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「ひ――」

 身をよじれど、球体の中では逃げ場もない。そのまま引きずり出されるか、と思ったのだが、逆だった。誰かが球体の中へと入ってきたのだ。

『――あんた! 魔術が使えるのか!?』

 入ってきたのは一人の青年。暗くくすんだ緑の髪と茶色の瞳。髪は束ねている、というよりも、髪留めが引っかかっているといったほうがいいほうなくずれっぷりだった。水中で動いたのなら、仕方のないことだが。

「こ、殺さないで――」

 わたしはそうこぼす。青年の言葉が頭に入ってこない。エンティパイアで使われる言葉ではない。外国の言葉を学ぼうとした時期もあったが、いかんせん帝国外の情報は入りにくい。
 かつて海にまだ魔物がはびこっていなかった時代に入ってきた、古いものしかわからない。
 青年は言葉を繰り返すが、わたしには分からない。言葉でなく、鳴き声なのか、と思うほど、まったく認識できない。

『話す、知らない。分からない。理解、無理』

 わたしは貴方の言葉が分からない。そう、伝えようとして、わたしは必死に、エンティパイアで使われる、エンティ語以外の言葉を思いつく限り並べる。
 自分でも恥ずかしくなるくらい拙い発音だったが、そのうちの一つが、彼にもわかる言語だったらしい。ようやく彼に伝わったようだ。

『転移、を、する、のは、可能、か?』

 ゆっくりと、青年が聞き取りやすいよう言葉を切りながら話してくれた。
 ここから逃げるために、転移魔術を使ってほしい、と言うことだろうか。
 わたしはゆるく、首を横に振った。

『えんてぃぱいあ、帰る、できない』

 わたしが使える転移魔術は、何度も訪れたことのある場所へ移動するものだけだ。
 もう二度とエンティパイア帝国の領土に足を踏み入れることができないわたしには使えない。帰る場所がないのだから。
 すると、青年が首から下げていたそっけない首飾りを渡してきた。緋色の石に穴をあけ、ひもを通しただけのもの。石は綺麗に割られ、下半分がない。
 押し付けるようにしてこちらへ渡してくるので、わたしは思わずそれを受けとった。
 じっくりと観察してみると、それは転移石だった。緋色の物は珍しいが、間違いない。
 転移石は人工の術石の一つで、半分にして使うもの。半分を持っていると、もう片方の場所へと移動できる。
 確かにこれならわたしでも使えて、知らない場所へも転移できるが……。

『えんてぃぱいあ?』

 一応、転移先を聞いておく。
 青年は首を横に振った。

『らんすべるひ』

 そう答えられた地名に、心当たりがない。エンティパイアに属する国名ではないことは分るが、国よりもさらに細かい地名は流石にすべて覚えているわけではない。

『らんすべるひ、は、島。国、とは、違う』

 ――国じゃない? 島……というならば、エンティパイアから半日で行けると噂のあの島か?
 晴れた日に、エンティパイアの中心地、帝中都から見える、傘下国でない、小さな小島を見ることが出来る。多分、それのことを指しているのだろう。
 わたしは意を決し、右手で転移石を握りしめ、左手で青年に抱きつく。転移石は、発動者と、その者が触れているものしか飛ばすことが出来ないのだ。
 わたしと青年の間に挟み込むようにして鞄を入れることを忘れない。青年はたじろいだが、わたしは構わず詠唱をする。

「英知を預けし者よ、先人様、先人様。我が身を共に、我が物を傍に――先人様」

 ふ、と転移石が熱を持つ。火傷しそうなほど熱いが、手放してはならない。そして、ぱ、と光ったかと思うと、急激に熱が引いていく。まぶしさにつむった目を開けば、そこはもう暗い海の中ではなかった。
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