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猫かぶり聖女×奴隷吸血鬼
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わたしの聖女の力が弱まり始めてどのくらいたっただろうか。
聖女の力はどれだけ寝ても、元に戻ることなんてなかった。
――同時に、なぜか、わたしの、聖女の仕事はパッタリとなくなった。元より、そんなに仕事は一杯あるわけじゃない。わたしの能力の低さが原因で、一日に一件とか、二件とか、かなり余裕あるスケジュールを組んでいた。それでも、ほとんど毎日外にでないといけないくらいには、聖女としてのお役目はあったはずだったのに。
加えて、わたしがこうして部屋にこもり切って休むことが、何日も続くこともなかったので、一部の世話係が酷く体調を崩したのかと心配そうに見舞うこともあった。
狙ったかのように途絶えた聖女の仕事と、妙に連絡の連携が取れていない世話係たち。
なんだかおかしい、と思った頃には、既に遅く――わたしは、ほとんど部屋から出る気力すらなくなっていた。
わたしが神殿から出なくなって、不審がる国民が増えたようで、神殿の端の方にいるわたしにすら届くような騒ぎ声が、神殿の入口の方から時折聞こえてくる。
ほとんど毎日聖女の仕事をしていて、休日でも街に姿を現していたのだから、一切見かけなくなったとなれば、不安がるのも無理はない。
わたしはと言えば、聖女の力が弱まって部屋にこもる様になってから、段々と、力が抜けていくのを感じていた。ここ二、三日はずっとベッドの上に寝ころがっていて、トイレに行く以外、立ち上がっていない。
立ち上がると、酷い立ち眩みがするのだ。めまいでまっすぐ歩けない、なんてことが本当にあるのだと、わたしは初めて知った。
食べることもままならず、ドドが時折、寝そべるわたしに世話係が用意したスープを飲ませてくれるけど、ほんの数口で倦怠感に負けて食べる気力を失ってしまう。果物なんかは、一口、口にできたらいい方だ。
お腹は空いているのに、どうにも食べる気にならない。スラム育ちで、空腹に慣れているからか、倦怠感を押しのけてまで食事をする気分にならないのだ。
部屋にこもるようになってから、最初のうちは、ドドも、動かないから余計にだるくなるのだと、ストレッチとか、室内でもできる運動を勧めてきた。
でも、だんだんと、それすらもできなくなって、もう、何も言われない。今のドドは、ただそわそわと、わたしが死なないか、傍にいるだけになった。
聖女は、聖女の力が弱まると、生命力までなくなってしまうものなのだろうか。そんなこと、言われなかったけど。
でも、わたしは、教団にとって都合のいい道具。
先代までの、元々、貴族なり豪商なり、それなりの地位があって、教育を受けていた聖女とは違う。ろくに学ぶこともなく、ただ毎日生きるために、必死になって小銭を稼ぐような生活をしていたスラムの子。同じような扱いを受けるわけがない。
都合が悪いこと、言っても分からないだろうと判断されたこと、それらを隠され、言われていない自覚はある。
だから――このまま、死んでしまうのかも、とすら、思えてしまう。
いつだったか。餓死で死んだ友人は、最後はベッドの上に横たわって、眠る時間がどんどん長くなっていって――最後は目を開けなくなった。そんなときのことを、思い出す。
「――ドド、ごはん」
わたしがそう言うと、パッとドドは顔を明るくして、いそいそと、枕元の棚の上置いてあった、使用人が用意した食事を、わたしに食べさせようとしてくる。
それをわたしは、軽く目を伏せて拒絶した。
「違うわ。わたしのごはんじゃなくて、アンタのよ。……ずっと、飲んでないでしょ」
ドドが最後にわたしの血を飲んだのは、聖女の力が弱まったかもしれない、と自覚する少し前。もう、三週間近く、彼は血を飲んでいないことになる。元より吸血鬼は燃費がよく、とりわけドドが食事を必要としない個体だったとしても、血を飲まない期間が三週間にもなれば辛いはず。
でも、ドドは必死になって首を横に振った。何度も、何度も。
「駄目です、シャシャ様! そんなにも体調が悪いのに、血が少しでも抜けたら――!」
「アンタまで共倒れしたらどうすんのよ。少し飲まれたくらいで、死にはしないっての。――ほら」
わたしは力を振り絞って、ベッドの傍に座って控えるドドの口に指を突っ込んだ。
吸血鬼特有の牙に指先を押し込めば、ぷつっと皮膚が弾けて、血が流れる感触があった。
無理やり指を突っ込んだけれど、ドドの喉が上下することはなかった。確かに、彼の口の中に血は入ったはずなのに。
わたしの手を振りほどくと、ドドは勢いよく立ち上がる。そして、慌ただしく、わたしに用意された食事を口に含んだ。
わたしがベッドから起き上がれなくなってから、食事はもっぱら果物の盛り合わせと、スープだけになった。果物は飾り切りをされているし、スープは具が分かりやすく入っていないものの、すりつぶされた野菜が入って、ポタージュのようになっている。決して貧相なものではない。
そのうち、ドドはスープを口にして、ペッとすぐに吐き出した。そして、スープを吐き出したハンカチを丸めて遠くへ放り投げる。
「シャシャ様、これを食べては駄目です! 何か混ぜてあります」
「何か……?」
何か――何か。何かって、ドドの焦りようを見れば分かる。――毒だ。
毒。その答えに行きついて、わたしは跳ね起きた。……実際は、かなり緩慢な動きだったと思うけど。
「ドド、アンタ、今、食べ――、ドド、体調は? どこか悪くなってない?」
わたしは不安にかられて、ドドの服の裾を引っ張る。支えなしに立ち上がれないほどわたしの体は弱っていたが、それでも、力を込めて裾を握った。
ドドはしゃがみ込んで、わたしが彼の顔を見やすいようにしてくれる。
「すぐに吐き出したので問題はありません。そもそも、おそらくは致死性自体は限りなく低いはずです。ほんの数口とはいえ、既にシャシャ様が召し上がっているものですから」
そう言うドドの顔色は悪くない。ぺたぺたと、つい彼の顔を触ってしまうが、急変する様子はなかった。
「どうして分かるの」
わたしが聞くと、ドドは、「シャシャ様の血が、少し、毒の香りがしたので」と答える。
確かに、わたしの聖女の力が不調になってから、ドドは血を飲んでいなかった。もう少し早く与えていれば、もっと早く気が付くことができたのかもしれない。
まあ、これはわたしが悪いのだが。体調が良くなったら血をあげよう、と思い続けて今日まで来てしまった。ドドがもっと頻繁に食事をする吸血鬼だったら、と思わなくもなかったけれど、血を与えないという判断をしたのはわたしだ。
わたしに飼われているドドに責任を押し付けるのは間違いである。
それにしても、どうして毒なんて……。
今まで、そんなことはなかった。そもそも、聖女であるわたしに毒を飲ませたらどうなるかなんて、分かり切っている。
たとえ致死性が低くても、今、こうして聖女の仕事に支障が出ている以上、極刑になったっておかしくはない。仮に許されたとしても、『聖女』を欲している教団や、『聖女』を妄信している国民が許すわけない。
だからこそ、わたしには毒見すらいなかったし、山中でも一人で【黒】の浄化に行くくらいだったのに。わたしを害する人間なんていないだろう、と。
誰の恨みを買ったか、なんて、心辺りが多すぎて分からない。教団にいる人間なら、大抵は、一度や二度、わたしに腹を立てたことがあるはずだ。ずっと、そんな態度をとってきたのだから。
心当たりが多すぎてどうしようもないなら、犯人を絞ることはできない。ならどうするか――……。
与えられたご飯を食べなければいい、というのは簡単な話だが、わたしはもう、自力で食べ物を買いに行く体力がない。
教団長に言いに行けばいい話ではあるが、生憎、ただでさえ忙しいあの人はこの時期になると国外へ外交に行くことが多くなる。直接会えるのは、いつになるか分からない。
もちろん、ずっと国内にいない、というわけではなく、たびたびこの国に戻ってくる。でも、わたしはその細かいスケジュールを知らないのだ。
聖女の力が弱くなったばかりの日であれば、まだ適当に教団長の執務室に突撃すれば会えたかもしれない。面会予定、なんてのんきなことを言っていないで、もしかしたら寝れば治るかも、なんて現実逃避をしていなければ――。
世話係たちの誰かにことづけたところで、教団長に届くか分からない。わたしの毒を盛っていることに、世話係が一切関わっていない、とは考えられない。というか、最低でも協力者がまぎれているのは事実。
犯人が分からないままでは、もみ消される可能性があった。
かといって、ドドに何か食べ物を買いに行かせるのも嫌だ。
わたし自身が、毒を盛られてこんな風にさせられるまで恨まれているのだから、ドドになにかされてもおかしくはない。元より、彼を、わたしの目の届かない場所に、極力置きたくないのに。
人間、目を離した隙に、かどわかされることなんて、珍しくもない。……ドドは女子供じゃないし、人間でもないけど。でも、こうして奴隷になってしまっている以上、油断はできない。ドドだって、自ら望んであの奴隷商の商品になったわけじゃないだろう。
「――シャシャ様。ここを出ていきますか」
ドドはわたしを見て、真剣な表情で言った。
出ていく。
考えたこともなかった。
ここから去れば、確かに、犯人からは逃れられる。しばらくは、今まで稼いだお金があればどうにでもなる。野宿だって平気だ。
今、ドドに頼めば、国外にだって連れて行ってくれるだろう。わたしのお願いを、絶対に叶えてくれる、というのは、今の彼の顔を見れば分かる。
わたしを聖女という道具にした教団から逃げる。今よりも贅沢はできなくなっても、スラムよりはずっとマシな生活を送る。――ドド二人で。
それは、とても魅力的な提案だった。
でも――でも。
「出て行かない」
わたしは、きっぱり言い切った。
聖女の仕事を捨てて、ここからいなくなることなんてできない。『聖女様』と呼ばれるのは嫌いだし、猫を被ってお淑やかな聖女を演じるのも面倒くさい。
聖女なんて、教団の道具だ。そんなのは分かり切っている。
それでも――そうやって、道具だ、何だと、腐ったままでいるか、教団の思惑を受け入れた上で、誇りを見出す道化になるか。
どちらになるのか――なれるのか、決めるのはわたしだ。
なにより――。
「馬鹿にされたまま逃げるのなんてぜっったいに嫌!」
極刑だろうがなんだろうが、罰を与えないと気が済まない。やられっぱなしの性格じゃないのだ。
聖女の力が弱まって、落ち込むのはもう終わりだ。原因が分かったのなら、それをぶちのめすまで。
わたしはベッドから降り、くらくらする頭を押さえながら、廊下へと続く扉を開く。
「ヴィヴィーナ! ヴィヴィーナ、来なさい!」
そして、わたしは力の限り、わたしの世話係の一人である女の名前を叫んだ。
数分して、バタバタとせわしない足音が聞こえてきた。
「お、お呼びでしょうか……」
びくびくとわたしの様子をうかがうヴィヴィーナは、わたしについている世話係の中でも一番気が弱い。しかし、同時に、金さえ払えばしっかり仕事をこなすしたたかさがあった。わたし専用の御者を兄に持つ彼女は、流石兄妹、と言いたくなるような兄譲りの性格をしているのである。
お金、という分かりやすいものがなければ、強い者になびいて、長いものに巻かれる性格をしているが、お金さえ払えば仕事はする。ヴィヴィーナの兄を見ていれば、それは信用できる。
「ヴィヴィーナ、アンタ、わたしに買われなさい」
そう言って、わたしは彼女に小袋を持たせる。――中身は全て、ティディアン銀貨だ。数を演出するため、また、平民の彼女に使いやすいように銀貨をまとめておいた袋にしたが、換金すれば金貨にもなる。彼女の兄を買収したのと同じ金額だ。というか、なんなら、この中からいつも御者に握らせているお金を出している。
中身を確認したヴィヴィーナは、分かりやすく目を輝かせる。
「それを受け取れば、アンタは名目上だけでなく、絶対的なわたしの世話係になる。神殿から命じられた仕事以外もこなさないといけない。なんなら、わたしの命令の方を最優先になさい。でも、お金には困らせないわ。――アンタの兄からきいてるでしょ?」
ヴィヴィーナは興奮気味に、こくこくと頭を上下に振った。「やってくれるわね」というわたしの言葉に、彼女は否定するはずもなく。
「じゃあ、まずは何か食べ物を買ってきて。誰にもバレずにね。消化がよくてそれなりの品質ならなんでもいいわ。――ああ、お金はこれを使って。釣銭は好きにしていいわ」
わたしは、小袋とは別に、硬貨を握らせる。彼女はそれを受け取るが、少し不思議そうな表情を見せた。
「お食事でしたらそちらが――」
ちらっと見るのは、ヴィヴィーナでない、別の世話係が用意した食事だ。先ほど、ドドが口にして、毒がある、と断言したもの。
「もう、今後、わたしはアンタの買ってきたものしか食べないわ。アンタが買ってきたものに『も』何か混ぜられてたら、今度はアンタが一番に疑われるから」
そう言うと、彼女はサッと顔を青くさせた。この食事が、どういうものか分かってしまったのだろう。……この反応からして、彼女は共犯疑惑のある世話係グループから排除してもいいかもしれないわね。
「犯人はまだ探さなくていいわ。先にわたしが万全に動けるようになりたいから。分かったら、さっさと何か買ってきて」
「か、かしこまりました」
ヴィヴィーナは一礼して、そそくさと部屋を出ていく。――久々に、まともなものが食べられそうだ。
元気になったらとりあえず、ドドに血をあげないと……。
わたしはそんなことを考えながら、ベッドへと倒れこむ。酷く、疲れた。
「ドド、ヴィヴィーナが戻ってきたら起こして。少し、眠るわ」
「はい、シャシャ様」
ドドの返事を聞きながら、わたしは目を閉じた。
聖女の力はどれだけ寝ても、元に戻ることなんてなかった。
――同時に、なぜか、わたしの、聖女の仕事はパッタリとなくなった。元より、そんなに仕事は一杯あるわけじゃない。わたしの能力の低さが原因で、一日に一件とか、二件とか、かなり余裕あるスケジュールを組んでいた。それでも、ほとんど毎日外にでないといけないくらいには、聖女としてのお役目はあったはずだったのに。
加えて、わたしがこうして部屋にこもり切って休むことが、何日も続くこともなかったので、一部の世話係が酷く体調を崩したのかと心配そうに見舞うこともあった。
狙ったかのように途絶えた聖女の仕事と、妙に連絡の連携が取れていない世話係たち。
なんだかおかしい、と思った頃には、既に遅く――わたしは、ほとんど部屋から出る気力すらなくなっていた。
わたしが神殿から出なくなって、不審がる国民が増えたようで、神殿の端の方にいるわたしにすら届くような騒ぎ声が、神殿の入口の方から時折聞こえてくる。
ほとんど毎日聖女の仕事をしていて、休日でも街に姿を現していたのだから、一切見かけなくなったとなれば、不安がるのも無理はない。
わたしはと言えば、聖女の力が弱まって部屋にこもる様になってから、段々と、力が抜けていくのを感じていた。ここ二、三日はずっとベッドの上に寝ころがっていて、トイレに行く以外、立ち上がっていない。
立ち上がると、酷い立ち眩みがするのだ。めまいでまっすぐ歩けない、なんてことが本当にあるのだと、わたしは初めて知った。
食べることもままならず、ドドが時折、寝そべるわたしに世話係が用意したスープを飲ませてくれるけど、ほんの数口で倦怠感に負けて食べる気力を失ってしまう。果物なんかは、一口、口にできたらいい方だ。
お腹は空いているのに、どうにも食べる気にならない。スラム育ちで、空腹に慣れているからか、倦怠感を押しのけてまで食事をする気分にならないのだ。
部屋にこもるようになってから、最初のうちは、ドドも、動かないから余計にだるくなるのだと、ストレッチとか、室内でもできる運動を勧めてきた。
でも、だんだんと、それすらもできなくなって、もう、何も言われない。今のドドは、ただそわそわと、わたしが死なないか、傍にいるだけになった。
聖女は、聖女の力が弱まると、生命力までなくなってしまうものなのだろうか。そんなこと、言われなかったけど。
でも、わたしは、教団にとって都合のいい道具。
先代までの、元々、貴族なり豪商なり、それなりの地位があって、教育を受けていた聖女とは違う。ろくに学ぶこともなく、ただ毎日生きるために、必死になって小銭を稼ぐような生活をしていたスラムの子。同じような扱いを受けるわけがない。
都合が悪いこと、言っても分からないだろうと判断されたこと、それらを隠され、言われていない自覚はある。
だから――このまま、死んでしまうのかも、とすら、思えてしまう。
いつだったか。餓死で死んだ友人は、最後はベッドの上に横たわって、眠る時間がどんどん長くなっていって――最後は目を開けなくなった。そんなときのことを、思い出す。
「――ドド、ごはん」
わたしがそう言うと、パッとドドは顔を明るくして、いそいそと、枕元の棚の上置いてあった、使用人が用意した食事を、わたしに食べさせようとしてくる。
それをわたしは、軽く目を伏せて拒絶した。
「違うわ。わたしのごはんじゃなくて、アンタのよ。……ずっと、飲んでないでしょ」
ドドが最後にわたしの血を飲んだのは、聖女の力が弱まったかもしれない、と自覚する少し前。もう、三週間近く、彼は血を飲んでいないことになる。元より吸血鬼は燃費がよく、とりわけドドが食事を必要としない個体だったとしても、血を飲まない期間が三週間にもなれば辛いはず。
でも、ドドは必死になって首を横に振った。何度も、何度も。
「駄目です、シャシャ様! そんなにも体調が悪いのに、血が少しでも抜けたら――!」
「アンタまで共倒れしたらどうすんのよ。少し飲まれたくらいで、死にはしないっての。――ほら」
わたしは力を振り絞って、ベッドの傍に座って控えるドドの口に指を突っ込んだ。
吸血鬼特有の牙に指先を押し込めば、ぷつっと皮膚が弾けて、血が流れる感触があった。
無理やり指を突っ込んだけれど、ドドの喉が上下することはなかった。確かに、彼の口の中に血は入ったはずなのに。
わたしの手を振りほどくと、ドドは勢いよく立ち上がる。そして、慌ただしく、わたしに用意された食事を口に含んだ。
わたしがベッドから起き上がれなくなってから、食事はもっぱら果物の盛り合わせと、スープだけになった。果物は飾り切りをされているし、スープは具が分かりやすく入っていないものの、すりつぶされた野菜が入って、ポタージュのようになっている。決して貧相なものではない。
そのうち、ドドはスープを口にして、ペッとすぐに吐き出した。そして、スープを吐き出したハンカチを丸めて遠くへ放り投げる。
「シャシャ様、これを食べては駄目です! 何か混ぜてあります」
「何か……?」
何か――何か。何かって、ドドの焦りようを見れば分かる。――毒だ。
毒。その答えに行きついて、わたしは跳ね起きた。……実際は、かなり緩慢な動きだったと思うけど。
「ドド、アンタ、今、食べ――、ドド、体調は? どこか悪くなってない?」
わたしは不安にかられて、ドドの服の裾を引っ張る。支えなしに立ち上がれないほどわたしの体は弱っていたが、それでも、力を込めて裾を握った。
ドドはしゃがみ込んで、わたしが彼の顔を見やすいようにしてくれる。
「すぐに吐き出したので問題はありません。そもそも、おそらくは致死性自体は限りなく低いはずです。ほんの数口とはいえ、既にシャシャ様が召し上がっているものですから」
そう言うドドの顔色は悪くない。ぺたぺたと、つい彼の顔を触ってしまうが、急変する様子はなかった。
「どうして分かるの」
わたしが聞くと、ドドは、「シャシャ様の血が、少し、毒の香りがしたので」と答える。
確かに、わたしの聖女の力が不調になってから、ドドは血を飲んでいなかった。もう少し早く与えていれば、もっと早く気が付くことができたのかもしれない。
まあ、これはわたしが悪いのだが。体調が良くなったら血をあげよう、と思い続けて今日まで来てしまった。ドドがもっと頻繁に食事をする吸血鬼だったら、と思わなくもなかったけれど、血を与えないという判断をしたのはわたしだ。
わたしに飼われているドドに責任を押し付けるのは間違いである。
それにしても、どうして毒なんて……。
今まで、そんなことはなかった。そもそも、聖女であるわたしに毒を飲ませたらどうなるかなんて、分かり切っている。
たとえ致死性が低くても、今、こうして聖女の仕事に支障が出ている以上、極刑になったっておかしくはない。仮に許されたとしても、『聖女』を欲している教団や、『聖女』を妄信している国民が許すわけない。
だからこそ、わたしには毒見すらいなかったし、山中でも一人で【黒】の浄化に行くくらいだったのに。わたしを害する人間なんていないだろう、と。
誰の恨みを買ったか、なんて、心辺りが多すぎて分からない。教団にいる人間なら、大抵は、一度や二度、わたしに腹を立てたことがあるはずだ。ずっと、そんな態度をとってきたのだから。
心当たりが多すぎてどうしようもないなら、犯人を絞ることはできない。ならどうするか――……。
与えられたご飯を食べなければいい、というのは簡単な話だが、わたしはもう、自力で食べ物を買いに行く体力がない。
教団長に言いに行けばいい話ではあるが、生憎、ただでさえ忙しいあの人はこの時期になると国外へ外交に行くことが多くなる。直接会えるのは、いつになるか分からない。
もちろん、ずっと国内にいない、というわけではなく、たびたびこの国に戻ってくる。でも、わたしはその細かいスケジュールを知らないのだ。
聖女の力が弱くなったばかりの日であれば、まだ適当に教団長の執務室に突撃すれば会えたかもしれない。面会予定、なんてのんきなことを言っていないで、もしかしたら寝れば治るかも、なんて現実逃避をしていなければ――。
世話係たちの誰かにことづけたところで、教団長に届くか分からない。わたしの毒を盛っていることに、世話係が一切関わっていない、とは考えられない。というか、最低でも協力者がまぎれているのは事実。
犯人が分からないままでは、もみ消される可能性があった。
かといって、ドドに何か食べ物を買いに行かせるのも嫌だ。
わたし自身が、毒を盛られてこんな風にさせられるまで恨まれているのだから、ドドになにかされてもおかしくはない。元より、彼を、わたしの目の届かない場所に、極力置きたくないのに。
人間、目を離した隙に、かどわかされることなんて、珍しくもない。……ドドは女子供じゃないし、人間でもないけど。でも、こうして奴隷になってしまっている以上、油断はできない。ドドだって、自ら望んであの奴隷商の商品になったわけじゃないだろう。
「――シャシャ様。ここを出ていきますか」
ドドはわたしを見て、真剣な表情で言った。
出ていく。
考えたこともなかった。
ここから去れば、確かに、犯人からは逃れられる。しばらくは、今まで稼いだお金があればどうにでもなる。野宿だって平気だ。
今、ドドに頼めば、国外にだって連れて行ってくれるだろう。わたしのお願いを、絶対に叶えてくれる、というのは、今の彼の顔を見れば分かる。
わたしを聖女という道具にした教団から逃げる。今よりも贅沢はできなくなっても、スラムよりはずっとマシな生活を送る。――ドド二人で。
それは、とても魅力的な提案だった。
でも――でも。
「出て行かない」
わたしは、きっぱり言い切った。
聖女の仕事を捨てて、ここからいなくなることなんてできない。『聖女様』と呼ばれるのは嫌いだし、猫を被ってお淑やかな聖女を演じるのも面倒くさい。
聖女なんて、教団の道具だ。そんなのは分かり切っている。
それでも――そうやって、道具だ、何だと、腐ったままでいるか、教団の思惑を受け入れた上で、誇りを見出す道化になるか。
どちらになるのか――なれるのか、決めるのはわたしだ。
なにより――。
「馬鹿にされたまま逃げるのなんてぜっったいに嫌!」
極刑だろうがなんだろうが、罰を与えないと気が済まない。やられっぱなしの性格じゃないのだ。
聖女の力が弱まって、落ち込むのはもう終わりだ。原因が分かったのなら、それをぶちのめすまで。
わたしはベッドから降り、くらくらする頭を押さえながら、廊下へと続く扉を開く。
「ヴィヴィーナ! ヴィヴィーナ、来なさい!」
そして、わたしは力の限り、わたしの世話係の一人である女の名前を叫んだ。
数分して、バタバタとせわしない足音が聞こえてきた。
「お、お呼びでしょうか……」
びくびくとわたしの様子をうかがうヴィヴィーナは、わたしについている世話係の中でも一番気が弱い。しかし、同時に、金さえ払えばしっかり仕事をこなすしたたかさがあった。わたし専用の御者を兄に持つ彼女は、流石兄妹、と言いたくなるような兄譲りの性格をしているのである。
お金、という分かりやすいものがなければ、強い者になびいて、長いものに巻かれる性格をしているが、お金さえ払えば仕事はする。ヴィヴィーナの兄を見ていれば、それは信用できる。
「ヴィヴィーナ、アンタ、わたしに買われなさい」
そう言って、わたしは彼女に小袋を持たせる。――中身は全て、ティディアン銀貨だ。数を演出するため、また、平民の彼女に使いやすいように銀貨をまとめておいた袋にしたが、換金すれば金貨にもなる。彼女の兄を買収したのと同じ金額だ。というか、なんなら、この中からいつも御者に握らせているお金を出している。
中身を確認したヴィヴィーナは、分かりやすく目を輝かせる。
「それを受け取れば、アンタは名目上だけでなく、絶対的なわたしの世話係になる。神殿から命じられた仕事以外もこなさないといけない。なんなら、わたしの命令の方を最優先になさい。でも、お金には困らせないわ。――アンタの兄からきいてるでしょ?」
ヴィヴィーナは興奮気味に、こくこくと頭を上下に振った。「やってくれるわね」というわたしの言葉に、彼女は否定するはずもなく。
「じゃあ、まずは何か食べ物を買ってきて。誰にもバレずにね。消化がよくてそれなりの品質ならなんでもいいわ。――ああ、お金はこれを使って。釣銭は好きにしていいわ」
わたしは、小袋とは別に、硬貨を握らせる。彼女はそれを受け取るが、少し不思議そうな表情を見せた。
「お食事でしたらそちらが――」
ちらっと見るのは、ヴィヴィーナでない、別の世話係が用意した食事だ。先ほど、ドドが口にして、毒がある、と断言したもの。
「もう、今後、わたしはアンタの買ってきたものしか食べないわ。アンタが買ってきたものに『も』何か混ぜられてたら、今度はアンタが一番に疑われるから」
そう言うと、彼女はサッと顔を青くさせた。この食事が、どういうものか分かってしまったのだろう。……この反応からして、彼女は共犯疑惑のある世話係グループから排除してもいいかもしれないわね。
「犯人はまだ探さなくていいわ。先にわたしが万全に動けるようになりたいから。分かったら、さっさと何か買ってきて」
「か、かしこまりました」
ヴィヴィーナは一礼して、そそくさと部屋を出ていく。――久々に、まともなものが食べられそうだ。
元気になったらとりあえず、ドドに血をあげないと……。
わたしはそんなことを考えながら、ベッドへと倒れこむ。酷く、疲れた。
「ドド、ヴィヴィーナが戻ってきたら起こして。少し、眠るわ」
「はい、シャシャ様」
ドドの返事を聞きながら、わたしは目を閉じた。
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