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最終章
第66話 芽吹いたものは。
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「――ああ、そうだリリアーナ。これは、多分なんだけどね?」
笑い疲れて、二人並んで寝転んだ花畑。
繋いでいた私の手を離し、コハクがぴょんと跳ねるように起き上がった。
「さっき言った通り、僕と契約を結んだことで、君は精霊の魂と繋がったってわけ。……だから、おそらくは」
意味ありげに言葉を切って、階段へと視線を走らせる。その先にあるのは――……精霊廟、最奥の扉?
境界の箱庭に繋がる扉へと、コハクともう一度手を繋いで歩み寄った。今では蔦の切れてしまった扉をまじまじと見つめる。
「つまり……私にもこの扉を開けられる、ってこと?」
自信なく問い掛けると、コハクは「だと思う」と大きく頷いた。
「本来なら、初代と契約を結んだランダールの王、その血縁のみに与えられた特権なんだけど。僕ら精霊は普通に通れるし……まあ、開けるのが面倒だからすり抜けてるだけなんだけど。リリアーナにも多分開けられると思うよ」
「そうなのね……」
かと言って、そう入りたい場所ではない。
綺麗すぎて恐ろしいから、私にはこの精霊廟の花畑で充分だ。
そう伝えると、コハクはあからさまにがっかりした顔をした。
「えーっ、僕はあの場所が大好きなのに。君と一緒に遊べると思ったのになぁ」
子どもみたいに拗ねた口調に噴き出してしまう。くすくす笑いながら踵を返した。
「ごめんね? でもやっぱり、ここはランダール王家にとっての聖域だもの。ガイウス陛下が一緒ならともかく、私だけじゃあちょっとね」
「せっかく芽が出てたのに。君とガイウスが植えた花の種の」
「…………」
なんですと?
つまらなさそうに付け足された一言に、ぐりんと勢いよく後ろを振り返る。コハクはぱちくりと瞬きして――ああ、と手を打った。
「そう、芽が出ていたんだよ。噴水の横に植えたんでしょう? 可愛い緑の葉っぱがたくさんあってね、見たいんじゃない?」
「み……見たい。けど、行かないわっ」
だって、せっかく芽吹いたのならガイウス陛下と一緒に見たい。あれは私達二人の花なんだもの。
鋼の意志でなんとか耐えると、コハクもやっと納得してくれた。それでもしょんぼりとお耳を垂らす。
「君とガイウスが見に行くとき、僕も一緒に見物しようかなぁ……。どうせ、ガイウスには僕が見えないんだから」
「…………っ」
小さな呟きには、隠しきれない寂しさが滲んでいた。コハクに悟られないよう、きつくこぶしを握り締める。
(そう、よね……)
まだ死にたくないと、強く願ったという小さなコハク。
それは他ならぬガイウス陛下のためだったというのに、陛下には精霊となったコハクの姿は見えないのだ。――せっかく言葉だってしゃべれるようになったのに。
そこで、はたと気が付く。
「コハク……。もしかして、あなたが人型の精霊になったのは……ガイウス陛下のためなの?」
私の震え声に、コハクは弾かれたように顔を上げた。視線を泳がせ、戸惑いながらも小さく頷く。
「……多分。自分じゃ覚えてないけど、きっとそう願ったんだろうね。僕の食べた未熟な『精霊の実』が、死の瞬間に僕の願いを叶えてくれた――……」
――それなのに。
こぼれ落ちそうになった涙を、唇を噛んでなんとかこらえた。
感情を抑え込んでいるような、凪いだ瞳をしたコハクに勇ましく歩み寄る。高い音を立てて背中を叩きつけた。
「痛っ!?」
「しょうがないわね。私の大事なお友達のコハクに、私とガイウス陛下のお花のところまで案内してあげるわ」
偉そうに宣言すると、コハクがぽかんと口を開ける。
「いや、だから僕はもう見て……」
「噴水の横の分は、でしょう? それだけじゃあ、すっかり見物したとは言えないわ」
鼻で笑って歩き出す。
深呼吸して、最奥の扉に手の平を押し当てた。
(……ごめんね、ガイウス陛下……)
ここはあなたの思い出の場所だけれど、今だけ少しお借りします。
あなたの愛した仔うさぎに、私達の大事な花を。あなたの代わりに私が見せるわ。
(……そういえば)
緊張したように立ち尽くすコハクを振り返る。
「ね、ガイウス陛下はあなたに名前を付けたんじゃないの? あなたのことを愛していたんだもの。私が付けた名前より、ガイウス陛下の名前の方が――……」
「ああ、いいってそれは! 僕はコハクが気に入ってるんだ! だから絶対駄目駄目駄目、あの恥ずかしい名前だけは知られたくないっ」
早口でまくし立てると、コハクは「早く早くっ」と私の背中を押した。恥ずかしい名前って……何?
興味津々に目を輝かせる私に、コハクが怖い目を向けてくる。……はいはい、わかりましたよ。
いたずらっぽくウインクして、今度こそ扉に体重をかけた。思いのほか軽い手応えに、つんのめりそうになりながらも扉は静かに開く。
「わっ……!」
覚悟していたはずなのに、やっぱり華やかな光が目に痛い。無事に開けられたことにほっとしつつ、コハクと並んで箱庭に足を踏み入れた。
「やっぱり綺麗すぎて怖いわね……。他の精霊さんはここには来ないの?」
駆け出してぴょんぴょん芝生を飛び跳ねていたコハクが、きょとんと私を振り返る。
「どうかなぁ、たまには来るとは思うけど」
「初代さんも?」
叶うなら、初代さんから直接恋バナを聞いてみたい。いやでも、失恋話だから聞いたら悪いかしら。
腕組みして悩む私に、コハクは苦笑してかぶりを振った。
「初代なんか、僕だってほとんど会ったことないよ。他の精霊からの聞きかじりばっかだもん」
「そうなんだ……」
ほっとしたような、残念なような。
コハクに追いつき、大急ぎでその手を握る。誰かと触れ合っていないとやっぱり怖いのだ。
繋いだ手に力を込めて、コハクは眩しそうに天を仰いだ。
「初代はね、めちゃくちゃ気まぐれなんだって。おまけに頑固、ひとの意見なんて聞きゃしない……らしいよ?」
ぶらぶら歩きながら、おかしそうに舌を出す。なんと言うか、随分と人間っぽい精霊さんなのね。
「ほら、リリアーナ! 花の芽だよ」
「本当! 可愛い双葉がいっぱいだわ」
声を弾ませ、二人で地面にしゃがみ込んだ。
水やりはガイウス陛下の担当で、さすがマメな彼だと嬉しくなる。そっと優しく葉っぱをつついた。
「花が咲くのが楽しみだわ。さて……と」
腰を上げて、今度は大樹へと歩み寄る。
不思議そうな顔をするコハクを伴い、慎重に大樹の根本を調べた。
「……駄目ね。こっちには出てないわ。やっぱり日当たりが悪いせいかしら……」
しょんぼりと声を落とす。
大樹の根本、四方を囲むように種を四つだけ蒔いてみたのだ。木漏れ日が差し込むから、もしかしたらと思っていたのだけど。
「ガイウス陛下が木登りしないよう、お花を咲かせちゃえばいいと思ったの。優しい彼はお花を踏んづけたりできないでしょう?」
ため息をつく私に、コハクが「そりゃそうだ」とくすくす笑う。私の頭をぽんと叩いた。
「大丈夫、きっとここにも花は咲くよ。君の精霊の力を信じなさい」
「まあ。ありがとう、精霊様!」
大仰に拝んでみせると、コハクはお腹を抱えてげらげら笑った。ようやくこの場に馴染んできた私は、コハクから離れて噴水へと向かう。
澄んだ水に手を浸し、ぱっと撒くと水滴がきらきらと光を放った。
「本当に、ここは綺麗――……っ!?」
刹那。
どくん、と激しく鼓動が跳ねる。
「え? あ……」
そのままバクバクと心臓が暴れ出し、咄嗟に噴水の縁にすがりつく。
息苦しさに混乱しながら振り返った先――……大樹の下では、なぜかコハクが呆けたように天を見上げていた。その顔は血の気を失って真っ白で、私の異変には気付いていない。
「コハ、ク……!」
ぐらぐらと地面が揺れている心地がして、掴まっていても足を踏ん張っていられない。息が、でき――……
『リリアーナッ!?』
ようやく私を認めたコハクの叫びと共に、聞き慣れた大切な人の声も聞こえた。崩れ落ちながら、霞んだ目を彼に向ける。
「……ぁ……」
ガイウス陛下……。
鬣を揺らし、懸命に私に向かって駆けてくる。
(見つか、ちゃった……。ごめんなさ……)
胸の中で呟いた、小さな謝罪が彼に届くはずもなく。視界がゆっくり閉ざされて。
――それきり、何もわからなくなった。
笑い疲れて、二人並んで寝転んだ花畑。
繋いでいた私の手を離し、コハクがぴょんと跳ねるように起き上がった。
「さっき言った通り、僕と契約を結んだことで、君は精霊の魂と繋がったってわけ。……だから、おそらくは」
意味ありげに言葉を切って、階段へと視線を走らせる。その先にあるのは――……精霊廟、最奥の扉?
境界の箱庭に繋がる扉へと、コハクともう一度手を繋いで歩み寄った。今では蔦の切れてしまった扉をまじまじと見つめる。
「つまり……私にもこの扉を開けられる、ってこと?」
自信なく問い掛けると、コハクは「だと思う」と大きく頷いた。
「本来なら、初代と契約を結んだランダールの王、その血縁のみに与えられた特権なんだけど。僕ら精霊は普通に通れるし……まあ、開けるのが面倒だからすり抜けてるだけなんだけど。リリアーナにも多分開けられると思うよ」
「そうなのね……」
かと言って、そう入りたい場所ではない。
綺麗すぎて恐ろしいから、私にはこの精霊廟の花畑で充分だ。
そう伝えると、コハクはあからさまにがっかりした顔をした。
「えーっ、僕はあの場所が大好きなのに。君と一緒に遊べると思ったのになぁ」
子どもみたいに拗ねた口調に噴き出してしまう。くすくす笑いながら踵を返した。
「ごめんね? でもやっぱり、ここはランダール王家にとっての聖域だもの。ガイウス陛下が一緒ならともかく、私だけじゃあちょっとね」
「せっかく芽が出てたのに。君とガイウスが植えた花の種の」
「…………」
なんですと?
つまらなさそうに付け足された一言に、ぐりんと勢いよく後ろを振り返る。コハクはぱちくりと瞬きして――ああ、と手を打った。
「そう、芽が出ていたんだよ。噴水の横に植えたんでしょう? 可愛い緑の葉っぱがたくさんあってね、見たいんじゃない?」
「み……見たい。けど、行かないわっ」
だって、せっかく芽吹いたのならガイウス陛下と一緒に見たい。あれは私達二人の花なんだもの。
鋼の意志でなんとか耐えると、コハクもやっと納得してくれた。それでもしょんぼりとお耳を垂らす。
「君とガイウスが見に行くとき、僕も一緒に見物しようかなぁ……。どうせ、ガイウスには僕が見えないんだから」
「…………っ」
小さな呟きには、隠しきれない寂しさが滲んでいた。コハクに悟られないよう、きつくこぶしを握り締める。
(そう、よね……)
まだ死にたくないと、強く願ったという小さなコハク。
それは他ならぬガイウス陛下のためだったというのに、陛下には精霊となったコハクの姿は見えないのだ。――せっかく言葉だってしゃべれるようになったのに。
そこで、はたと気が付く。
「コハク……。もしかして、あなたが人型の精霊になったのは……ガイウス陛下のためなの?」
私の震え声に、コハクは弾かれたように顔を上げた。視線を泳がせ、戸惑いながらも小さく頷く。
「……多分。自分じゃ覚えてないけど、きっとそう願ったんだろうね。僕の食べた未熟な『精霊の実』が、死の瞬間に僕の願いを叶えてくれた――……」
――それなのに。
こぼれ落ちそうになった涙を、唇を噛んでなんとかこらえた。
感情を抑え込んでいるような、凪いだ瞳をしたコハクに勇ましく歩み寄る。高い音を立てて背中を叩きつけた。
「痛っ!?」
「しょうがないわね。私の大事なお友達のコハクに、私とガイウス陛下のお花のところまで案内してあげるわ」
偉そうに宣言すると、コハクがぽかんと口を開ける。
「いや、だから僕はもう見て……」
「噴水の横の分は、でしょう? それだけじゃあ、すっかり見物したとは言えないわ」
鼻で笑って歩き出す。
深呼吸して、最奥の扉に手の平を押し当てた。
(……ごめんね、ガイウス陛下……)
ここはあなたの思い出の場所だけれど、今だけ少しお借りします。
あなたの愛した仔うさぎに、私達の大事な花を。あなたの代わりに私が見せるわ。
(……そういえば)
緊張したように立ち尽くすコハクを振り返る。
「ね、ガイウス陛下はあなたに名前を付けたんじゃないの? あなたのことを愛していたんだもの。私が付けた名前より、ガイウス陛下の名前の方が――……」
「ああ、いいってそれは! 僕はコハクが気に入ってるんだ! だから絶対駄目駄目駄目、あの恥ずかしい名前だけは知られたくないっ」
早口でまくし立てると、コハクは「早く早くっ」と私の背中を押した。恥ずかしい名前って……何?
興味津々に目を輝かせる私に、コハクが怖い目を向けてくる。……はいはい、わかりましたよ。
いたずらっぽくウインクして、今度こそ扉に体重をかけた。思いのほか軽い手応えに、つんのめりそうになりながらも扉は静かに開く。
「わっ……!」
覚悟していたはずなのに、やっぱり華やかな光が目に痛い。無事に開けられたことにほっとしつつ、コハクと並んで箱庭に足を踏み入れた。
「やっぱり綺麗すぎて怖いわね……。他の精霊さんはここには来ないの?」
駆け出してぴょんぴょん芝生を飛び跳ねていたコハクが、きょとんと私を振り返る。
「どうかなぁ、たまには来るとは思うけど」
「初代さんも?」
叶うなら、初代さんから直接恋バナを聞いてみたい。いやでも、失恋話だから聞いたら悪いかしら。
腕組みして悩む私に、コハクは苦笑してかぶりを振った。
「初代なんか、僕だってほとんど会ったことないよ。他の精霊からの聞きかじりばっかだもん」
「そうなんだ……」
ほっとしたような、残念なような。
コハクに追いつき、大急ぎでその手を握る。誰かと触れ合っていないとやっぱり怖いのだ。
繋いだ手に力を込めて、コハクは眩しそうに天を仰いだ。
「初代はね、めちゃくちゃ気まぐれなんだって。おまけに頑固、ひとの意見なんて聞きゃしない……らしいよ?」
ぶらぶら歩きながら、おかしそうに舌を出す。なんと言うか、随分と人間っぽい精霊さんなのね。
「ほら、リリアーナ! 花の芽だよ」
「本当! 可愛い双葉がいっぱいだわ」
声を弾ませ、二人で地面にしゃがみ込んだ。
水やりはガイウス陛下の担当で、さすがマメな彼だと嬉しくなる。そっと優しく葉っぱをつついた。
「花が咲くのが楽しみだわ。さて……と」
腰を上げて、今度は大樹へと歩み寄る。
不思議そうな顔をするコハクを伴い、慎重に大樹の根本を調べた。
「……駄目ね。こっちには出てないわ。やっぱり日当たりが悪いせいかしら……」
しょんぼりと声を落とす。
大樹の根本、四方を囲むように種を四つだけ蒔いてみたのだ。木漏れ日が差し込むから、もしかしたらと思っていたのだけど。
「ガイウス陛下が木登りしないよう、お花を咲かせちゃえばいいと思ったの。優しい彼はお花を踏んづけたりできないでしょう?」
ため息をつく私に、コハクが「そりゃそうだ」とくすくす笑う。私の頭をぽんと叩いた。
「大丈夫、きっとここにも花は咲くよ。君の精霊の力を信じなさい」
「まあ。ありがとう、精霊様!」
大仰に拝んでみせると、コハクはお腹を抱えてげらげら笑った。ようやくこの場に馴染んできた私は、コハクから離れて噴水へと向かう。
澄んだ水に手を浸し、ぱっと撒くと水滴がきらきらと光を放った。
「本当に、ここは綺麗――……っ!?」
刹那。
どくん、と激しく鼓動が跳ねる。
「え? あ……」
そのままバクバクと心臓が暴れ出し、咄嗟に噴水の縁にすがりつく。
息苦しさに混乱しながら振り返った先――……大樹の下では、なぜかコハクが呆けたように天を見上げていた。その顔は血の気を失って真っ白で、私の異変には気付いていない。
「コハ、ク……!」
ぐらぐらと地面が揺れている心地がして、掴まっていても足を踏ん張っていられない。息が、でき――……
『リリアーナッ!?』
ようやく私を認めたコハクの叫びと共に、聞き慣れた大切な人の声も聞こえた。崩れ落ちながら、霞んだ目を彼に向ける。
「……ぁ……」
ガイウス陛下……。
鬣を揺らし、懸命に私に向かって駆けてくる。
(見つか、ちゃった……。ごめんなさ……)
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