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猫かぶり聖女×奴隷吸血鬼

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 一週間後。ようやく、教団長と面会することができるようになった。ヴィヴィーナは、教団長のスケジュールを教えてくれるだけでなく、本当に面会予約をとってきた。流石の彼女でも、できると思ってなかったんだけど。

 ノックをして、わたしは教団長の執務室に入る。――汚い。あちこち国外に飛び回っているというから、てっきり教団員が、教団長が不在の間に綺麗に片付けたと思ったのだが、びっくりするほど散乱していた。
 でも、ちらっと見れば、ゴミや本、書類や衣類などは散乱しているけれど、ちりやほこりが積もっている様子はない。ということは、帰ってきてからこの人がすぐに荒らした、ということか。

 教団長は忙しい人で、ここに来てから数えるほどしか会っていないけれど、執務室に来て面会するときは、いつだって部屋が散らかっていた。教団長はこういう環境じゃないと生きていけないのか、とたまに思う。

 わたしは扉のすぐ内側に入るだけにとどめ、部屋の奥へと行くことは諦める。こんな部屋の中を、ごみをよけながら歩くのは大変だし、これだけ汚い部屋のソファとか、座りたくもない。扉さえ閉められればいいだろう。

「――……シャシャ、話があるそうだね」

 ものが散乱している中心点にあるソファに寝そべっているのは教団長だ。仰向けになって、顔の上にハンカチを置き、腹の辺りに指を組んで手を置いている。長い脚は、結構な長さが飛びでていた。
 おおよそ、人と会話をする姿勢ではない。人によっては憤慨するかもしれないが、わたしはマナーとか気にしないので、問題ない。むしろ、そんなもの、ない方が気楽でいい。

「毒を盛られました」

 わたしは単刀直入に教団長に言う。
 少し遅れて、わたしの言葉を受理できた教団長が、ガバッと起き上がる。ひらり、と彼の目元に置かれていたハンカチが床に落ちる。普段、くっきりとクマが出ている目元が、今日は一段と濃い気がした。

「被害状況は」

「一時期、聖女の力が使えなくなったわ。でも、ドドが毒を盛られてるって気が付いてからは、別のものを食べるようにしてたから、毒が抜けてある程度は回復したと思う。とりあえず傷を癒せることは確認済み。毒の種類や犯人は特定していないわ」

 「ていうか、わたしが部屋にこもりきりになっているって報告出てないの?」と思わず聞き返してしまった。

 聖女の力が使えなくなったことは、ドドにすら言っていないし、わたしが毒をくらわされたのは、おそらく今のところドドとヴィヴィーナしか知らないはず。正確に部屋にこもっていたわたしの状況を把握している人間は、本当に限られている。

 それでも、国民があれだけ定期的に神殿の前で騒ぎを起こしているから、実情を知らずとも、ある程度のことは聞いていてもおかしくないはずなのに。

「……聖女の力を使うような仕事が入っていないから、休養を取らせている、という話は聞いた」

「そいつ、切った方がいいんじゃない?」

 どう考えても犯人とグルだ。仮に騙されただけだったとしても、わたしに確認もせず、まるっと信じるような間抜けは教団長の補佐に向いていない。
 というか、わたしの仕事を把握しきれていない教団長も教団長――と、言いたいところだが、この人はこの人で可哀想だからなあ。

 本来ならば、ディディアン聖国を治めるのは聖女の役目。歴代の教団長はあくまで補佐であり、聖女に代わるとしても一時的な代理だった。でも、わたしがスラム出身で、貴族の生まれでない上に、一般的な平民としての教育すら受けていないので、代わりに国のトップに立つ羽目になっているのだ。
 だから、歴史を重んじる人間や、聖女至上主義の人間からは結構疎まれている、運のない人なのだ。

 わたしが悪いとは思わないけど、全く同情しないわけでもない。把握しておけ、と思うことはあれど、でも、口にはしない。そんな余裕がないのを知っているから。

「――……すぐに犯人を探そう」

 そう言って、教団長が立ち上がる。ソファの周りに散乱したごみの上を、気にした様子もなく歩く。

「わたし、犯人を殴り飛ばすつもりでいるから。わたしが一発かますために、元気なままでいさせておいて」

 すでに行動しはじめた教団長の耳に届いたかは知らないが、一応、言うだけ言っておいた。絶対にやられたままでいるのは嫌なので。

 ――かくして、教団長に会って数日後。あっさりと犯人が見つかった。
流石に一度問題を発覚させてしまえば、あっという間だった。教団長、仕事が早い。能力だけで教団やティディアン聖国のトップになっただけのことはある。

 犯人は、わたしがクビにした世話係――掃除担当のネネイルの兄――ペルルデンだった。廊下の鍵を施錠していたときに、わたしの悪口をいってドドと揉めた男の兄。どうやら、兄弟そろってここに勤めていたらしい。

 わたしがネネイルをクビにしたことによって、二人の稼ぎでまかなっていた母親の治療費が回らなくなったらしい。しかも、わたしが直々にクビを言い渡したものだから、そのことを知った、わたしの仕事を管理している教団員から聖女の力によって治してもらう患者のリストから、彼らの母親が外されてしまったそうだ。
 わたしの仕事を管理している教団員は、どちらかというとわたしの狂信者よりの思想を持っている。わたしの怒りに触れた原因を全て聞いた教団員が、癒しの治療患者のリストの中から、彼らの母親を排除したのだろう。なんて私情。

 その結果、母親は生死の境をさまようことになり――その逆恨みが動機だった。

 その話を聞いて、正直、馬鹿でしょ、としか思わなかった。

 たしかにわたしの世話係の稼ぎはいいが、所詮掃除係。職種を選ばなければ他の仕事にだって、就けただろう。
 リストから外されたのはどうしようもないが、先んじて回ってこないということは、本来そこまで重症ではなかったはず。なら、最初から聖女の力に期待しないで、ちゃんと病院に入れておけば良かったのだ。
 大方、治療費を削りたかったのだろう。

 あくまでわたしがクビにした、というのは関係者しか知らない。だから、その気になれば、神殿以外のどこかに雇ってもらうのはそこまで難しくないはずなのだ。

 でも、結局、ネネイルはそうしなかった。

 なんてくだらない。わたしの世話係よりは給料が下がるだろうけど、スラムで働くよりはずっと実入りのいい仕事ができるだろうに。

「黙って仕事をしていれば、こんなことにはならなかったのにね」

 神殿の、生活棟の反省室。
 そこで拘束され、床に這いつくばらされている男に、吐き捨てるように言うと、こちらを恨むような、憎むような睨みをきかせた。偉そうに一人座っている、わたしに向けて。
ペルルデンの頬は赤く腫れていた。せっかく教団長がこの場を用意してくれたので、わたしはありがたく殴らせてもらったのだ。

 彼がこの後どうなるのか、わたしは知らない。今、この場で対面できているのは、わたしの、彼を殴りたい、という我がままを、教団長が叶えてくれたからに過ぎない。
 正式な処罰は、教団長が決めること。
 まあ、もしかしたらこの国から聖女が失われていたかもしれないことを考えると、まともに生きていける未来がないことはお察しだが。

「素敵な長い休暇をどうもありがとう。貴方は、人生の暇をもらうかもしれないけど」

 言いながら、わたしは足を組む。

「――ふざけるな!」

 わたしが殴りやすいようにと、猿ぐつわをしていないので、好き勝手に男がわめく。
わたしへの怒りと不満で頭が回っていないのか、それとも、長らく不在だった聖女の席に座る唯一の女に手を出すことがどういうことか分かっているから覚悟も決まっているのか。
 そのどちらかは知らないが、彼は死に対しておびえる様子はない。

 ちなみに、わたしが長期休暇を強制的にとる羽目になったのは、わたしの体調不良を知って、仕事を管理する教団員が予定を全てキャンセルしたからなのだが。聖女の力が弱まったタイミングで都合よく仕事がなくなったのも、本当に患者が死んだわけではなく、うまいように、教団員を情報操作していたからだという。

 わたしに仕事がなくなったことを伝えてきた世話係と、教団長の補佐をしている教団員へ正確な報告をしていなかった世話係は彼らとグルだったようだが、教団員は白だった、と教団長が言っていたので、そこは信じていいだろう。

 わたしの世話係、相当入れ替わるんじゃないのかしら、これ。
 黙って働いていれば、たくさんお金が手に入るのに、馬鹿だなあ、と思う。

 ――でも、馬鹿なのは、わたしも一緒だった。

「――ドド?」

 わたしのそばに控えていたドドが、急に動き出した。いくら犯人が拘束されているとはいえ、二人きりになるのは危ない、と、ドドが立ち合いをどうしても譲らなかったので、連れてきていたのだが――別に、犯人は動いていない。変わらず、わたしの前に、拘束されて這いつくばっている。

「どうしたの?」

 わたしの横に立つドド。体格がよくて、広い背中の彼が前に立ってしまうと何があるか、見えなくなる。

「シャシャ、さま――」

 ぐらり、とドドの体が揺れる。――そのまま、ドドは床に倒れ込んだ。
 わたしは思わず、座っていた椅子を蹴飛ばすように立ち上がり、彼の元へ、しゃがみこむ。

「ドド……? ど、ドド! ドドってば!」

 倒れ込んだドドを、わたしは揺さぶりたくても揺さぶれなかった。彼が押さえる腹の傷から、血があふれる量が増えてしまいそうだったから。

 わたしは顔を上げた。ドドの先に誰がいたのか――。
 そこには、一人の男が、血に濡れた包丁を持って、立っていた。知らない男だ。

 ペルルデンとのやり取りに夢中になっていて、この男が入室していたことに全く気が付かなかった。いつからそこに? ドドが動く、少し前?

 しかし、わたしに毒を盛ったのが、クビにした掃除係の男の関係者だったのなら、察しはつく。
 わたしがあのときクビにしたのは一人じゃなかったのに――それを忘れていたなんて、わたしはなんて馬鹿で愚かなんだろうか。

「だ、誰か――」

 誰かを呼ばなきゃ。でも、混乱の方が勝っていて、声量が出ない。一人でこんな不審者に遭遇したなら、とっさに判断して行動できるけど、今はわたしを庇って負傷したドドがいる。何からするべきなのか、そればかりに気を取られてしまう。

 誰かを呼ぶ、包丁を持った男から逃げる、ドドを助ける。

 様々な選択肢が同時に脳内で並ぶ中、わたしはドドを助けることを選んだ。――選んだ、というより、今、一番手近にあることに手を伸ばした、と言った方が正しいかもしれない。

 ドドは吸血鬼なので、人よりも癒すのが格段に難しい。聖女の力のコントロールを少しでも誤れば、大惨事になる。聖女の力には、人外種を退治する能力もあるから。
 そもそも、人外種の治療なんて、一回もしたことがない。

 それでも、絶対に失敗するわけにはいかなかった。わたしが今ここで、間違えれば、ドドの命はない。

「しゃ、しゃさま、にげて……」

 息も絶え絶えなドド。彼の吐息に混じって、そんな言葉が聞こえてくる。

「馬鹿言わないで! アンタはわたしのペットなの、寿命以外でわたしの許可なく死ぬなんて許さないんだから! こんな――こんなクソガキのために死ぬなんて絶対あっちゃ駄目なのよ!」

 涙で視界が滲む。乱暴に涙を拭えば、手に付着したドドの血が目に入ったようで、余計に目が見えにくくなる。わたしは服の袖で、目が痛くなるくらいこすった。

「――クソガキだなんて、よく分かってるじゃないか」

 ドドじゃない男の声。ドドに使う聖女の力を緩めないまま、わたしは顔を上げた。男が、服で包丁を軽く拭いている。ドドの血は取れても、肉の脂は取れないようで、包丁が白くぼやけて光を映していた。

「お前があいつをクビにしたせいで、あいつは、あいつは……」

 包丁を持った男は最後まではっきりと、わたしがクビにした、もう一人の使用人の末路を言わなかった。
 でも、大体は想像がつく。絶対、ろくなことになっていないんだろうな、と。
 わたしがスラム出身であるように、この国はかなり貧富の差がはっきりしている。貧しい者がのし上がるのは難しく、富める者が転がり落ちるときは一瞬だ。

 でも、だからって、わたしに押し付けるな。

 理不尽なことを、いつだってわたしは押し付けられてきた。スラムのガキなんて、都合のいいサンドバッグだと思っているこの国の大人の、なんて多いことか。
 聖女になって、わたしはそんな場所から抜け出したのだ。力を持って、自由になって――守りたいと思うものが、できてしまった。スラムの片隅で、いつ死ぬのかもわからなかったようなわたしを、命に代えても守ろうとした存在に、返したいものがあるのだと、思ってしまったのだ。

「――元はと言えば、ちゃんと仕事をしないアンタらが悪いのよ」

 ドドの傷があらかた治ったのを確認すると、わたしは立ち上がる。

「わたしは確かにクソガキだけど――スラム出身のクソガキ、舐めんじゃないわよ!」

 わたしはドドの体の上を飛び越え、そのまま男に組みついた。
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