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捕まりました

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初めて入ったネットカフェは鍵も付いていた。少し狭いけどなんだか私1人だけの空間のように見えた。パソコンとリクライニングチェアしかないその部屋は少し淋しい感じがしたが今の私にはちょうどいい。とにかく今は仕事を探さないと、きっともう大ちゃんにもあゆちゃんにも会えない。結局私は淋しいと思いながらも温かい場所が怖いのだ。誰かに甘え、誰かに寄り添うことなど…自分には…不向きなんだから…

健吾さんとの結婚生活は今考えると初めから何もかもがおかしかった。確かに仕事をしなくても家事だけやっていればよかった。毎月の生活費は健吾さんから足りるほどもらってた。健吾さんは基本、自分の部屋に閉じこもっていて顔を合わすことはあまりなかった。私はご飯を作って、掃除して、洗濯をして……考えれば家政婦みたいじゃん。夫婦らしいこと1つもしなくても、彼には欲を発散する相手がいたんだ。そりゃあいまだに夜中にうなされたり、こんな貧素な身体、抱きたいと思うわけないか…今まで誰とも肌を合わせたことなどなかった私だし…なんだか悲しくなってきたなぁ~それを打ち消すように、とりあえずシャワーを浴びようとタオルと着替えをリュックに詰めた。部屋の鍵をかけてシャワー室に向かった。骨折してる腕にビニール袋をかけ、水に濡れないように気をつけて入った。いくら左利きの私でも片手で頭や体を洗うのは大変だったが出る時間が決まってるので早くしないと…知り合いには会わないだろうと、少しくたびれたスウェットの上下を着てシャワー室を出た。喉が渇いたのとお腹も空いたのでまずはドリンクバーに行くと見覚えのある大きな体が見えた。咄嗟に部屋に戻ろうとUターンしたらすぐに近づいてきて手首を掴まれた。どうして?なんで?と震える手で振り払おうとしたが、低い声が響いてきた。
「かくれんぼは、もうおしまい」

「なんでいるんですか?」

「なんとなく熱が下がったら咲希ちゃんはいなくなると思ってたからね。だから咲希ちゃんの荷物の中にGPSを入れておいた」

「それ…犯罪じゃ…」

「そうだね。咲希ちゃんが俺を通報すればね。でも家出娘をそのまま野放しにはできないでしょ?怪我だってまだ治ってない。しかも治療費はまだ返してもらってないよね?」

「あっ…いくらでしたか?お支払いします」

「咲希ちゃん、とりあえず目立つから外、出ようか?」
周りを見ると、何人か通る人が怪訝な顔をしていた。
それはそうだろう。大ちゃんはいつもはラフな服装なのに今日は3ピースのスーツだ。かたや私はくたびれたスウェットの上下を着ている。
「とりあえず帰ろう?」
私は逃げるのをやめて大ちゃんに向き合おうと覚悟を決めた。こんな私を探すためにGPSまで付けてくれたんだもん。
駐車場に停めてあった国産だけど綺麗な車に乗った。助手席はあゆちゃんの指定席だと思って後ろの席に乗ろうとしたけど助手席に乗せられた。着いた先は大きなマンションで車を止めるとスタッフが声をかけてきた。
「お帰りなさいませ。この後のご予定は?」

「とりあえず車庫にお願いします」

「かしこまりました」

「咲希ちゃん降りて、行くよ」

「はい」
一体ここはどこなんだろう?不思議に思いながらも大ちゃんに手を繋がれて歩いていった。
自動ドアが開いた途端「お帰りなさいませ」と美人の女性が声をかけてきた。大ちゃんは会釈だけして通り過ぎたので、私もお辞儀をした。高級ホテル…なんて泊まったことないけどこんな感じなんだろうなと目をキョロキョロ動かしていたら、エレベーターのドアが開いて大ちゃんは20階のボタンを押した。高所恐怖症の私は、前に住んでいた8階の家でも怖かったのに20階って…スピードに乗って急上昇するエレベーターの中で冷や汗が流れそうになったところで止まってホッと息を吐いた。
1つのドアの前に立ち
「ここ、俺の家だから」
とカードをかざしてドアが開けられた。
背中に手を添えられ促されるように玄関に入った。

「お邪魔します」

「どうぞ」
荷物を全部持ってくれてる大ちゃんの後を付いていくとTVのコマーシャルに出てくるような大きなリビングが見えた。窓からは夕焼けに赤く染まった雲が見えた。怖くて窓には近づけなかったがしばらく外を見ていた。
コーヒーのいい香りがしてきてふと見ると大ちゃんがコーヒーを入れてダイニングテーブルに置いてるのが見えた。
「咲希ちゃん、かくれんぼも鬼ごっこもおしまい。観念して話しよう」と声が響いた。
考えてみたら、大ちゃんの部屋にはあゆちゃんは見当たらない。まだ仕事が終わってないのかな?と考えながら大ちゃんの向かいの椅子に座った。

「あゆちゃんは仕事ですか?」

「あゆみ?多分まだ仕事だろう」

「いつ頃帰ってきますか?」

「え?帰ってこないけど」

「……?」
もしかして別居中なの?それとも私に気を遣って帰ってこないのかな?不思議に思ったが夫婦の間に赤の他人が口出ししてはいけないと言いたい言葉を飲み込んだ。

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