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☆酒好き追放聖女×俺様系伝説の吸血鬼
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質問の意図が伝わらなかったのか、シルムはきょとんとしている。
「……あっちの方が若くて、血が美味しいんじゃない? それに、一応彼女も聖女だし」
「いや? ……聖女の血なら前にも飲んだことがある。あれもあれで、類を見ないほどの極上の味だったが――今、オレが飲みたいのは、マシバの血だ」
え、と自分でも間抜けだと思うほど、気の抜けた声が自分の口から出た。
ずっと、シルムは聖女の血に夢中で、聖女の血ならば誰でもいいけれど、身近にわたししかいないから、わたしを選んでいるのだと思っていた。
「相性がいいのか知らんが、お前の血ほど、夢中になるものはないよ。――なんだ、照れているのか?」
にたにたと笑うシルム。頬が熱い。多分、わたしは、今までシルムに見せたことがないくらい、顔を赤くしているのだろう。
わたしは照れ隠しに、座ったまま、がっとシルムの胸倉を掴んで引き寄せた。
「じょ、上等じゃない、この仕事が終わったら、ひんひん泣かしてやるわよ」
もうイけない、と泣いて許しを乞われても、シルムの腰が駄目になって、精液が出なくなるまで搾り取ってやろうか、なんて考えていると、バタバタと険しい足音が聞こえてくる。
なんだ、と思っていると、今度はノックもなしにバンッ! と勢いよく扉が開かれる。
その先には、第二王子と聖花ちゃん、そして近衛兵の方々が。もうバレたのか。
「――男を連れ込むなんて、派手なことをするな、マシバ」
第二王子はご立腹だった。そりゃそうよ。
内心ではさっき以上に焦り、なんならもう服の下は嫌な汗でびっしょりなのだが、それを悟られないようにわたしは優雅に笑って見せる。パトリッチェ家で叩きこまれた教育が成果を見せている。
「あら王子。わたしはもう貴方の婚約者じゃないから自由にしてもいいでしょう?」
「マシバ、ここがどこか分かっているのか? 王城だぞ。その男の身元が分からない以上、見逃すわけにはいかない」
ごもっともである。正論過ぎて反論が出てこない。
でも、ノアト王国内で処理出来なかった問題を解決するためにわたしは今ここにいるのだ。下手に出る必要はない。……はず。
「……王子。ここは王城なのでしょう? 王城では客人の部屋を許可もなく開けるのが常識なのかしら」
反論が出来ないので、論点をずらそうと試みたが、「不審者がいると報告を受けた場合は開けることもある」と言い返されて閉まった。駄目だ、こっちが完全に悪いので、何を言っても簡単に言いくるめられてしまう。
「ご、ごめんなさい、先代様。あたし、誤魔化しきれなくて……」
このタイミングで謝るなんて、本当に聖花ちゃんは悪いと思っているのだろうか。わざとなら腹が立つし、本気の謝罪なら救いようがない。タイミング的に、すぐ告げ口したんじゃないの、と責めたくなる。
「セイカ、君が謝る必要はない。君は何も悪くないのだからね」
第二王子によるフォロー。
元をたどれば確かに忍び込んだシルムに問題があるものの、彼女がわたしの返事を待たずに扉を開けなければバレなかったはずなのだ。
それなのに、目の前でそんなやりとりをされると普通にふつふつと、苛立ちがわいてくる。
どう言ってこの場を納めたものかな、と考えていると、王子が声を荒げた。
「マシバ、君は他国のスパイにでもなったのか!? あんな金額を吹っ掛けて、他者を王城に招き入れて……!」
――いや、流石に話がぶっ飛びすぎだろ。とは思うけれど、確かに行動だけ見れば、そう言われても仕方がない。
相場よりもずっとぼったくりな金額を吹っ掛けた自覚はある。でも、仕事量が想像以上に多かったので、むしろ適正では? と思うのだが、シルムを招き入れる結果になった件については、弁明のしようもない。
シルムも、こんな騒ぎを起こすために来たわけじゃないだろうが、タイミングが悪すぎる。
他国のスパイ、という言葉に、近衛兵たちがざわつき始める。
「近衛兵! マシバを捕らえろ!」
その言葉に、ザッと近衛兵が動いた。
命令を下した王子の顔を見て――わたしは察した。
これは、仕組まれたことだったのだ、と。
聖花ちゃんの表情を見るに、彼女がこの計画に参加しているのかは分からない。でも、わたしに途中で難癖をつけて、捕らえる、というたくらみがあったのだろう。
だから、あんなにも移動時間で寝るようなスケジュールになるほど、仕事の現場が転々としていたのか。
このように各地を巡回してくれ、と渡された資料は、どうにも効率の悪い順番だった。もっと考えて回ればいいのに、と思わなかったわけじゃないが、でも緊急度とかもあるし、と黙ってその指示に従ったが――今思えばわたしにケチをつけるためのものだったのかもしれない。
適正な順番でなく、操作された順番。
そのせいで、治癒や救助が間に合わなかった人間を作り出し、難癖をつけ――わたしにさらに仕事を押し付け、なんなら、監禁する予定もあったかもしれない。
今、そして今後のこの国の状況を考えれば、わたし一人を捕まえるのに、数人の国民の命など軽い、と、そう判断したのか。
――ここに来たのは、本当に失敗だった。
この間、ジェスに見つかったときとは違い、完全に囲まれたわけじゃない。シルムがやってきたバルコニーがある。
とはいえ、ここから飛び降りて逃げ切れるか? 下に人が呼ばれていたら、飛び降り損だ。骨折してしまったら、いくら聖女の力をもってしても、一瞬で治るわけじゃない。最低でも数分はかかるし、その間に捕まってしまうだろう。
シルムだけでも逃がすか、と考えていると、ふわっと体が浮いた。
「聖女に随分な扱いだ。人間とは、愚かなものだな」
「シルム……」
シルムが、わたしを抱きかかえていた。
「帰るか、マシバ」
言葉はわたしに問うようなものなのに、声音は決定事項を話すようだった。
「――帰れるの?」
わたしは思わず聞いてしまった。いくら王城に忍び込んだとはいえ、近衛兵に見つかって囲まれては、どう逃げるというのか。
流石に無理では? わたしがジェスに見つかったときも、結局逃げ切れなかったわけだし。
しかし、シルムは自信に満ち溢れた表情をしていた。
「愚問だな、なんの問題もない」
その言葉に反応したのは、王子だった。
「我が国の近衛兵が貴様一人に劣ると言うのか!?」
声を荒げるその姿に、かつて感じていた品の良さはない。
わたしを捕まえてどうこうしようというたくらみの可能性に気が付いてしまったからか、わたしを政治の道具として利用し、私腹を肥やそうとしていた政治家共と同じようにしか見えなくなってしまった。
そんな王子に飄々とした態度で、「夜は吸血鬼の時間だぞ?」と笑うシルムの方が――格好いいくらいだ。
近衛兵がわたしたちを囲むが、すぐには手を出してこなかった。わたしを捕らえたいが、実力が不明なシルムに抱きかかえられているので、どう出るか迷っているのだろう。
「――帰る」
わたしは、ぽつりと呟いた。もう、お金なんてどうでもいい。いや、ここまで来たら、提示した払ってもらえすらしないだろう。捕らえられたら、幽閉されてそれでいい様に使われて終わりだ。
でも、王子はきっと、聖花ちゃんをこの国の聖女として立たせるはず。だって、既にわたしを『退職』させたのだから。今更、代替わりを再度させられるわけがない。しかも、わたしでも聖花ちゃんでもない、別の誰かならまだしも、先代であるわたし戻す、なんて。
どれだけ頑張っても成果を認めてもらえず、なかったことになって、他人の結果として残るなんて――そんなの、馬鹿馬鹿しすぎる。
「……ううん、もっと、遠くに行こうかな。あの国みたいなところ、他に知らない?」
わたしは小さな声で、シルムに問う。
この国から遠くて、それなりに平和で治安がよく、ご飯が美味しい国。あの国も過ごしやすかったが、もし、似たような国があるなら、もうノアト王国に連れ戻されないくらい遠いところへ行きたい。
わたしの質問に、シルムは「北と南、どちらがいい?」と聞いてきた。選択肢をくれるほど、候補があるらしい。流石、旅人だ。
「うーん、北かな」
暑いのよりは寒い方が好きだ。後、暑い国は虫が多いし。
「なら、行先はドーンベルク公国だな。雪国だが、温泉が充実している。かなり遠くて、今のノアトじゃあ行けないだろうな。なにせノアトには、ドーンベルクの港に常時ある流氷に耐えるだけの船がない。……どうだ?」
わたしにだけ聞こえるような小声で、シルムが提案してくれる。
ノアト王国は、港が一つしかない。一つの都市しか海に面していないので、海兵の規模もびっくりするくらい小さいし、その一つの港にある船は、ほとんどが民間の漁船や貿易船だ。
仮に今から造船技術を外国から入手して船を建造してもかなりの時間を要するだろう。そう簡単にわたしを追ってこられないのは確かだ。
「いいわね、そこに行きたい」
「仰せのままに」
シルムがほほ笑む。
そして、シルムは駆け、勢いのまま、バルコニーから飛び降りた。
「――なっ、は、早く捕らえろ!」
王子の焦る声が背後から聞こえる。
「わ――!」
わたしが用意してもらった客室は、三階にある。しかも、王城の三階なので、一般的な建物の三階より、全然地面が遠い。王城は一階一階、天井が高いのだ。
そんなバルコニーからためらいなく飛び降りるので、流石に怖くなって、シルムにしがみつく。
「大丈夫だ、目を開けろ」
シルムの言葉に、わたしはそっと目を開ける。先ほどまでいた三階より、全然高い位置に飛んでいる。――でも、落ちる、という不安定さは全くなかった。
わたしを抱きかかえるシルムの背中から、蝙蝠のような形の大きな翼が生えていた。
――力のある、吸血鬼の証である翼。
本当に凄い吸血鬼だったんだ、と、今更ながら、わたしは思い知らされる。
下を見ると、バルコニーまで追ってきた王子と近衛兵が焦っているのがうっすらと見えた。
近接攻撃を想定している近衛兵は、皆、剣しか持ってきていない。勿論、弓も近衛兵には必須の技術だが、まさか城内に侵入した者を捕らえるのに、弓が必要になるとは思っていなかったのだろう。
今から準備したところ遅い。わたしたちは、既にバルコニーから手を伸ばしても届かないような位置に飛んでいた。ばさり、とシルムが翼を動かすたび、その高度はどんどんと上がっていき、もはや弓でも届かない場所まで来た。
「何か言い残すことは?」
シルムがいたずらっぽくささやく。
言い残すこと? そんなの決まってる。
「ざまーみろ! 二度帰ってこないし、関わらないから! 馬鹿王子ー!」
腹の底から叫んだ。相当な声量だったので、多分、王子や聖花ちゃん、近衛兵以外にも、城にいる人間に届いたかもしれない。夜中だから、寝ていたら聞こえないかもしれないけど。
「勝手に頑張れよー!」
最後にそう叫んですっきりした。二度と関わって欲しくないけど、別に滅んでほしいわけじゃない。正直、困っている姿にはざまあみろ、としか思わないけど。でも、ノアト王国に生きる人は、ほとんどがわたしの『退職』の事情を知らない人で、必死に毎日を生きている人ばかりなのだから。
王族や政治家は存分に困窮してもらってもいいんだけど。
叫んで一息つくと、シルムの翼に目が行ってしまう。
「貴方、飛べたのね」
シルムに聞くと、「夜はな」という言葉が返ってきた。ああ、確かに、昼間は一部の能力が制限されるんだっけ? これのことだったのか。
「――てっきり、翼のない、口だけの吸血鬼かと思っていたわ」
「翼を常に出していたところで、邪魔なだけだろう」
「……それもそうね」
わたしは思わず笑ってしまった。確かに、シルムの翼はかなり大きい。折りたためないわけではないだろうが、ないほうが身軽そうだ。
――シルムと飛ぶ夜空は、晴れ渡っていて、月と星がすごく綺麗だった。
さっきまではへろへろで疲れ切っているのに、興奮しているようで、かなり気が高ぶっている。わしゃわしゃと、犬を褒めるように、シルムの頭を撫でた。わたしを抱きかかえていて手がふさがっているから、甘んじてそれを受け入れているわけではない、というのは、彼の顔を見れば分かった。
「……流石に一度、どこかで休む? 本当は血を飲みに来たんでしょう? 長く飛べる?」
飛行は安定しているが、血を飲みに来たならお腹は減っているだろう。
「助けてくれたお礼。好きなだけ飲んでいいし――これから先も。わたしの血、たくさん飲ませてあげるわ」
ごくり、とシルムが唾を飲み込む音が聞こえた。
「……いいのか?」
月明りに照らされるシルムの顔は、ほんのりと赤く、瞳は欲が滲みでていた。
さっきまでの格好良さはどこへやら。随分と可愛らしい表情になっている。
――でも、こっちの方がシルムらしくて好きだ。
そんなことを思いながら、わたしは、「もちろん」とシルムのあご下を撫でた。
「……あっちの方が若くて、血が美味しいんじゃない? それに、一応彼女も聖女だし」
「いや? ……聖女の血なら前にも飲んだことがある。あれもあれで、類を見ないほどの極上の味だったが――今、オレが飲みたいのは、マシバの血だ」
え、と自分でも間抜けだと思うほど、気の抜けた声が自分の口から出た。
ずっと、シルムは聖女の血に夢中で、聖女の血ならば誰でもいいけれど、身近にわたししかいないから、わたしを選んでいるのだと思っていた。
「相性がいいのか知らんが、お前の血ほど、夢中になるものはないよ。――なんだ、照れているのか?」
にたにたと笑うシルム。頬が熱い。多分、わたしは、今までシルムに見せたことがないくらい、顔を赤くしているのだろう。
わたしは照れ隠しに、座ったまま、がっとシルムの胸倉を掴んで引き寄せた。
「じょ、上等じゃない、この仕事が終わったら、ひんひん泣かしてやるわよ」
もうイけない、と泣いて許しを乞われても、シルムの腰が駄目になって、精液が出なくなるまで搾り取ってやろうか、なんて考えていると、バタバタと険しい足音が聞こえてくる。
なんだ、と思っていると、今度はノックもなしにバンッ! と勢いよく扉が開かれる。
その先には、第二王子と聖花ちゃん、そして近衛兵の方々が。もうバレたのか。
「――男を連れ込むなんて、派手なことをするな、マシバ」
第二王子はご立腹だった。そりゃそうよ。
内心ではさっき以上に焦り、なんならもう服の下は嫌な汗でびっしょりなのだが、それを悟られないようにわたしは優雅に笑って見せる。パトリッチェ家で叩きこまれた教育が成果を見せている。
「あら王子。わたしはもう貴方の婚約者じゃないから自由にしてもいいでしょう?」
「マシバ、ここがどこか分かっているのか? 王城だぞ。その男の身元が分からない以上、見逃すわけにはいかない」
ごもっともである。正論過ぎて反論が出てこない。
でも、ノアト王国内で処理出来なかった問題を解決するためにわたしは今ここにいるのだ。下手に出る必要はない。……はず。
「……王子。ここは王城なのでしょう? 王城では客人の部屋を許可もなく開けるのが常識なのかしら」
反論が出来ないので、論点をずらそうと試みたが、「不審者がいると報告を受けた場合は開けることもある」と言い返されて閉まった。駄目だ、こっちが完全に悪いので、何を言っても簡単に言いくるめられてしまう。
「ご、ごめんなさい、先代様。あたし、誤魔化しきれなくて……」
このタイミングで謝るなんて、本当に聖花ちゃんは悪いと思っているのだろうか。わざとなら腹が立つし、本気の謝罪なら救いようがない。タイミング的に、すぐ告げ口したんじゃないの、と責めたくなる。
「セイカ、君が謝る必要はない。君は何も悪くないのだからね」
第二王子によるフォロー。
元をたどれば確かに忍び込んだシルムに問題があるものの、彼女がわたしの返事を待たずに扉を開けなければバレなかったはずなのだ。
それなのに、目の前でそんなやりとりをされると普通にふつふつと、苛立ちがわいてくる。
どう言ってこの場を納めたものかな、と考えていると、王子が声を荒げた。
「マシバ、君は他国のスパイにでもなったのか!? あんな金額を吹っ掛けて、他者を王城に招き入れて……!」
――いや、流石に話がぶっ飛びすぎだろ。とは思うけれど、確かに行動だけ見れば、そう言われても仕方がない。
相場よりもずっとぼったくりな金額を吹っ掛けた自覚はある。でも、仕事量が想像以上に多かったので、むしろ適正では? と思うのだが、シルムを招き入れる結果になった件については、弁明のしようもない。
シルムも、こんな騒ぎを起こすために来たわけじゃないだろうが、タイミングが悪すぎる。
他国のスパイ、という言葉に、近衛兵たちがざわつき始める。
「近衛兵! マシバを捕らえろ!」
その言葉に、ザッと近衛兵が動いた。
命令を下した王子の顔を見て――わたしは察した。
これは、仕組まれたことだったのだ、と。
聖花ちゃんの表情を見るに、彼女がこの計画に参加しているのかは分からない。でも、わたしに途中で難癖をつけて、捕らえる、というたくらみがあったのだろう。
だから、あんなにも移動時間で寝るようなスケジュールになるほど、仕事の現場が転々としていたのか。
このように各地を巡回してくれ、と渡された資料は、どうにも効率の悪い順番だった。もっと考えて回ればいいのに、と思わなかったわけじゃないが、でも緊急度とかもあるし、と黙ってその指示に従ったが――今思えばわたしにケチをつけるためのものだったのかもしれない。
適正な順番でなく、操作された順番。
そのせいで、治癒や救助が間に合わなかった人間を作り出し、難癖をつけ――わたしにさらに仕事を押し付け、なんなら、監禁する予定もあったかもしれない。
今、そして今後のこの国の状況を考えれば、わたし一人を捕まえるのに、数人の国民の命など軽い、と、そう判断したのか。
――ここに来たのは、本当に失敗だった。
この間、ジェスに見つかったときとは違い、完全に囲まれたわけじゃない。シルムがやってきたバルコニーがある。
とはいえ、ここから飛び降りて逃げ切れるか? 下に人が呼ばれていたら、飛び降り損だ。骨折してしまったら、いくら聖女の力をもってしても、一瞬で治るわけじゃない。最低でも数分はかかるし、その間に捕まってしまうだろう。
シルムだけでも逃がすか、と考えていると、ふわっと体が浮いた。
「聖女に随分な扱いだ。人間とは、愚かなものだな」
「シルム……」
シルムが、わたしを抱きかかえていた。
「帰るか、マシバ」
言葉はわたしに問うようなものなのに、声音は決定事項を話すようだった。
「――帰れるの?」
わたしは思わず聞いてしまった。いくら王城に忍び込んだとはいえ、近衛兵に見つかって囲まれては、どう逃げるというのか。
流石に無理では? わたしがジェスに見つかったときも、結局逃げ切れなかったわけだし。
しかし、シルムは自信に満ち溢れた表情をしていた。
「愚問だな、なんの問題もない」
その言葉に反応したのは、王子だった。
「我が国の近衛兵が貴様一人に劣ると言うのか!?」
声を荒げるその姿に、かつて感じていた品の良さはない。
わたしを捕まえてどうこうしようというたくらみの可能性に気が付いてしまったからか、わたしを政治の道具として利用し、私腹を肥やそうとしていた政治家共と同じようにしか見えなくなってしまった。
そんな王子に飄々とした態度で、「夜は吸血鬼の時間だぞ?」と笑うシルムの方が――格好いいくらいだ。
近衛兵がわたしたちを囲むが、すぐには手を出してこなかった。わたしを捕らえたいが、実力が不明なシルムに抱きかかえられているので、どう出るか迷っているのだろう。
「――帰る」
わたしは、ぽつりと呟いた。もう、お金なんてどうでもいい。いや、ここまで来たら、提示した払ってもらえすらしないだろう。捕らえられたら、幽閉されてそれでいい様に使われて終わりだ。
でも、王子はきっと、聖花ちゃんをこの国の聖女として立たせるはず。だって、既にわたしを『退職』させたのだから。今更、代替わりを再度させられるわけがない。しかも、わたしでも聖花ちゃんでもない、別の誰かならまだしも、先代であるわたし戻す、なんて。
どれだけ頑張っても成果を認めてもらえず、なかったことになって、他人の結果として残るなんて――そんなの、馬鹿馬鹿しすぎる。
「……ううん、もっと、遠くに行こうかな。あの国みたいなところ、他に知らない?」
わたしは小さな声で、シルムに問う。
この国から遠くて、それなりに平和で治安がよく、ご飯が美味しい国。あの国も過ごしやすかったが、もし、似たような国があるなら、もうノアト王国に連れ戻されないくらい遠いところへ行きたい。
わたしの質問に、シルムは「北と南、どちらがいい?」と聞いてきた。選択肢をくれるほど、候補があるらしい。流石、旅人だ。
「うーん、北かな」
暑いのよりは寒い方が好きだ。後、暑い国は虫が多いし。
「なら、行先はドーンベルク公国だな。雪国だが、温泉が充実している。かなり遠くて、今のノアトじゃあ行けないだろうな。なにせノアトには、ドーンベルクの港に常時ある流氷に耐えるだけの船がない。……どうだ?」
わたしにだけ聞こえるような小声で、シルムが提案してくれる。
ノアト王国は、港が一つしかない。一つの都市しか海に面していないので、海兵の規模もびっくりするくらい小さいし、その一つの港にある船は、ほとんどが民間の漁船や貿易船だ。
仮に今から造船技術を外国から入手して船を建造してもかなりの時間を要するだろう。そう簡単にわたしを追ってこられないのは確かだ。
「いいわね、そこに行きたい」
「仰せのままに」
シルムがほほ笑む。
そして、シルムは駆け、勢いのまま、バルコニーから飛び降りた。
「――なっ、は、早く捕らえろ!」
王子の焦る声が背後から聞こえる。
「わ――!」
わたしが用意してもらった客室は、三階にある。しかも、王城の三階なので、一般的な建物の三階より、全然地面が遠い。王城は一階一階、天井が高いのだ。
そんなバルコニーからためらいなく飛び降りるので、流石に怖くなって、シルムにしがみつく。
「大丈夫だ、目を開けろ」
シルムの言葉に、わたしはそっと目を開ける。先ほどまでいた三階より、全然高い位置に飛んでいる。――でも、落ちる、という不安定さは全くなかった。
わたしを抱きかかえるシルムの背中から、蝙蝠のような形の大きな翼が生えていた。
――力のある、吸血鬼の証である翼。
本当に凄い吸血鬼だったんだ、と、今更ながら、わたしは思い知らされる。
下を見ると、バルコニーまで追ってきた王子と近衛兵が焦っているのがうっすらと見えた。
近接攻撃を想定している近衛兵は、皆、剣しか持ってきていない。勿論、弓も近衛兵には必須の技術だが、まさか城内に侵入した者を捕らえるのに、弓が必要になるとは思っていなかったのだろう。
今から準備したところ遅い。わたしたちは、既にバルコニーから手を伸ばしても届かないような位置に飛んでいた。ばさり、とシルムが翼を動かすたび、その高度はどんどんと上がっていき、もはや弓でも届かない場所まで来た。
「何か言い残すことは?」
シルムがいたずらっぽくささやく。
言い残すこと? そんなの決まってる。
「ざまーみろ! 二度帰ってこないし、関わらないから! 馬鹿王子ー!」
腹の底から叫んだ。相当な声量だったので、多分、王子や聖花ちゃん、近衛兵以外にも、城にいる人間に届いたかもしれない。夜中だから、寝ていたら聞こえないかもしれないけど。
「勝手に頑張れよー!」
最後にそう叫んですっきりした。二度と関わって欲しくないけど、別に滅んでほしいわけじゃない。正直、困っている姿にはざまあみろ、としか思わないけど。でも、ノアト王国に生きる人は、ほとんどがわたしの『退職』の事情を知らない人で、必死に毎日を生きている人ばかりなのだから。
王族や政治家は存分に困窮してもらってもいいんだけど。
叫んで一息つくと、シルムの翼に目が行ってしまう。
「貴方、飛べたのね」
シルムに聞くと、「夜はな」という言葉が返ってきた。ああ、確かに、昼間は一部の能力が制限されるんだっけ? これのことだったのか。
「――てっきり、翼のない、口だけの吸血鬼かと思っていたわ」
「翼を常に出していたところで、邪魔なだけだろう」
「……それもそうね」
わたしは思わず笑ってしまった。確かに、シルムの翼はかなり大きい。折りたためないわけではないだろうが、ないほうが身軽そうだ。
――シルムと飛ぶ夜空は、晴れ渡っていて、月と星がすごく綺麗だった。
さっきまではへろへろで疲れ切っているのに、興奮しているようで、かなり気が高ぶっている。わしゃわしゃと、犬を褒めるように、シルムの頭を撫でた。わたしを抱きかかえていて手がふさがっているから、甘んじてそれを受け入れているわけではない、というのは、彼の顔を見れば分かった。
「……流石に一度、どこかで休む? 本当は血を飲みに来たんでしょう? 長く飛べる?」
飛行は安定しているが、血を飲みに来たならお腹は減っているだろう。
「助けてくれたお礼。好きなだけ飲んでいいし――これから先も。わたしの血、たくさん飲ませてあげるわ」
ごくり、とシルムが唾を飲み込む音が聞こえた。
「……いいのか?」
月明りに照らされるシルムの顔は、ほんのりと赤く、瞳は欲が滲みでていた。
さっきまでの格好良さはどこへやら。随分と可愛らしい表情になっている。
――でも、こっちの方がシルムらしくて好きだ。
そんなことを思いながら、わたしは、「もちろん」とシルムのあご下を撫でた。
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