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灼熱の祭典編ー後
第79話 リリナグ芸術祭に行こう!
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リリナグ芸術祭当日。天気は快晴で、波は穏やか、早朝に開幕を告げる狼煙が上がった。
「それでは行ってくる」
「お昼は冷蔵庫に入っているから」
「ああ、気を付けてな」
ニスとグンカは寝間着姿のギャリアーに見送られて家を出た。常日頃静かな海辺の道は、2人と同じ目的の町人達が町の中心に向かおうと歩いており、少しだけ賑やかである。近くの店には既に展示を始めている所もあり、それを見ながらリリナグ・ピオンのセレモニーに向かう。ニスはよく通る道の店の前にある、実際の箒の何倍もの大きさの竹箒のオブジェを不思議そうに眺めている。
「…日用品店まで参加するのね」
「展示するかは店主次第だが、町を挙げての祭りだからな。一見芸術と無関係そうな店も毎年アイディアを出して、盛り上げているぞ。人気の展示も工房やギャラリーだけでなく、飲食系や水産、畜産、農林系等他の業種も多く人を集める」
「…芸術って何だかよくわからないわね」
竹箒のオブジェは店の壁、2階まで届いていた。ニスは隣に置いてある通常の箒と見比べて、今日の芸術祭が終わったら、この巨大竹箒は何処へ行くのだろうと思った。
「祭りにかこつけて…というのもあるだろう。だが、案外店の者も楽しんでいるようであったぞ」
「ウォーリーみたいに?」
「そうだな。…警備隊でも芸術祭の展示を用意して、毎年展示担当は人気で希望者が続出する」
「何を展示しているの?」
「この町の歴史…警備隊が関係する展示だ」
ニスは竹箒から離れて、グンカの隣に移動し歩き出した。セレモニーの会場であるリリナグ・ピオン前の広場に着く間に、グンカに町中の展示を紹介して貰う。市場に近付くにつれ道は混み始めて、のんびり鑑賞できるようなものではなくなった。気になった展示があった時には後ろを振り返りながら先に進み、また後程見に来ようとグンカが言った。
そのグンカは、通りに人が増え始めるとチラチラとニスの方を横目で見て落ち着きがない。特にニスが居る方の腕をもぞもぞと動かしている。特に道が詰まっている訳ではないが、腕が時折触れあう程の距離までつめた。手を振って歩いていると、肌同士が摩擦して離れてを繰り返す。ニスは特段気にならないようだ。グンカは明後日の方向を見ながら口を開く。
「…そ」
「?」
「そろそろ、混んできたな」
「そうね…」
今日この日、グンカはリリナグに来て初めて芸術祭を見るニスをエスコートしようと決めてきた。午前はセレモニーと彫像を見て、各地の展示を見学した後、昼は予め店を予約してあるのでそこで食事、午後は特に人気の展示を回りながら、ウォーリー達のような飲食関係者が集まる催しに行き、それから帰宅というプランだ。そのプランを実行に移す前に、前段階として、逸れないようにする、というものがある。
(…セレモニー会場では人も多くなるだろうし、今も…道は余裕が無い、事もないが……事前に腕か、手かで逸れぬよう寄り添うのも、自然な流れの筈)
グンカは余所見をしているニスの名を呼び、こちらに振り返るとコホンと咳払いをしてから提案する。
「…逸れぬよう、今のうちから対策をしておこう」
そう言うと、掴まっても組んでもいいように、グンカは腕をニスに差し出した。
「まだ、道の半分は空いているけれど…」
「…案内する上で、こうしていた方が便利だ」
「大丈夫…?暑くない…?」
ニスは今日の予報を新聞で読んでいた。現在から午前にかけては快晴であるが、午後は曇りとなる予報で、一日中蒸し暑いと念押しのように書いてあった。現に、海から来る風は湿っていて、時間が経てば肌がベタついてくるであろう気配がする。
「新聞には蒸し暑くなるって…」
「確かにそんな予報ではあったが……逸れるよりいいだろう」
「貴方に汗がついてしまうかもしれないから…」
ニスが何を気にしているか悟ったグンカは、このままだと想定通りにことが進まないとみて、強硬策に出た。
「あっ」
グンカはニスの腕に自分の腕を絡めて自分の身体に向かって引いた。ニスは何故という疑問を言葉にせずとも視線で伝えてくる。それに本心で答えられないもどかしさを感じつつ、回りくどい話は一旦止める事にした。
「…他や天気がどうこうでなく、俺がこうしてお前と歩きたい、という話だ」
「……」
「一応、今日は案内か、エスコートか……デート、のどれかのつもりで来ている」
「どれか…?」
「…俺の中で答えは決まっているが、お前が…その他を求めるならば、そちらに変えん事もない」
グンカはチラッとニスを見下ろした。あまり感情は読み取れないが、口を引き結んで驚いている、ような気がした。
「どうする…?」
「ど……」
グンカの瞳が淡く熱を帯びている。思えば触れ合ったばかりの腕も、ニスの冷たい肌から冷気を奪おうとしているかのように暖かい。体温が触れ合った場所から相手に移っていく。
グンカは人の流れに従って歩きつつ、答えを促す。胸の中には期待が占めていたが、それが落胆に変わる可能性もある。胸ポケットの中にあるギャリアーの家とは違う鍵がカチャと音を立てた。
「し、質問…いい…?」
「…何だ」
グンカはむすっとしてぶっきらぼうに返事をした。答えを待つ間、実はかなり鼓動が早くなっていた。それは自分にとって悪い動悸ではなく、自分を後押しするような鼓動であった。行け、行け、と鼓舞している、それが空回りする結果となり、少し不貞腐れた。
「その……選んだ答え?によって…今日の予定は…変わるの?」
「…そ、それなりに」
今度は感嘆符と疑問符が付いてくるようなドキリ。心臓が痛みを伴う反動を伴い高く跳ねた。グンカは経験上知っている。この跳ね方は、動揺がすぐ側に迫り、余計なことを口走ってしまう、と。
「案内の場合は…?」
「……リリナグ・ピオンを見学し、町を巡って昼食。それから人気の展示を見て、ウォーリーのケーキを見に行く。……帰宅、だ」
グンカはニスが次に話す言葉を察知していた。きっと他二つの選択肢を確かめるであろうと。予想では次は。
「エスコート…の場合は?」
「…昼食までは同じ。それから、お前の行きたい所に連れて行く。俺はある程度、どんな展示をしているか知っているからな。好みを聞けば、案内は出来る。……そして帰宅」
「……帰宅」
「ああ」
実は二スはエスコートが何かよく知らなかった。行きたい所という言葉で、何となく案内よりもニスの意思に寄ったもの、というイメージが出来た。残る選択肢はデート。グンカはどのように言葉を紡ごうか、脳内で忙しなく考えていた。そこでニスに純粋な疑問が浮かぶ。
「帰宅しない選択肢があるの?」
「ッ!!」
グンカは想定していない質問であった。予定ではデートの内容について聞かれる筈が、グンカ自身が帰宅を強調した事で墓穴を掘ってしまった形となった。グンカは無意識の所から頭を殴りつけられたような衝撃を食らった。
「きっ、帰宅はする!!最終的に!!」
往来で声を荒げたグンカを振り向く周囲の人々。グンカはその視線から目を逸らし、ニスだけを視界に入れた。そうすると目の前の羞恥だけを心の中心に置くことが出来る。
(やぶさかでは……やぶさかではないがっ…)
物事には段階がある。グンカはそれを重視する性格である。己の中の、目を背けたくなるような切なく滾る想いは、目の前の相手によって満たされる事を望んでいるが、それは時期尚早というもの……と自分を諌める。本音を言えば、”やぶさかではない”。
(互いにそれなりに分別のつく……しかし、俺は…そんな軽々しく…っ!だがっ……満更でもない己がっ…)
「ぐ……ぅ………!」
「…大丈夫?」
空いた手で頭を抱えて、1人で勝手に苦悩しているグンカを、ニスが怪訝な顔で見ている。この芸術祭という楽しいお祭りに似合わぬ顔をしたグンカは、周囲を喜色の顔色が囲む中で浮いていた。
「大丈夫ではないっ…色々…準備。そう、準備が……」
「……それはもうよく解らないけれど、兎に角家には帰るのね?」
「……か……える…!」
「ギャリアーが家で待っているものね…」
断腸の想いで捻りだした言葉を、ニスは簡単に片づけた。グンカは、まだ家を出てそんなに時間は経過していないというのに、かなりの精神的疲労が蓄積していた。
「…俺は、少々疲れた」
「…そう」
「…残り一つの選択肢は聞かんのか」
「疲れたっていうから…無理しなくても…」
「む………聞け」
「…うん……デートの場合は?」
グンカは上気した頬をニスに寄せた。周囲の喧騒が声を遮り、言葉が届かない可能性がある。ニスはその顔に既視感を覚えた。
(海水浴での……)
静かな囁きと甘ったるい言葉は、今も耳に記憶に残っている。
「…昼食までは同じだ」
「それから…?」
「…ウォーリーには、すまないと後程謝る」
「…見に行かないの?」
ニスは首を傾げた。ウォーリーの試作に付き合い、当日も見に行くと以前に話していた筈であった。グンカはニスの疑問に答えを返した。
「…ああ、どこも」
「それは…どういう…?」
グンカは何か言う前に、胸元の二つの鍵に触れた。一方は靴を模したギャリアー宅の鍵、もう一つは、細やかな鈴の音がする古ぼけた鍵。より肌に近い、古い鍵に体温が移っている。
「俺の…」
熱の籠った声が、ニスの耳に想いを届けようとした時、後ろから押し寄せる人波が2人の背中を押した。2人は気づけば、リリナグ・ピオンの近くまで来ていた。話に夢中になり、どの位歩いたかが意識の外にあったらしい。
「っとと…!」
「ニス……!」
強制的に前に向かって歩かされ、前に居る恰幅の良い男性に衝突しそうになるニスをグンカが引き留める。組んだ腕では足りない、そう判断したグンカは、腕を外して腰に回し引き寄せた。
「あっ…!」
「暑いだろうが、我慢してくれ」
グンカは人の動く方向に合わせて、ニスの腰を抱えながら歩く。その腕は、今度は離れないようにとしっかりと身体を抱いている。
「もっと強く掴んでいろ、この先さらに揉みくちゃになるぞ」
ニスの手を取って自分の腰を掴ませる。しっかりと寄り添った2人は会場の規制線近くまで人の間をすり抜けながら移動する。ニスは自分の腹辺りに触れるグンカの手が少しくすぐったかった。
リリナグ・ピオンのセレモニーには、観光客や町民が押し寄せ、規制線は歪んでいる。何とか従業員が抑えているが、規制が解除されたらすぐに社屋まで走るようにと打ち合わせている。技師達の殆どは社屋の上の階からセレモニーを見下ろしていたり、作業をしていたり、出社していないかだ。例年、技師の中でも長の立場の者と、彫像の製作者、その弟子だけが式典へ招待される。各方面から招待するため、全員は立ち会えないのだ。それ故に、技師としてセレモニーに立ち会い、彫像の製作者として社長から集まった者達に紹介されるという事は、誉であった。
「始まったみたいだな…!」
「ええ…」
運よく人の隙間から彫像が見える位置を確保した2人。来賓の挨拶があり、技師達を束ねる立場の者が、今回展示される彫像の技術や注目して欲しいポイント等を語り、いよいよ社長スー・チースの挨拶の後の合図によって、4体の彫像に掛けられた布が取り払われる。
「…今回、私が選んだ4体の彫像は、素晴らしいという言葉では言い表せない程の衝撃を私に与えた傑作です。そのマエストロ4名の名を高らかに宣言したくて溜まりませんが、皆さんの驚きの邪魔になってしまうので、皆さんの目でお確かめください。…この4体の製作者それぞれとは、面識がございまして、どの方もこのリリナグ・ピオンの歴史に於いて、稀有でその職人にしか作り得ない作品を残した方々です。既に亡くなった方もおりますが、今ここで最大限の敬意を」
スー・チースが軽く俯いて静かに目を伏せる。瞼の裏に映るのは、技師として働いていた日々の記憶。偉大な職人達の仕事を間近で見られた宝石のような日々であった。
「…それではお披露目の時間と致しましょう!リリナグ芸術祭に相応しい作品を、どうぞご覧ください!」
従業員によって布が取り払われる。彫像は台の上にあり、遮るものなくその様相を見ることが出来た。
「……恐ろしい」
グンカがぽつりと零した言葉は、一番近くの彫像を見て身体の内から出て来た言葉であった。
4体の彫像の内の1体。大胆に見えて細部は繊細。他の3つの彫像は潜源石のガラスを強調しているのに対し、それは彫像の姿の一部となっている。モチーフは人間の女性でその表情は悲痛とも、微かに笑みとも取れる。彫刻の髪の部分にあたる黒色の潜源石の内部で、赤い霧と宝石が上から下に、下から上にと舞っている。
そのテーマは怨念か妄執か。モデルか作者か、どちらかの情念が宿るその作品の名前は【罪過】
リリナグ・ピオン当代一の専属技師、コルゼットの傑作である。
「それでは行ってくる」
「お昼は冷蔵庫に入っているから」
「ああ、気を付けてな」
ニスとグンカは寝間着姿のギャリアーに見送られて家を出た。常日頃静かな海辺の道は、2人と同じ目的の町人達が町の中心に向かおうと歩いており、少しだけ賑やかである。近くの店には既に展示を始めている所もあり、それを見ながらリリナグ・ピオンのセレモニーに向かう。ニスはよく通る道の店の前にある、実際の箒の何倍もの大きさの竹箒のオブジェを不思議そうに眺めている。
「…日用品店まで参加するのね」
「展示するかは店主次第だが、町を挙げての祭りだからな。一見芸術と無関係そうな店も毎年アイディアを出して、盛り上げているぞ。人気の展示も工房やギャラリーだけでなく、飲食系や水産、畜産、農林系等他の業種も多く人を集める」
「…芸術って何だかよくわからないわね」
竹箒のオブジェは店の壁、2階まで届いていた。ニスは隣に置いてある通常の箒と見比べて、今日の芸術祭が終わったら、この巨大竹箒は何処へ行くのだろうと思った。
「祭りにかこつけて…というのもあるだろう。だが、案外店の者も楽しんでいるようであったぞ」
「ウォーリーみたいに?」
「そうだな。…警備隊でも芸術祭の展示を用意して、毎年展示担当は人気で希望者が続出する」
「何を展示しているの?」
「この町の歴史…警備隊が関係する展示だ」
ニスは竹箒から離れて、グンカの隣に移動し歩き出した。セレモニーの会場であるリリナグ・ピオン前の広場に着く間に、グンカに町中の展示を紹介して貰う。市場に近付くにつれ道は混み始めて、のんびり鑑賞できるようなものではなくなった。気になった展示があった時には後ろを振り返りながら先に進み、また後程見に来ようとグンカが言った。
そのグンカは、通りに人が増え始めるとチラチラとニスの方を横目で見て落ち着きがない。特にニスが居る方の腕をもぞもぞと動かしている。特に道が詰まっている訳ではないが、腕が時折触れあう程の距離までつめた。手を振って歩いていると、肌同士が摩擦して離れてを繰り返す。ニスは特段気にならないようだ。グンカは明後日の方向を見ながら口を開く。
「…そ」
「?」
「そろそろ、混んできたな」
「そうね…」
今日この日、グンカはリリナグに来て初めて芸術祭を見るニスをエスコートしようと決めてきた。午前はセレモニーと彫像を見て、各地の展示を見学した後、昼は予め店を予約してあるのでそこで食事、午後は特に人気の展示を回りながら、ウォーリー達のような飲食関係者が集まる催しに行き、それから帰宅というプランだ。そのプランを実行に移す前に、前段階として、逸れないようにする、というものがある。
(…セレモニー会場では人も多くなるだろうし、今も…道は余裕が無い、事もないが……事前に腕か、手かで逸れぬよう寄り添うのも、自然な流れの筈)
グンカは余所見をしているニスの名を呼び、こちらに振り返るとコホンと咳払いをしてから提案する。
「…逸れぬよう、今のうちから対策をしておこう」
そう言うと、掴まっても組んでもいいように、グンカは腕をニスに差し出した。
「まだ、道の半分は空いているけれど…」
「…案内する上で、こうしていた方が便利だ」
「大丈夫…?暑くない…?」
ニスは今日の予報を新聞で読んでいた。現在から午前にかけては快晴であるが、午後は曇りとなる予報で、一日中蒸し暑いと念押しのように書いてあった。現に、海から来る風は湿っていて、時間が経てば肌がベタついてくるであろう気配がする。
「新聞には蒸し暑くなるって…」
「確かにそんな予報ではあったが……逸れるよりいいだろう」
「貴方に汗がついてしまうかもしれないから…」
ニスが何を気にしているか悟ったグンカは、このままだと想定通りにことが進まないとみて、強硬策に出た。
「あっ」
グンカはニスの腕に自分の腕を絡めて自分の身体に向かって引いた。ニスは何故という疑問を言葉にせずとも視線で伝えてくる。それに本心で答えられないもどかしさを感じつつ、回りくどい話は一旦止める事にした。
「…他や天気がどうこうでなく、俺がこうしてお前と歩きたい、という話だ」
「……」
「一応、今日は案内か、エスコートか……デート、のどれかのつもりで来ている」
「どれか…?」
「…俺の中で答えは決まっているが、お前が…その他を求めるならば、そちらに変えん事もない」
グンカはチラッとニスを見下ろした。あまり感情は読み取れないが、口を引き結んで驚いている、ような気がした。
「どうする…?」
「ど……」
グンカの瞳が淡く熱を帯びている。思えば触れ合ったばかりの腕も、ニスの冷たい肌から冷気を奪おうとしているかのように暖かい。体温が触れ合った場所から相手に移っていく。
グンカは人の流れに従って歩きつつ、答えを促す。胸の中には期待が占めていたが、それが落胆に変わる可能性もある。胸ポケットの中にあるギャリアーの家とは違う鍵がカチャと音を立てた。
「し、質問…いい…?」
「…何だ」
グンカはむすっとしてぶっきらぼうに返事をした。答えを待つ間、実はかなり鼓動が早くなっていた。それは自分にとって悪い動悸ではなく、自分を後押しするような鼓動であった。行け、行け、と鼓舞している、それが空回りする結果となり、少し不貞腐れた。
「その……選んだ答え?によって…今日の予定は…変わるの?」
「…そ、それなりに」
今度は感嘆符と疑問符が付いてくるようなドキリ。心臓が痛みを伴う反動を伴い高く跳ねた。グンカは経験上知っている。この跳ね方は、動揺がすぐ側に迫り、余計なことを口走ってしまう、と。
「案内の場合は…?」
「……リリナグ・ピオンを見学し、町を巡って昼食。それから人気の展示を見て、ウォーリーのケーキを見に行く。……帰宅、だ」
グンカはニスが次に話す言葉を察知していた。きっと他二つの選択肢を確かめるであろうと。予想では次は。
「エスコート…の場合は?」
「…昼食までは同じ。それから、お前の行きたい所に連れて行く。俺はある程度、どんな展示をしているか知っているからな。好みを聞けば、案内は出来る。……そして帰宅」
「……帰宅」
「ああ」
実は二スはエスコートが何かよく知らなかった。行きたい所という言葉で、何となく案内よりもニスの意思に寄ったもの、というイメージが出来た。残る選択肢はデート。グンカはどのように言葉を紡ごうか、脳内で忙しなく考えていた。そこでニスに純粋な疑問が浮かぶ。
「帰宅しない選択肢があるの?」
「ッ!!」
グンカは想定していない質問であった。予定ではデートの内容について聞かれる筈が、グンカ自身が帰宅を強調した事で墓穴を掘ってしまった形となった。グンカは無意識の所から頭を殴りつけられたような衝撃を食らった。
「きっ、帰宅はする!!最終的に!!」
往来で声を荒げたグンカを振り向く周囲の人々。グンカはその視線から目を逸らし、ニスだけを視界に入れた。そうすると目の前の羞恥だけを心の中心に置くことが出来る。
(やぶさかでは……やぶさかではないがっ…)
物事には段階がある。グンカはそれを重視する性格である。己の中の、目を背けたくなるような切なく滾る想いは、目の前の相手によって満たされる事を望んでいるが、それは時期尚早というもの……と自分を諌める。本音を言えば、”やぶさかではない”。
(互いにそれなりに分別のつく……しかし、俺は…そんな軽々しく…っ!だがっ……満更でもない己がっ…)
「ぐ……ぅ………!」
「…大丈夫?」
空いた手で頭を抱えて、1人で勝手に苦悩しているグンカを、ニスが怪訝な顔で見ている。この芸術祭という楽しいお祭りに似合わぬ顔をしたグンカは、周囲を喜色の顔色が囲む中で浮いていた。
「大丈夫ではないっ…色々…準備。そう、準備が……」
「……それはもうよく解らないけれど、兎に角家には帰るのね?」
「……か……える…!」
「ギャリアーが家で待っているものね…」
断腸の想いで捻りだした言葉を、ニスは簡単に片づけた。グンカは、まだ家を出てそんなに時間は経過していないというのに、かなりの精神的疲労が蓄積していた。
「…俺は、少々疲れた」
「…そう」
「…残り一つの選択肢は聞かんのか」
「疲れたっていうから…無理しなくても…」
「む………聞け」
「…うん……デートの場合は?」
グンカは上気した頬をニスに寄せた。周囲の喧騒が声を遮り、言葉が届かない可能性がある。ニスはその顔に既視感を覚えた。
(海水浴での……)
静かな囁きと甘ったるい言葉は、今も耳に記憶に残っている。
「…昼食までは同じだ」
「それから…?」
「…ウォーリーには、すまないと後程謝る」
「…見に行かないの?」
ニスは首を傾げた。ウォーリーの試作に付き合い、当日も見に行くと以前に話していた筈であった。グンカはニスの疑問に答えを返した。
「…ああ、どこも」
「それは…どういう…?」
グンカは何か言う前に、胸元の二つの鍵に触れた。一方は靴を模したギャリアー宅の鍵、もう一つは、細やかな鈴の音がする古ぼけた鍵。より肌に近い、古い鍵に体温が移っている。
「俺の…」
熱の籠った声が、ニスの耳に想いを届けようとした時、後ろから押し寄せる人波が2人の背中を押した。2人は気づけば、リリナグ・ピオンの近くまで来ていた。話に夢中になり、どの位歩いたかが意識の外にあったらしい。
「っとと…!」
「ニス……!」
強制的に前に向かって歩かされ、前に居る恰幅の良い男性に衝突しそうになるニスをグンカが引き留める。組んだ腕では足りない、そう判断したグンカは、腕を外して腰に回し引き寄せた。
「あっ…!」
「暑いだろうが、我慢してくれ」
グンカは人の動く方向に合わせて、ニスの腰を抱えながら歩く。その腕は、今度は離れないようにとしっかりと身体を抱いている。
「もっと強く掴んでいろ、この先さらに揉みくちゃになるぞ」
ニスの手を取って自分の腰を掴ませる。しっかりと寄り添った2人は会場の規制線近くまで人の間をすり抜けながら移動する。ニスは自分の腹辺りに触れるグンカの手が少しくすぐったかった。
リリナグ・ピオンのセレモニーには、観光客や町民が押し寄せ、規制線は歪んでいる。何とか従業員が抑えているが、規制が解除されたらすぐに社屋まで走るようにと打ち合わせている。技師達の殆どは社屋の上の階からセレモニーを見下ろしていたり、作業をしていたり、出社していないかだ。例年、技師の中でも長の立場の者と、彫像の製作者、その弟子だけが式典へ招待される。各方面から招待するため、全員は立ち会えないのだ。それ故に、技師としてセレモニーに立ち会い、彫像の製作者として社長から集まった者達に紹介されるという事は、誉であった。
「始まったみたいだな…!」
「ええ…」
運よく人の隙間から彫像が見える位置を確保した2人。来賓の挨拶があり、技師達を束ねる立場の者が、今回展示される彫像の技術や注目して欲しいポイント等を語り、いよいよ社長スー・チースの挨拶の後の合図によって、4体の彫像に掛けられた布が取り払われる。
「…今回、私が選んだ4体の彫像は、素晴らしいという言葉では言い表せない程の衝撃を私に与えた傑作です。そのマエストロ4名の名を高らかに宣言したくて溜まりませんが、皆さんの驚きの邪魔になってしまうので、皆さんの目でお確かめください。…この4体の製作者それぞれとは、面識がございまして、どの方もこのリリナグ・ピオンの歴史に於いて、稀有でその職人にしか作り得ない作品を残した方々です。既に亡くなった方もおりますが、今ここで最大限の敬意を」
スー・チースが軽く俯いて静かに目を伏せる。瞼の裏に映るのは、技師として働いていた日々の記憶。偉大な職人達の仕事を間近で見られた宝石のような日々であった。
「…それではお披露目の時間と致しましょう!リリナグ芸術祭に相応しい作品を、どうぞご覧ください!」
従業員によって布が取り払われる。彫像は台の上にあり、遮るものなくその様相を見ることが出来た。
「……恐ろしい」
グンカがぽつりと零した言葉は、一番近くの彫像を見て身体の内から出て来た言葉であった。
4体の彫像の内の1体。大胆に見えて細部は繊細。他の3つの彫像は潜源石のガラスを強調しているのに対し、それは彫像の姿の一部となっている。モチーフは人間の女性でその表情は悲痛とも、微かに笑みとも取れる。彫刻の髪の部分にあたる黒色の潜源石の内部で、赤い霧と宝石が上から下に、下から上にと舞っている。
そのテーマは怨念か妄執か。モデルか作者か、どちらかの情念が宿るその作品の名前は【罪過】
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