ベノムリップス

ど三一

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罪人探し編

第39話 幕間「月影遊女」

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 温泉街で湯もみとして働く女がある。働き出した時湯屋の寮に空きがなく、自分で住処を探さなければいけなかった。あちらこちらを探し回り、湯もみの先輩の伝手で色宿の上の三階の部屋を紹介して貰った。まさか色宿の娼として売り飛ばされるのかと警戒していたが、そこは案外居心地が良い場所だった。毎夜煌びやかに着飾る娼達は、明るく朗らかで気風がいい。新しく引っ越してきた女にも気さくに話しかけ、気の置けない友人のような間柄となっている。親しくなるとお互いの身の上話もした。娼達がこの色宿に辿り着いたその紆余曲折は、涙無しには語れない。しかし娼達は酒を煽って、互いの境遇を「最悪だね」と快活に笑い飛ばす。どんちゃん騒ぎをする娼達を神妙な顔で見ていた女は、一人静かに酒瓶を傾けていた、色宿に長居の娼に聞いた。何故こんなにも明るく振る舞えるのかと。長居の娼は言う。「本当は毎夜枕を濡らしているのかもね。でも…不幸でも不運でも、楽しんじゃいけないわけじゃない。どん底に居たって、見せたい姿を見せてるだけさ。意地張ってね」長居の娼は色宿で働く前後の人生を女に話した。娼2人が客の滑稽話をしていると、他の娼達も輪になりこんな可笑しな客がいた、あの生真面目そうな御仁たら…と一つ話す度、竹を割ったような溌剌とした声を上げて笑う。女もまた一時悲しみを忘れて笑った。

 女には恋人が居た。故郷を出てこの温泉街に移り住むきっかけとなった人物、湯屋の一人息子となった男だ。息子はどうやら複雑な生まれをしているようで、最近まで自身の親が義両親であると知らされていなかったらしい。湯屋の跡取りであるもう一人の息子が大分前に亡くなり、今の今まで実母と親戚達が経営を代行していた。実母は身体を悪くして、もう長くは無い。親戚たちが湯屋を誰が継ぐかと水面下で話し、女将である実母の死を指折り数えて待っている中、子どものいない友人夫婦に養子に出した息子の存在を実母は頼った。友人夫婦に届いた実母からの手紙にはこう書いてあった。どうしても実の息子に湯屋を継いで欲しい、最期の時を息子の姿を見て過ごしたい、と。死にゆく友人の頼みを断れず、義両親は息子を送り出した。息子は結婚の約束をしていた女を置いて急遽故郷を離れることになった。男は別れ際、必ず呼び寄せるから待っていなさいと言い残した。女はそれに頷き、待っていると答えて見送った。義両親と女の両親の間で婚約の話が纏まった矢先の事であった。

 女は階下の騒ぎを聞きながら、客待ちの娼と世間話でもしながら自身の部屋で過ごしていた。すると娼が、最近色宿の前に突っ立って、空を見上げる男が居ると話し出した。なんでもその男は、客引きの誘いに乗らず、娼達を選り好みしている訳でも無いらしい。ただ月を見上げている、と。女は余程風流な男が居るものだと思った。先程も立っているのを見たと話すので、入り口近くに座っていたのを立ち上がり、窓の側に移動した。カーテンの僅かな隙間から通りを見下ろすと、確かに男が立っていた。手には桶と石鹸を持ち、湯屋帰りと言う格好だ。男の顔は月明かりに照らされてはっきりと見えた。その視線が天に上る月ではなく、煌々としたこの部屋に向いているということも。女は静かに窓を離れた。そして娼に確かに居たと報告した。娼は不気味な男だと言い化粧を直した後、部屋を出て行った。1人になった女は、あの男が何故この部屋を毎夜見ているのか疑問に思う。男に興味が沸いた。もう一度様子を見てみようと窓際に立つ。窓の正面に居た男の姿は無かった。男はどこに、と少しだけカーテンを開けて通りを覗く。男の姿を見つけた。通りの向こう、月が明るく照らす道を男は歩いていた。何度か足を止めこちらを振りかえって。

男は久しぶりに恋人と散策に出かける約束をしていた。恋人の住む家の前に男が待っていると、恋人の家族が出てきて男に親しげに挨拶した。恋人の家は問屋を営んでいる。男はその問屋に勤めており、その縁で恋人と仲を深めた。男と恋仲なのは家族も承知の事であり、その将来について話を振られることもある。今日も問屋の大将である恋人の父親が、2人の仲を尋ねる。男は、恋人の良い所を話そうとして、口が動かなくなった。元々誠実で真面目な男である、嘘をつくのは苦手だった。それでも父親の目は、子への愛の言葉を期待して待っている。男は心の中心に影の女を据えながら、なんとか恋人への想いを口にする。恋人ではなく、影の女を想って言った言葉であったが、父親は大層満足したようであった。男がうす暗く笑ったのに気付かない。暫くすると、恋人の出かける準備が整ったようで、家の中から服装や髪形を気にする声が近づいてきて、母親の太鼓判を得て玄関から出てきた。恋人は、以前二人で選んだ刺繍の細かいレースの白いワンピースを着ていて…


「あれは……っ!」

ニスは驚愕で目を見開いた。主人公の男の恋人役が着用している白いワンピースに見覚えがあった。舞台とは距離があるが、スカート部分の色のついた刺繍はニスの距離でも見えた。ワンピースを海中に見立てた刺繍。貝やヒトデ、海の美しい生物を漂わせたその後ろに、蔓に扮した白蛇が泳ぐ。揃いの白布は肩に掛けられ結ばれていた。

舞台上の役者は、そのワンピースを翻して衣装の美しさを見せる。デートへの道のりに見立て、観客席に降りてくると周りからは歓声が上がる。大きな通路に面した席に居るニス達の前も、主人公と腕を組んだ恋人役の女が通り過ぎてゆく。ニスはまだそのワンピースが、ニスの知る人物の着ていた物と違うのではと疑っていた。しかし、目の前を至近距離で通るその布地は、確かにニスの記憶にある人物の物と一致していた。確か、名前が入れられている筈と、良く目を凝らして記憶の場所を見つめる。

「ああっ…モリアッ………!」

長い巻貝の中程に、所有者の名前が縫われている。モリアと記されたその白いワンピースは、本来ここにある筈の無いもの。霧の海を越えでもしなければ。じわりと瞳を覆う涙。小さな声で呼んだ名前は、両隣にも誰にも聞こえなかった。

「う~~素敵です!おねえさんのワンピースに激似の感じがしましたが…よく見てみたいです」

観覧席の左端で姉妹並んで演劇を観ていたベンガルは、役者の衣装にも注目していた。煌びやかな衣装やみすぼらしい衣装、装飾品、主役級から端役まで全て覚えておこうと、目を限界まで開いて見ていた。主人公の男と恋人役は姉妹の横も通り、その特徴的なデザインと縫製を姉であるライアも目に留めた。

「そうね。…後で裏方をしている友人に見せて貰えないか聞いてみましょうか?」
「えっ!?おねえちゃん、カメリア一座に友達がいるんですか!」
「ええ…中央のデザイナー学校に通っていた時の同級生が居るの。時々手紙で遣り取りをしていて、今回の公演も予定の段階で教えて貰ってね。友人という事でチケットをある程度確保して貰ってたのよ」
「根回しってやつですね!」
「う~ん…まあ、少し狡い方法ね」

ライアは御茶目な表情を妹に向けた。

「ズルでも演劇が見れたら万々歳です。衣装を見せて貰えそうなときは、おねえさんも連れて行っていいですか?」
「ふふ…ニスの事、気に入っているのね」
「あたしは年上好きですから!……それとは別に等倍可愛いとも思ってます」
「あらあら…ギャリアーさんはいいの?」
「2人と仲良く暮らせれば最高です…!」

舞台上の役者は、次の展開に向けて踊り出す。


 女は毎日色宿の前に立つ男の事が気になっていた。何故見上げているのか?この部屋に思い入れでもあるのか?自分を知っているのか?気になる事ばかりで、湯もみの仕事の最中にも、月光に照らされたあの男の顔が思い浮かぶ。女はある夜、男に接触してみることに決めた。毎日同じような時間に来ることは分かっているので、通りがかる時間の少し前に部屋を出て、色宿の横の道に隠れたならば、近くで男の様子を伺える。女は探偵にでもなった気分で月が昇るのを待った。夜が来て1人路地に隠れていると、前の通りを様々な人が通り過ぎてゆく。色を求めた侘しい人に、湯屋帰りの年配、肩を寄せ合う恋人達、その仲睦まじい光景を見ていると、過去の記憶を思い出す。

 何時まで経っても恋人から呼び寄せる手紙が届かないのを女の両親と相手の両親が心配して、女をこの温泉街に寄越した。湯屋の名前は聞いていたので恋人はすぐに見つかった。湯屋で下働きから叩き込まれ、跡取り修行に励んでた。恋人は湯屋に尋ねてきた女の姿を見ると、顔色を悪くした。それに気づいても恋人に抱きつくと、おずおずと抱き返して何故ここに居るのかと問う。その時、湯屋から出て来た親戚が凄い顔をして女を恋人から引き剥がした。親戚は恋人に詰め寄り、肩口に顔を埋める。恋人は親戚を抑えて湯屋の中に戻し、女に住所を書いた紙を渡した。そこで話そうと。女は何が何だかわからぬまま、湯屋を後にした。仕事を終えた恋人がと合流したのは夜の10時頃だった。恋人の住むアパートの前の公園で待っていた女は、漸く現れた恋人の申し訳なさそうな顔に事情があるのを察する。2人してアパートに入ると、恋人はぽつりぽつりと話し出した。あの親戚の女は実母と親戚一同が決めた婚約者であり、結婚する代わりに湯屋の経営を手伝って貰うという話だった。女は驚きで恋人の話が終わるまで黙っているしかなかった。恋人は、女を妻にするつもりだと説明するが、女は親戚の女と恋人の間に男女の匂いを感じ取っていた。それを問い詰めると、恋人は迫られてつい…と言い女に謝った。女が事情はわかったと言うと、恋人は会いたかったと抱きしめる。肌を合わせて眠る恋人は安らかな顔をして眠っている。女はもやもやした気持ちを抱え朝を迎えた。

女が色宿の三階に引っ越した理由は、温泉街に留まり恋人の側に居る為と、親戚の女に恋人のアパートに居る姿を見つからないようにする為であった。時折癒しを求めて女の元を訪れる恋人。こっそりアパートの様子を伺った際に、親戚の女を部屋に居れていたのを知っている。女は抱かれる度、愛を囁かれる度に不安になる。恋人の心は何処にあるのか?抱きに来るばかりで、単なる愛人にされようとしているのか?女は笑顔を浮かべる恋人のその裏の顔を勘繰ってしまう。以前の穏やかで優しい一途な恋人と、欲に駆られた恋人の顔をした男は同じ人物なのかと。あれ程胸をときめかせ、世界の中心に居た恋人との思い出に影が差す。


カメリア一座の公演中、サブリナ警備隊の刑事部門では会議が行われていた。
逮捕された男の部屋から出て来た物、実際に販売されていた物、そして購入された物を部屋の中央に置いて、その事件に関わる刑事たちが何か手がかりは無いか話し合っていた。その中心は刑事部門長のハナミで、顎に生えた無精ひげを指先で弄りながら報告を聞く。

「販売を引き受けていた商店は、盗品だとは知らなかったと一貫しています」
「拘留中のバッツは、相変わらずこの品々をどこから手に入れたのかはっきりしません。忘れたとか、拾ったとか、そんなことばかり話しています。あの野郎」

血気盛んな若手の刑事が、バッツの憎たらしい顔を思い出して怒りに震える。

「まあ落ち着け。…所で、この小物は置いといて、衣類について分かったことは?」

中央に置かれた机には小物類、机を囲うようにマネキンに着せているのは8着の白いワンピース。そのどれもが似たようなデザインと縫製だった。

「サブリナ内で服の縫製をしている店を回りましたが、どの店の商品でもないようです」
「うーん……ならリリナグなのか。それとももっと外、中央…」
「これ、手縫いですよね。複数人で分担して…それでも大変だろうな…」
「ん?」

ハナミは部下の発言に引っ掛かりを覚える。

「何で手縫いだとわかった?人数も」
「あっ!絶対そうだとは言えないんですけど、私も刺繍が趣味なので…」
「いい、言ってみろ」
「はい。ここ見てください」

部下はワンピースのスカート部分のある刺繍を見せる。

「この刺繍、すっごい細かくて綺麗ですよね?」
「ああ」
「こっちを見てください」

今見せたのと同じモチーフとデザインを横に並べる。

「同じ形ですけど、出来栄えが全然違うじゃないですか?」
「…そう、言われて見ればって感じだな」
「ちょっと失礼ですけど、こっちは凄く上手な人が作って、こっちはあんまり針仕事が得意じゃない人が作った感じがしませんか?こっちは質感も拘っている感じで、こっちはなんとか下絵通りに針を通したって感じで線がぶれてます」
「お前らも見てみてくれ」

ハナミは他の部下にデザインを比較させた。
同じ特徴は他の7着のワンピースにも共通していた。

「あと、よく見たらモチーフの中に商品名なのか名前なのかが隠れています。こっちがミランダ、こっちがコリン…」

部下は隠された文字を読み上げてゆく。ハナミはそれを手帳にメモした。

「あと気になるのが、この白いショールも似た様な刺繍と文字が入ってるんですよね」
「ワンピースと揃いだって事か…?」
「すいません、いいですか?」
「何だ?」

部下がおずおずと手を上げる。

「このワンピースと似た様なの、あたし昨日見ました」
「!…どこで?」
「見間違いならそれまでですが、その…カメリア一座の、役者の衣装で…」

ハナミは時計を確認する。

「公演が終わるまで時間があるな。よし、2人とも俺に着いて来い。他はこのワンピース1着ずつ持って、記された文字とワンピースに見覚えがないか聞き込みだ」

はい!と気合の入った返事をする刑事達。ハナミは漸く手に入れた手がかりを逃すまいと劇場に向かう。
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