上 下
1 / 4

第一章: 婚約破棄と屈辱

しおりを挟む


――それは、まるで運命が断ち切られる瞬間のようだった。

「エリザ、君とはもう婚約を解消する。」

レオナルド王太子の冷ややかな言葉が、エリザ・ヴァレンティーナの胸を鋭く突き刺した。まるで刃のようなその一言に、彼女はしばし言葉を失った。広い謁見の間には、静寂が支配する。あまりにも唐突で、あまりにも残酷なこの宣告に、周囲の貴族たちも動揺していた。だが、彼女はただひたすらに耐えた。何が起こっているのか、すぐには理解できなかった。

婚約――それは彼女にとって、未来を象徴する言葉だった。王太子の妃となり、国を支える者として生きる。幼い頃からずっとそれを目指して教育を受けてきたのだ。だが、それが今、一瞬にして消え去った。

「なぜ……ですか?」

やっとのことで声を絞り出したエリザの問いかけは、虚ろに響く。自分に何が足りなかったのか、どこが間違っていたのか、それすらも理解できないままだった。王太子のレオナルドは、彼女を冷たく見下ろしながら、無情に答えた。

「君は退屈だ、エリザ。感情を表に出さず、ただ従順でいることが、いつしか僕には重荷になった。」

彼女は言葉を失い、心臓が強く脈打つのを感じた。これまで彼女が心掛けてきたのは、貴族としての正しい振る舞いだった。決して目立たず、慎ましやかに、王太子を支えるに相応しい妃であろうと努めてきたのだ。それが「退屈だ」とは、どういうことなのか。理解することができなかった。

しかし、さらに彼の言葉は続いた。

「僕には新しい相手がいる。彼女は感情豊かで、僕を常に刺激してくれる。だから、エリザ、君とはもう終わりだ。」

その「新しい相手」という言葉に、エリザの目はかすかに揺れた。目の前には、自信に満ちた微笑みを浮かべた女性が立っていた。彼女の名はセリーナ・アルメリア。エリザの友人として社交界で知り合った女性だが、いつからかその表情に潜む嫉妬と野心を感じるようになっていた。

「セリーナ……」

エリザが彼女の名前を呟くと、セリーナは優雅に微笑んだ。その笑みには勝ち誇ったような色が宿っていた。

「ごめんなさいね、エリザ。こうなるのは仕方のないことよ。あなたも理解してくれるでしょう? 私とレオナルド様は、とても相性がいいの。」

まるで、何も悪いことをしていないかのように語るセリーナの言葉に、エリザの胸は怒りと屈辱でいっぱいになった。しかし、その感情を押し殺すしかなかった。貴族としての誇りが、それを許さなかったのだ。

「……そうですか、わかりました。」

そう呟いた彼女の声は、まるで他人事のように聞こえた。どんなに心が砕けそうでも、泣いてはいけない。ここで取り乱せば、周囲の人々の嘲笑の的になるだけだ。エリザは冷静さを保ち、ゆっくりと頭を下げた。

「婚約の解消、承知いたしました。王太子殿下とセリーナ様のご多幸をお祈り申し上げます。」

その言葉を口にした瞬間、エリザの中で何かが確かに崩れ落ちた。幼少期から育て上げられてきた夢も、未来も、すべてが無残に散り去ったのだ。しかし、彼女はその場に立ち尽くしながらも、背筋を伸ばして礼を尽くした。屈辱にまみれた瞬間であっても、誇りだけは失ってはならない。

謁見の間を後にする彼女の背中に、王太子やセリーナの冷ややかな視線が突き刺さる。周囲の貴族たちも、囁き合いながら彼女を見送った。だが、エリザはそれに耳を傾けることなく、ただ黙々とその場を去った。


---

エリザが自室に戻った時、彼女はようやく自分を解放することができた。誰もいないその場所で、彼女は力なくベッドに倒れ込み、涙を流した。何が悪かったのか、どこで間違えたのか、何もわからない。ただ、一つだけわかっていることは、自分はすべてを失ったということだった。

王太子との婚約は、彼女の人生そのものだった。両親も、王太子との縁を通じて家の名誉を守ることを期待していた。しかし、その期待は無惨にも裏切られ、エリザは一人取り残されたのだ。

泣いても泣いても、涙は止まらなかった。彼女の心は、怒りと屈辱、そして深い悲しみで満たされていた。しかし、その中で彼女は、ふと一つの考えに至る。

「……私は、こんなことで終わりたくない。」

彼女の中に、かすかながらも意志の火が灯った。王太子の婚約破棄という屈辱にまみれたが、だからこそ、自分を証明する必要があるのだ。エリザはゆっくりと起き上がり、涙を拭い去った。

「私は、強くなる。絶対に見返してやる。」

この瞬間、エリザは心の中で誓った。彼女はもう一度立ち上がり、失ったものを取り戻すために進む決意を固めたのだ。


--
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

貧乏男爵家の末っ子が眠り姫になるまでとその後

空月
恋愛
貧乏男爵家の末っ子・アルティアの婚約者は、何故か公爵家嫡男で非の打ち所のない男・キースである。 魔術学院の二年生に進学して少し経った頃、「君と俺とでは釣り合わないと思わないか」と言われる。 そのときは曖昧な笑みで流したアルティアだったが、その数日後、倒れて眠ったままの状態になってしまう。 すると、キースの態度が豹変して……?

婚約破棄されたおっとり令嬢は「実験成功」とほくそ笑む

柴野
恋愛
 おっとりしている――つまり気の利かない頭の鈍い奴と有名な令嬢イダイア。  周囲からどれだけ罵られようとも笑顔でいる様を皆が怖がり、誰も寄り付かなくなっていたところ、彼女は婚約者であった王太子に「真実の愛を見つけたから気味の悪いお前のような女はもういらん!」と言われて婚約破棄されてしまう。  しかしそれを受けた彼女は悲しむでも困惑するでもなく、一人ほくそ笑んだ。 「実験成功、ですわねぇ」  イダイアは静かに呟き、そして哀れなる王太子に真実を教え始めるのだった。 ※こちらの作品は小説家になろうにも重複投稿しています。

やり直すなら、貴方とは結婚しません

わらびもち
恋愛
「君となんて結婚しなければよかったよ」 「は…………?」  夫からの辛辣な言葉に、私は一瞬息をするのも忘れてしまった。

妻と夫と元妻と

キムラましゅろう
恋愛
復縁を迫る元妻との戦いって……それって妻(わたし)の役割では? わたし、アシュリ=スタングレイの夫は王宮魔術師だ。 数多くの魔術師の御多分に漏れず、夫のシグルドも魔術バカの変人である。 しかも二十一歳という若さで既にバツイチの身。 そんな事故物件のような夫にいつの間にか絆され絡めとられて結婚していたわたし。 まぁわたしの方にもそれなりに事情がある。 なので夫がバツイチでもとくに気にする事もなく、わたしの事が好き過ぎる夫とそれなりに穏やかで幸せな生活を営んでいた。 そんな中で、国王肝入りで魔術研究チームが組まれる事になったのだとか。そしてその編成されたチームメイトの中に、夫の別れた元妻がいて……… 相も変わらずご都合主義、ノーリアリティなお話です。 不治の誤字脱字病患者の作品です。 作中に誤字脱字が有ったら「こうかな?」と脳内変換を余儀なくさせられる恐れが多々ある事をご了承下さいませ。 性描写はありませんがそれを連想させるワードが出てくる恐れがありますので、破廉恥がお嫌いな方はご自衛下さい。 小説家になろうさんでも投稿します。

婚約破棄されたのたが、兄上がチートでツラい。

藤宮
恋愛
「ローズ。貴様のティルナシア・カーターに対する数々の嫌がらせは既に明白。そのようなことをするものを国母と迎え入れるわけにはいかぬ。よってここにアロー皇国皇子イヴァン・カイ・アローとローザリア公爵家ローズ・ロレーヌ・ローザリアの婚約を破棄する。そして、私、アロー皇国第二皇子イヴァン・カイ・アローは真に王妃に相応しき、このカーター男爵家令嬢、ティルナシア・カーターとの婚約を宣言する」 婚約破棄モノ実験中。名前は使い回しで← うっかり2年ほど放置していた事実に、今驚愕。

婚約破棄の慰謝料を払ってもらいましょうか。その身体で!

石河 翠
恋愛
ある日突然、前世の記憶を思い出した公爵令嬢ミリア。自分はラストでざまぁされる悪役令嬢ではないかと推測する彼女。なぜなら彼女には、黒豚令嬢というとんでもないあだ名がつけられていたからだ。 実際、婚約者の王太子は周囲の令嬢たちと仲睦まじい。 どうせ断罪されるなら、美しく散りたい。そのためにはダイエットと断捨離が必要だ! 息巻いた彼女は仲良しの侍女と結託して自分磨きにいそしむが婚約者の塩対応は変わらない。 王太子の誕生日を祝う夜会で、彼女は婚約破棄を求めるが……。 思い切りが良すぎて明後日の方向に突っ走るヒロインと、そんな彼女の暴走に振り回される苦労性のヒーローの恋物語。ハッピーエンドです。 この作品は他サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真のID:29284163)をお借りしています。

王妃となったアンゼリカ

わらびもち
恋愛
婚約者を責め立て鬱状態へと追い込んだ王太子。 そんな彼の新たな婚約者へと選ばれたグリフォン公爵家の息女アンゼリカ。 彼女は国王と王太子を相手にこう告げる。 「ひとつ条件を呑んで頂けるのでしたら、婚約をお受けしましょう」 ※以前の作品『フランチェスカ王女の婿取り』『貴方といると、お茶が不味い』が先の恋愛小説大賞で奨励賞に選ばれました。 これもご投票頂いた皆様のおかげです! 本当にありがとうございました!

【完結】婚約者に忘れられていた私

稲垣桜
恋愛
「やっぱり帰ってきてた」  「そのようだね。あれが問題の彼女?アシュリーの方が綺麗なのにな」  私は夜会の会場で、間違うことなく自身の婚約者が、栗毛の令嬢を愛しそうな瞳で見つめながら腰を抱き寄せて、それはそれは親しそうに見つめ合ってダンスをする姿を視線の先にとらえていた。  エスコートを申し出てくれた令息は私の横に立って、そんな冗談を口にしながら二人に視線を向けていた。  ここはベイモント侯爵家の夜会の会場。  私はとある方から国境の騎士団に所属している婚約者が『もう二か月前に帰ってきてる』という話を聞いて、ちょっとは驚いたけど「やっぱりか」と思った。  あれだけ出し続けた手紙の返事がないんだもん。そう思っても仕方ないよでしょ?    まあ、帰ってきているのはいいけど、女も一緒?  誰?  あれ?  せめて婚約者の私に『もうすぐ戻れる』とか、『もう帰ってきた』の一言ぐらいあってもいいんじゃない?  もうあなたなんてポイよポイッ。  ※ゆる~い設定です。  ※ご都合主義です。そんなものかと思ってください。  ※視点が一話一話変わる場面もあります。

処理中です...