KYAME

Masironobu

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第3話 緋色の記録

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** 2日後 cahoots    **

昼間は賑わうその酒場も、流石に日付が変わる時には静まり返っていた。

本来の閉店時間にも関わらず、カウンターでは、一人の女性が、ウイスキーの入ったグラスを揺らしていた。

「相変わらず、気配を消すのが上手だな」

背後から肩を叩こうとした男性に、私をそう咎めた。

「酔い潰れても、介抱する気はないぞ」

男は呆れた様にそう言うと、私の右隣に椅子に座った。

「私にもウイスキーを」

そのオーダーを受けた店員は、背後の酒棚へと手を伸ばす。

その様子を眺めていた男は、ふと、私へと目を移した。

「珍しいな。お前から呼び出すとは」

「調べてほしい事がある」

「我々政府にとって、有益となる話か?」

そう返すと、ビムジーは頷き、懐から録音機を取り出し、此方へと投げてきた。

それと同時に、男がUSBを卓越しに滑らせ、私は素早くソレを掴んだ。

男も落とす事無く、ソレを軽々と掴んだ。

「何が入っている」

「ある男との会話だ」

その言葉に男は何も言わず。録音機をテーブルへと置き、再生ボタンを押した。

凍結によりノイズが入っていたが、その内容はハッキリと録音されていた。

『Mis.kyame。聞こえるかい?』

その直後、ジジジッと布が擦れる音が聞こえる。

『誰だ?』

『トム=アィンザームだよ』

『アィンザームと言ったら、今回の事件の黒幕か…』

『これで終わりだと思っているのなら、それは大きな間違いだ。これはゲームの冒頭に過ぎない』

もう良いと思ったのか、男は再生を止めた。

「何者か言うつもりはないんだろ?」

「そのデータを元に、兄さんに調べてほしいんだ」

男はその言葉に頷いて、録音機を懐に仕舞った。

「分かった。調べておこう」

一通りの会話を終えると、男の前にも、ウイスキーのグラスが置かれた。

「警察には言ったか?」

その問いに、私は頭を振った。

「そうだな。彼等には手が余る案件だ」

「もし、私に出来る事があったら。協力する」

借りを作りたくないか、と男は溢し、酒を一口含んだ。

「実は。ロシアの諜報員が、政府内に紛れ込んでいた」

「気付かなかったのか」

その言葉に、男は、苦虫を噛み潰したように頷いた。

「腕の良いスパイだったよ。今はもう居ないが」

「ほう」

「政府の拷問方法は、腹部を殴り続けた後。四股を引き千切るというモノだ。だが得る物はあった。残党の情報を手に入れられたからね」

「耐えられる程の度胸は無い相手だったんだな」

そう溢すと、男は小首を傾げた。

「まだ隠れ潜んでいるらしい。ロンドンに」

「其奴を見つけろという事か?」

「話が早くて助かるよ」

男はそう言うと、ゆっくり席から立ち上がった。

「此処は政府の息が掛かったバーだ。安心しろ」

男はそう言って、私の頭に片手を置いた。

その行動に、思わず肩が跳ねる。

「何かあればの話だが…」

男は何か言いたげに、此方を見た。

「どうぞ」

「喰われそうになった時には、私が恋人でも言ってくれて構わない」

その言葉に、私は苦笑した。

その様子に、男は眉間に皺を寄せた。

「必要ならば、口付けでも交合でも、何でもするさ」

その言葉に、思わず顔を顰める。

「彼には、君から話しておいてくれ。彼処で話すのは気乗りしない」

彼処…つまりは、コヴェント・ガーデンの241Bの事を言っているのだろう。

私が冷静になる頃には、男の姿は消えていた。

「呆れた人だ」

そう言って酒を飲み干せば、少しずつ酔いが回るのを感じた。

「変わった紳士ですね」

「私もそう思うよ」

そう言って店員は咳払いをすると、私は苦笑いをした。


 *****

「結局。面倒を見る羽目になったな…」

「ほろ酔い程度だ」

頬っぺたを膨らませて男を見ると、男は呆きれながら外を眺めた。

「ロフト。着きましたよ」

運転手の女性秘書…ウィズリンの声に、男は、ビムジーに肩を貸しながらロンドンの静まり返った街に脚を踏み入れた。

長い脚で進んでいけば、あっという間にコヴェント・ガーデンの241Bに着いた。

軽く扉をノックすると、この時間だというのに、ご丁寧にも扉が開かれた。

「まぁ!キャナル」

目の前の婦人の声に、ビムジーの身体が少し跳ねた。

「婦人。ただいま」

「お酒臭いわね」

婦人がそう言って呆れていると、ビムジーは首を振った。

「今にも吐きそうだ」

「次からは気を付けてくれよ」

その淡々とした喋り方に、両肩を上げた。

「隣の方はどなた?」

婦人が兄の方を見ると、兄は軽く会釈した。

「兄です」

「どうぞ、お入りになって」

「いえ、私は此処で」

そう言って後退りしようとした時。キャナルに右手を掴まれた。

「キャナル?」

小首を傾げて声を掛けると、ガバッとビムジーは顔を上げた。

「そうか、そうか分かったぞ!」

そう大声を出せば、私を引き摺る様に、キャナルは階段を駆け上がっていった。

「婦人!兄を借りるぞ」

「貴方のお兄様でしょう!?」

驚く様な婦人の声が、2階まで響き渡った。


 ****

ウトウトと船を漕ぎ始めていると、ゴトンと、大きな音がキッチン方面から聞こえてきた。

その直後、扉の隙間から眩い光が漏れ出してくる。

ビムジーが帰ってきたのだろうか?

その騒音に文句を言おうと思いながら、素早く扉を開いた。

「おはよう。Mr.hosukinnsu」

寝癖の付いた僕の視界に現れたのは、例の政府の男であった。

男はインスタントコートを片手に持ち、ソファーに腰掛けた。

「まだ夜ですよ」

苛ついた様にそう返せば。男は、キッチンの方へと目を向けた。

「もう5時だ。すっかり朝さ」

両手にコーヒーを持った女性…ビムジーは、呆れた様にそう言った。

「政府のお偉い方は、お暇なんですか?」

「そう喧嘩腰になるな。今日は話をしたくて来た」

男はそう言うと、コーヒーを卓に置いた。

「君らに頼みたい事があってね」

眉間に皺を寄せながら、反対側のソファーに腰掛けると、隣にビムジーが座った。

右手にあったコーヒーが、僕の目前に置かれた。

「致し方あるまいという事だ」

「以来だ。私個人からではなく。あくまで政府からだが」

その言葉に、再び男に目線を向けた。

「頼みたいのは、ある情報の回収。可能であれば、ソレを盗んだ人物の拘束を頼みたい」

「その報酬は?」

そう返せば、男が、細目でビムジーを見た。

「得る物を得る為か…」

そう問えば、ビムジーはゆっくりと頷いた。

「報酬は、トム=アィンザームの情報だ。我々の力を駆使すれば、写真から全ての個人情報を割り出す事が出来る。隙なく」

男はそこまで言うと、コーヒーを一口含んだ。

「写真の奪取も仕事というわけだ」

「その人物を拘束すれば、男の情報も出てくる筈だ」

ビムジーはそう言うと、数回頷いた。

「一つ聞きたいんですが、何故我々に?」

「此方から派遣すれば、その人物に勘付かれるかもしれない。どれだけの凄腕でも」

男はそう言って、少し溜息を溢した。

「それに、一番の問題が残っている」

男は其処まで言い掛けてから、真っ直ぐ此方を見た。

「彼女が、レズビアンである事だ」

その言葉に、僕とビムジーは顔を顰めた。

「同性愛者である彼女は、異性に対して興味が無いんだ。我々の諜報員に女性は多いが、殆どの人間に断れてしまってね」

「でしょうね」

ビムジーの呆れ返る声に、僕も、思わず呆れた様に息を吐いた。

「ビムジーは女性ですし、私情を挟むのはアレでしょうけど…妹ですよ」

その言葉に、男は少し顔を顰めたが、再び、落ち着いた表現に戻った。

「言いたい事は分かる。しかし、此方も仕事だ。出来れば断って欲しくはない」

少々納得はいかないが、此方に断る権利は無さそうだ…

「…Yes」

「ありがとう」

返事を聞いた男は、ゆっくりと立ち上がった。

「必要な情報の入ったUSBを、ビムジーに渡してある」

「助かります」

「此方の台詞だ」

そう言って扉を開けようとした男は、一瞬。顔だけを此方に向けた。

「それとビムジー。飲み過ぎはよくない」

男はその一言を残すと、部屋から消えていった。

男を見送ってから、再び、ビムジーへと目線を向ける。

すると、自身の端末を片手に、一つのUSBを差し込みビムジーの姿を確認した。

気になって覗くと、何かの通話記録と、メールのやり取り画面が見えてきた。

「拷問されたロシアの諜報員と、彼女の最後までのやり取りだ。政府が入手出来た部分だそうだ」

その言葉を理解すれば、未だ分からない情報があると考えられる。

「此処に証拠が?」

そう言って、ビムジーの横顔を見れば、無言で頷く姿が見えた。

「間違いない」

ビムジーはそう言うと、懐からコードレスイヤホンを取り出した。

その右耳の部分を僕へと手渡し、残った左部分を、自分の耳に装着した。

慌ててイヤホンを付ければ、ビムジーは、再生ボタンをクリックした。




ガガガッとノイズが掛かった後に、その音声が聞こえてきた。

『リスア、頼む助けてくれ…』

『あら、ミスでもしたのかしら?』

男の懇願する様な声に、女性は艶やかな甘い吐息を漏らし、そう短く返した。

『政府に捕まってしまったんだ。どうにかしてくれっ!』

『どうにか?自業自得じゃないの』

その言葉を最後に、通話はプツリと切れた。

「女性のこの言い方。性行為の途中だったのだろう」

私がそう溢すと、片耳のイヤホンを繋いでいたガルドが、眉間に少し皺を寄せた。

「随分と冷淡な女性だな。仲間の懇願に…」

「既に情報を掴めていたのであれば、男が死のうがどうでも良かったんだろう。だから、余裕そうにこう答えた」

「どうでも良い…か」

乾いた声でそう溢して、僕は、ゆっくりとイヤホンジャックを置いた。

「それで、タイプは?」

「何?」

音声を聞いていたビムジーは、ふと顔を上げた。

「好みのタイプだよ。誰にだってあるじゃないか」

「情報通りであれば。紳士っぽい女性が好みらしい」

そう返せすと、ガルドは頭から爪の先まで、私を舐める様に観察している、

「まさに君がタイプだな」

「まさか」

両手で顔を覆ってそう溢せば、ガルドの苦笑い顔が見えた。

「気に食わない」

覚悟を決めた様にそう言って、私は、椅子から立ち上がった。    






「これは、めかし込み過ぎだな。君の好みか?」

玄関に立っているビムジーは、小首を傾げてそう言った。

「似合ってるよ」

気遣う様にそう返せば、ビムジーは顔を顰めた。

「じゃあ、行こうか」

そう言ってチャイムを鳴らした時。背中に打撃を受けた。

「ちょっ!ビムジー」

「私を殴れ、もう一発だ」

そう言って、背中を再び蹴ろうとしたビムジーの頭頂部を、僕は強めに殴りつけた。

「もっとだ!」

直後、ビムジーに腹部を殴られた。

それから1時間立てば、僕らの身体はアザだらけになってしまった。

満足そうに笑うビムジーを見てから、僕は、インターフォンを押した。

『はい。どなたでしょうか?』

二十代前半の女性ぐらいの声に、僕は、慌てた表情を作った。

「すみません!暴漢に襲われたんです。傷が痛くて動けないので、少しだけ置いてもらう事はできませんでしょうか?」

『分かりました』

女性がそう言った直後、玄関のロックが外れた。

「中々、迫真の演技だったじゃないか」

「突然殴っておいて、よく言えるな」

「一番手取り早かった」

僕の抗議に、ビムジーは軽く返した。

その屋敷は吹き抜けの天井で、床は大理石だった。

「バッキンガム宮殿には劣るね」

ビムジーの言葉に、僕は両肩を上げた。

「此方です」

そう言って案内された部屋に入ると、上半身裸の女性が居た。

一枚のバスタオルが、そんな彼女の素肌を隠す。

「こんにちは。探偵さん」

「失礼、Miss.risua。お着替え中だとは知らず」

「これが、私の戦闘服なのよ。気にしないで」

女はそう言うと、ビムジーの方へと一歩近づく。

「情報を奪いに来たんでしょ?それぐらい分かる」

「えぇ、そうです」

そう返せば、女性は小首を傾げた。

「否定しないのね」

「否定したところで意味は無い。分かっていますから」

「流石は探偵」

「それは関係ない」

そう会話を交わしながら、女性は、ビムジーのネクタイに触れていく。

「女性なんでしょ?匂いで分かるわ」

女性はそう言いながら、緩やかにネクタイを外していく。

「政府内に恋人がいるので、そのお誘いには応えられません」

「そう」

女性はそう言うと、残念そうに離れていった。

「政府の命令で来たのかしら。貴方達」

女性の言葉に、僕とビムジーは、横目でお互いを確認した。

そんな僕等を見ながら、女性は谷間から、緋色のUSBを取り出した。

「渡してもいいわ」

「随分あっさりと」

そう溢した僕に対し、女性は、愉快そうに笑った。

 

「これは偽物。政府に渡して」

女性…リスアはそう言うと、USBを私に投げた。

「本物は貴方のモノよ。Miss」

「bimuziだ」

そう返すと、全く同じ外見のUSBが宙を舞う。

「いいえ。貴方はkyame」

その呼び名に、思わず顔を上げる。

「あの人に呼ばれてたでしょう?嘘は吐かないで」

「ビムジー。誰の事だ?」

ガルドの言葉に耳を貸さずに、私は女性を見つめる。

「貴方に手は出せないわ。彼に殺されるもの」

「彼とは?」

そう問えば、リスアは口角を上げた。

「犯罪コンサルタント。今はそれだけ」

『犯罪コンサルタント』

リスアの言葉に、復唱しながら私とガルドは首を傾げた。

そんな私達を横目に、女性は、右横のソファーに腰掛ける。

「演出から配役まで、全ての犯罪を手掛ける者」

「要はアーティスト?」

私の返しに、リスアは頷いた。

「彼の最近の作品で言ったら、そうねぇ…金木犀」

その言葉に、思わず目を剥いた。

「後は、あの雪山の事件かしら」

そこまで言うと、女性は、バスタオルを下に落とした。

「貴方に目を付けてるのよ。貴方という人間の全てを知りたがっている」

その言葉に、ガルドの顔が険しくなるのを感じた。

「善人は嫌いだと聞いた」

「貴方は違う。貴方の中にある何かを、彼は暴きたがっているのよ」

その言葉には、まるで、蜘蛛に喰われる蝶…それに近い恐怖を植え付ける力があった。

「ずっと前から見ていたの」

女性はそこまで言って、優しく私を抱きしめた。

「気を付けた方がいいわ。一歩間違えれば、貴方は蜘蛛に喰われる」

「危ない!」

急なガルドの忠告に、私達は慌ててしゃがむと、直後。沢山の銃弾が頭を過ぎていった。

「話し過ぎちゃったみたいね」

リスアはそう言うと、私の右手に、ピンクの液の小瓶を握らせた。

「これは」

「私からのプレゼント」

女性はそう言うと、右手を優しく握りしめた。

その手を見てから、ガルドへと目線を移す。

「銃声からして、二、三人ってところだな。慣れた手付きだ」

私がそう言うと、ガルドは、ソファー越しに外を伺った。

「この距離からの射撃。恐らく僕と同じだ」

「元ロシア兵?」

そう問えば、男は首を振った。

「どうやら違うようだ。ロシアからの退役軍人じゃない」

「ガルド」

そう言った男に、私は小型ナイフを見せ、弾が来た方に投げた。

それから少し銃声がしてから、周りは静寂に包まれた。

「刺し殺したの?やるじゃない」

女性の言葉に、私は首筋に触れた。

「ナイフ投げが得意だったんだな。初耳だ」

「昔に齧った程度だよ」

私はそこまで言って、女性の方へと目を移す。

だが、其処に彼女の姿が無かった。

「覚えておいて。貴方が取り逃した犯罪者を、これで最初の最後だろうけど」

その言葉に頭を上げるが、そこに女性の姿は無かった。

「やられたな」

「回収は出来た。まぁ…及第点だろうな」

そう言うと、お互い安堵の息を吐いた。




 *** ロンドン内の研究室 ***

新品の顕微鏡のグラスは、キラキラと輝いていた。

それと比較する様に、其処から視えるモノはモヤモヤとしていた。

シャッターの焚かれた眩しさと似た感覚であった。
人によっては、二日酔いの感覚にも感じるであろう。

捻って調整しながら、ソレを疑視する。

「ビムジー。何か分かったか?」

右横に座るガルドに対し、私は溜息を溢す。

「様々な毒が、少しずつ混ぜられている。子供が死なない程度に」

そう返すと、ガルドは唸り始めた。

「クロロホルムは入っていないんだな…」

「あぁ、只の麻薬程度のモノだ。しかし」

「しかし?」

顕微鏡から目を離さず、私は、空の瓶をカルドに投げた。

ガルドは、それを軽々とキャッチした。

「他の子供はそうだろうが、例の少女は違った。催眠薬の様なモノを飲まされていた」

「犯罪コンサルタント。恐ろしい奴だな」

その言葉に、私はふと顔を上げた。

「それで収まればいいがな」

「かなりマズイ?」

その言葉に頷いてから、再び、顕微鏡を覗き込んだ時だった。
ノックの音が聞こえたのは…

「どうぞ」

僕の返答により、扉は開かれる。

其処に現れたのは、一組の男女であった。

「ジェリー。久しぶりじゃないか!」

「その後どう?調子は」

「絶好調だよ」

そう返せば、彼女は笑みを浮かべた。

「上手くいったみたいね。ルームシェア」

彼女がそう返せば、ビムジーは手を振った。

「充実してる。楽しいよ」

「事件の捜査?」

「まぁね」

そう返せば、革靴の音が聞こえてきた。

「紹介したい人がいるの」

「彼氏?」

そう返せば、彼女は困った様に笑った。

「違うわよ、新人のドクター。名前はトム」

その名前に、僕とビムジーは硬直した。

そんなビムジーに対し、男は距離を詰めていった。

「ジェリー。帰ってもら」

そう返そうとした時、大きな手に肩を叩かれた。

バクバクする心臓の音を抑えながら、顕微鏡から、男の方へと注意を移す。

「何見てるの?僕も見ていいかい」

その顔は間違いなく、あのTV画面の男であった。
声も同じ…

背筋に氷柱が突き刺さる感覚を覚える。

「初めてましてで、間違いないな?」

そんな私に対して、男はニコリと笑う。

「どうも」

私はそう言って苦笑いを返し、再び双眼鏡に注意を向ける。

「新人のドクターと聞いたが」

「あぁ。外科医に入っていてね」

「外科医…か」

その意味深な言葉に、男を注視する。
男もまた同じ、私を観察している様だった。

それを気にしながら、男の全体像を観察していく。

檸檬系の整髪料の匂いがする、これは男のモノだ。
他にも、男性向けの整髪料の匂いが嗅ぎ取れる。
それは別の男と考えても良さそうだ。

私は思想しながら、男の服へと目を向ける。

服の下着の見せ方…恐らく、この男はゲイなのだろう。

「そうだ。これを渡して置くよ」

その声に、再び視線は卓へと向かう。

其処には、一枚の折り畳んだ紙があった。

「トム。そろそろ」

ジェリーの投げかける声に、男の視線は此方から外れる。

「あぁ、すぐ行くよ」

男はそう言いながら、少し口角を上げる。

「また会おう。kyame」

愛想の良い笑みでそう言った男…トムは、ゆっくりとその場を離れたと思うと、実験室から消えていった。

その様子を見ていたカルドは、私の方に駆け寄ってきた。

「嫌な感じだ。勘だけど」

ガルドの声に、私は顔を顰める。

「何にせよ。注意しなければいけないのには変わらない」

そう言って疲労した身体を解していると、顕微鏡付近にある端末から、メールを知らせる音が聞こえてきた。

目頭を抑えてから、画面をゆっくりと確認していく。

「誰からだ」

未だに警戒心を解かないガルドに対し、私は画面を見ながら、ゆっくりと口を開いた。

「兄だ。今すぐ来いと」

「測った様なタイミングだな」

画面を注視していた私は、その声にふと顔を上げる。

「また面倒事がありそうだな」

そう言って、ポケットに端末を収めた。

「先に戻るよ。婦人に買い物を頼まれていたし」

「あぁ」

そう残してから、実験室を後にした。


 


捜査で疲れていたのだろう。二時間馬車に揺られただけで、私は夢の中に入ってしまった。

「キャナルさん」

聞こえてきた女性の声に、慌てて意識を覚醒させた。

「すまない。寝ていた」

「いえ、疲弊していらっしゃる様子でしたので。起こすのは止めておこうと思い」

女性はそこまで言うと、ゆっくりと、バッキンガム宮殿の門を潜っていった。

夜中なのにキラキラと光る其処に、思わず目を奪われる。

「相変わらず眩しいな」

その景色に眺めていると、視界が暗闇に包まれた。

どうやら、地下駐車場にでも潜った様だ。

こんな所に駐車場があるという事は、ここは政府の聖域があるのだろう。

きっちりと並んだ馬車を眺めながら、私は息を吐く。


「着きましたよ」

不意に掛けられた声に、ゆっくりと右扉を見る。

直後。流れる様に、扉はゆっくりと開かれた。

「何処に行けばいい」

「ご案内します」

女性はそう言うと、走ってきた一人の男性に、車を鍵ごと任せた。

風の様に入っていく女性の背後を、私も素早く追いかける。

沢山の物が詰まる駐車場と違い、其処には何も無かった。
只、薄暗い廊下が続くだけ。

一時間程歩いた時、目の前に頑丈な扉が現れた。

私達の存在に気付いた扉は、重々しい音を立てながら開かれた。

中には、二人の政府役人が居た。

「来たか」

ワインレットのネクタイに、グレースーツの男がそう言うと、会話をしていたもう一人が、私達とすれ違う様に、部屋から去っていった。

「お邪魔だったか?」

そう返せば、男は咳払いをした。

「ウィズリン」

男が出る様にそう促すと、女性秘書は部屋から去っていった。

「仕事は終わったか?」

「あぁ」

私はそう言って、懐からUSBを取り出した。

あの時と違い、それを手渡しで男に渡す。

「左が本物、右が偽物だ。偽物は」

「爆弾が仕込まれているんだろ」

男はそう言ったまま、私の右隣にあるモニターを見つめた。

「スキャンしたら見つかった」

「政府への置き土産か」

男はそう返すと、先程から見ていたモニターに触れる。

「其方は?」

「今日こうして呼び出したのは、その件でも話したかったからだ」

男はそう言うと、モニターの画像を大画面に送った。

「実は。何者かが、証人保護プログラムを無断使用したログが見つかった」

「政府内の人間」

私の問いに、男は無言で頷いた。

「疑いたくはないが。ロシア諜報員に抱き込まれた人間が居たんだろう」

「疑うのなら、証言や物的証拠が必要だ」

そう言うと男は溜息を溢し、鋭い目で此方を見た。
その姿はまさに、英国政府の闇そのものを醸し出している。

「違いない」

「だが、疑いたくもなるんだろう」

私がそう言うと、大画面へと続く階段を降りて行く。
私も、ゆっくりとその後を追う。

「トム=アィンザームで調べた時点で見つけた。…プログラムを使い、証人保護を受けている連中をランダムで出させる様にしていたようだ。その名前で調べても、声と顔が一致しなかった、相当な腕の立つ人物で、様々な場所にネットワークを広げている」

「英国政府の様に?」

未だ大画面を見つめる男は、私の返しに頷いた。

「役人の取り調べは続いていてね、私は白だが、一概の例外は無いそうだ」

「役人は大変だな」

英国政府と呼ばれる男でさえ、そうやって疑わざるおえない…
それほど大事なのだ。
最初から分かっていた事だった。

「引き続き調べていく。何か分かったら知らせる」

「あぁ」
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