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第十六話 漢・雷神の苦悩

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「おうおう!オレが居ない所で復習に励んでいるとは殊勝な心構えじゃねーか!とりま助かったわ、サンキューな」

「お、おう。気にすんな、それよか大丈夫かよ」

「大丈夫だからこうやって風神様が来てやってるんだろうがよ。それよかオマエ、人に話をする時はちゃんと相手の顔を見ろって教わんなかったか?勉強してんのはいいことだけどよ、喋ってるトキくらい振り向けや」

「・・・悪かった」

クルリと回転式の椅子を回して振り返ったレイは、叱られた子犬みたいな顔をしてビックリするくらい素直に謝った。

「らしくねえな、なに謝ちゃってんだよ。冗談だろ?助けてもらってばっかなのはオレの方なのに、なんでお前がショゲ散らかしてんだ?意味わかんねえし、こっち向けつったのもいつものノリだろ?」

レイは下を向いたまま目を合わせようとしないばかりか、膝の上でギュッと拳を握ったまま下唇を噛んでいる。

「おいおい、マジでどうした?相方がそんなに悔しそうな顔しているのに黙っちゃいられねえ、オマエがどうにもできないんならオレが何とかしてやるから素直に言ってみろよ。あ、ひょっとして昨日教えたところがわかんなくなっちまって聞きづらいのか?どれどれ、今どのへん頑張ってんだ?」

机の上に開かれてある教科書を見ようと近づいたその時。

「ば、ばかやろう!ふいに近づくんじゃねー!」

肩を突っぱねられて押し戻され、さすがにドタマにきた。

「オメエさ、人が親身になって勉強教えてんのになんだその態度は?今回のこともそうだけど、助けてもらってばっかだからオレなりに力になろうとしてるんじゃねーか!わーた、もういい帰る。あとは自分で何とかしろ、留年しようがどうなろうがオレの知ったこっちゃねえ!明日牛島さんとこ行ってくるわ、『風神雷神解散します、申し訳ございません』ってな!」

荷物を担いで勢いよく部屋の扉を開けると、そこにはおばちゃんが立っていた。

「二人とも、ちょっとそこに座りなさい」

これを受けてレイが真っ先に床に正座する。おばちゃんの威圧感たるや、ビリビリとしてとんでもねえのはオレにもわかり、レイの隣に正座して座る。オレらの前におばちゃんも正座して、話し始めた。

「申し訳ないけれど、気になったから二人の会話は最初から全部聞いていたわ。レイ、『申し訳なかった』なんていきなり言われてコハクちゃんがわかるわけないでしょ!それに加えて『近づくんじゃねー』なんて言われたら、傷つくし怒られて当たり前でしょ!テストで赤点取って補習や追試の為にコハクちゃんに時間作ってもらっているのに、何という言い草ですか!」

おばちゃんの口調がだんだん荒くなってくる。チラリと横を見ると、デカイ図体の雷神が、益々叱られている子犬みたいに小さくなっていくのを感じる。

「コハクちゃんも、短気を起こしちゃいけません!貴女だっておばちゃんにしか話せない事があるように、この子にだっていいにくいこともあるのよ?風神雷神はあなた達二人しかいないのだから、お互いがつまらないことでいがみあってどうするの!レイ、コハクちゃんに言いにくいんだったら私が言ってあげる。どうするの?」

じっと下を向いて聞いていた雷神は母親の言葉を受けて真っ直ぐに顔を上げた。

「母ちゃんわりい、オレちゃんとコイツに言うわ」

「わかりました。立会人として私が見届けるから、コハクちゃんも茶化したり馬鹿にしたりせず、この子の素直な気持ちを聞いてあげてちょうだい。この子なりに悩んでいるのだから、風神雷神の相方として、ちゃんと向き合って聞いてあげて欲しいの」

さっきオレに寄り添ってくれたおばちゃんが、厳しくも真剣な表情で話をしている。おばちゃんの目を見てコクリと頷き、体をレイの方に向けて背筋を伸ばす。

「おばちゃんがここまで言うんだから相当言いにくいと思うけど、相方の風神としてちゃんと聞くし絶対に茶化したりしねえ。だから一人で苦しまずに言ってくれ!」

これを聞いて初めて雷神はオレの目を真っ直ぐに見て、あらためて座り直し、同様に背筋を伸ばして胸を張った。スゥーっと大きく深呼吸をした後に訴えかけるような目でオレを見て、話し始めた。

「すまん!風呂から出て倒れたオマエを『見てはいかん』とわかっていながらも、オレは自分の理性に勝てずに見た。申し訳ねえ!」

初めてレイが深々と頭を下げた。風呂に浸かって湯あたりして、意識がボーっとなって失態をさらしたのはオレの方なのに、コイツはオレを助けて学校でも今回も担いで運んでくれたってのに、自分の弱さが相方を裏切ってしまったと悩み苦しんで口を利けなかったのだ。こんなに素直で愚直なバカヤロウ、この世の中に居るだろうか?どっからどう見ても優しさのカタマリじゃねえか。教科書を覗き込まれてオレが近づいた時でも、見てしまった罪悪感とドキドキしてしまった感覚が戦っていて、咄嗟にオレを突き放したんだろう。三十秒くらい頭を下げていたレイを見てあれこれ考え、オレは初めて相方の前で泣いた。

「頭を上げてくれ。学校で倒れて紫音さんを呼びに行ってくれたり、牛島さんに頭下げてくれたり、今回もそうだ。オレってばいつも助けてもらってばっかなのに、今まで一回もオマエからドヤ顔されたことはねえ。目の前に居る人間を助けただけなのに、自分を責めちまう大馬鹿ヤロウだよオマエは。補習再試験四教科、風神の名にかけて雷神には最高得点を叩き出させてやるから、これからも歯食いしばってついてこい!そして相方であるオレが風神でいられるように、これからも当たり前に助けてくれ。オレも出来る限り努力するし、足りなかったらぶん殴ってくれていい。最後に、オマエが一番気になっていること。今までもこれからも、相方のオマエ以外に見せるつもりはねえ。だから・・・いいよ。こちらこそありがとう」

泣く子も黙る雷神が、目にいっぱい涙を溜めてこぼれない様に我慢している。オレを辱めてしまったんじゃないかと自分を責めて、その持って行き場がわからなくて一人で苦しんでいたんだろう。オレは座ったままレイに近づき

「これからもよろしくな、相棒・・・」

と呟いて包み込むように優しく抱きしめた。苦しみから解き放たれたんだろう、ガチガチに力が入っていた首の力がふっと抜けて、鼻をすする音が聞こえた。そしてオレに頭を抱え込まれたまま、

「どんな時でも絶対に守ってやる、風神雷神は二人で一つだ」

とヤツが言う。

「はーい、二人とも仲直りできたわね。体が男だとか女だとか、あなた達の間にはもっと優先すべきことがあるでしょう?レイはコハクちゃんを守る、コハクちゃんはレイが落第しないようにちゃんと見る。そして外では無敵の風神雷神コンビ、おばちゃんがしっかりと見届けたからね。コハクちゃんが許してくれたんだから、もうモヤモヤしてないでレイもお風呂入ってらっしゃい!コハクちゃんはリンゴ剥くから手伝ってちょうだい」

風呂に向かったレイは、まるで憑き物が取れたように爽やかな顔していた。それを見届けて立ち上がろうとした時、

「男の子ってバカで単純でしょ?自分から助けておいて、あんなことで悩むのよ。でもね・・・女や子どもに平気で暴力振るう男がいる中で、一緒に買い物行って荷物持ってくれたり、今回の件で悩んでくれたりする子に育ってくれてよかったと思っているの。コハクちゃん、ちゃんと正面から聞いてあげてくれてありがとう」

「いや、無神経だったのはオレの方っす。アイツがそんなことで悩んでいるなんて、これっぽっちも考え付きませんでした。改めてありがたい環境に居られるんだなって思ったし、相方を誇りに思います」

レイが風呂から上がっておばちゃんと剥いたリンゴをシャクシャク食べながら、補習の様子を聞いてノートを見ながら黄色のマーカーを引いていく。テストで間違えた部分と補習の内容がわかれば、追試テストの予測はオレにとってそんなに難しいことじゃねえ。その後、明日行われる英語の予習とテストで点数取れなかった部分の説明をして、今日もおばちゃんの横に敷いてある布団に入る。

「今日はいろいろあったわね」

「うっす、でも本音が聞けて良かったっす」

「学校は学生服だから問題ないと思うけれど、コハクちゃんくらいの年齢になると女の子はいろいろ気をつけなきゃいけないことが増えてきて、母親だったり周囲の友達からだったりから注意されて気をつけるようになるものよ。どうしても男の子の視線がいってしまうから、『足を閉じて座りなさい』とか『胸元が見える服を着ている時には、前屈みになる時に気をつけなさい』とかね。あの子も年頃だから、興味を持つなという方が難しいと思うの。ちょっとだけ気に掛けてやってくれるとおばちゃんも助かるわ」

「うっす。アイツに苦しい思いさせたくないんで、オレも気をつけます。おやすみなさい」

補習期間が終わり行われた追試、レイは追試組の中でぶっちぎりトップの成績を叩き出し、文句なしの状態で無事に夏休みに入った。

(やれやれ、ひと仕事終わったぜ!)

と荷物をまとめていると、

「あら、コハクちゃん帰っちゃうの?」

とおばちゃん。

「うっす。親父はどうせ帰ってきてないと思うんすけど、それなりにホコリは溜まるし空気の入れ替えもしなきゃなんで、帰るっす」

「そうよね、こちらにいると気疲れしちゃうわよね。一人でいる方が気楽よね・・・」

寂しそうにおばちゃんが話す。

「いえ、ホントそういうんじゃないっす!一人で飯食うよりもおばちゃんのご飯すっげーうまいし、手伝いするのも全然苦じゃないっす。ただ本当に空気の入れ替えしなきゃってのと、夏休みの宿題ウチに置きっぱなしで手着けてないんで・・・」

「じゃあ、定期的にレイを連れて換気しに帰ればいいじゃない?宿題もこっちに持って来てやってくれたらあの子も助かるし。何よりコハクちゃんが居てくれるとおばちゃん嬉しいんだけど・・・ダメかしら?」

この優しいおばちゃんに何と言えばいいんだろう。正直イヤではないし、かといってハイソウデスカってわけにもいかねえ。そしてオレ自身、何を困ってるのかがよくわかんねえ・・・そんな時、レイが口をはさんだ。

「母ちゃん、コハクはモノじゃねえんだ。オレが思うに、生活に不便を感じたり母ちゃんと居るのがイヤってわけじゃねーと思うんだ」

「そう、それだよレイ。よく言ってくれた!自分でもなんて言っていいかわかんなかったんだ、さっすが相棒だな!」

「おう。学校とかオモテでケンカしたりとか、そういうのは平気だと思うんだけど、オレが一つ屋根の下で一緒に生活してるってのが耐えられねーんだと思うんだ。そりゃ母ちゃんにも言いにくいだろうぜ」

相棒を褒め称えて腕組みしてニコニコしながら聞いていたら、とんでもない言葉が出やがった!

「マテマテ、それはちげーぞ!こないだ真正面から言ったじゃねーか!『オマエだったらいい』って、ほんで『これからもよろしくな、相棒』って。人が気持ちよく褒め称えてたらとんでもねえ爆弾投下しやがるな、オメエはよ!んもう、いま思いついたから言うわ!おばちゃん優しいしレイも頼もしいからお世話になること自体はぜんぜんイヤじゃねーよ。ただ、あんま女の子扱いされんのがコソバユイんだよ。今までされたトキねえし、これからもするつもりねえし。でもおばちゃん嬉しそうだから言いにくいじゃんよ?そこだけ、ほんっとにそこだけだから!」

勢いに任せて喋っちまってから

(マズッタ!)

って思った。こんなの、おばちゃん全否定じゃん!オレがどんだけイキったところで体は女だし、貧血にならないように食生活も考えてくれてるし、風呂のトキも寝るトキもめちゃくちゃ気を遣ってくれてるし・・・ヤベえぞ?爆弾落としちまったのはオレの方じゃねえか。こりゃレイまで敵にまわしちまう最悪のパターン、いっそこのままのイメージで嫌われて帰った方が楽か?いやいや、そんな不義理なことはできねえだろ・・・今までいろんなピンチあったけど、こりゃ自分で自分を追い詰めちまった!

「そうじゃないかって思ってたわ。コハクちゃんの気持ちも考えずに『娘ができたみたいで嬉しい』なんて押し付けちゃってごめんなさいね。『レイを連れて行きなさい』っていうのも、コハクちゃんがいくら強くたって体の大きな男性数人に押さえつけられたら・・・一生ものの傷になってしまうって思ったからなの。おばちゃんも女の子育てたことないから、変に心配性になっちゃってるとこあるし、嬉しくって着せ替え人形みたいな思いをさせちゃったし。本当にごめんなさい」

爆弾の上から更なる爆弾キター!もうこれ、どうするべ?おばちゃんに謝らせちまうなんて、オレ最低ヤロウじゃん。しかも理解者で恩人にだぜ、こんなん言われたらマジどうしたらいいかわかんねえ。紫音さんタスケテ・・・

「母ちゃんが謝る事ねえよ!それくらいコイツがメシの準備途中でホッポラかして爆睡かましてたり、風呂上りにボケかましてハダカで出てきて母ちゃんに面倒見させたりしたんだから、たまの着せ替え人形くれえどうっちゃねえ、コイツはそう考えるヤツだよ。オレが言いたかったのは『雷神が風神の事をトキドキ女扱いしちまうところがコソバユイ』って。『オマエだったらいい』ってのはオレなら昔と変わらず話ができるだろうって意味だから、母ちゃんは悪くねえ」

(雷神・・・よく言った。オマエのセリフでおばちゃんもオレも、きっと世の中で苦しんでいるだろう何人かも一緒に救われてるはずだ!そしてオマエが送ってくる熱い視線の意味、わからいでか!)

「そう、それ!おばちゃん、それ!オレってばこんな体のくせに何にも知らねえから、これからも助けてもらわなきゃ生きていけねえの。ほいで、おばちゃんに見捨てられちゃったらどうしていいか、わっかんなくて困っちゃうの!でもさ、外で暴れてるトキにレイがさり気なくかばってくれてんのはスッゲーありがたいと思ってるんだよ?そこじゃなくて、ほら、ね・・・オレもこっぱずかしくって言葉に出来ねえよ、おばちゃんタスケテよー」

絶妙な風神雷神コンビ弾炸裂!おばちゃんはフフフと笑ってレイに話しかける。

「レイ、コハクちゃんが『いいよ』って言ってくれたんだから、いつまでも気にしなくっていいのよ?コハクちゃんだって恥ずかしかったのをグッとこらえてあなたを救うために言ってくれたんだから。そうじゃなかったら裸を見られて許したりなんかしないわよね、コハクちゃん?」

「そ、そうだよ。こちとらこんなナリで風神背負ってる以上、腹にドス呑んでんだよ。ちょっとやそっとの覚悟じゃねえ、相棒に見られたくれえなんだっつーんだよ。一緒にヤバイ橋も渡ってきたじゃねえか!そんなもん、オマエが『オレの子ども産んでくれ』って言うんなら子どもの一人や二人、オレが産んでやらあな!」

「は?」

「え?」

(親子二人してとんでもない顔をしてこっちを見てる・・・オレ、なんかヤバいこと言ったっけか?)

「コハクちゃん、ちょっといいかしら?」

おばちゃんにこの後、性教育の授業を二時間ほど受けたことは後日談。
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