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色街の聖女×少年吸血鬼

02

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 わたしの指を、恐るおそる、という様子でぺろっと舐める少年。警戒心の高い猫のよう。そんなに怖いなら諦めればいいのに……とは言えない。飢えって恐ろしいものね。

 お腹が空いているときに、消費期限切れのものしかなくて、一か八か食べてみる、っていう感覚に近いのかも。お腹壊すかもしれないけど、運が良ければ大丈夫なわけだし。わたしが、極々たまに、そういうことをしているのは他人には絶対やってることは内緒だけど。聖女がそういうことしてるって知られたら、なんか幻滅されそうで……。聖女も普通の人間なんだけどね。
 彼がかかっているのは命だから、わたしの腹痛が起こるかも、という話とは次元が違うのかもしれないが――本質的には似たようなものだろう。

 ちょん、と少年の舌先がわたしの指に当たる。一口舐めて、彼はパッと飛びのき、口を押さえた。うつむいて、ぷるぷると震えている。

「え、大丈夫? 何かまずかっ――きゃあ!」

 やっぱり聖女の血は駄目だったのか、と焦るわたしの手を、少年は両手で掴み、必死に指先を舐っていた。この様子だと、飲んでも平気らしい。
 よっぽどお腹が空いているんだな、と好きにさせていたが、指先を少しハサミで切った程度の出血量では足りなかったのか、思い切り、牙をたてられて、わたしは思わず、「痛っ!」と声を上げてしまった。

「ちょっと! せめて何か言ってから噛んで――痛い、痛いって! 指先取れる!」

 傷口を押し広げ、肉をえぐりとろうとするような噛み方に、わたしは思いっきり手を引っ込めた。それでも少年はわたしの指に食らいつく。まるで釣り針にひっかかったままの魚だ。
 吸血鬼のあご、強すぎる……。

 少年は寝台の上に座ったままなので、あまり手を振り回しても、少年が寝台周りの棚に当たって、その棚にあるものがバサバサと落ちてくることを考えると、あまり大げさに手を動かすことができない。
 少年の口から指が抜けたとき、勢いあまって、わたしの腕が棚に当たるかもしれないし。

「一回、離すか落ち着いて――ッ、ああもうっ、痛いってば!」

 それでも、痛みに耐えられなくなったわたしは、反射的に聖女の力を使って、少年を押し飛ばした。あまりの痛さに泣きそうになる。
 指先を見れば、見たことないくらいに肉がえぐれていた。流石に骨は見えてないが、指先の肉がちょっと削れたかもしれない。自分の指先が少し欠けている気がした。
 そうそう見ないような、猟奇的な怪我。とてつもない上級者向けの行為が横行する熱狂者向けの娼館でも、こんな怪我見たことがない。

「何するのよ!」

 半泣きになりながら突き飛ばされた少年を見ると、口もとを手でぬぐい、手の甲に垂れた血ですら、ぺろっと舐め取っていた。

「なんだ、この血は……」

「なんだ、じゃないよ! もう少し丁寧に飲んでよ!」

 痛みに耐えながら聖女の力で治すと、傷こそ塞がったが、少し跡が残っていて、どのあたりがえぐりとられたのか、一目瞭然だ。
 ……下手に水揚げ前の子や、お披露目前の見習いを借りなくて良かった。こんな傷が残ってしまったら、どんないちゃもんを付けられることか。

「も、もう少し……」

「やだよ! こんな飲み方して!」

 多少は痛いだろう、ということを覚悟はしていたが、ここまで痛いとは思わなかった。もう少しわたしが我慢していたら、指先が噛みちぎられたんじゃないかと思ったわ!
 しょんぼりとした表情でわたしを見上げる少年。少年のこの見た目だと、わたしが年下の男の子をいじめているように錯覚してしまう。実年齢はわたしより遥かに年上だし、悪いのはこの少年なのに。

「今度は強く噛まないから……頼む」

 潤んだ目と、ぐうぅ、という少年のお腹の音。そして、止めの言わんばかりに、下半身にかぶさったままの毛布を、いじらしくいじっている。

「ぐぬぬ……」

 その組み合わせは正直卑怯だと思う。分かってやっているのか、自然とそうなっているのか……実年齢を考えると前者な気もするけど……。
 うるうるとした少年の視線に耐えられず、わたしは「次、さっきみたいに痛くしたらもっと本気で殴って、外に追い出すからね!」とわたしは腕を差し出してしまったのだった。

 悔しい!

 今度は行儀よく手の平、小指の付け根あたりから血を飲んだ少年。痛かったけど、牙でぐりぐりされたわけじゃないから、まだ我慢できる方だ。さっきよりは全然いい。

「全く……最初からこうしてよね。ところで、少年は――」

 少年、とまで言ってから、わたしは、はた、と言葉を止めた。

「……えっと、少年、っていう歳でもないんだっけ? 君、名前は?」

 血を吸うことに夢中になりながらも、少し放心状態の少年にわたしは声をかける。……これ、本当に大丈夫なんだろうか。突然に死なれても嫌なんだけど……。
 わたしが声をかけたことで、意識が戻ってきたのか、少年がこちらを向く。かぱ、と彼の口がわたしの手から少し離れた。

「……ボクか? ボクの名前はライールだ」

 ライール。聞きなれない響きの名前に、やっぱり外の人なんだな、と改めて実感する。物語の登場人物みたいな名前に、ちょっとだけ、どきどきする。

「ええと、じゃあ、ら、ライール。君、『降り立った』って言ったけど、入国審査受けたの?」

 わたしの言葉に、少年、もとい、ライールは目をそらした。そして、再びわたしの手を軽く食む。
非常に分かりやすい表情をしている。ちゅぱちゅぱと血を吸ってはいるが、吸血に夢中になっているのではなく、明らかにごまかしたい空気を感じた。
 これは絶対、入国審査受けてないな……。

「入国審査を受けてない人を放置するわけにはいかないよ」

「ぼ、ボクは人間じゃないし……」

「そんなの、言葉の綾でしょ」

 こんなにも入国審査を受けるのを嫌がるなんて……。なにか外でやらかしたんだろうか。

 少年は実年齢が五百を超えているようだし、支払い能力さえあれば入国はできるはず。ただし、犯罪歴があるなら話は変わってくる。
 特に、人間だったら入国拒否で追い返すだけで済んでも、人外種相手ならわたしのような聖女や、人外種狩りを生業としている番人の出番になる可能性が高い。

 何をやらかしたのか聞き出さないと……と思っていると、ライールが真っ赤になって、わたしの手から口を離し、反論をし始めた。

「だ、だって……あ、ああ、あんな痴女のいる場所に! 行けるものか!」

「痴女」

 わたしは思わず聞き返してしまった。痴女って……。
 確かに、入国審査を受け持つ、審査官の制服は、本で見た、他国の審査官の制服よりも露出が多い。まあ、それはお国柄、という奴なのだが。

 それでも、『入国審査』なわけだから、娼館や遊郭が並ぶこの国にふさわしくない年齢の人間が見ても大丈夫なくらいには体を隠しているはず。
 それに対して痴女、とは。

 もしかしてライールは、女性経験がない……?

 処女の血を食材にしているのなら、女性経験が皆無でも不思議では……いや、でも、最低でも五百年は生きているんだよね?
 外の人って、そんなに貞操観念が高いものなんだろうか?

 あまり外の人と接する機会がないので、わたしには分からない。
 外国の本は一杯読んでいるけれど、夜灯の国らしく、外から入ってくる小説は性的な官能小説の方が多いので、多分、参考にはならないだろう。医学的な書物や、生物学の図鑑なんかは流石に正確な情報が載っているものばかりだが、そういうのには外の人間の性事情は書かれていない。

 まあ、夜灯の国以外の貞操観念がどうであれ、ライールがどれだけ性に対しての感情がどうであれ、聖女として、わたしは彼に入国審査を受けさせないといけないわけだが……。

 さて、どう説得したものか。

 先ほど突き飛ばしてライールを引っぺがすことができたことを考えると、力づくで入国審査を受けさせることもできるが、可能であれば、それは最終手段として取っておきたい。

 この国は娼館や遊郭ばかりが建ち並び、風俗業を売りにして成り立っている国。だからこそ、人買いや人権管理等には、他の諸外国とは比べ物にならないくらい徹底して管理し、厳しく取り締まっている。
 奴隷行為や人身売買が行われると、一気に治安が悪くなるからだ。
 治安が悪くなりやすいこの国だからこそ、徹底して管理をしている、というわけだ。

 なので、わたしが嫌がる子供を無理やり引き連れていたら、一瞬で通報されるだろう。密入国だと言えば、通報されたところで解放はされるだろうが、目撃者や通報者一人ひとりに弁解するのは不可能に近い。
 聖女のわたしがそんな事態に陥ってはならないのである。

 しかも、ライールの見た目が見た目だ。愛らしい顔に、夜灯の国では見かけないような髪色に瞳の色。正直、男娼としてめちゃくちゃ売れそうな外見なのだ。とすれば、男娼館に高値で買い取ってもらえそうなわけで。
 今のままだと客の前に出せない年齢に見えるものの、吸血鬼なら問題ないし、事情を知らない人は、数年後、男娼にさせるのだろうと思うはず。
きっと、勘違いに拍車がかかることだろう。

 わたしが一人であれこれ悩んでいると、ふと、ライールがもぞもぞと動き、しきりに下半身を気にしている様子が目に入る。

「どうしたの? お手洗い?」

「いや……」

 ライールは居心地の悪そうな顔を見せる。

「なんか、下半身が落ち着かない……」

 お手洗いじゃないのに? と不思議に思っていると、我慢ができなくなったのか、ライールがおっかなびっくり、という様子で下半身にかけていた毛布を取る。
 その下を見て、「あらまあ」という言葉が思わずわたしの口から漏れた。

 ライールの股間が、服の上からでも分かるくらい、膨れていたのである。なんでそうなったのかは分からないけど……寝起きだから? 気絶から目を覚ましてもこうなるものなのかしら? 
 男の人と一晩過ごしたことがないから、わたしには分からない。娼婦や遊女のお姉さん方なら原理を知ってるのかな。

 急にこんな風になるなんてどうしたんだろう、と不思議に思っているわたしとは裏腹に、ライール自身はびしり、と一瞬、露骨に動揺したように固まってしまった。膨れている自身の股間を見たライールが、目を丸くして、わたしと股間を交互に見ている。

「こ、これはなんだ!?」

「な、なんだって言われても……」

 ただの勃起だろう、としか言いようがない。遊女や娼婦じゃないわたしにも、そのくらいは分かる。
 逆にライールは知らないのか? 男のくせに。

「せ、聖女の血は毒だったのか……? ボ、ボク、死んじゃうのか!?」

 半泣きになりながら、ライールがわたしを見てくる。勃起で大げさ過ぎる。ただの生理現象でしょう。
 大体、五百年以上生きていて、勃起しないことがあるか? と思ったが、実年齢が五百歳以上なだけだった。吸血鬼は一度成長し切ってしまえば、死ぬまで体は成長しないし、老化もしない。そういう生き物だ。
 そして、彼の見た目は、精通が来るか来ないか、ぎりぎりなところ。さらに、多少露出があるだけの女性を「痴女」といい、避けていた彼のこと。

 毎日が性的なことであふれる島で暮らしているわたしからしたら信じられないことだが、本当に性的な知識が全くないのかも。
 それに、ライールの言動を見るに、実年齢よりも肉体年齢に精神年齢が引っ張られるみたいだし……。
 だとしたら、彼にとって、この状態の下半身を見るのは初めてかもしれない。

 ……ふむ。

「……た、大変! 前に本で読んだことあるやつに似てるかも。それと同じやつだったら、放っておいたら死んじゃうよ」

「ええっ!」

 わたしの下手くそな演技によるめちゃくちゃな嘘を、ライールはあっさり信じた。わたしが、ええっ! と、声を上げたくなるくらいの素直さだ。
あまりにも純粋に受け取っているので、罪悪感がないわけではない。でも、入国審査、受けてもらわないと困るもの……。

「わたしだったら、それ、治せるかもしれないけど……」

「治して!」

 ライールがわたしの両肩をつかみ、がくがくと揺さぶってくる。さっき、わたしに血をねだったときとは比べ物にならないくらい、必死な表情。本当に何も知らないらしい。思っていた以上に食いついてきた。びっくりするくらい疑問を持たずに信じるので、本当に信じたのか一瞬疑ったのが馬鹿らしくなるくらいの勢いだ。

「じゃ、じゃあ、治ったらちゃんと入国審査、受けて。それが条件よ。約束できる?」

「し、死んじゃうよりはいい! ちゃんと行く!」

 ライールは目じりに涙をためながら、必死に頭を縦に振った。
 性知識のない、いたいけな少年を相手に、わたしも悪い大人になったなあ、と思う。まあでも、実年齢は五百歳以上だから。大丈夫よ、大丈夫。うん、問題ない。

 罪悪感に負けて本当のことを言ってしまったら、入国検査を受けてもらうための作戦が駄目になってしまうので、わたしは頭の中でだけ、言い訳を並べた。
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