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第三章

第42話 それぞれの贈り物事情。

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「そうだリリアーナ姫! その調子で力の限り混ぜるのだ!」

「はい師匠っ! 美味しくなぁれーーーっ!!」

 反復練習とは大事なようで。

 二日にいっぺんとはいえ、私はだんだんとクッキー作り(と熱血師匠)に慣れてきて、最初ほどバターを混ぜるのに苦労しなくなってきた。
 バターさえ混ぜてしまえばクッキーは九割方完成したも同然、というヴィルの言葉にも嘘はなく、このところは安定して美味しいクッキーが焼けるようになった。

 クッキーを盛った籠を抱えて、鼻歌交じりに厨房を後にする。一枚つまんでひょいと口に入れた。うん、私天才。

 ……でも、さすがに飽きてきたわ。

 はあ、と嘆息して籠を揺らした。

「問題はこの試作品の山よね……。本番を迎える前に、メイベル達に食べてもらうわけにもいかないし。と、いうか」

 いい加減、ガイウス陛下に何を贈るか決めなければ。

 他の皆と同じでクッキーというわけにはいかないだろう。彼は私の婚約者なのだから。

(……それに)

 なんとなく、彼には形に残るものをあげたい気がするのだ。
 獣型ならばたてがみを膨らませて、人型ならば顔を真っ赤にして喜んでくれるに違いない。きっとずっと大事にしてくれると思う。

 想像するだけで我知らず顔が緩んでしまう。
 ほわほわと笑いながら廊下を歩いた。そう、そのためにも何を贈るか早く決めなければ。

 彼が喜んでくれるもの、彼の欲しがっているもの――……

「…………」

 歩調がだんだんとゆっくりになり、やがてピタリと歩みを止めた。
 楽しい気分が跡形もなく消えてゆく。

 ガイウス陛下が何より求めているもの。

 それが何かを私は知っている。けれど、あげることなど到底不可能だ。

(精霊が見える、『眼』……)

 きゅっと唇を噛み締める。そのまま廊下の壁にもたれかかり――

「お~、お姫様じゃないかぁ~」

 のんびりした声が聞こえて、はっと意識をこの場に戻した。慌てて周囲を見回すと、窓の外から庭師のサイラスが嬉しそうに手を振っていた。

「あら、サイラス! ……あ」

 彼の髭もじゃの顔と、籠の中のクッキーとを見比べる。にんまり笑って廊下の窓から身を乗り出した。

「サイラス、ちょっとこれ持ってて! よいしょっ」

 クッキーの籠を彼に託し、いつぞやのように窓枠を乗り越える。二度目ともなれば慣れたもので、軽やかに地面に降り立った。

 その途端、冷たい空気にくしゃみが飛び出してしまう。

「くしゅっ……! さ、寒いわね……」

 ガチガチ震える私に、サイラスがすかさず自分のマフラーをはずして私に巻き付けてくれた。ほっかりした温かさに安堵の吐息をつく。

 マフラーを握り締め、彼に笑いかけた。

「ありがとう。あのね、サイラス」

「お姫様、話は後だぁ。こっちこっち!」

 ぐいぐい腕を引かれて導かれるまま、王城から離れた庭園の片隅へと移動した。大木の陰に隠れるようにして、丸太小屋が一軒ぽつりと立っている。

「王城庭師の休憩小屋だぁ。暖炉があるからぬくいぞ」

「へえ……。お邪魔しまーす」

 扉を開けた途端、サイラスの言葉通りぱちぱちと踊る暖炉の炎が見えた。包み込まれるような柔らかな暖気に、誘われるようにして中に足を踏み入れる。

 丸太小屋は外から見たときよりも広々していて、こざっぱりと片付いていた。暖炉の前には座り心地のよさそうな揺り椅子まである。

 嬉しさにくるりと一回転してサイラスを振り返った。

「ね、サイラス。あの椅子に座ってもい――……きゃっ!?」

「お姫様ぁ!?」

 床に散らばっていた何かを踏んづけて、危うく転びそうになってしまう。サイラスが慌てたように手を伸ばして支えてくれた。

「び、びっくりした……! ごめんなさい――ん?」

 床に落ちていた木切れを拾い上げる。どうやらこれにつまずいてしまったらしい。

 ゴツゴツした触り心地のそれは単なる木切れではなく、ぐるぐるととぐろを巻いたような不思議な意匠をしていた。これは、もしや――

「……蛇?」

 ようく見ると、木の彫像は口らしき先端からちろりと舌を覗かせていた。荒々しく彫られているものの、どことなく味があって可愛らしい。

「これ、とっても上手に出来てるわ。サイラスが作ったの?」

 弾んだ声音で問い掛ける。
 その途端、ぱっと横から伸びてきた手が私から蛇の像を奪い取った。

「いいえ、作ったのはわたしです。――見てしまいましたね、リリアーナ様」

 沈痛な声に驚いて顔を上げると、宰相エリオットが私を見下ろしていた。作り物のような美しい顔が、今は苦々しげに歪んでいる。

 深々とした嘆息と共に、長いまつ毛を震わせた。

「……せっかく見つからないように、こんな場所でこっそり作っていたのに。新年のお楽しみだったのに。あっと驚き喜ぶ顔が見たかったのに」

 私が目を丸くしている間にも、エリオットは平坦な声で切々と恨み言を並び立てる。……う。これって、もしかしてもしかしなくても……?

「……新年の贈り物だったり、する?」

 上目遣いで問い掛けると、エリオットは微かに首肯した。今度は悲しそうに眉を下げている。

「ごっ、ごめんなさい! 私、決してそんなつもりじゃあ」

「もうよいのです。わざとではないのはわかって――……むっ!?」

 突然、エリオットがカッと目を見開いた。その視線はクッキーが山と盛られた籠に釘付けだ。

 あっと思う間もなく、またもエリオットの腕が伸びてきた。

「クッキーですかリリアーナ様いただきます」
「ちょっ!? 待って待って待って!?」

 止める暇もあらばこそ。

 エリオットはひょいぱくひょいぱくと次々クッキーを口に放り込んでゆく。あら、片付いて良かったわ――……ではなく!

 慌てふためきながら籠を背中に隠した。

「食べちゃ駄目よ、これは新年の贈り物なのっ」

「ですが、リリアーナ様もわたしの贈り物を見たのでお互い様でもぐもぐ。それにこれは端が焦げていまもぐもぐ。失敗作はわたしが全て平らげて差し上げもぐもぐ」

 私の背中にぴったりと張り付いたエリオットは、素晴らしいスピードでクッキーを咀嚼している。サイラスもあんぐりと口を開けて彼を凝視していた。

 私は勢いよく回れ右してエリオットを睨みつける。

「だからって全部食べちゃ駄目っ。サイラスにもあげるんだから! それに立ったまま食べるだなんてお行儀が悪いですっ!!」

 まさか、この私が人様に礼儀作法を説く日がくるなどと。

 内心首をひねりながらも、特大級の雷を落とす私であった。
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