1 / 1
あたたかい墓標
しおりを挟む私のマスターは天才でした。
しかし、天才すぎるがゆえに実の親でさえマスターを理解できず、存在を持てあましたのです。マスターは最期まで世界に馴染めなかった孤独な人でした。
それでも心優しいマスターは、人のためにその叡智を分け与え、尽くし、心を砕きました。
マスターは世界が滅亡に向かっているという明白な事実を訴え、それを回避する手段を模索し、ひたすら研究を重ねたのです。
しかしマスターを取りまく世界は残酷でした。
世間は死への恐怖からマスターを狂人として嘲り、迫害したのです。マスターの必死の訴えに耳を傾ける人は、一人もいませんでした。人々からは石を投げられ、投獄され、拷問にも似た取り調べを受けました。
その結果、でたらめを吹聴し民の不安を煽ったといういわれなき罪として、舌を切り落とされたのです。
マスターは失意の中、星を出ました。
人を救うために準備していた船に、できうる限りの生き物や植物をのせ、一人孤独な宇宙へと逃げたのです。
マスターが宇宙から見た生まれ故郷は、美しく、儚く、悲しい記憶として今も残っています。
マスターは長い宇宙の旅のすえ、ある星に到着しました。まだ生まれたばかりの小さな星です。知的生命体はおらず、マスターが生きていくのに最適な星でした。
マスターはさっそく連れてきた動物を放ち、植物を育てることにしました。
天才であるマスターにとって、生きていくのに苦労するようなことは何一つありません。平和な時間が過ぎていきました。
しかし、平和であればあるほどマスターの孤独は大きく膨れ上がり、ある日ついに耐えきれなくなってしまったのです。
こうしてマスターは、一つの人工生命体を造りだしてしまいました。
そう、私はマスターの心の安寧のために造られた人工生命体なのです。マスターと対等な会話ができるように、高い知能を与えられ、感情を持つホムンクルス。
私は、私という存在に誇りを持っています。
それでもマスターは私を哀れみます。
マスターはそう遠くない未来に自分の寿命が尽きることを理解し、寂しさに負けて命を弄んでしまったと後悔していたのです。
心優しいマスターは、私を処分することなく、名前を与えてくれました。誰にも呼ばれることのない名前ですが、私のマスターが、他でもない私のためだけに贈ってくれた名前です。
私の一番の宝物になりました。
私はマスターの声を知りません。マスターには、舌がないのですから。
マスターほどの天才であれば、失った舌を再構築することなど容易いことでしょう。それでも見殺しにしてしまったたくさんの命を忘れないために、マスターは罰を甘んじて受け入れていたのです。
私は理解に苦しみました。それでもマスターの気持ちを尊重し、寄りそい続けました。
私は一人になると、私の名前を呟きます。マスターに名前を呼んで貰えたらと想像しながら、壁に向かって名前を呟き、一人で返事をします。
マスターの名前を呼ぶことは禁止されていましたので、私にとって、それが唯一の喜びなのでした。
マスターは最期まで後悔していました。生まれ故郷の星から逃げ出さず、人として、その他大勢の愚かな人と一緒に死ぬべきであったと。
そんなマスターの目には、私という存在が罪のあかしのように映っていたのです。
私を見ると、マスターは罪の意識に苦しみます。しかし私がいないのも寂しい。マスターの揺れ動く心はまさに人そのものでした。
私はマスターの弱さを愛しく思わずにはいられません。マスターが少しでも苦しまずにすむように、近寄りすぎず、離れすぎず、適切な距離というものをひたすらに模索しました。
そうして不幸せな人生を歩んだ心優しいマスターは、静かに天寿を全うしたのでした。
酷い人です。
私のことを愛していたくせに、最期まで指先一つ触れてはくださらなかった。
日が暮れて、布団の中で目を閉じて、それっきり。私を呼ぶことなく、うめき声一つあげずに旅立ってしまわれた。看取らせてもくださらなかった。
私に動植物のさらなる育成を命じ、マスターを追いかけることすら禁止して。
それでも許してさしあげます。愛しいマスター。
私は手のひらの中の小さな命に向かって、微笑みます。
優しく善良なマスターは、マスターの命に関して、私に禁止することなど思いつきもしなかったようです。
私はマスターに似ず、良識など持ち合わせていませんので、少しの躊躇いも感じることはありませんでした。マスターの知識を受け継ぎ、マスターに匹敵する知能を誇る私です。不可能なことなどなにもありません。
私はマスターの脳をいじり、マスターのすべての記憶を取りだし、新しい命として生まれ変わらせる計画を実行に移しました。
この日のために、ずっと準備をしていたのです。失敗などするはずもありません。
――手の中に感じるあたたかさ。頼りなくも確かな鼓動。私は愛するマスターを手に入れた事実に、喜び震えました。
「私の名前はアダーム。アダームですよ。いい名前でしょう。マスターの名前は……ハヴァ、にしましょうか。ふふふ。はやく大きくなって、返事をしてくださいね。愛しいハヴァ」
ああ。ここは、あたたかな墓標を称える楽園にちがいありません。
私とマスター、二人だけの楽園なのです。
(おしまい)
0
お気に入りに追加
6
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
宇宙を渡る声 大地に満ちる歌
広海智
SF
九年前にUPOと呼ばれる病原体が発生し、一年間封鎖されて多くの死者を出した惑星サン・マルティン。その地表を移動する基地に勤務する二十一歳の石一信(ソク・イルシン)は、親友で同じ部隊のヴァシリとともに、精神感応科兵が赴任してくることを噂で聞く。精神感応科兵を嫌うイルシンがぼやいているところへ現れた十五歳の葛木夕(カヅラキ・ユウ)は、その精神感応科兵で、しかもサン・マルティン封鎖を生き延びた過去を持っていた。ユウが赴任してきたのは、基地に出る「幽霊」対策であった。
【完結】Transmigration『敵陣のトイレで愛を綴る〜生まれ変わっても永遠の愛を誓う』
すんも
SF
主人公の久野は、あることをきっかけに、他人の意識に潜る能力を覚醒する。
意識不明の光智の意識に潜り、現実に引き戻すのだが、光智は突然失踪してしまう。
光智の娘の晴夏と、光智の失踪の原因を探って行くうちに、人類の存亡が掛かった事件へと巻き込まれていく。
舞台は月へ…… 火星へ…… 本能寺の変の隠された真実、そして未来へと…… 現在、過去、未来が一つの線で繋がる時……
【テーマ】
見る方向によって善と悪は入れ替わる?相手の立場にたって考えることも大事よなぁーといったテーマでしたが、本人が読んでもそーいったことは全く読みとれん…
まぁーそんなテーマをこの稚拙な文章から読みとって頂くのは難しいと思いますが、何となくでも感じとって頂ければと思います。
暑苦しい方程式
空川億里
SF
すでにアルファポリスに掲載中の『クールな方程式』に引き続き、再び『方程式物』を書かせていただきました。
アメリカのSF作家トム・ゴドウィンの短編小説に『冷たい方程式』という作品があります。
これに着想を得て『方程式物』と呼ばれるSF作品のバリエーションが数多く書かれてきました。
以前私も微力ながら挑戦し『クールな方程式』を書きました。今回は2度目の挑戦です。
舞台は22世紀の宇宙。ぎりぎりの燃料しか積んでいない緊急艇に密航者がいました。
この密航者を宇宙空間に遺棄しないと緊急艇は目的地の惑星で墜落しかねないのですが……。
古代日本文学ゼミナール
morituna
SF
与謝郡伊根町の宇良島神社に着くと、筒川嶼子(つつかわのしまこ)が、海中の嶋の高殿から帰る際に、
龜比賣(かめひめ)からもらったとされる玉手箱を、住職が見せてくれた。
住職は、『玉手箱に触るのは、駄目ですが、写真や動画は、自由に撮って下さい』
と言った。
俺は、1眼レフカメラのレンズをマクロレンズに取り替え、フラッシュを作動させて、玉手箱の外側および内部を、至近距離で撮影した。
すると、突然、玉手箱の内部から白い煙が立ち上り、俺の顔に掛かった。
白い煙を吸って、俺は、気を失った。
サイバーパンクの日常
いのうえもろ
SF
サイバーパンクな世界の日常を書いています。
派手なアクションもどんでん返しもない、サイバーパンクな世界ならではの日常。
楽しめたところがあったら、感想お願いします。
DOLL GAME
琴葉悠
SF
時は新暦806年。
人類の住処が地球外へも広がり、火星、木星、金星……様々な惑星が地球人の新たな居住地となっていた。
人々は平和を享受していたが、やがてその平和も終わりをつげ新たな戦争の時代に入った。
「代理戦争」。自らが行うのではなく、他者に行わせる戦争だった。
そしてその戦争の中で、新たな兵器が生み出された。
「DOLL」。大型特殊兵器であった。
人間の姿をモデルに作られた「DOLL」は、今までの陸上兵器とも、水上兵器とも、飛行兵器とも違う、画期的な兵器だった。
戦争は「DOLL」を使った戦争へと変化した。
戦争が表面上終結しても、「DOLL」はその存在を求められ続けた。
戦争により表面化した組織による抗争、平和を享受してきた故に求めていた「争い」への興奮。戦いは幾度も繰り返される、何度も、尽きることなく。
人々は「DOLL」同士を戦わせ、それを見ることに熱中した。
その戦いは「DOLLGAME」と呼ばれ、大昔のコロシアムでの戦いを想像させる試合であった。勝敗は簡単、相手の「DOLL」を戦闘不能にすれば勝ち。
その「DOLL」を操縦するものは「人形師」と呼ばれ、人々の欲望の代理人として戦っていた。
「人形師」になる理由は人それぞれで、名誉、金、暇つぶし等が主だった。
その「人形師」の中で、自らの正体を隠す「人形師」がいた。
パイロットスーツに身を包み、顔を隠し、黙々と試合を行い、依頼をこなす。
そんな「人形師」を人々は皮肉にこう呼んだ。
「マリオネット」と。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる