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26話 メイクミーハッピー

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 タマ達に大会前の最後の週末に稽古をつける。二人とも疲労のピークに達しているはずだが動きは悪くない。

「タマも美羽もしっかり仕上がってるな。スタミナも問題ないだろう」
 5ラウンドの実戦形式の組手を終えて二人に声を掛ける。
「咲耶先輩と同じ練習メニューをこなしたけんね! ボディーもしっかり鍛えたし」
 汗で重くなった道着を肩にかけた美羽が腹のあたりをペチペチ叩きながらにやりと不敵な笑みを浮かべる。Tシャツは汗で身体に張り付き割れた腹筋が浮かび上がっている。

「美羽、さっさと着替えてこい! 水飲みすぎるなよ」
 割れた腹筋と同時に慎ましい胸部に浮かび上がる黒いスポーツブラのラインは周りに男どもの視線が無いとしても兄として心配になる。美羽は『う~い!』とか言いながら更衣室に入っていく。

「タマ、体調はどうだ? どっか痛めていないか?」
 道場の隅で咲耶とストレッチを始めたタマに声を掛ける。
 タマはこの数か月で体術は格段にレベルアップしている。タマの破壊力抜群のパンチ力もキレが増した上に、減量の効果かスピードと持久力は格段に進歩している。

 「大丈夫だよ。身体のあちこちが筋肉痛だけど怪我はしてないよ」
 以前よりダブついた道着のタマ。

「へへ~。今のタマちゃんは強いよ~。今月だけで60ラウンドは組手したし、うちがキックボクサー対策もばっちり仕込んどいたけん!」
 タマに背中を押されて床で土の字を体で表現しながら咲耶が口をはさむ。

「キックボクサー対策? なんでだ?」

「翔に言ってなかったっけ? うち半年くらい前からキックボクシングのジムに通ってるんよ。タマちゃんが優勝するには翔の彼女に勝たんといかんやろ?」
 咲耶は凛がキックボクシングしていることを知っていたのか。

「翔くん、私ね、もう今回の大会で試合に出るのは最後にするの。優勝出来るなんて思ってもいないけど、今までここで稽古してきたことを全部出しきりたいの」
 言葉とは裏腹にふんわりした笑顔。
「そうか…… でも、もったいないな。タマの前へ前へ出る組手は俺の理想なんだ。大会では出来るだけたくさん見せてくれ」
 でも、大会にエントリーしなくなるだけで道場を辞めてしまうわけではないが、試合で戦うタマを見るのはこれが見納めって事になるのか。
 一撃で意識を刈り取る蹴りや突きの弾幕を潜り抜け受け止めて相手を倒す組手。勇気と自分に自信がないと出来ないスタイル。気が弱かったタマが必死に身に着けたスタイルだ。

「……私の理想の組手は翔くんの組手だよ。私はただ真似しているだけ」

「俺の組手が?」

「翔はディフェンスが上手いけん最近はカウンターを使うけど、タマちゃんの組手は昔の翔の組手に似てると思うんやけど?」
 うんうんとタマが頷いている。
「俺は痛いのは嫌いだからな。ディフェンスは徹底的に稽古した。稽古では死ぬほどお前に殴られたけどなぁ?」
 ボキボキと拳を鳴らしながら咲耶を威嚇する。咲耶は『翔が怒った~』とか言いながらタマの後ろに隠れる。
 本気を出せば俺より咲耶の方が強いだろうが。
 稽古終わりの筋トレを軽めに行い、全員で入念にストレッチをして身体をほぐして稽古を終える。
 大会に出場しない俺は気が楽だ。

 稽古をからの帰り道。俺から小銭をせしめコンビニにアイスを買いに走って行く美羽の背中を目で追いながらタマに声を掛ける。

「なあ、タマ?」
いきなり立ち止まった俺にタマは振り返る。

「これ、受け取ってくれないか?」
背負ったリュックから綺麗にラッピングされた小さな箱を取り出す。

「……ありがとう! でもどうして?」
 きょとんとした顔で手のひらに置かれた小箱と俺の顔を交互に見ている。

「あ~、大会の練習頑張ったご褒美と、いつもお世話になっているお礼にと思って。高価なもんじゃないから遠慮しないでくれ」
 中身は以前、タマに買った香水だ。ホントは大会が終わった後で渡そうと思ってたんだが。

『開けてみていい?』といって丁寧に包装を開けてくれる。

「すごく、いい匂い……」

「タマの雰囲気に合う香りだと思ったんだ。気に入ってくれるといいんだが」
 なぜか、改まってタマにプレゼントを渡すのは照れくさいな。今まで誕生日やクリスマスで何度もこういう機会はあったはずなんだが。

「もちろん、翔くんの選んでくれたものだからとっても嬉しいんだけど…… でも、いいの凛ちゃんに怒られちゃうよ」
 ちょっと心配そうな表情になっている。

「大丈夫だ。凛と付き合う前に買ってたもんだし」
「そうなんだ、じゃあ吉田家の家宝にして一生大事に飾っておくね!」
「いやいや、いつでもいいから使ってくれ。それより、今日は昼飯はうちに食べに来いよ。今日は母さんが作ってくれてるんだ」
 ぶっちゃけ、母さんよりタマの飯の方が旨いが、今日の昼飯はカレーだと言っていた。突然人数が増えても大丈夫だし、タマも毎日、料理をするのは大変だろう。

「ううん、ごめんね。今日はお父さんが家にいるから、帰ってお昼ご飯の支度しなくちゃいけないの。じゃあ、またね!」
 俺の家の前で笑顔で手を振るタマと別れる。美羽に言われて無理やり買わされたようなプレゼントだったが、喜んでくれたようで良かった。俺は安心して家に戻った。


* * * * * *

 私は家に戻りお父さんのお昼の準備をしようとするが、料理をする気力が全く湧いてこない。
(こんなことは初めてだよ)
 冷蔵庫の扉に手をかけたものの結局、扉を開ける事無く溜息をついて自分の部屋に戻った。

 机の上には丸いデザインのガラスの小瓶。蓋も開けていないのに微かに香水の香りがする。
 ブーケみたいに何種類の花の香り、ほんの少し甘い果物のような香りも感じられる。

「……ホントにいい匂い…… 」
 私は重ねた腕に頬をのせて横目で小瓶を眺める。

(凛ちゃんと付き合う前に私のために選んでくれてたんだ……嬉しいな……)
 でも、私の心臓は翔くんの顔を見るたびにぎゅっと痛む。

 3日前、アルバイトから帰ってきた翔くんの顔を見てからずっとこんな感じだ。

(やっぱり、翔くんは凛ちゃんを好きになったんだ。翔くんは顔に出過ぎだよ……)
 また、胸が痛む。今度はさっきよりずっと酷い。

「……よかったね。わ…たしも… が、頑張っ…て、素敵な…恋人…作ら…な……きゃ」
 涙腺が壊れたみたいに涙が流れる。

「翔くんの事、あ…あきらめるって、決めたのにぃ… ダイエットして…綺麗になって翔くんより…カッコいい男の子と…付き合って…」
 気持ちがぐちゃぐちゃになった私は震えながら短い悲鳴のような嗚咽を漏らしていた。

「……翔くんより、好きになれる男の子っているのかな…… いいな…いいなぁ……凛ちゃん」
 多分、泣き腫らして真っ赤に充血している目でもう一度、小瓶をぼんやり眺める。

「make me happy…… 今の私にとっては、ひどい言葉じゃないかな……『幸せにして』なんて……」
 また、涙が出てきそうになったときにドアがノックされる。お父さんだ。

球恵たまえ、昼飯作ってくれよ。お父さんお腹が減って死んじゃうぞ~」
 時計を見ると午後1時を回っている。
「すぐに準備するからテレビでも見て待ってて」
 出来るだけ明るい声を出してドアの向こうのお父さんに返事をする。

 洗面台で顔を洗って台所でお昼ご飯を作るっていってもスーパーで買っていた3食98円の焼きそばだ。
 最近は翔くんの家にご飯を作りにいかない日はスーパーのお惣菜や冷凍食品なんかの簡単なもので食事を済ますことが増えてきた。

「それまでは、毎日、ネットで見つけた美味しい料理の練習してたんだけどな……」
 ぼんやりとりとめのないことを考えながらも私の手は野菜を刻み、肉に火を通して焼きそばを作っていく。
 10分も経たずに焼きそばは完成して、テーブルにお父さんに3人分の山盛りの焼きそばをお皿に盛って部屋に逃げ帰る。ちょっと今はご飯を食べようという気がない。

「ちゃんと食べないと翔くんに怒られちゃうな……」
 なぜか笑っていた。いつも私は翔くんの事ばかり。

「諦めるっていっても、何年かかるんだろう…」

 もう何年も片思いなんだ。本当に諦めきれるんだろうか?


* * * * * *


吉田 球恵さんのステータス

身長 160㎝
体重 71キロ→69キロ (トータル9キロ減)
BMI 26.9 肥満 (10代平均が 20.5位です)


* * * * * *

この話に登場する香水は実際に販売されているものですが、香りの表現やイメージは人それぞれですので読者様とイメージが違っていたらスミマセン……

凛は『サムライ』 
 好きなんですよね、これ付けている女の子。サムライのネーミングに恥じないクールな香りと言いますか……

タマのメイクミーハッピーは白い小瓶に入ったホワイトブーケがイメージです。高校生の翔吾が選んだように少しチープな感じもしますが、優しくて柔らかい感じです。

ちなみに、妹の美羽はジパンシーのウルトラマリン。皮膚科の女医さんがつけていてムラムラしたことがある程好きな香りです。メンズですが。

翔吾はカルバンクラインのCK-1がイメージ。ちょっとヤンキーと言うか硬派な感じのイメージがあるんです。


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