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5 妻は家出し、夫は固まる
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長年溜め込んだ文句を言えてスッキリした。
いつになく清々した心地で夫の部屋を後にして、隣室へと繋がる扉に鍵をした上で、精霊魔術で封印を施す。
これでオルドフはこの扉からは私の部屋に入って来られない。今夫の顔を見たらさらに毒を吐きそうな自信があった。
そして自分の部屋に戻った私は旅行用の鞄を取り出し、必要最低限の荷物を詰めた。
衣装棚に入っているドレスや装飾品は全て公爵家のお金であつらえたものだが、それらには目もくれず、ここに嫁入りする際に持ってきた自分の服だけを詰める。
結婚するまでは元々精霊魔術士として各地を出回っていた。旅支度はお手の物である。お金やそのほか必要な必需品を最低限だけ詰め込めば、小さな旅行鞄はあっという間にいっぱいになる。私はその鞄を持って部屋を出た。
「おや、どうされました? ティアラ様」
扉を開けた途端、銀髪の男性に声をかけられた。
艶やかな髪を上品にまとめた初老の男性は、公爵家の家令であるイクリース・フルート様。代々公爵家に仕える家系なのだそうで、優しさ溢れる容貌に柔らかな物腰でとても人が良い方である。
夫は私のことを放置していたが、この公爵家の屋敷の人達は皆私に優しく接してくれた。女主人としての仕事だけはさせてくれなかったが、私がこの屋敷で生活する上でいつも気を遣ってくれていた。
そのおかげで私は四年間、この屋敷で生活していけたのだ。一方でその優しさが、この結婚に対するいたたまれなさを加速させる原因ともなったのだが。
私はいつものように笑顔を浮かべて挨拶する。
「イクリースさん。私は実家に帰ることにしたので、後はよろしくお願いしますね」
イクリースは一瞬目を見開いた後、何事も無かったかのように柔らかな笑みで一礼する。
「承知致しました。ご実家に帰省なさるのですね。ちなみに、いつ頃戻られるご予定でしょうか?」
「決まっておりませんわ。強いて言うなら旦那様次第ですわね」
「……左様でございますか。それでは馬車をご用意致しましょう。玄関でしばらくお待ちください」
「ありがとうございます」
イクリースはその他は何も聞かずにまた一礼すると、去っていった。
この銀髪の家令は聡い。今の会話だけで私と夫の間に何があったのかを直ぐに察したのだろう。けれど何も聞くことなく、私の要望を聞いてくれた。つまりイクリースはこの件に関して、完全に私に味方してくれている。
そのことが少しだけ嬉しかった。もしここに帰ってくることがあれば、イクリースにはお土産を買ってこよう。
公爵家の広い玄関でしばらく待つと、再びイクリースが姿を現し、馬車まで案内してくれた。
公爵家の家紋が入っていない普通の馬車。お忍びで帰るため目立つことは控えたかった私の心境を見事に慮っている。
この思慮深さが少しでも夫に宿ることを望みつつ、馬車に乗り込み、私は公爵家を後にした。
*
――さて、ところ変わってオルドフの部屋。
妻が馬車で公爵邸を去った頃、オルドフは未だベッドの上で固まっていた。瞬きすらせず固まっているため、目は血走ってきているが、オルドフは微動だにしない。綺麗な氷像と化していた。
と、その時扉がコンコンとノックされる。
「――旦那様、失礼致します」
いつもは直ぐに返答があるはずなのに、なんの返事もないことを訝しんだ家令のイクリースは主の返事を待たずして部屋に入った。
入室して一番に目に入ったのはベッドで氷像になっているオルドフの姿。
察しのいい家令は、先程のティアラの言動がオルドフをこういう状態にさせたのだな、と内心で納得した。
いずれにせよこのままでは埒が明かないため、イクリースは固まったままのオルドフに声をかける。
「奥様はご実家にお帰りになられましたよ」
途端にオルドフが氷解した。
「か、帰ったのか!? 本当に!?」
目に見えて慌て出すオルドフを冷めた目で見下ろしながらイクリースは頷く。
「ええ、旅行鞄をお持ちでしたし、衣装棚からは奥様がご自分でお持ちになった荷物だけ持ち去られていました。当分お戻りにはなられないかもしれませんね」
「何故止めなかったのだイクリース! 止めるべきだっただろう!」
ベッドを降りて詰め寄ってくるオルドフに、イクリースは内心で嘆息した。
――やれやれ、この御当主にも困ったものだ。
女心が分からない朴念仁に捕まってしまった可愛らしい奥様が不憫でならない。遠征で離れていた期間があったにしろまともなフォローもできないのでは家出されても仕方ないではないか。
イクリースは今頃馬車に乗っているであろうティアラに心の底から同情し、まるで状況を理解していないこの朴念仁に事態の深刻さを教え込むべく、いけしゃあしゃあと宣った。
「何故私がそのようなことをしなければならないのでしょうか」
「なっ……!!」
まさか歯向かわれるとは思っていなかったらしいオルドフが言葉を失ったのを見て、イクリースは敢えてにこやかに微笑んだ。
そして、本来は仕えるべき主に向かってこう言ってやった。
「僭越ながら申し上げます。旦那様は馬鹿でいらっしゃいますか?」
ちょっと心がスっとしたのは、きっと気の所為であろう。
いつになく清々した心地で夫の部屋を後にして、隣室へと繋がる扉に鍵をした上で、精霊魔術で封印を施す。
これでオルドフはこの扉からは私の部屋に入って来られない。今夫の顔を見たらさらに毒を吐きそうな自信があった。
そして自分の部屋に戻った私は旅行用の鞄を取り出し、必要最低限の荷物を詰めた。
衣装棚に入っているドレスや装飾品は全て公爵家のお金であつらえたものだが、それらには目もくれず、ここに嫁入りする際に持ってきた自分の服だけを詰める。
結婚するまでは元々精霊魔術士として各地を出回っていた。旅支度はお手の物である。お金やそのほか必要な必需品を最低限だけ詰め込めば、小さな旅行鞄はあっという間にいっぱいになる。私はその鞄を持って部屋を出た。
「おや、どうされました? ティアラ様」
扉を開けた途端、銀髪の男性に声をかけられた。
艶やかな髪を上品にまとめた初老の男性は、公爵家の家令であるイクリース・フルート様。代々公爵家に仕える家系なのだそうで、優しさ溢れる容貌に柔らかな物腰でとても人が良い方である。
夫は私のことを放置していたが、この公爵家の屋敷の人達は皆私に優しく接してくれた。女主人としての仕事だけはさせてくれなかったが、私がこの屋敷で生活する上でいつも気を遣ってくれていた。
そのおかげで私は四年間、この屋敷で生活していけたのだ。一方でその優しさが、この結婚に対するいたたまれなさを加速させる原因ともなったのだが。
私はいつものように笑顔を浮かべて挨拶する。
「イクリースさん。私は実家に帰ることにしたので、後はよろしくお願いしますね」
イクリースは一瞬目を見開いた後、何事も無かったかのように柔らかな笑みで一礼する。
「承知致しました。ご実家に帰省なさるのですね。ちなみに、いつ頃戻られるご予定でしょうか?」
「決まっておりませんわ。強いて言うなら旦那様次第ですわね」
「……左様でございますか。それでは馬車をご用意致しましょう。玄関でしばらくお待ちください」
「ありがとうございます」
イクリースはその他は何も聞かずにまた一礼すると、去っていった。
この銀髪の家令は聡い。今の会話だけで私と夫の間に何があったのかを直ぐに察したのだろう。けれど何も聞くことなく、私の要望を聞いてくれた。つまりイクリースはこの件に関して、完全に私に味方してくれている。
そのことが少しだけ嬉しかった。もしここに帰ってくることがあれば、イクリースにはお土産を買ってこよう。
公爵家の広い玄関でしばらく待つと、再びイクリースが姿を現し、馬車まで案内してくれた。
公爵家の家紋が入っていない普通の馬車。お忍びで帰るため目立つことは控えたかった私の心境を見事に慮っている。
この思慮深さが少しでも夫に宿ることを望みつつ、馬車に乗り込み、私は公爵家を後にした。
*
――さて、ところ変わってオルドフの部屋。
妻が馬車で公爵邸を去った頃、オルドフは未だベッドの上で固まっていた。瞬きすらせず固まっているため、目は血走ってきているが、オルドフは微動だにしない。綺麗な氷像と化していた。
と、その時扉がコンコンとノックされる。
「――旦那様、失礼致します」
いつもは直ぐに返答があるはずなのに、なんの返事もないことを訝しんだ家令のイクリースは主の返事を待たずして部屋に入った。
入室して一番に目に入ったのはベッドで氷像になっているオルドフの姿。
察しのいい家令は、先程のティアラの言動がオルドフをこういう状態にさせたのだな、と内心で納得した。
いずれにせよこのままでは埒が明かないため、イクリースは固まったままのオルドフに声をかける。
「奥様はご実家にお帰りになられましたよ」
途端にオルドフが氷解した。
「か、帰ったのか!? 本当に!?」
目に見えて慌て出すオルドフを冷めた目で見下ろしながらイクリースは頷く。
「ええ、旅行鞄をお持ちでしたし、衣装棚からは奥様がご自分でお持ちになった荷物だけ持ち去られていました。当分お戻りにはなられないかもしれませんね」
「何故止めなかったのだイクリース! 止めるべきだっただろう!」
ベッドを降りて詰め寄ってくるオルドフに、イクリースは内心で嘆息した。
――やれやれ、この御当主にも困ったものだ。
女心が分からない朴念仁に捕まってしまった可愛らしい奥様が不憫でならない。遠征で離れていた期間があったにしろまともなフォローもできないのでは家出されても仕方ないではないか。
イクリースは今頃馬車に乗っているであろうティアラに心の底から同情し、まるで状況を理解していないこの朴念仁に事態の深刻さを教え込むべく、いけしゃあしゃあと宣った。
「何故私がそのようなことをしなければならないのでしょうか」
「なっ……!!」
まさか歯向かわれるとは思っていなかったらしいオルドフが言葉を失ったのを見て、イクリースは敢えてにこやかに微笑んだ。
そして、本来は仕えるべき主に向かってこう言ってやった。
「僭越ながら申し上げます。旦那様は馬鹿でいらっしゃいますか?」
ちょっと心がスっとしたのは、きっと気の所為であろう。
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