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第1章:婚約破棄の宴

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フィオナ・エヴァンスは、華やかな王宮の舞踏会の中にいた。豪華絢爛なシャンデリアが輝き、絹や宝石をまとった貴族たちが次々に舞台を飾っていた。フィオナはその場にいることができるのが夢のようだった。平民出身の彼女が、幼い頃から王太子レオン・ヴェルンハルトの婚約者としてこの王宮に招かれたのは、まさに奇跡としか言いようがなかった。

「フィオナ、もう少し笑顔を見せてくれないか?」

レオンが優雅に話しかけ、フィオナははっとして顔を上げた。彼の金色の髪と鋭い青い瞳は、まるで絵画から抜け出した王子そのものだった。幼い頃から彼に仕えることが自分の運命だと信じてきたフィオナにとって、レオンは全てだった。彼女の存在意義も、幸福も、すべて彼にかかっていた。

「すみません、王太子様。気が緩んでしまって……」

フィオナは顔を少し赤らめ、申し訳なさそうに微笑んだ。しかし、レオンの目はどこか冷たく感じられた。まるで、彼女を見ていないかのように。

「いや、別に責めているわけじゃない。ただ、今日の宴は重要なんだ。君もそのつもりでいてほしい。」

その言葉には何か含みがあった。フィオナは不安を感じたが、深く考えることはしなかった。彼が望むなら、どんな要求にも応じる。それが彼女の使命だと信じていたからだ。

フィオナは一度、周囲を見渡した。宮殿の大広間は、王国の最も重要な貴族たちで埋め尽くされていた。彼らの目が、時折こちらに向けられるのを感じる。フィオナは緊張したが、それもいつものことだ。平民出身の彼女が、王太子の婚約者としてここにいることが驚きなのだろう。

しかし、フィオナは気づいていなかった。その日が、彼女の人生を大きく変える日となることを。

宴が最高潮に達し、レオンが静かに立ち上がった。その動作一つで、会場全体が静まり返る。彼の存在感は圧倒的で、誰もが彼を見つめる。フィオナもまた、彼を仰ぎ見た。彼の口から何が語られるのか、胸の高鳴りを抑えながら待っていた。

「皆の者、聞いてほしい。」

レオンの低く響く声が広間にこだました。彼はまっすぐに立ち、堂々とした態度で話を続けた。

「本日は、重要な発表がある。」

フィオナは、その瞬間、何かが胸に引っかかる感覚を覚えた。周りの貴族たちがざわつく中、彼女の心臓は不安に高鳴っていた。レオンが何を言おうとしているのか、彼の表情や声の調子から何となく察することができた。

「私は、長年にわたりフィオナ・エヴァンスと婚約を交わしてきたが……」

そこまで聞いたフィオナの体が強張る。まさか、そんなはずはない――。

「だが、ここに婚約を解消することを宣言する。」

一瞬、時間が止まったかのように感じた。彼の言葉は、フィオナの耳には信じがたい響きとして届いた。広間が再びざわめき始め、周囲の視線が一斉に彼女に集中するのを感じたが、その全てが遠くに感じられた。

「理由は明白だ。私は新たに、エリカ・シュトラウス嬢と婚約することを決めた。」

その名前が広間に響くと、エリカがゆっくりと前に出た。彼女は高貴な出自を誇り、華やかで完璧な装いでフィオナを見下ろす。冷ややかな微笑を浮かべながら。

「エリカ嬢は、我が王国の未来を共に築くにふさわしい相手だと確信している。」

フィオナは自分の足元が崩れ落ちるような感覚に襲われた。婚約破棄――自分の全てを捧げた彼に、こうして捨てられるとは思ってもみなかった。

「フィオナ・エヴァンスには感謝している。しかし、もう彼女に私の隣に立つ資格はない。」

レオンの冷酷な言葉が、フィオナの胸に突き刺さる。彼の顔に感情は見られなかった。彼はただ、冷たい視線で彼女を見つめていた。

エリカはその場で笑みを浮かべながら、フィオナに対してわずかに頭を下げる。それは決して敬意を表したものではなく、勝者が敗者を見下すかのような態度だった。

「これからも王国のために尽力してくださいね、フィオナ様。もっとも、今後は私が王太子様の隣に立つことになりますけど。」

その言葉に、フィオナの視界がかすむ。全てが崩れ去った。未来も、希望も、そして愛も。

彼女はその場から逃げ出すように歩き出した。広間に残った人々のささやきや視線が背中に刺さるが、それを感じる余裕すらなかった。ただ、何かにすがりつきたくて、深い呼吸を繰り返す。

「どうして……どうしてこんなことに……」

涙が頬を伝い、フィオナは震えながら呟いた。しかし、答える者はいない。広間を出た後も、フィオナはどこへ行けばいいのか分からなかった。彼女は自分の足が勝手に動くままに、宮殿の外へ向かって歩き続けた。

心の中で繰り返されるのは、レオンの冷たい言葉だった。

「もう彼女に私の隣に立つ資格はない。」

フィオナは、その言葉を何度も何度も噛み締めた。信じていたものが全て嘘だったのだろうか。彼女は自分の存在意義さえも見失いそうになっていた。

「そんなはずない……私が無価値なんて……」

彼女は涙を拭き、拳を強く握り締めた。足を止め、顔を上げた時、ふと気づいた。心の奥底で何かがくすぶっている感覚があることに。

それは長い間、押さえ込まれていた何か。フィオナはその感覚が何なのか理解できず、ただ胸の中で渦巻くそれを感じ取った。しかし、今はそれを考える余裕もなかった。

深呼吸をし、フィオナは宮殿の門を通り抜け、夜の闇の中に消えていった。彼女の未来は、もう誰にも決められるものではなくなったのだ。


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