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第2章

第33話 平凡で特別な夜

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「おや……もうこんな時間ですか……」
 
 僕の昔話やら何やら、楽しく話をしている間に夜も更けてきた。料理もほとんど平らげられ、僕を含め皆が頬をほんのりと赤くしている。
 
 そういった研究をしていくうち自然と毒に耐性を持ったセシルさんは本来、酒もほとんど効かないはずだが、今は完全に酔っているとはいかなくともほろ酔いといった感じだ。これは酒を飲むときは自ら一時的に酒に対してのみ耐性を下げているらしい。それでもやろうと思えばアルコールの任意での分解もできるだろう。
 確かに酔わない酒を飲んでもつまらないのはわかるけど……難儀なものだなあ。
 

「では……そろそろ私は失礼させてもらいますかね」
「帰るんですか、セシルさん」
「ああ、そうするよ。レンちゃんは久しぶりの親子水入らずの時間を過ごしておいで」
 
 そう言って立ち上がり、来たときの荷物をまとめ始めた。僕としてはすでに家族以上の存在であり、あんまり気にしない。だけど母さんや父さんにとってはいくら親しくなったとしても、少なからずお客様といった印象を与えているはずだ。
 やはりある程度の緊張をさせているのは間違いないだろう。嬉しい心遣いだ。
 
「じゃあ、そうさせてもらいますね」
「あれ、あなたたちは近くのホテルに泊まっているんだっけ」
「そうだけど……」
「セシルさん、タクシーお呼びしますので、待っててくださいよ」
「いや、大丈夫でしょ」
「でも……」
 
 母さんが心配するのはわからなくはない。こっちの世界でのセシルさんは見た感じただの若い女性。
 夜道を歩いて帰らせるのに抵抗があるのは仕方ないだろうな。
 
「大丈夫ですよ、お母さん。距離も大したことないですし、少し夜の散歩もしたいですしね」
「ほら、こう言ってんだし」
「そうですか……」
 
 その言葉は嘘ではない。セシルさんは見知らぬ土地を見て回ることが大好きだ。夜の散歩というのも変な意味ではなく、昨夜の僕のように昼間とは違った街並みを少しは見て回りたいのだろう。
 それに多少酔っているとはいえ、万が一トラブルに出くわしても丸腰で全く問題ない。
 
 

「じゃあ、レンちゃん、また明日迎えに来るからね~」
「はいお休みなさい」
「お休みなさい~」
 
 結局徒歩でホテルまで帰ることにしたセシルさんを父さんと二人で見送っていく。
 いや……お休みなさいとはいったが、セシルさんそもそも今日寝るのかな? はしゃいで徹夜でなにかやったりしてそうだ。
 
「お父さん、セシルさんは帰ったの~?」
「ああ、行ったよ~」
「そう……」
 
 家に入りリビングに戻ると、キッチンで後片付けをしていた母さんが心配そうな声色でそういってきた。
 ふと振り向いてきた前を歩く父さんと顔を見合せ「母さんのこういうところは変わらないね」と小声でささやいた。
 
「そういえば、お風呂もう少しで沸くから、先に入っていいわよ」
「はいは~い」
「家のお風呂も久しぶりでしょう。ちょっと狭いかもしれないけど、ゆっくり温まりなさい」
「……わかったよ。ゆっくり入らせてもらうね」



「んん~~……」
 
 髪と身体を丹念に洗い、湯船に浸かる。昨日、今日と旅の疲れによる身体のコリをほぐすようにしながら、我が家の浴室の感覚を記憶の中から思い出していた。
 背は少し縮んだとはいえ、やっぱり普段の浴室と比較して狭くは感じる。けれど几帳面な母さんによる掃除が行き届いていて、とても落ち着くな。
 
「ふふっ……」
 
 背伸びをし終えた後、僕は右脚を湯船から出して持ち上げた。そしてその柔軟性が一目でわかるくらいに直立した、長くしなやかな脚を見ながらかすかに笑いをこぼす。
 
 こうしてお風呂に入ることは大好きだ。いやこちらで生きていた頃から好きではあったし、それは日本人ならほとんどの人が持つであろう気持ちだろうが、今はそれ以上にこの時間を大切にしている。
 身体を洗うときやこうして湯船に浸かっているとき、今の自分を誰の目を気にすることなく堪能できる時間だからだ。
 
 たまにセシルさんと二人でお風呂に入るのも好きだけど……こうして一人で入るというのはそんなまた違った良さがあっていいものだと思う。
 
 
 
 
「そろそろ…………ああ、そういえば……」
 お湯のなかで今日あったことを思い返していくうちに時間も経ち、十分身体も温まった。そうして湯船から出るつもりで、立ち上がろうとした時、あることが頭によぎった。

 着替えは持ってきたけれど、普段使っているタオルは置いてきたままだった。
 まあ別にいいか、普通に家のバスタオル使おう。
 
「ん? 仕方ないな」
 
 浴室から出たすぐ近くにあるタオル掛けにバスタオルが置いてなかった。さっきは置いてあったはずなんだけどなあ……一旦片づけちゃったのかな?
 
「母さ~ん! バスタオル持ってき……!」
「ごめんレン、タオル……!」
 
 母さんに持って来てもらおうとして呼んだ瞬間、丁度新しいタオルを持ってきた母さんがドアを開けた。
 
「…………」
「……タオル借りるよ」
「あっ……ええ」
 
 お互いの台詞を言い終えることなく、顔を見合せ固まった。そして……一瞬後、僕はタオルを母さんの手から取り、拭いていった。
 
「……」
「どうしたの?」
「あ、ああ、ええっと……こうしてみると、あなたずいぶんと綺麗で……」
「ふ~ん……」
 
 母さんは僕の言葉に無言で軽くうなずく。
 自分で言うのもなんだけど、確かに同性であっても目を引くくらいには魅力的な肢体……だとは思う。
 
「あなたもセシルさんも凄いスタイルいいわよね……さっきから見ていたけど、少食ってわけでもないみたいだし。何か秘訣とか……」
「普段から運動……フィールドワークとかやってるしね。そんなもんだよ、ほら……恥ずかしいから向こういってよ」
「ああごめんなさい……」
 
 なんだか母さんテンション高いな……気持ちはなんとなくわかるけどね。
 
「じゃあ私は戻ってるからね」
「はいはい」
「ん~風呂出たのか~?」
「ちょっと、お父さん! まだだから!」
「あははは……」
 
 
 
 
「さて、と……僕はそろそろ寝るよ」
「そうか、明日もいろいろあるだろうしな。面白かったよ、お前の話」
 
 お風呂を出て着替えた後、再び父さんや母さんに向こうでの生活の様子を話したり、簡単な魔術を披露したり、そんなことをしているうちにさらに夜も更けていった。
 そうして日付も変わり、強い眠気を感じ始めた僕はまだ話したい気持ちもあったが、明日を考え眠ることにした。
 
「それであなたはどこで寝るの?」
「そうだね……じゃあ、自分の部屋で寝るから布団貸して」
「えっ? あそこ綺麗に掃除はしてあるけど……今何もないよ。いいの?」
「いいのいいの」
「……わかったわ」
 
 母さんから余っていた布団と目覚まし時計を受け取り、廊下を歩く足取りに懐かしさを覚えながら自分の部屋へと向かった。
 部屋についた僕は、静寂に包まれた部屋に布団を丁寧に敷いていく。
 
「また、ここで……ね」
 
 敷かれた布団に潜りながら、ふと呟いた。なんだか、初めてセシルさんと出会った、あの日の夜を思い出す。
 あの日はセシルさんのおかげで戸惑いこそ感じなかった。だけど新たな生活への期待と不安……何より親しかった人々にもう会えないという悲しさで胸がいっぱいのまま眠りについた
 
 しかし、今は再び両親に会えた。ご飯を食べて、お風呂に入って、そしてまたこの天井を見上げながら眠ることができる喜びを感じている。かつては当たり前、平凡だった時間がとても愛おしく感じている。
 一度はここには来ないことを選んだが、結局は来てしまった。いや今でもここに住みはしないことを決めているのは変わらない。
 
 だけど……この夜は僕の人生の中で、忘れられないものになるはずだ。
 
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