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第1章
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ときどきテツくんは泣く。わたしに気づかれないように声は出さないようにしているのはわかる。でも泣いているんだよね。
きっと誰かのために泣いてるんだよね。
その誰かとは、わたしには見えない誰かさん。
きっとテツくんは、その誰かの役に立ちたいのだ。
誰かが誰のことかなんて、わからないけど。
わからないけど、わたしはそんなテツくんの役に立ちたいのだ。
などということは、照れ臭いのでなかなか口に出して言えないのだけれどね。
12月はじめ。
11月は黄色い葉がとても綺麗だった並木道、風に乗ってわたしの頬を次々となぐっていた黄色い葉が、今日はついに遠いどこかへ去っていったのだ。
枝だけになった木の下で、テツくんはとんでもないことを口走ったのだ。
「今年は、仕事でクリスマスイブには会えないんだ。ごめんね」
いやこれはとくにとんでもないことではない。
イブに仕事になる人間は山ほどいる。夜遅くまでかかってしまう人もいるだろう。
だからわたしも
「そうなんだ。仕方ないよ。お仕事がんばってね」
と言った。わたしのことで、テツくんが仕事に集中できなくなったら大変だ。
テツくんは、今年の6月に転職したばかりで、まだ一年もその会社で働いていない。
彼は転職してから毎日とても忙しそうで、今日は寒いので着膨れているはずなのに、なんだかそれでも全身からふかふかしたところがなくなったように見える。
テツくんから聞いた話によると確か、彼が入った会社はおもちゃの製造と販売の会社で、彼は外回りをする営業だったはずだ。
いま彼が、少し元気がないように見えることは、心配だった。
なぜなら、彼が前職を辞めた理由というのが…。
「あのね、こんなこと言って信じられないかもしれないけど、あなたには本当のことを言いたいんた。僕はあなたのことを好きだから」
わたしの「お仕事がんばってね」の言葉からしばらく沈黙していたテツくんが、とつぜんこう言った。
そしてついに「とんでもないこと」を言ったのだ。
「僕は、サンタクロースたちの会社に転職したんだ」
「え?そういうサービスをする会社?サンタの格好をして営業するとか」
「違うんだ。本当の、サンタクロースなんだ」
わたしはテツくんをじっと見つめた。彼が何を言いたいのかわからなかったのだ。
「僕が前の会社を辞めてから、毎日家の周りを散歩してた。気が沈んだときも外の風に当たったら、少しほっとしたんだ。そしたら、ある日ね、誰もいない道の真ん中に鏡が置いてあってね。その中から、サンタクロースの服を着た人が手招きしていたんだ。初夏なのに、サンタクロースの服を着てたんだよね」
ばりん、と足元で音がした。
泥とゴミで黒くなった枯れ葉ほんの数枚が、わたしの靴を見上げていた。
わたしたちのことを忘れないでね、と彼ら枯れ葉は言っているようだった。
「信じられないだろう?」
と、テツくんが自分で自分を笑うような笑顔を見せた。
そんな笑顔は良くないものだ。
「信じるわ。大丈夫」
でも、わたしはひとりで知らない町で迷子になった気持ちになっていた。
「ありがとう」
と、テツくんは言った。
そして続けた。
「僕は鏡の中に入った。そしたら、こちらとそっくりな町があった。僕はこちらとそっくりな道に立っていた。
でも、道のつきあたりにこちらには存在しない、大きな大きなビルと広い敷地があったんだ。
そこがサンタクロース本社だったんだよ。
その僕を招いてくれた先輩サンタさんが言うにはね、サンタクロースはないしょの存在だからね、こうやって鏡の中に隠されているんだよって。
いまはサンタの人材も不足してるので、若い人に入ってほしいと。僕は嬉しくなったよ。だって子どもたちに喜んでもらえる、素晴らしい仕事じゃないか。そして僕はそのサンタクロース会社に入ったんだ。それから訓練の連続さ」
わたしは彼の言ったことについて、懸命に自分の頭の横についたハンドルをまわし、脳みそをまわす。
頭のサビを振り落とすのだ。
だがわたしの頭はにはあまりにも急激な負荷がかかり、軋む音を立てている。これはまずい。
頭のハンドルをしっかりにぎりながら、わたしは
「そうなんだね」
と、声をしぼりだした。
「24日は本番だから、子どもたちにプレゼントを運ぶ本番だから、会えないんだ。ごめんね」
「うん、わかったわ」
なるべく元気に返事しなさい、ぐるぐるまわる頭の中からそう指令が来たので、わたしは忠実に従った。
テツくんの目は、奥からいつもと違う光を発しているように見えた、
この人、本当に自分がサンタクロース会社に就職したと信じているんだ。
わたしは、どうなの?
疑ってる?
いや、信じてる。
テツくんの声で語られたことは今まで聞いたことのない言葉の重ね方だったので、戸惑ったことは戸惑ったが、嘘だと思っているわけではない。
彼は嘘をつく人間じゃない。
いつもまっすぐに歩く人間だ。
だからこそ、ひどい会社でひどい扱いをうけてしまうのだ。
彼が前の会社をやめたのは、彼のまっすぐな体と心がその扱いに耐えられなくなったことが原因だった。
テツくんは、いま、本当に自分がサンタクロースの会社に就職したと信じているんだ。
しかしそのサンタクロース会社とやらが、テツくんを騙そうとしている可能性はあるかもしれない。
もしもなにか、危険な新興宗教かなにかで。
「やっぱり信じてないのかな」
彼の言葉が悲しそうに響いた。
「そんなことないよ」
わたしは力をこめて否定した。
「いやその顔はわかる。とても困ってる顔だよ」
「そんなことないよ」
とわたしは再び否定した。
「僕は、やはり役に立たないのかな」
「そんなこと…」
わたしは言葉の途中で、あれ?と思った。
テツくんの服の胸のあたりから、直径5センチくらいの黒いしみが見えるのだ。
彼は今日、白いニットを着ている。その黒いしみは、いまわたしの視界に突然飛び込んできたのだ。
そんなしみ、今まであった?
「僕は君に信じてもらえないんだ」
その言葉とともに、しみがふくらんできたように見える。
見える、じゃない。ふくらんできている。
しみはニットの内側にあるのかな。ニットの内側から、自らを押し出しているように見える。
どうなっているのこれ。
わたしは思わず声に出した。
「へんだよ、へんだよテツくん、それ、そのしみ」
だが、テツくんはちら、と下を向いてしみを見ただけで、とくだん驚いた様子は見せず、さらに
「僕のからだがプレゼントを作ってる」
ついにへんなことを言い出したのだ。
「どうしたの?違うよ。これはあなたの作ったものではない」
わたしがそのしみに手を伸ばそうとしたとき、
しゃらん。
空から音がして、わたしは上を見た。
しゃら、しゃら、しゃら。
これは鈴の音?
トナカイたちの引くそりは、徐々に大きくなってきた。こちらに向かってきている。
きっと誰かのために泣いてるんだよね。
その誰かとは、わたしには見えない誰かさん。
きっとテツくんは、その誰かの役に立ちたいのだ。
誰かが誰のことかなんて、わからないけど。
わからないけど、わたしはそんなテツくんの役に立ちたいのだ。
などということは、照れ臭いのでなかなか口に出して言えないのだけれどね。
12月はじめ。
11月は黄色い葉がとても綺麗だった並木道、風に乗ってわたしの頬を次々となぐっていた黄色い葉が、今日はついに遠いどこかへ去っていったのだ。
枝だけになった木の下で、テツくんはとんでもないことを口走ったのだ。
「今年は、仕事でクリスマスイブには会えないんだ。ごめんね」
いやこれはとくにとんでもないことではない。
イブに仕事になる人間は山ほどいる。夜遅くまでかかってしまう人もいるだろう。
だからわたしも
「そうなんだ。仕方ないよ。お仕事がんばってね」
と言った。わたしのことで、テツくんが仕事に集中できなくなったら大変だ。
テツくんは、今年の6月に転職したばかりで、まだ一年もその会社で働いていない。
彼は転職してから毎日とても忙しそうで、今日は寒いので着膨れているはずなのに、なんだかそれでも全身からふかふかしたところがなくなったように見える。
テツくんから聞いた話によると確か、彼が入った会社はおもちゃの製造と販売の会社で、彼は外回りをする営業だったはずだ。
いま彼が、少し元気がないように見えることは、心配だった。
なぜなら、彼が前職を辞めた理由というのが…。
「あのね、こんなこと言って信じられないかもしれないけど、あなたには本当のことを言いたいんた。僕はあなたのことを好きだから」
わたしの「お仕事がんばってね」の言葉からしばらく沈黙していたテツくんが、とつぜんこう言った。
そしてついに「とんでもないこと」を言ったのだ。
「僕は、サンタクロースたちの会社に転職したんだ」
「え?そういうサービスをする会社?サンタの格好をして営業するとか」
「違うんだ。本当の、サンタクロースなんだ」
わたしはテツくんをじっと見つめた。彼が何を言いたいのかわからなかったのだ。
「僕が前の会社を辞めてから、毎日家の周りを散歩してた。気が沈んだときも外の風に当たったら、少しほっとしたんだ。そしたら、ある日ね、誰もいない道の真ん中に鏡が置いてあってね。その中から、サンタクロースの服を着た人が手招きしていたんだ。初夏なのに、サンタクロースの服を着てたんだよね」
ばりん、と足元で音がした。
泥とゴミで黒くなった枯れ葉ほんの数枚が、わたしの靴を見上げていた。
わたしたちのことを忘れないでね、と彼ら枯れ葉は言っているようだった。
「信じられないだろう?」
と、テツくんが自分で自分を笑うような笑顔を見せた。
そんな笑顔は良くないものだ。
「信じるわ。大丈夫」
でも、わたしはひとりで知らない町で迷子になった気持ちになっていた。
「ありがとう」
と、テツくんは言った。
そして続けた。
「僕は鏡の中に入った。そしたら、こちらとそっくりな町があった。僕はこちらとそっくりな道に立っていた。
でも、道のつきあたりにこちらには存在しない、大きな大きなビルと広い敷地があったんだ。
そこがサンタクロース本社だったんだよ。
その僕を招いてくれた先輩サンタさんが言うにはね、サンタクロースはないしょの存在だからね、こうやって鏡の中に隠されているんだよって。
いまはサンタの人材も不足してるので、若い人に入ってほしいと。僕は嬉しくなったよ。だって子どもたちに喜んでもらえる、素晴らしい仕事じゃないか。そして僕はそのサンタクロース会社に入ったんだ。それから訓練の連続さ」
わたしは彼の言ったことについて、懸命に自分の頭の横についたハンドルをまわし、脳みそをまわす。
頭のサビを振り落とすのだ。
だがわたしの頭はにはあまりにも急激な負荷がかかり、軋む音を立てている。これはまずい。
頭のハンドルをしっかりにぎりながら、わたしは
「そうなんだね」
と、声をしぼりだした。
「24日は本番だから、子どもたちにプレゼントを運ぶ本番だから、会えないんだ。ごめんね」
「うん、わかったわ」
なるべく元気に返事しなさい、ぐるぐるまわる頭の中からそう指令が来たので、わたしは忠実に従った。
テツくんの目は、奥からいつもと違う光を発しているように見えた、
この人、本当に自分がサンタクロース会社に就職したと信じているんだ。
わたしは、どうなの?
疑ってる?
いや、信じてる。
テツくんの声で語られたことは今まで聞いたことのない言葉の重ね方だったので、戸惑ったことは戸惑ったが、嘘だと思っているわけではない。
彼は嘘をつく人間じゃない。
いつもまっすぐに歩く人間だ。
だからこそ、ひどい会社でひどい扱いをうけてしまうのだ。
彼が前の会社をやめたのは、彼のまっすぐな体と心がその扱いに耐えられなくなったことが原因だった。
テツくんは、いま、本当に自分がサンタクロースの会社に就職したと信じているんだ。
しかしそのサンタクロース会社とやらが、テツくんを騙そうとしている可能性はあるかもしれない。
もしもなにか、危険な新興宗教かなにかで。
「やっぱり信じてないのかな」
彼の言葉が悲しそうに響いた。
「そんなことないよ」
わたしは力をこめて否定した。
「いやその顔はわかる。とても困ってる顔だよ」
「そんなことないよ」
とわたしは再び否定した。
「僕は、やはり役に立たないのかな」
「そんなこと…」
わたしは言葉の途中で、あれ?と思った。
テツくんの服の胸のあたりから、直径5センチくらいの黒いしみが見えるのだ。
彼は今日、白いニットを着ている。その黒いしみは、いまわたしの視界に突然飛び込んできたのだ。
そんなしみ、今まであった?
「僕は君に信じてもらえないんだ」
その言葉とともに、しみがふくらんできたように見える。
見える、じゃない。ふくらんできている。
しみはニットの内側にあるのかな。ニットの内側から、自らを押し出しているように見える。
どうなっているのこれ。
わたしは思わず声に出した。
「へんだよ、へんだよテツくん、それ、そのしみ」
だが、テツくんはちら、と下を向いてしみを見ただけで、とくだん驚いた様子は見せず、さらに
「僕のからだがプレゼントを作ってる」
ついにへんなことを言い出したのだ。
「どうしたの?違うよ。これはあなたの作ったものではない」
わたしがそのしみに手を伸ばそうとしたとき、
しゃらん。
空から音がして、わたしは上を見た。
しゃら、しゃら、しゃら。
これは鈴の音?
トナカイたちの引くそりは、徐々に大きくなってきた。こちらに向かってきている。
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