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21話 ステージⅢ

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 映画をみてどこかでお茶でもするかと思いながら歩き始める。

「ねぇ、翔吾。付き合ってほしいところがあるんだけど……」
「なにか買い忘れたものでもあったのか?」
「違うの。お父さんの…お見舞いに…ついて来てほしいんだけれど……」
 いつか見た悲しそうな怒ったような表情。

「いいよ。俺に拒否権はないんだろ?」 
 好き好んで女子の父親に会いたい高校生男子はいないと思う。

「……翔吾がいやなら無理にとは言わない。けど…近くにいてほしい、お願い」
 不安そうに体を揺らしながら俯く。凛らしくない。

「わかった、朝飯にトマトを出さないって約束できるなら行く。特に浅漬けを出したら凛を軽蔑する」
「なにそれ。どれだけトマト嫌いなのよ?」
 ホッとした顔で俺が両手で持っていた紙袋を一つ凛が受け取り、腕を絡めてくる。

「手を繋ぐくらいで勘弁してくれ、胸が当たってて鼻血が出そうだ」
 顔がカッと熱くなる。ホントに鼻血でるぞ? さっき買った服が血に染まるぞ?

「当ててるの。……ついて来てもらうお礼よ。明日童貞の友達にでも自慢しなさい」

 * * * * * *

 病室が続く白い廊下に凛のパンプスが鳴らす足音が響いている。コンビニで買った見舞いの品を手に下げた凛が足早に俺の少し先を歩く。消毒液の匂いと蛍光灯の照らす廊下が昔の記憶を無理やり思い出させる。

 この病院……タマのお母さんが亡くなった病院だ。薬の影響で痛々しいほど痩せて、ニットキャップをかぶったタマのお母さん。大きな点滴をずっと腕に差していて、タマが泣きそうな顔で縋りつくみたいに手を握ってた。
 大きく息を吐いてシャツの胸のあたりを握り締める。息苦しい、胸がきりきりと痛む。

 凛は病室の前でスライドドアのノブに伸ばしかけた手を止めて俯いている。
「入らないのか?」
 俺の声にピクリと身体を震わせてノブを掴む。
「翔吾は…ナースステーションの前に、ベンチがあるからそこで待ってて……」

 不安そうな凛の隣に立ってノックをする。中から返事が返ってくる前にドアを開け、凛を部屋に押し込む。

 ベッドでは痩せた男が顔だけこちらに向けて寝ている。やはり黒いビーニーをかぶっている。

「お父さん、お見舞いにきたわ。生きてるの?」
 ドアの前の不安な表情はなくなっている。いつもの凛だ。

「凛~ひさしぶりだな…って、そいつは誰だぁ?」
 ベッドから身体を起こした凛の父親が俺に鋭い視線を投げてくる。

(うう、どこの馬の骨ってヤツだ……)
「初めまして、村上といいます」
 背筋を伸ばして15度身体を傾けてお辞儀をする。バイトの入社時前研修で習ったやつだ。

「ほぉ~男を連れてくるとはねぇ……お前ら付き合ってんのか?」
 顎の無精ひげをなでながら凄まれる。やっぱり付いてくるんじゃなかったか?
「うん、これでお父さんも安心したでしょう?」
「凛、手術は成功したんだし『もうこれでこの世に未練ないでしょ?』みたいな言い方は止めねぇか?」
「冗談よ。手術は完璧に成功ってきいてるもの。だからお見舞いなんて必要ないでしょう? 我が儘を言わないで」
 凛の様子が病室に入るまでかなり不安気だったので親父さんの病状を心配していたが経過は順調らしい。

「なかなかいい筋肉にくの付け方してんな? 体重は?」
 ぼんやり親子の会話を聞いていた俺に急に話題を振られる。
「な、75キロです……」
「絞ってウェルター級か」
「お父さん、翔吾はキック(ボクシング)はしてないから。それに9キロもどうやって絞るのよ、死んじゃうわ!」
「なんだよ、ツラは不味いがいい目つきしてると思ったんだけどよ~」
「お母さんが翔吾は若い頃のお父さんにそっくりって言ってたわ。お母さん好みの顔らしいわよ」
「留美さんが!? ヤバイ、夜のオツトメも入院してからご無沙汰してるし……凛、今から帰るぞ!」
「娘の前で生々しい話は止めて!」

 凛は買ってきた差し入れのプリンやらお茶などを冷蔵庫に放り込む。
「お父さん、痩せたね……」
 冷蔵庫の扉に話しかけるように凛が言う。
「先生が念のために抗がん剤打つってよ。飯が食えなくって痩せるわ痩せるわ。うちの練習生にでも処方してもらいたいくらいだ。お前こそ、この時期からそんなに絞ってちゃ練習出来ないだろ? プロテストは8月なんだからよぉ。練習ガンガンすれば普通に身体は絞れてくるんだ。減量は最後の1週間でいいって」
「大丈夫。しばらく食欲がなかったけれどもう大丈夫だから」
「プロテスト? 受けるのか」
 プロを目指しているってそういえば言ってたな。
「まっ、今回受からなかったら諦めて大学に行け。勉強は留美さんに似て出来るんだからよぉ」
「受からなかったらそうするわ。受からない訳ないけれど」
 不敵に笑みを浮かべる凛。
「まっテストまで必死に練習しろよ。渡辺ジムに活のいい女が入門したっていってたからスパーに行って来い。哲夫さんには言っておくからな。それと、来月の極新空手の試合もエントリーしといたから練習がてら優勝して来いよ。負けたりなんかしたらプロじゃやってけないからなぁ」
 最後になんかすごいこと言ってるこのオッサン。

「凛、お前体重いくつだ?」
 凛は華奢だが身長が170㎝はある。50キロ以下なら咲耶と対戦、以上なら……

「女の子に体重を聞くなんてデリカシーの欠片もないわね」
「その大会でタマが50キロ以上の部にエントリーしてるんだ……」
「ふ~ん、タマと対戦できるんだ、いいわね…… 私はバンダムよ」
「バンダム級って50キロ以上か?」
「バンダムは53.5キロがリミットだ。減量後だから普段はもっと重いけどな、カカカッ」
 凛は無言でがお父様の頭を張り倒していた。

「凛、コーヒーでも買ってこい」
「俺が行きますけど……」
「少し凛の男と話してみたいからなぁ」

「わかった、ホットでいい?」
「何でもいいから早く行ってこい」
 凛が病室から出ていく。

「村上っていったっけ? 凛のことどう思う?」
「どうって……綺麗で…意外と優しくって…」
「違う違う。ボクサーとしてどうかって話だよ。多分、プロテストは問題なく受かるだろうけどよぉ。そん中でてっぺん取れると村上君は思うかって聞きてぇんだよ」
「……無理です」
「ほぉ? うちの自慢の娘なんだけどよぉ、理由を聞かせてもらおうかぁ?」
 言葉とは反対に凛の親父さんはニヤリと笑って続きを促す。
「攻撃のタイミングが分かりやすいとか、コンビネーションが単調だとかすぐに改善できる部分もありますが……絶対的にパンチが軽い……凛の身体は壊れやすい……華奢でもろすぎる……」

「カカカ! 気に入ったぜぇ、分かってんじゃねぇか。まぁ小さなジムでトレーナーとして生きていくっつうんならプロテスト合格するだけでいいんだけどよぉ、凛はそれじゃあ満足しない。欲張りなんだよ昔から」

「多分、そうでしょうね……」

「翔吾って言ったけなぁ? 凛に諦めさせてやってくれねぇかなぁ?」

「…………」

 * * * * * *

 30分程、凛の親父さんと話していたが少し疲れたらしい。買ってきたコーヒーに手を付けることもなく、少し寝ると言ってベッドに横になったタイミングで凛と俺は病室を後にする。

 エレベーターを待つ凛がぽつりと俺に話しかける。
「翔吾…… インターネットってね、残酷なんだよ」
 デジタル表示されるエレベーターの現在の階数を見上げながら凛が言う。
「いきなりなんだ? 残酷って?」
「お父さんは胃癌のステージⅢ。私ネットで何気なく調べたの。お医者さんは手術は大成功だ、すぐ良くなりますよって言うから……」
 エレベーターの扉が開く。
「どうしたんだ? 完治するんじゃないのか?」
 この言葉を吐いた俺は後でひどく後悔する。
「今はね、5年後や10年後の生存率って言うのも検索ってタブをタップするだけで分かるのよ……」
 俺は行先の階を選ぶこともなく背中越しに凛の話を聞く。
「お父さんの5年後生存率は50%……半分なんだよ……」
 絞り出すような凛の声が昔の記憶を抉り出す。
 タマが泣きながら俺の胸を叩く声が凛の声と重なる。

 慰める言葉はいくつも思いつく。

あんなに元気なんだから大丈夫だ。
凛のお父さんは普通の人より体力あるだろ、大丈夫!
手術は成功したし治療も熱心にしてもらってる、5年どころか80歳まで大丈夫だ!

 俺はつらつらと思いつく慰めの言葉は言うことは絶対に出来ない。凛と一緒にエレベーターの中で俯くだけだ。無力を痛感する。

 凛はエレベーターの扉が閉まっても何も言わずに唇をかんで俯いたままだ。
俺にはもうかける言葉はない。だけど…

 足元に両手で持っていた紙袋を落し、凛を抱きしめる。殴られるのは覚悟の上だったが凛は何の反応もせずに俺の胸に顔をうずめる。表情は分からない。

「凛、頑張れ…頑張れ…頑張れ…」
 俺には頑張れって言うのが精いっぱいだ。『大丈夫』っていう言葉。気休めの言葉は凛の気持ちをえぐる。
 ライトブラウンの髪を何度も何度も撫でながら呟くくらいしか俺には出来なかった。
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