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執務室で
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――王太子執務室。
扉の鍵を閉めたカラックは我慢しきれないとばかりに笑い出した。
「あっはっはっ! あれが噂のアリスか! 噂なんて当てにならないね、噂以上の酷さじゃないか!」
「うるさいぞ、カラック」
アルバートが注意するが、カラックはむしろ挑戦的な目を向ける。
「じゃあアルはあれが品行方正で模範的な貴族令嬢であるとでも?」
「今はそんな話はしていない。執務室で騒ぐな。単純にうるさいのだ」
「はいはい。氷の公爵様はいつも通り冷たいことですねーっと。……ねぇ殿下。コイツがシャーロット嬢とやらの前ではデレデレだったっていうのは本当なんですか?」
一応は敬語であるが、慇懃無礼に問いかけるカラック。
こちらの無礼も親しさの証明であるので、特にクルードが注意することはない。
「デレデレとはいかないが、分かり易かったかな。急いで仕事を片付けたと思ったらシャーロットと街に出かけたり、無理をして休みを取ったと思えばシャーロットを旅行に連れて行ったり……」
「ひゃー、ほんとにそんな感じだったんですねー」
クルードの側近でありながら、まるで初めて知ったかのような反応をするカラック。
だが、それも仕方がない。
彼は幼少の頃からクルードの側近候補として育てられたが、貴族学園ではなく魔術塔に進学したし、卒業してからつい最近まで後継ぎとなるための修行の旅をしていたのだから。実際、彼はシャーロットに会ったことがないのだ。
それでも貴族なのだから夜会などで目にする機会はありそうなのだが……思い返してみれば、カラックはそのシャーロットという女性を見たことがない。
婚約後はアルバートが『悪い虫』がつかないよう夜会に参加させなかったと考えても、それ以前に一度も目にしたことがないというのは不自然だった。
あのアルバートが心底惚れ込む、夜会にも出てこない謎の女性。カラックの好奇心を刺激するには十分だった。
「いやー、面白いなぁ。殿下、そのシャーロット嬢をボクにも紹介してくださいよー」
「却下」
「なんでです!?」
「カラックがシャーロットに惚れたら大変だからだ」
「……うへぇ。殿下もべた惚れなんですか……この二人を落とすとは……なんという魔性の女……」
やだやだとばかりに肩をすくめるカラック。二年も修行をしたのにこの『軽さ』が変わらなかったのは残念なような、安心したような。
「――で? あのアリスって女、どうするんですか? そろそろ不敬罪も適応できるんじゃないですか? それとも愛しのシャーロット嬢の妹だから見逃しちゃいます?」
いつものような軽い口調。
だが、その瞳の奥には冷たい鋭さが垣間見える。ノリが軽いだけでは王太子の側近にはなれないということなのだろう。
悩むようにクルードが背もたれを軋ませる。
「う~ん、どうしようかな? 正直、アレが注目を集めているおかげで、他のご夫人たちの結束力は高まっているんだよね」
隙あらば他人を貶め、失脚を狙うのが貴族という人種だ。特に貴族夫人は社交界という名の戦場で夫と家のために奮戦するのが習わし。必然的に貴族夫人というのはギスギスしていて、酷いときには冤罪で他者を貶めていたのだが……。
「共通の敵がいると自然と協力し合うってところですか?」
「分かっているなら話は早い。あの伯爵家程度であればすぐにつぶせるのだし、それまではせいぜい貴族の友好関係樹立を促進してもらおうじゃないか」
「……相変わらず、腹黒いっすね……」
「そんなことはないさ。普通だよ?」
「普通っすか……じゃあアリスがシャーロット嬢に危害を加えたらどうするんです? 実際、実家ではそうだったんじゃないかって疑われているんでしょう?」
いわく。シャーロットは後妻や妹から暴力を振るわれていた。
いわく。シャーロットは本邸から追い出され、別邸に押し込まれていた。
いわく。シャーロットにはメイドすら付けられず、満足な食事も与えられなかった。
だからこそアルバートはシャーロットを救うために『婚約』という手段を執ったのだ。と、いうのが定番の噂だった。
あまり社交界に興味がないカラックまでもが知っているのだ。おそらくその『噂』はかなり広まっているのだろう。
一体誰が広めているのやら。
幾人か心当たりがあるクルードは、何とも愛されている女性だと心の中で苦笑する。
――そして自分も、呆れるほどに惚れているらしい。
クルードはカラックに朗らかで明るくて一点の曇りもない笑顔を向けた。
「はははっ、その時は、その時だよ」
何をするのか断言せずに、わざとらしい笑い声を。
その態度に恐ろしさしか感じられなかったカラックは一気に冷や汗が出てしまうのだった。
扉の鍵を閉めたカラックは我慢しきれないとばかりに笑い出した。
「あっはっはっ! あれが噂のアリスか! 噂なんて当てにならないね、噂以上の酷さじゃないか!」
「うるさいぞ、カラック」
アルバートが注意するが、カラックはむしろ挑戦的な目を向ける。
「じゃあアルはあれが品行方正で模範的な貴族令嬢であるとでも?」
「今はそんな話はしていない。執務室で騒ぐな。単純にうるさいのだ」
「はいはい。氷の公爵様はいつも通り冷たいことですねーっと。……ねぇ殿下。コイツがシャーロット嬢とやらの前ではデレデレだったっていうのは本当なんですか?」
一応は敬語であるが、慇懃無礼に問いかけるカラック。
こちらの無礼も親しさの証明であるので、特にクルードが注意することはない。
「デレデレとはいかないが、分かり易かったかな。急いで仕事を片付けたと思ったらシャーロットと街に出かけたり、無理をして休みを取ったと思えばシャーロットを旅行に連れて行ったり……」
「ひゃー、ほんとにそんな感じだったんですねー」
クルードの側近でありながら、まるで初めて知ったかのような反応をするカラック。
だが、それも仕方がない。
彼は幼少の頃からクルードの側近候補として育てられたが、貴族学園ではなく魔術塔に進学したし、卒業してからつい最近まで後継ぎとなるための修行の旅をしていたのだから。実際、彼はシャーロットに会ったことがないのだ。
それでも貴族なのだから夜会などで目にする機会はありそうなのだが……思い返してみれば、カラックはそのシャーロットという女性を見たことがない。
婚約後はアルバートが『悪い虫』がつかないよう夜会に参加させなかったと考えても、それ以前に一度も目にしたことがないというのは不自然だった。
あのアルバートが心底惚れ込む、夜会にも出てこない謎の女性。カラックの好奇心を刺激するには十分だった。
「いやー、面白いなぁ。殿下、そのシャーロット嬢をボクにも紹介してくださいよー」
「却下」
「なんでです!?」
「カラックがシャーロットに惚れたら大変だからだ」
「……うへぇ。殿下もべた惚れなんですか……この二人を落とすとは……なんという魔性の女……」
やだやだとばかりに肩をすくめるカラック。二年も修行をしたのにこの『軽さ』が変わらなかったのは残念なような、安心したような。
「――で? あのアリスって女、どうするんですか? そろそろ不敬罪も適応できるんじゃないですか? それとも愛しのシャーロット嬢の妹だから見逃しちゃいます?」
いつものような軽い口調。
だが、その瞳の奥には冷たい鋭さが垣間見える。ノリが軽いだけでは王太子の側近にはなれないということなのだろう。
悩むようにクルードが背もたれを軋ませる。
「う~ん、どうしようかな? 正直、アレが注目を集めているおかげで、他のご夫人たちの結束力は高まっているんだよね」
隙あらば他人を貶め、失脚を狙うのが貴族という人種だ。特に貴族夫人は社交界という名の戦場で夫と家のために奮戦するのが習わし。必然的に貴族夫人というのはギスギスしていて、酷いときには冤罪で他者を貶めていたのだが……。
「共通の敵がいると自然と協力し合うってところですか?」
「分かっているなら話は早い。あの伯爵家程度であればすぐにつぶせるのだし、それまではせいぜい貴族の友好関係樹立を促進してもらおうじゃないか」
「……相変わらず、腹黒いっすね……」
「そんなことはないさ。普通だよ?」
「普通っすか……じゃあアリスがシャーロット嬢に危害を加えたらどうするんです? 実際、実家ではそうだったんじゃないかって疑われているんでしょう?」
いわく。シャーロットは後妻や妹から暴力を振るわれていた。
いわく。シャーロットは本邸から追い出され、別邸に押し込まれていた。
いわく。シャーロットにはメイドすら付けられず、満足な食事も与えられなかった。
だからこそアルバートはシャーロットを救うために『婚約』という手段を執ったのだ。と、いうのが定番の噂だった。
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「はははっ、その時は、その時だよ」
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