。
 砂糖が溶け切ったのを確認してから火を止め、湯呑に入れる。一つを、座ったままのライールに渡した。

「……、ありがと」

 受け取ったライールは、息を吹きかけて少し冷ましてから、飲み始める。パッと顔が明るくなった。どうやら、気に入ったらしい。

「――……もし、機会があったら、無理に誘わないよう、注意しておくね」

 嫌がる客を無理やり引き連いれるのは規則違反だ。ライールが望まなければ厳罰はないだろうけど、注意もなしに済ませるわけにはいかない。

「今日はもう、牛乳を飲んだら寝る?」

 わたしも、自分の分の牛乳を飲みながら、ちらりとライールの方を見る。

 まだ、何も話し合いなんかしていないが、そこまで怖い目にあったというのなら、今は少しでも、性的な話題は避けるべきだろう。この国では無視できないものだとしても、強要することは褒められるものじゃない。
 それに、夜灯の国は、今が一番賑やかで稼ぎ時ではあるが、そうは言っても深夜である。わたしやライールのように、昼間に活動する人間にとっては、休息の時間。寝ないと明日が辛くなる。

 そう思って聞いたが、返事は、ライールの口からではなく、お腹から聞こえてきた。

 ――くるる。

 可愛らしい、お腹がなる音。そう言えば、今晩は、本来なら血をあげる日だっけ。ライールが出ていかなければ、とっくに血を上げ終えているので、お腹が空いていても無理はない。

「え……っと、どうする?」

 わたしは思わずライールに聞いた。聖女の血をあげたら、性的に興奮してしまうのはまぎれもない事実。とはいえ、娼婦に泣かされたばかりのライールには少々酷じゃないだろうか、と思ってしまう。だからこそ、先に寝るように聞いたのに。

 わたし以外で、今から誰か血を分けてくれる人を探せるだろうか。丁度皆が仕事をしている時間帯だから、手が空いている人を見つけるのはちょっと大変だ。娼婦や遊女じゃない人間だってそういう店に従業員として勤めていたら今の時間帯は働いているし、お金で買えない従業員になにかを頼むのはちょっと手間である。

 医者に言って輸血用の血を分けて貰うのもありだとは思うが、一回分の輸血袋を譲ってもらえたところでライールは飲み切れないと思う。ああいうのって、一度封を開けても保存できるものなんだろうか。本来の使い方じゃないからちょっと分からない。

 でも聞くだけ聞いてみようか。

「ライール、よかったらお医者様のところに――……」

 わたしがそう言おうとしたとき、服の裾を引っ張られた。

「……飲む。きよかのを」

 泣いていたさっきとは、比べ物にならないくらい、ライールの顔が真っ赤になっている。それでも、目線はしっかり、こちらを見上げていた。逸らしていない。

「い、いいの?」

 わたしは思わず聞き返してしまった。今から血を飲まれるのはわたしのほうなんだけど。

「流石のボクでも、何か月も、血を飲まずに生きるのは無理、だから……。――それに」

 ライールは、ぎゅ、と目を強くつむる。

「さっき、ボクを部屋に誘ったお姉さんに触られて分かったんだ。――きよかなら、嫌じゃないし、怖くないのに、って」

「――っ」

 わたしは思わず、息を詰まらせる。そして、ごくりと唾を飲み込む。
 こんな風に言われて、袖にできる夜灯の国の女がいるか? ――少なくとも、わたしはできない。

「……分かった。いいよ、好きなだけ、飲んでいいよ」

 まだ中身が残ったままの湯呑を調理台に置き、わたしはライールの隣に再び座る。
 そして、腕を、彼に差し出した。
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