8 / 14
※8 ユルド・シルクスの想い
しおりを挟む
「……変わってなかったな」
ユルドは今しがた出てきたエオリア侯爵邸を振り返り、ポツリと呟いた。
二週間前にちらりと覗いた彼女は、夕陽の差し込む窓際で美しい金の瞳から涙を零して泣いていた。
今回の件で誰よりも傷ついたはずの彼女は静かに嗚咽を漏らし、誰にも気づかれないよう声をあげずにひっそりと泣いていた。
誰よりも大事な彼女を泣かせた男が憎くて堪らない。誰よりも愛しい彼女をこうなるまで追い詰めた男へ怒りの感情が湧き上がる。
そして何より、今すぐにでも彼女の元へと駆けつけてその身を抱きしめたいのに、そうできない自分の歯がゆさに苛立った。
彼女とはたった四年間を共に過ごしただけの相手。それでも自分にとってそれはかけがえのない時間であり、彼女といた日々その全てが幸せなものだった。
忘れもしない十歳のあの日。ガチガチに緊張しながらエオリア侯爵邸にお世話になるため挨拶したその日、ユルドはまだ七歳だったリディスに出会った。
一目見た時から好きだった。
父であるエオリア侯爵の足元に顔だけ出して隠れながらも、興味津々にその丸々とした金の瞳をこちらに向けたあの姿を見た時から、ユルドは彼女に心を奪われていた。
「あなた、ユルドっていうのね。ユルって呼んでいい?」
そう無邪気に笑って訊いたリディスがどれだけ自分にとって大切な存在へ変わったのか。
それを今更再確認させられて、ユルドはなんとも言えない気持ちになった。
だからこそ、彼女が離縁してくれたことはユルドにとってはまたとない好機でもあった。
「あんな男にリディスは相応しくない。リディスの隣に立つのは、俺だ」
誰にも渡さない。そのための努力は惜しまなかった。
これからも彼女の隣に居られるならなんだってするだろう。
ユルドはファルネラに帰国した後彼女に釣り合う男になろうと決めていた。次に再会した時、彼女に気持ちを打ち明けるためだ。
リディス・エオリアはリオース王国でも特別な存在。
治癒と再生の力を持つ『聖女』である彼女を娶るには彼女に相応しい地位についておく必要があったからだ。
そのためにユルドは騎士団に入って剣の腕を磨いてきたのだ。だからリディスが結婚したと聞かされた時、目の前が真っ暗になった。
五年前。ファルネラ国王陛下の直属近衛騎士団に抜擢された年だった。
国王陛下に名指しで近衛騎士団への入隊を許され、近衛騎士となった。ようやくリディスと再会を果たしてもいいのではないかと思い始めた時だった。
リオース王国の『聖女』が結婚したという噂はファルネラにまで届いた。
リディスの聖女としての人気はファルネラにも及んでいて誰もが彼女の結婚を祝福する中、ユルドだけが現実を受け入れられないでいた。
「リディスが、結婚……」
相手は伯爵家子息で、将来を有望視された騎士らしい。なんと皮肉な運命なのだろう。相手は奇しくも自分と同じ『騎士』だとは。
今まで自分が積み重ねてきたものの全てが崩れ落ちそうだった。リディスが他の男の手を取ったと考えただけで、気が狂いそうだった。彼女の笑顔も、その心も全て見知らぬ男のものになると考えただけで嫉妬した。
男に対する憎悪の気持ちすら湧いた。
しかし。
ユルドはそれら全てに耐えた。押し殺した。
なぜなら誰よりもリディスの幸せを願っていたからだ。
自分の気持ちを押し潰し、蓋をしてリディスの幸せを願う気持ちを選んだユルドはことさら稽古に励み、わずかその二年後に王国騎士団長の地位を得るまでに至った。
それから三年。ユルドが騎士団長としての仕事にも馴染み、幾分かの余裕が出てきた時、衝撃的な知らせがファルネラに舞い込んだ。
リオースの聖女が夫と離縁したという情報。
最初は信じられなかったがどうやら真実らしい。さすがに聖女の沽券に関わることなので詳しい詳細を知ることはできなかったが、ユルドにとってはそれだけで十分だった。
「リディス……!」
彼女が離縁を選んだのは、そうせざるを得ない何らかの理由があったからだろう。そこまでの決断を下すのにどういう経緯があったのかはまだ分からない。
けれどこれだけは言えた。今の彼女は誰のものでもなくなったということ。
「今度こそ……」
――今度こそ、俺が。彼女の隣に。
決して彼女を悲しませない。その顔を曇らせたりはしない。リディスが傷ついて涙を流すなら、自分はその涙ごと彼女を守る存在になろう。
そう強く決意し、ユルドは早速行動した。
ファルネラ国王陛下に呼びかけ、聖女を招く許可を得た。次にリオースに赴いて国王陛下に謁見し、聖女を連れ出す許可を得ると同時に彼女が休暇を取るという情報を得た。
そうして手筈を全て整えて、満を持してユルドはリディスの前に現れたのだった。
「絶対に失敗できない」
この旅行の終わりにリディスに告白すると、ユルドはそう決めていた。
長年秘め続けた想い。一度は諦めたが、今度こそ。
リディスへの秘めた想いを胸に抱きつつ、ユルドはまずはこの旅行を完璧にするために準備を始めようと、エオリア侯爵邸を後にした。
ユルドは今しがた出てきたエオリア侯爵邸を振り返り、ポツリと呟いた。
二週間前にちらりと覗いた彼女は、夕陽の差し込む窓際で美しい金の瞳から涙を零して泣いていた。
今回の件で誰よりも傷ついたはずの彼女は静かに嗚咽を漏らし、誰にも気づかれないよう声をあげずにひっそりと泣いていた。
誰よりも大事な彼女を泣かせた男が憎くて堪らない。誰よりも愛しい彼女をこうなるまで追い詰めた男へ怒りの感情が湧き上がる。
そして何より、今すぐにでも彼女の元へと駆けつけてその身を抱きしめたいのに、そうできない自分の歯がゆさに苛立った。
彼女とはたった四年間を共に過ごしただけの相手。それでも自分にとってそれはかけがえのない時間であり、彼女といた日々その全てが幸せなものだった。
忘れもしない十歳のあの日。ガチガチに緊張しながらエオリア侯爵邸にお世話になるため挨拶したその日、ユルドはまだ七歳だったリディスに出会った。
一目見た時から好きだった。
父であるエオリア侯爵の足元に顔だけ出して隠れながらも、興味津々にその丸々とした金の瞳をこちらに向けたあの姿を見た時から、ユルドは彼女に心を奪われていた。
「あなた、ユルドっていうのね。ユルって呼んでいい?」
そう無邪気に笑って訊いたリディスがどれだけ自分にとって大切な存在へ変わったのか。
それを今更再確認させられて、ユルドはなんとも言えない気持ちになった。
だからこそ、彼女が離縁してくれたことはユルドにとってはまたとない好機でもあった。
「あんな男にリディスは相応しくない。リディスの隣に立つのは、俺だ」
誰にも渡さない。そのための努力は惜しまなかった。
これからも彼女の隣に居られるならなんだってするだろう。
ユルドはファルネラに帰国した後彼女に釣り合う男になろうと決めていた。次に再会した時、彼女に気持ちを打ち明けるためだ。
リディス・エオリアはリオース王国でも特別な存在。
治癒と再生の力を持つ『聖女』である彼女を娶るには彼女に相応しい地位についておく必要があったからだ。
そのためにユルドは騎士団に入って剣の腕を磨いてきたのだ。だからリディスが結婚したと聞かされた時、目の前が真っ暗になった。
五年前。ファルネラ国王陛下の直属近衛騎士団に抜擢された年だった。
国王陛下に名指しで近衛騎士団への入隊を許され、近衛騎士となった。ようやくリディスと再会を果たしてもいいのではないかと思い始めた時だった。
リオース王国の『聖女』が結婚したという噂はファルネラにまで届いた。
リディスの聖女としての人気はファルネラにも及んでいて誰もが彼女の結婚を祝福する中、ユルドだけが現実を受け入れられないでいた。
「リディスが、結婚……」
相手は伯爵家子息で、将来を有望視された騎士らしい。なんと皮肉な運命なのだろう。相手は奇しくも自分と同じ『騎士』だとは。
今まで自分が積み重ねてきたものの全てが崩れ落ちそうだった。リディスが他の男の手を取ったと考えただけで、気が狂いそうだった。彼女の笑顔も、その心も全て見知らぬ男のものになると考えただけで嫉妬した。
男に対する憎悪の気持ちすら湧いた。
しかし。
ユルドはそれら全てに耐えた。押し殺した。
なぜなら誰よりもリディスの幸せを願っていたからだ。
自分の気持ちを押し潰し、蓋をしてリディスの幸せを願う気持ちを選んだユルドはことさら稽古に励み、わずかその二年後に王国騎士団長の地位を得るまでに至った。
それから三年。ユルドが騎士団長としての仕事にも馴染み、幾分かの余裕が出てきた時、衝撃的な知らせがファルネラに舞い込んだ。
リオースの聖女が夫と離縁したという情報。
最初は信じられなかったがどうやら真実らしい。さすがに聖女の沽券に関わることなので詳しい詳細を知ることはできなかったが、ユルドにとってはそれだけで十分だった。
「リディス……!」
彼女が離縁を選んだのは、そうせざるを得ない何らかの理由があったからだろう。そこまでの決断を下すのにどういう経緯があったのかはまだ分からない。
けれどこれだけは言えた。今の彼女は誰のものでもなくなったということ。
「今度こそ……」
――今度こそ、俺が。彼女の隣に。
決して彼女を悲しませない。その顔を曇らせたりはしない。リディスが傷ついて涙を流すなら、自分はその涙ごと彼女を守る存在になろう。
そう強く決意し、ユルドは早速行動した。
ファルネラ国王陛下に呼びかけ、聖女を招く許可を得た。次にリオースに赴いて国王陛下に謁見し、聖女を連れ出す許可を得ると同時に彼女が休暇を取るという情報を得た。
そうして手筈を全て整えて、満を持してユルドはリディスの前に現れたのだった。
「絶対に失敗できない」
この旅行の終わりにリディスに告白すると、ユルドはそう決めていた。
長年秘め続けた想い。一度は諦めたが、今度こそ。
リディスへの秘めた想いを胸に抱きつつ、ユルドはまずはこの旅行を完璧にするために準備を始めようと、エオリア侯爵邸を後にした。
257
お気に入りに追加
4,654
あなたにおすすめの小説


一年で死ぬなら
朝山みどり
恋愛
一族のお食事会の主な話題はクレアをばかにする事と同じ年のいとこを褒めることだった。
理不尽と思いながらもクレアはじっと下を向いていた。
そんなある日、体の不調が続いたクレアは医者に行った。
そこでクレアは心臓が弱っていて、余命一年とわかった。
一年、我慢しても一年。好きにしても一年。吹っ切れたクレアは・・・・・

【完結】恋人との子を我が家の跡取りにする? 冗談も大概にして下さいませ
水月 潮
恋愛
侯爵家令嬢アイリーン・エヴァンスは遠縁の伯爵家令息のシリル・マイソンと婚約している。
ある日、シリルの恋人と名乗る女性・エイダ・バーク男爵家令嬢がエヴァンス侯爵邸を訪れた。
なんでも彼の子供が出来たから、シリルと別れてくれとのこと。
アイリーンはそれを承諾し、二人を追い返そうとするが、シリルとエイダはこの子を侯爵家の跡取りにして、アイリーンは侯爵家から出て行けというとんでもないことを主張する。
※設定は緩いので物語としてお楽しみ頂けたらと思います
☆HOTランキング20位(2021.6.21)
感謝です*.*
HOTランキング5位(2021.6.22)

【完結】旦那様の幼馴染が離婚しろと迫って来ましたが何故あなたの言いなりに離婚せねばなりませんの?
水月 潮
恋愛
フルール・ベルレアン侯爵令嬢は三ヶ月前にジュリアン・ブロワ公爵令息と結婚した。
ある日、フルールはジュリアンと共にブロワ公爵邸の薔薇園を散策していたら、二人の元へ使用人が慌ててやって来て、ジュリアンの幼馴染のキャシー・ボナリー子爵令嬢が訪問していると報告を受ける。
二人は応接室に向かうとそこでキャシーはとんでもない発言をする。
ジュリアンとキャシーは婚約者で、キャシーは両親の都合で数年間隣の国にいたが、やっとこの国に戻って来れたので、結婚しようとのこと。
ジュリアンはすかさずキャシーと婚約関係にあった事実はなく、もう既にフルールと結婚していると返答する。
「じゃあ、そのフルールとやらと離婚して私と再婚しなさい!」
……あの?
何故あなたの言いなりに離婚しなくてはならないのかしら?
私達の結婚は政略的な要素も含んでいるのに、たかが子爵令嬢でしかないあなたにそれに口を挟む権利があるとでもいうのかしら?
※設定は緩いです
物語としてお楽しみ頂けたらと思います
*HOTランキング1位(2021.7.13)
感謝です*.*
恋愛ランキング2位(2021.7.13)

【本編完結】番って便利な言葉ね
朝山みどり
恋愛
番だと言われて異世界に召喚されたわたしは、番との永遠の愛に胸躍らせたが、番は迎えに来なかった。
召喚者が持つ能力もなく。番の家も冷たかった。
しかし、能力があることが分かり、わたしは一人で生きて行こうと思った・・・・
本編完結しましたが、ときおり番外編をあげます。
ぜひ読んで下さい。
「第17回恋愛小説大賞」 で奨励賞をいただきました。 ありがとうございます
短編から長編へ変更しました。
62話で完結しました。

王妃はわたくしですよ
朝山みどり
恋愛
王太子のやらかしで、正妃を人質に出すことになった。正妃に選ばれたジュディは、迎えの馬車に乗って王城に行き、書類にサインした。それが結婚。
隣国からの迎えの馬車に乗って隣国に向かった。迎えに来た宰相は、ジュディに言った。
「王妃殿下、力をつけて仕返ししたらどうですか?我が帝国は寛大ですから機会をたくさんあげますよ」
『わたしを退屈から救ってくれ!楽しませてくれ』宰相の思惑通りに、ジュディは力をつけて行った。

白い結婚がいたたまれないので離縁を申し出たのですが……。
蓮実 アラタ
恋愛
その日、ティアラは夫に告げた。
「旦那様、私と離縁してくださいませんか?」
王命により政略結婚をしたティアラとオルドフ。
形だけの夫婦となった二人は互いに交わることはなかった。
お飾りの妻でいることに疲れてしまったティアラは、この関係を終わらせることを決意し、夫に離縁を申し出た。
しかしオルドフは、それを絶対に了承しないと言い出して……。
純情拗らせ夫と比較的クール妻のすれ違い純愛物語……のはず。
※小説家になろう様にも掲載しています。

姉の婚約者であるはずの第一王子に「お前はとても優秀だそうだから、婚約者にしてやってもいい」と言われました。
ふまさ
恋愛
「お前はとても優秀だそうだから、婚約者にしてやってもいい」
ある日の休日。家族に疎まれ、蔑まれながら育ったマイラに、第一王子であり、姉の婚約者であるはずのヘイデンがそう告げた。その隣で、姉のパメラが偉そうにふんぞりかえる。
「ぞんぶんに感謝してよ、マイラ。あたしがヘイデン殿下に口添えしたんだから!」
一方的に条件を押し付けられ、望まぬまま、第一王子の婚約者となったマイラは、それでもつかの間の安らぎを手に入れ、歓喜する。
だって。
──これ以上の幸せがあるなんて、知らなかったから。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる