28 / 48
5 かくし玉
第4話
しおりを挟む
もはや、耳が麻痺して気にもならなくなってきた蝉時雨。わかったのは、セミは早起きだってことだ。
縁側のカーテンを開くと、快晴である。おそらく、真夏日こえて酷暑日になりそうな空だ。真っ青な空に遠くに真っ白な雲が見える。
「よし」
いつの間にか向希も縁側に出て私に並ぶ。『よし』って何だよ。
「有ちゃん、今日は早起きだね」
「別にっ」
「ぶっ、そんな早起きじゃないっての」
時計を見ると、確かに全然早起きじゃない時間で、からかわれたのだとようやく気がついた。
「わかるよ、わかる。俺も楽しみで早く目覚めちゃったしなあ」
「川行くだけじゃん、毎日行ってるじゃん!」
「有ちゃん、声がデカイって。聞こえるよ」
慌てて、口を押さえた私に、向希が仏壇上の遺影を指差すものだから、またからかわれたのだと気付いた。祖父母はとっくに出掛けているに違いなかった。
「もう!」
「はは。残念ながら朝からは行きません。夏とはいえ水に浸かってたら冷えるし、朝夕は蚊とかの虫が多い。昼下がりにしよう」
わかんないけど、向希に任せることにした。向希の方が詳しいだろうから。
「じゃあ、ブランチでいいよ」
「え、俺朝ごはん食べたのに」
「……いただきます」
急いで台所へと向かった。
「有ちゃん、顔洗ってー」
「……はい」
あれ、いつもは全然平気だったのに、寝起きで喋ってたことが恥ずかしかった。今までがどうかしてたのかもしれないが……。
ずっと向希と一緒にいるが、少し離れたこんな一瞬にすら、向希のことを考えている時間が増えたのは気のせいではないだろう。
メッシュバッグにバスタオルやら何やらを詰め込んでいる向希に
「私は何持って行けばいい?」
と一応聞いてみる。
「日焼け止め」
「はい」
家から水着で歩く。
「帰りは結構距離があるから歩いてるうちに乾きそうだね」
「だな」
ふと、会話が途切れた。こういう時、向希は私に心配そうな顔を向ける。私は、ふっと笑ってしまう。
「もう、大丈夫だってば」
昨日話したことで私が落ち込んでないか心配してるのだ。ここへ来てから向希はずっと私を心配している。
「吐き出せないとさ、溜まるんだけど、言葉に出来ないもやもやが多くてさ。これはもうどうしようもない。向ちゃんの言う通り、お父さんやお母さんやおじいちゃんおばあちゃんもそうだと思う。言っても仕方がないというか。結局、うまくいってるんだからいーじゃんって言われたらそうなんだけど、それじゃあ気が済まない感じ。それを全員が抱えているんだろうね」
全員、ていうのは勿論、向希もそうだと思う。んだけど、涼やかな顔からは何も見えてはこない。
「だな。予定調和を望むよ、親は。生きやすくしてやりたい。だから、自分の失敗と成功を子供に伝える。『あれしちゃダメ、こうしなさい、ああしなさい』ややこしいんだよ。俺たちの存在を失敗って言ってしまうと、存在を否定してしまう。俺たちのせいで、俺たちのため」
「知らんわ、そんなん!」
「けど、今もお世話になってる」
「ううううう、ありがとうございます」
「あはは! まあ、満足が増すためには適度のストレスが必要っていうからね。簡単にクリアできたらつまらないって」
「……ゲーム? ねえ、ゲームに例えた?」
喋っていて気がつかなかったけど、いつもの道と違う。あれ、どこ行くんだろう。周りをぐるり見渡した。
「向ちゃん、どこ行くの?」
「ああ。もうちょい上流で、人の来ないとこ」
「人の来ないとこ? 別にいいのに」
向希は、私をてっぺんから爪先まで見て、「やだね」と行った。そこはいつもの場所より早く到着した。
「着いた」
少し奥まっていて、地元の人しか知らなさそうだ。あんまり川幅は広くはなかったが、流れが穏やかで岩肌に面したところは薄い緑色をしていた。あの辺りは深さがありそうだ。
「着いたからって、すぐに入らない」
強い口調で言われ、向希は私を一体なんだと思っているのだろうか。
「はいはい。準備体操をしろって言うんじゃないでしょうね」
私の言葉を無視して、向希は水温を確かめるように自分の足に水をかける。何がわかったのか頷くと、ばしゃばしゃと川へ入って行った。何が始まるのかと、背中を見ていると、くるりこちらを向いて手を広げて見せた。
「ここ。ここから急に深くなるから気をつけるように。万が一足を滑らせた場合は落ち着いて、上を向いて力を抜くと……」
向希はそれを説明しながらやってみせる。目の前をゆらゆらと向希が流れていった。
「勝手に岸に着く」
「はあ」
向希は流れ着いた場所から、元いた場所に再び行くと、今度は潜り始めた。
ざばぁと顔を出すと、「よし」と言って戻って来る。今度は陸をずんずん歩き、二メートルほどある岩の上へ上ると、そこから飛び込んだ。
始終無表情で遊び出すから、私は唖然とそれを見ていた。あの人、何をしているのだろう。
「危ないものはなかった。雨も数日降ってないから急な増水もないとは思う。だが、油断は禁物だ。溺れるなよ。振りじゃないからな。助けないぞ」
真顔で言うから笑わないでいることに必死だった。雨がしばらく降ってない。だから今日だったんだ。「ぶふ」まずい、吹いてしまった。
「安全な川などないのだ」
「はい、わかってます」
いつの間に買ったのか、向希は浮き輪をシューシュー膨らませ始めた。輪っかになって、取っ手も付いてる。
「水分はこっち」
保冷剤内臓の小さなクーラーバッグには二人分の飲み物が入れられていた。
「入ってよし!」
スポッと浮き輪を被せられ、私はやっと川に入る許可を貰えた。
「あー、写真撮りたい。向ちゃん、そこからスマホ取って~」
「ん」
「そういえば、お母さんからもお父さんからも全然連絡ないなあ」
聞こえない振りをしている向希に、あいつが連絡を取っているのだと悟る。同じ境遇にいるようで、親側の人間め。危うく懐柔させられるところだった。写真を数枚撮ると、満足してスマホを置いた。そして、私のそんな様子を向希が微笑ましそうに見ていて調子が狂う。
気まずさに、川に入ることにした。
「冷たい、うわあ、気持ちいい」
ああ、夏が染み込んでいく。味わっていたら、後方からばしゃばしゃと聞こえて来た。
「有ちゃん! ってなんだよ。足でもつったのかと思った」
「夏を味わってたの」
「ああ、うん」
怪訝な顔だ。いいじゃないか、少しくらいこの感傷に付き合ってくれても。
縁側のカーテンを開くと、快晴である。おそらく、真夏日こえて酷暑日になりそうな空だ。真っ青な空に遠くに真っ白な雲が見える。
「よし」
いつの間にか向希も縁側に出て私に並ぶ。『よし』って何だよ。
「有ちゃん、今日は早起きだね」
「別にっ」
「ぶっ、そんな早起きじゃないっての」
時計を見ると、確かに全然早起きじゃない時間で、からかわれたのだとようやく気がついた。
「わかるよ、わかる。俺も楽しみで早く目覚めちゃったしなあ」
「川行くだけじゃん、毎日行ってるじゃん!」
「有ちゃん、声がデカイって。聞こえるよ」
慌てて、口を押さえた私に、向希が仏壇上の遺影を指差すものだから、またからかわれたのだと気付いた。祖父母はとっくに出掛けているに違いなかった。
「もう!」
「はは。残念ながら朝からは行きません。夏とはいえ水に浸かってたら冷えるし、朝夕は蚊とかの虫が多い。昼下がりにしよう」
わかんないけど、向希に任せることにした。向希の方が詳しいだろうから。
「じゃあ、ブランチでいいよ」
「え、俺朝ごはん食べたのに」
「……いただきます」
急いで台所へと向かった。
「有ちゃん、顔洗ってー」
「……はい」
あれ、いつもは全然平気だったのに、寝起きで喋ってたことが恥ずかしかった。今までがどうかしてたのかもしれないが……。
ずっと向希と一緒にいるが、少し離れたこんな一瞬にすら、向希のことを考えている時間が増えたのは気のせいではないだろう。
メッシュバッグにバスタオルやら何やらを詰め込んでいる向希に
「私は何持って行けばいい?」
と一応聞いてみる。
「日焼け止め」
「はい」
家から水着で歩く。
「帰りは結構距離があるから歩いてるうちに乾きそうだね」
「だな」
ふと、会話が途切れた。こういう時、向希は私に心配そうな顔を向ける。私は、ふっと笑ってしまう。
「もう、大丈夫だってば」
昨日話したことで私が落ち込んでないか心配してるのだ。ここへ来てから向希はずっと私を心配している。
「吐き出せないとさ、溜まるんだけど、言葉に出来ないもやもやが多くてさ。これはもうどうしようもない。向ちゃんの言う通り、お父さんやお母さんやおじいちゃんおばあちゃんもそうだと思う。言っても仕方がないというか。結局、うまくいってるんだからいーじゃんって言われたらそうなんだけど、それじゃあ気が済まない感じ。それを全員が抱えているんだろうね」
全員、ていうのは勿論、向希もそうだと思う。んだけど、涼やかな顔からは何も見えてはこない。
「だな。予定調和を望むよ、親は。生きやすくしてやりたい。だから、自分の失敗と成功を子供に伝える。『あれしちゃダメ、こうしなさい、ああしなさい』ややこしいんだよ。俺たちの存在を失敗って言ってしまうと、存在を否定してしまう。俺たちのせいで、俺たちのため」
「知らんわ、そんなん!」
「けど、今もお世話になってる」
「ううううう、ありがとうございます」
「あはは! まあ、満足が増すためには適度のストレスが必要っていうからね。簡単にクリアできたらつまらないって」
「……ゲーム? ねえ、ゲームに例えた?」
喋っていて気がつかなかったけど、いつもの道と違う。あれ、どこ行くんだろう。周りをぐるり見渡した。
「向ちゃん、どこ行くの?」
「ああ。もうちょい上流で、人の来ないとこ」
「人の来ないとこ? 別にいいのに」
向希は、私をてっぺんから爪先まで見て、「やだね」と行った。そこはいつもの場所より早く到着した。
「着いた」
少し奥まっていて、地元の人しか知らなさそうだ。あんまり川幅は広くはなかったが、流れが穏やかで岩肌に面したところは薄い緑色をしていた。あの辺りは深さがありそうだ。
「着いたからって、すぐに入らない」
強い口調で言われ、向希は私を一体なんだと思っているのだろうか。
「はいはい。準備体操をしろって言うんじゃないでしょうね」
私の言葉を無視して、向希は水温を確かめるように自分の足に水をかける。何がわかったのか頷くと、ばしゃばしゃと川へ入って行った。何が始まるのかと、背中を見ていると、くるりこちらを向いて手を広げて見せた。
「ここ。ここから急に深くなるから気をつけるように。万が一足を滑らせた場合は落ち着いて、上を向いて力を抜くと……」
向希はそれを説明しながらやってみせる。目の前をゆらゆらと向希が流れていった。
「勝手に岸に着く」
「はあ」
向希は流れ着いた場所から、元いた場所に再び行くと、今度は潜り始めた。
ざばぁと顔を出すと、「よし」と言って戻って来る。今度は陸をずんずん歩き、二メートルほどある岩の上へ上ると、そこから飛び込んだ。
始終無表情で遊び出すから、私は唖然とそれを見ていた。あの人、何をしているのだろう。
「危ないものはなかった。雨も数日降ってないから急な増水もないとは思う。だが、油断は禁物だ。溺れるなよ。振りじゃないからな。助けないぞ」
真顔で言うから笑わないでいることに必死だった。雨がしばらく降ってない。だから今日だったんだ。「ぶふ」まずい、吹いてしまった。
「安全な川などないのだ」
「はい、わかってます」
いつの間に買ったのか、向希は浮き輪をシューシュー膨らませ始めた。輪っかになって、取っ手も付いてる。
「水分はこっち」
保冷剤内臓の小さなクーラーバッグには二人分の飲み物が入れられていた。
「入ってよし!」
スポッと浮き輪を被せられ、私はやっと川に入る許可を貰えた。
「あー、写真撮りたい。向ちゃん、そこからスマホ取って~」
「ん」
「そういえば、お母さんからもお父さんからも全然連絡ないなあ」
聞こえない振りをしている向希に、あいつが連絡を取っているのだと悟る。同じ境遇にいるようで、親側の人間め。危うく懐柔させられるところだった。写真を数枚撮ると、満足してスマホを置いた。そして、私のそんな様子を向希が微笑ましそうに見ていて調子が狂う。
気まずさに、川に入ることにした。
「冷たい、うわあ、気持ちいい」
ああ、夏が染み込んでいく。味わっていたら、後方からばしゃばしゃと聞こえて来た。
「有ちゃん! ってなんだよ。足でもつったのかと思った」
「夏を味わってたの」
「ああ、うん」
怪訝な顔だ。いいじゃないか、少しくらいこの感傷に付き合ってくれても。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
「桜の樹の下で、笑えたら」✨奨励賞受賞✨
悠里
ライト文芸
高校生になる前の春休み。自分の16歳の誕生日に、幼馴染の悠斗に告白しようと決めていた心春。
会う約束の前に、悠斗が事故で亡くなって、叶わなかった告白。
(霊など、ファンタジー要素を含みます)
安達 心春 悠斗の事が出会った時から好き
相沢 悠斗 心春の幼馴染
上宮 伊織 神社の息子
テーマは、「切ない別れ」からの「未来」です。
最後までお読み頂けたら、嬉しいです(*'ω'*)
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
夜食屋ふくろう
森園ことり
ライト文芸
森のはずれで喫茶店『梟(ふくろう)』を営む双子の紅と祭。祖父のお店を受け継いだものの、立地が悪くて潰れかけている。そこで二人は、深夜にお客の家に赴いて夜食を作る『夜食屋ふくろう』をはじめることにした。眠れずに夜食を注文したお客たちの身の上話に耳を傾けながら、おいしい夜食を作る双子たち。また、紅は一年前に姿を消した幼なじみの昴流の身を案じていた……。
(※この作品はエブリスタにも投稿しています)
アッキーラ・エンサィオ006『彼女が僕のほっぺたを舐めてくれたんだ』
二市アキラ(フタツシ アキラ)
ライト文芸
多元宇宙並行世界の移動中に遭難してしまった訳あり美少年・鯉太郎のアダルトサバイバルゲーム。あるいは変態する変形合体マトリューシカ式エッセイ。(一応、物語としての起承転結はありますが、どこで読んでも楽しめます。)グローリーな万華鏡BLを追体験!てな、はやい話が"男の娘日記"です。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
嘘を吐く貴方にさよならを
桜桃-サクランボ-
ライト文芸
花鳥街に住む人達は皆、手から”個性の花”を出す事が出来る
花はその人自身を表すものとなるため、様々な種類が存在する。まったく同じ花を出す人も存在した。
だが、一つだけ。この世に一つだけの花が存在した。
それは、薔薇。
赤、白、黒。三色の薔薇だけは、この世に三人しかいない。そして、その薔薇には言い伝えがあった。
赤い薔薇を持つ蝶赤一華は、校舎の裏側にある花壇の整備をしていると、学校で一匹狼と呼ばれ、敬遠されている三年生、黒華優輝に告白される。
最初は断っていた一華だったが、優輝の素直な言葉や行動に徐々に惹かれていく。
共に学校生活を送っていると、白薔薇王子と呼ばれ、高根の花扱いされている一年生、白野曄途と出会った。
曄途の悩みを聞き、一華の友人である糸桐真理を含めた四人で解決しようとする。だが、途中で優輝が何の前触れもなく三人の前から姿を消してしまい――………
個性の花によって人生を狂わされた”彼”を助けるべく、優しい嘘をつき続ける”彼”とはさよならするため。
花鳥街全体を敵に回そうとも、自分の気持ちに従い、一華は薔薇の言い伝えで聞いたある場所へと走った。
※ノベマ・エブリスタでも公開中!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる