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「やっと見つけたぞ! リディス!!」
その声は二度と聞くことはないと思っていた。
五年間夫婦として寄り添いながら、私を裏切った男。けれど確かに私はかつて彼を愛していたから、完全に未練がないかと言われれば嘘になる。
けれどそれ以上に裏切られたことに対する怒りと悲しみが大きかった。
だからこそ彼と離縁し、涙と共に全てを流して前向きに進もうとしている。過去は過去として受け入れ、自分のために生きようと決めたところだったのに。
「なんで貴方がここにいるのかしら。レンヴォルト」
関係を全て白紙に戻し、新たな道を歩もうと進んでいる時に。貴方はなぜ、私の邪魔ばかりするの。
心の底からの冷たい視線と共にそう吐き捨てた私を見て、レンヴォルトは一瞬驚いたように目を見張る。
しかし、彼が私の気持ちを察することはなかった。
「エオリア侯爵邸の前で馬車に乗り込むお前を見て追ってきたんだ。そんなことは今はどうでもいい。それより、あれは一体どういうつもりだ!?」
怒りの形相で怒鳴るレンヴォルト。
それだけで彼がなんの用事で私の元へ来たかを察してしまった。一体貴方はどれだけ私を失望させれば気が済むのだろう。
今、この瞬間から完全に彼への気持ちは冷めてしまった。心からの軽蔑の感情を視線にのせて、私は彼の詰問をはぐらかす。
「あれ、とはなんのことかしら。話がさっぱり分からないわ」
「とぼけるな!」
距離を詰めるためにこちらに歩いてきたレンヴォルトに、私は後退した。それは私の無意識の拒絶の行動。
レンヴォルトはそんなこちらの様子を見て、さらに苛立ちをあらわにする。
「エオリア家からの支援を全て打ち切るとはどういうことだ!?」
「何かおかしい? 元々ハンス家への援助は私と結婚する時の条件だったのよ。離縁したら支援を打ち切るのは当然のことでしょう?」
「話が違うだろう! リズベットの出産だって控えているのに、お前は私たちに路頭に迷えというのか!」
「そんなこと私の知ったことではないわ。リズベットも侯爵令嬢なのだからフラウ家にでも援助を要請すればいいじゃない。彼女に相談すれば?」
「なっ……!!」
冷たく突っぱねる私にレンヴォルトが言葉を失う。
離縁を決意したあの日、私は直ぐ荷物をまとめてエオリア侯爵家に戻った。それから完全に離婚が成立するまで私は一度としてレンヴォルトと顔を合わせなかった。
父を代理人として離婚を成立させる時に私が要求したことはふたつ。
金輪際レンヴォルトとリズベットと関わらないこと。
そしてもうひとつはエオリア家が支援しているハンス家の事業への出資を止めること。
離縁するのだからこれくらいは当然の権利である。原因はあちらにあるので慰謝料を請求することもできたが、もう二度と関わりたくなかったのと一刻も早く離婚したかったため、慰謝料は請求していない。
いくらか持ち直したとはいえ、ハンス伯爵家はまだまだ経済的な余裕がない。たとえ慰謝料を請求したとしても貰える額は大したことがない。
エオリアの聖女という地位に着いている私はそれだけで安定した収入を得られている。一介の騎士でしかないレンヴォルトの収入と比べると天と地ほどの差があるのだ。
そんな訳で余裕綽々な態度を見せる私に、レンヴォルトはさらに的はずれな発言を連発する。
「妊娠中で不安定な彼女に金銭的な迷惑をかけられるわけないだろ!」
「…………はぁ?」
さすがに絶句する。開いた口が塞がらない。
つまりこの男は何か。リズベットが駄目で、私なら問題ないとでも言いたいのだろうか。
リズベットに負担をかけられないからって、元妻に金銭援助を迫るとは。
一体どんな神経をしているのだろう。
どんな生き方をしたらこんな図々しいにも程がある要求ができるのだろう。
しかもそれが当然と思っているのだから救いようがない。
「はぁ……あのねぇ、」
頭を抱えて溜息を着き、この馬鹿男に一から説明してやろうと口を開いた私の目の前に影が指す。
視線を上にあげると、そこには私を庇うように背にして立つユルドがいた。
「ユルド……?」
「俺に任せて」
今まで沈黙していた彼は私の方を見て小さくそう告げると対面を振り返った。
それに対しレンヴォルトはというと突然の乱入者を胡散臭そうに見つめている。
「なんだお前は? 今俺は大事な話をしてるんだ。邪魔するなら――」
「黙れ」
一言。ユルドはただそれだけを告げると、地を蹴った。刹那の瞬間に距離を詰めた彼は、鞘から抜いた剣を未だ固まったままのレンヴォルトの首にあてがう。
「それ以上彼女を愚弄するならお前を斬るぞ」
その声音はどこまでも低く冷たいもので、剣を向けられていない私ですら背筋が凍るものだった。
その声は二度と聞くことはないと思っていた。
五年間夫婦として寄り添いながら、私を裏切った男。けれど確かに私はかつて彼を愛していたから、完全に未練がないかと言われれば嘘になる。
けれどそれ以上に裏切られたことに対する怒りと悲しみが大きかった。
だからこそ彼と離縁し、涙と共に全てを流して前向きに進もうとしている。過去は過去として受け入れ、自分のために生きようと決めたところだったのに。
「なんで貴方がここにいるのかしら。レンヴォルト」
関係を全て白紙に戻し、新たな道を歩もうと進んでいる時に。貴方はなぜ、私の邪魔ばかりするの。
心の底からの冷たい視線と共にそう吐き捨てた私を見て、レンヴォルトは一瞬驚いたように目を見張る。
しかし、彼が私の気持ちを察することはなかった。
「エオリア侯爵邸の前で馬車に乗り込むお前を見て追ってきたんだ。そんなことは今はどうでもいい。それより、あれは一体どういうつもりだ!?」
怒りの形相で怒鳴るレンヴォルト。
それだけで彼がなんの用事で私の元へ来たかを察してしまった。一体貴方はどれだけ私を失望させれば気が済むのだろう。
今、この瞬間から完全に彼への気持ちは冷めてしまった。心からの軽蔑の感情を視線にのせて、私は彼の詰問をはぐらかす。
「あれ、とはなんのことかしら。話がさっぱり分からないわ」
「とぼけるな!」
距離を詰めるためにこちらに歩いてきたレンヴォルトに、私は後退した。それは私の無意識の拒絶の行動。
レンヴォルトはそんなこちらの様子を見て、さらに苛立ちをあらわにする。
「エオリア家からの支援を全て打ち切るとはどういうことだ!?」
「何かおかしい? 元々ハンス家への援助は私と結婚する時の条件だったのよ。離縁したら支援を打ち切るのは当然のことでしょう?」
「話が違うだろう! リズベットの出産だって控えているのに、お前は私たちに路頭に迷えというのか!」
「そんなこと私の知ったことではないわ。リズベットも侯爵令嬢なのだからフラウ家にでも援助を要請すればいいじゃない。彼女に相談すれば?」
「なっ……!!」
冷たく突っぱねる私にレンヴォルトが言葉を失う。
離縁を決意したあの日、私は直ぐ荷物をまとめてエオリア侯爵家に戻った。それから完全に離婚が成立するまで私は一度としてレンヴォルトと顔を合わせなかった。
父を代理人として離婚を成立させる時に私が要求したことはふたつ。
金輪際レンヴォルトとリズベットと関わらないこと。
そしてもうひとつはエオリア家が支援しているハンス家の事業への出資を止めること。
離縁するのだからこれくらいは当然の権利である。原因はあちらにあるので慰謝料を請求することもできたが、もう二度と関わりたくなかったのと一刻も早く離婚したかったため、慰謝料は請求していない。
いくらか持ち直したとはいえ、ハンス伯爵家はまだまだ経済的な余裕がない。たとえ慰謝料を請求したとしても貰える額は大したことがない。
エオリアの聖女という地位に着いている私はそれだけで安定した収入を得られている。一介の騎士でしかないレンヴォルトの収入と比べると天と地ほどの差があるのだ。
そんな訳で余裕綽々な態度を見せる私に、レンヴォルトはさらに的はずれな発言を連発する。
「妊娠中で不安定な彼女に金銭的な迷惑をかけられるわけないだろ!」
「…………はぁ?」
さすがに絶句する。開いた口が塞がらない。
つまりこの男は何か。リズベットが駄目で、私なら問題ないとでも言いたいのだろうか。
リズベットに負担をかけられないからって、元妻に金銭援助を迫るとは。
一体どんな神経をしているのだろう。
どんな生き方をしたらこんな図々しいにも程がある要求ができるのだろう。
しかもそれが当然と思っているのだから救いようがない。
「はぁ……あのねぇ、」
頭を抱えて溜息を着き、この馬鹿男に一から説明してやろうと口を開いた私の目の前に影が指す。
視線を上にあげると、そこには私を庇うように背にして立つユルドがいた。
「ユルド……?」
「俺に任せて」
今まで沈黙していた彼は私の方を見て小さくそう告げると対面を振り返った。
それに対しレンヴォルトはというと突然の乱入者を胡散臭そうに見つめている。
「なんだお前は? 今俺は大事な話をしてるんだ。邪魔するなら――」
「黙れ」
一言。ユルドはただそれだけを告げると、地を蹴った。刹那の瞬間に距離を詰めた彼は、鞘から抜いた剣を未だ固まったままのレンヴォルトの首にあてがう。
「それ以上彼女を愚弄するならお前を斬るぞ」
その声音はどこまでも低く冷たいもので、剣を向けられていない私ですら背筋が凍るものだった。
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