あたたかい墓標

匠野ワカ

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あたたかい墓標

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 私のマスターは天才でした。

 しかし、天才すぎるがゆえに実の親でさえマスターを理解できず、存在を持てあましたのです。マスターは最期まで世界に馴染めなかった孤独な人でした。

 それでも心優しいマスターは、人のためにその叡智を分け与え、尽くし、心を砕きました。
 マスターは世界が滅亡に向かっているという明白な事実を訴え、それを回避する手段を模索し、ひたすら研究を重ねたのです。

 しかしマスターを取りまく世界は残酷でした。
 世間は死への恐怖からマスターを狂人として嘲り、迫害したのです。マスターの必死の訴えに耳を傾ける人は、一人もいませんでした。人々からは石を投げられ、投獄され、拷問にも似た取り調べを受けました。
 その結果、でたらめを吹聴し民の不安を煽ったといういわれなき罪として、舌を切り落とされたのです。

 マスターは失意の中、星を出ました。
 人を救うために準備していた船に、できうる限りの生き物や植物をのせ、一人孤独な宇宙へと逃げたのです。
 マスターが宇宙から見た生まれ故郷は、美しく、儚く、悲しい記憶として今も残っています。


 マスターは長い宇宙の旅のすえ、ある星に到着しました。まだ生まれたばかりの小さな星です。知的生命体はおらず、マスターが生きていくのに最適な星でした。
 マスターはさっそく連れてきた動物を放ち、植物を育てることにしました。
 天才であるマスターにとって、生きていくのに苦労するようなことは何一つありません。平和な時間が過ぎていきました。
 しかし、平和であればあるほどマスターの孤独は大きく膨れ上がり、ある日ついに耐えきれなくなってしまったのです。
 こうしてマスターは、一つの人工生命体を造りだしてしまいました。

 そう、私はマスターの心の安寧のために造られた人工生命体なのです。マスターと対等な会話ができるように、高い知能を与えられ、感情を持つホムンクルス。

 私は、私という存在に誇りを持っています。
 それでもマスターは私を哀れみます。
 マスターはそう遠くない未来に自分の寿命が尽きることを理解し、寂しさに負けて命を弄んでしまったと後悔していたのです。
 心優しいマスターは、私を処分することなく、名前を与えてくれました。誰にも呼ばれることのない名前ですが、私のマスターが、他でもない私のためだけに贈ってくれた名前です。
 私の一番の宝物になりました。

 私はマスターの声を知りません。マスターには、舌がないのですから。
 マスターほどの天才であれば、失った舌を再構築することなど容易いことでしょう。それでも見殺しにしてしまったたくさんの命を忘れないために、マスターは罰を甘んじて受け入れていたのです。

 私は理解に苦しみました。それでもマスターの気持ちを尊重し、寄りそい続けました。

 私は一人になると、私の名前を呟きます。マスターに名前を呼んで貰えたらと想像しながら、壁に向かって名前を呟き、一人で返事をします。
 マスターの名前を呼ぶことは禁止されていましたので、私にとって、それが唯一の喜びなのでした。

 マスターは最期まで後悔していました。生まれ故郷の星から逃げ出さず、人として、その他大勢の愚かな人と一緒に死ぬべきであったと。
 そんなマスターの目には、私という存在が罪のあかしのように映っていたのです。

 私を見ると、マスターは罪の意識に苦しみます。しかし私がいないのも寂しい。マスターの揺れ動く心はまさに人そのものでした。
 私はマスターの弱さを愛しく思わずにはいられません。マスターが少しでも苦しまずにすむように、近寄りすぎず、離れすぎず、適切な距離というものをひたすらに模索しました。

 そうして不幸せな人生を歩んだ心優しいマスターは、静かに天寿を全うしたのでした。

 酷い人です。
 私のことを愛していたくせに、最期まで指先一つ触れてはくださらなかった。
 日が暮れて、布団の中で目を閉じて、それっきり。私を呼ぶことなく、うめき声一つあげずに旅立ってしまわれた。看取らせてもくださらなかった。
 私に動植物のさらなる育成を命じ、マスターを追いかけることすら禁止して。

 それでも許してさしあげます。愛しいマスター。
 私は手のひらの中の小さな命に向かって、微笑みます。

 優しく善良なマスターは、マスターの命に関して、私に禁止することなど思いつきもしなかったようです。
 私はマスターに似ず、良識など持ち合わせていませんので、少しの躊躇いも感じることはありませんでした。マスターの知識を受け継ぎ、マスターに匹敵する知能を誇る私です。不可能なことなどなにもありません。
 私はマスターの脳をいじり、マスターのすべての記憶を取りだし、新しい命として生まれ変わらせる計画を実行に移しました。
 この日のために、ずっと準備をしていたのです。失敗などするはずもありません。

 ――手の中に感じるあたたかさ。頼りなくも確かな鼓動。私は愛するマスターを手に入れた事実に、喜び震えました。

「私の名前はアダーム。アダームですよ。いい名前でしょう。マスターの名前は……ハヴァ、にしましょうか。ふふふ。はやく大きくなって、返事をしてくださいね。愛しいハヴァ」

 ああ。ここは、あたたかな墓標を称える楽園にちがいありません。
 私とマスター、二人だけの楽園なのです。

(おしまい)
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