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13. 嵐の午後
しおりを挟む潮の流れに乗って順調に進んでいた航海の七日目。
その日は朝から雨が降り、徐々に波が高くなっていた。
リューイが乗っていた船は大きく、それまで揺れを苦痛に思ったことはなかったのだが、さすがに海が荒れると船の揺れも大きくなってくる。
本格的に降り始めた横殴りの雨と強い風、高波に視界不良、あらゆる不運が重なったのだろう。
天候の悪化に備え、船の乗客は食べられるうちにと早めの食事を済ませ、一息ついた午後のことだった。
突然船体が大きく揺れる衝撃に、ドーンと響くような異音。
ちょうど出入り口近くにいたリューイは、船底へと走る船員を見て、すぐに老夫婦の元へと走った。
「おじいさん、おばあさん、最低限の貴重品だけ持って、甲板に逃げましょう」
「あら、だって外は大荒れよ? 濡れてしまうわ」
「坊主は心配性だなぁ。こんなに大きな船だ。多少のことは大丈夫だよ」
「ちょっと様子を見に行くだけでいいんです。別に良いじゃないですか。ほら、ご老体ではいざというときに走れないでしょう? 心配なんです。予行練習だと思って僕につき合ってくださいませんか。ね? お願いします」
他の乗客たちは、不安そうにしながらも荷物を守るように座っている。
老夫婦は絶対に譲らないというリューイの様子を見て、仕方がないなと重い腰を上げてくれた。
何もなければそれでいい。
しかし万が一の場合、多数の乗客がひしめき合っている大部屋でパニックになって、一斉に出口へと殺到したら……。
想像しただけでゾッとする。
はたしてここの船員は、女性や子ども、ご高齢の方から順番に、そして安全に誘導できるのだろうか。
竜士がうるさく言っていた救命ボートは、船尾に数隻吊り下げられていたのをリューイはしっかり覚えていた。
ただどう考えても、この船の乗客すべてが乗れるような数ではなかったのだ。
揺れる船内を、リューイは老夫婦の手を取りながら、ゆっくりと階段を上っていった。
ようやくたどり着いた甲板に出る扉は、外から閉じられているようだった。
そうしている間にも、階下の騒ぎが大きくなってきている。
リューイがドアを叩いていると、若者が階段を駆け上ってきた。
「下の様子は!?」
「水が入ってきた! 早く開けろよ!」
「外から鍵がかかっているんです!」
こういう場合、値段の安い大部屋から水に浸かっていくのだ。
外に出られないままでは、沈没する前にパニックに巻き込まれて命を落とす人が出るだろう。
リューイが若者と力を合わせてなんとかドアを蹴破ると、甲板では救命ボートに荷物を運び込ませている貴族の姿が目に飛びこんできた。
「何をぐずぐずしているんだ! ええい、早くしないか! 私の荷物を一つでも無くしたら、お前たちの首が飛ぶと思え!」
太った成金風の中年男性は、自分ではまったく動かないまま、使用人や船員を怒鳴りつけている。
貴族が悠々と脱出するために、故意に扉の鍵を閉められていたのだ。そう理解したリューイは、カッとなって叫んだ。
「お前たちこそ何をしているんだ! 荷物など海に捨てろ! 一人でも多くの人を乗せなくてはいけないと分かっているだろう! 今すぐ女性や子ども、ご高齢の方から優先して案内して差し上げなさい!」
太った男性は、吹き荒れる雨風に少ない頭髪を乱しながら怒り狂った。
「平民風情が何をバカなことを! 高貴な我々と同じ船に乗るなど身の程知らずが! あの者を捕らえて船底に押し込んでおけ!」
「人の命より大切な物などあるわけがない! そもそも貴族とは弱き者を守る立場にある。帝国のため、ひいては帝国民のために尽くすのが貴族のあるべき姿だ! 誰よりも先に矢面に立ち、戦うために知識を学び、守るために鍛えるんじゃないのか!」
言い争う二人の間で、船員は迷ったようにうろうろするばかりだ。
「何を知ったような口を利きおって! 私を誰だと思っているのだ! 不敬罪で首をはねてしまえ! 私が許可をする!」
「このエイダン国において、不敬を働いたという理由で即時斬首刑を命令出来るのは、皇族のみです。身分詐称罪で投獄されたいのですか?
皆、よく聞け! この私、ブルーイット辺境伯領の正統なる後継者リューイが、責任を持って命じる! 一人でも多くの人を助けなさい! 力の弱い者から先に救命ボートへ! 救命胴衣が足りなければ、椅子でもドアでも何でもいいから、木製の物を用意するのです! さあ、急いで!」
誰もが一度は耳にしたことのある高位貴族の名前に、船員は弾かれたように動きだした。
リューイは甲板に逃げてきた人に向かって、大きな声で的確に指示を出していく。
「みなさん! 落ちついてください! 手荷物は海へ投げ捨てて、少しでも船を軽くしましょう! 大丈夫ですから落ちついて! 大きな船はすぐには沈みません! 時間はまだあります! 力を合わせて、みんなで乗り切りましょう!」
波にあおられながらも、船側から救命ボートを降ろしていく。
船の沈没に巻き込まれないように、離れたところで待機するよう指示を出した。
救命ボート同士を固定し、浮き輪で脱出した人も波にさらわれないようにそれぞれをロープで固く結んでいるようだ。
ひとまずの安全を確認したリューイは、船員と手分けして船内に取り残された人がいないか走って回った。
残された時間は少ないと誰もが分かっていた。
そんな中、一人の貴族女性が船内に戻ろうとしているのを発見したのは、リューイだった。
「一人で何をしているのですか!? お付きの者は?」
「こんな事になるとは思ってもいなかったので、大切な物を引き出しに忘れてきてしまったのです。高齢の乳母は先にボートに乗ってもらったのですけれど、気付いたら他の侍女まで誰もいなくなっておりましたの。でも、わたくしのことは大丈夫ですわ。あなた様は早くお逃げになって」
「命の方が大切です! 早く逃げましょう!」
「いいえ。取りに戻りたいのです。たった一つの、母の形見なのですから。……わたくし、貴族とは名ばかりで。この旅行が終わったら、祖父ほどの年齢の方に嫁ぐことが決まっておりますの。たった一つの大切な物を見捨ててまで、この命を守らなくてはいけないのでしょうか」
「ええ、守らなくてはいけません! よく聞いて下さい。あなたの形見は、私が取りに戻ります。ですから、あなたは何一つ諦めずに、すべてを手にして生きるのです!」
壁にかけられている浮き輪は、ロープで固定されていた。緊急用の浮き輪も、貴族フロアではオブジェの一つにされてしまうらしい。
リューイは持っていた小型ナイフで手早くロープを切ると、浮き輪を令嬢に手渡した。
「乳母の乗った救命ボートまで、死ぬ気で泳ぎなさい! いいですね!」
船はゆるやかに傾いていき、船内のあちこちで物が落ち、倒れていく。
すでに人の気配はなく、壊れていく音だけが船内に響いていた。
外からの光でかろうじて分かる部屋番号を手がかりに、リューイは令嬢の部屋に急いだ。
目的の部屋の扉は、船の傾きがひどくなったおかげで開いたままだった。
リューイは壁に手をつき足をかけ、なんとか傾いた部屋に入った。
令嬢が説明してくれた木製のサイドテーブルは、壁側にまで滑り落ちてきていた。
リューイはすぐさま引き出しを開けた。
そこに令嬢の大切なブローチを見つけ、リューイはほっとしながら手を伸ばした。
引き出しの中でブローチを握りしめたリューイの手が、不思議な力で吸い込まれていく。
リューイは驚きのあまり声を出すこともできず、頭からずるりと引き出しの中に飲み込まれていった。
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