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第二章

第36話 祭りの後に咲く花は。

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「ねえねえ、まだ始まらないのかしら。あとどのぐらい?」

「だーかーらー、もう完全に日も落ちたからそろそろだって。……ったく。ぐうたら姫さんのくせにせっかちすぎ」

 そわそわと振り返る私に、イアンがあきれたように嘆息する。だってだって、楽しみで仕方ないんだもの。

 メイベルとエリオットも、待ちきれない様子でバルコニーの手すりに張り付いている。


 ――あれから、私達は王城へと戻り。

 ここは最上階、ガイウス陛下自室のバルコニーだ。
 彼の部屋に入らせてもらったのは初めてのこと。物珍しさにきょろきょろしていたら、大慌ての陛下からあっという間に追い出されてしまった。

 秋とはいえ夜になるとすっかり冷え込んで、かじかんだ指先で毛織のショールをかき合せる。はあっと息を吹きかけて、再びわくわくと夜空を見上げた。

「イスレア王国はね、夏に花火を上げるのよ。こんな寒いときに花火を見るのは初めてだわ」

「収穫祭の締めくくりだからな。――ほら、リリアーナ。生姜入りの茶だ、温まるぞ」

 足音を立てずに歩み寄ったディアドラが、湯気の立つカップを差し出してくれた。お礼を言って受け取って、両手で抱え込むようにして暖を取る。

 ふうふう吹き冷ましてひとくち含むと、途端に身体がぽかぽかしてきた。

 はあ、と幸せの吐息をつく。

「美味しいわ。……今日は、本当に楽しかった。お祭り見物して、初めて買い食いして、初めて人前で歌って……」

 レースで優勝した私を、国民達は手を叩いて称えてくれた。ランダールの皆から受け入れてもらえた気がして、心の底からじんわりした喜びがあふれた。

(……それに……)

 ガイウス陛下が、私に人型を見せてくれた。
 弱みを、心をさらけ出してくれたのだと。距離がぐんと近付いた気がして、我知らず顔がにやけてしまう。

「どうした、リリアーナ。顔がおかしくなっているぞ」

 照れくささに身悶えしていたら、ディアドラから無粋に水を差された。情緒のかけらもない突っ込みに、むくれてツンと顔を反らす。

「元からこういう顔なんだもの。……ねえ、ガイウス陛下はまだなのかしら?」

 着替えると言ったきり陛下はまだやって来ない。迎えに行こうかと踵を返した途端、「ドーン!」と空気が震えるほどの轟音がとどろいた。

 はっと振り向くと、夜空に次々と大きな花火が上がるところだった。

「…………っ」

「綺麗、だな」

 囁くような声音に、はっとして傍らを見る。黒衣のローブに身を包んだ長身のひとが、一心に空を見上げていた。

 ぽかんと硬直したあと、勢いよく噴き出した。

「陛下……っ。なんでまた、お顔を隠しているんです……?」

 息も絶え絶えに尋ねると、陛下はごほんと空咳をする。

「君と二人きりならば、別に見せても構わないのだが。皆いるのだから仕方ない」

 ふんぞり返って答えるものの、絶対ウソだ。
 きっと二人なら二人で、恥ずかしがって顔を隠しているに違いない。

 笑い出しそうになるのをなんとか堪え、陛下の腕をそっと引く。幸いメイベル達は花火に釘付けなので、私と陛下が後ろに下がったのには誰も気付かなかった。

 広いバルコニーで、花火見物をする皆から隠れるようにして外壁に寄りかかる。じっと花火を見つめる陛下の横顔を、吸い寄せられたように見つめ続ける。

 陛下が頬を赤く染めて俯いた。ぷしゅうと湯気の幻覚まで見える。

「リ、リリアーナ。見すぎ、見すぎだ!」

「あら、ごめんなさい。……でも、とっても格好良いんだもの」

 額にかかるフードをそっと払いのけ、黄金色の潤んだ瞳を覗き込む。はにかみながら笑いかけた。

 ふかふかで、やわらかな毛並みを持つ陛下も。
 端整な顔立ちで、すぐに茹で蛸になってしまう陛下も。

 どちらも私の婚約者。
 ――これから一緒に、人生を歩んでいく大切なひと。

 小さく含み笑いして身を寄せると、思わずというように陛下が逃げ腰になった。そうはさせじと、ぎゅっときつく右腕に抱き着く。

 いたずらっぽくウインクして彼を見上げた。

「ね、りんご飴だけど。本当に私がもらって構わないの?」

「も、勿論だ。今年は不覚にも、あと一歩のところでりんご飴屋に逃げられてしまったが……。来年は必ず俺がこの手で捕まえて、君にプレゼントしてみせる。楽しみに待っているといい」

 胸を張って断言する陛下に、笑いながら大きく頷く。


 ――なら、やっぱりあのりんご飴はコハクにあげることにしましょう。


 だって、私はちゃんと来年食べられるものね?
 楽しみは後に取っておくのも悪くない。それに来年の収穫祭は、きっと最初から二人で参加できる。

 満ち足りた気持ちで微笑んだ。その瞬間、ひときわ大きな花火が夜空を彩る。

「…………」

 言葉を失って立ち尽くしていると、不意に冷え切った指先が包み込まれた。温かな体温に、驚いて傍らを振り向く。

 透き通るような美しい切れ長の瞳で、ガイウス陛下がじっと私を見つめていた。目が合った途端、またも目元を赤く染め、ごくりと喉を上下させる。

「そ、その……。君の歌、を……。また、ぜひ聞かせてほしい」

 繋いだ手からほかりと温みが伝わって、私はぱちくりと瞳を瞬かせた。首をひねりながら彼の顔を覗き込む。

「でも……、陛下は最後列にいらっしゃったから。私の歌なんか、聞こえなかったんでしょう?」

「あ、ああ。だが、前方の聴衆から口伝えに広まってきたんだ。その、君が俺の名を呼んでくれたと」

 最愛、と歌ってくれたと。

 恥ずかしげに告げて、大急ぎで目を伏せた。……え? え?

「……っ。きっ」

 かあっと頬が熱くなる。
 咄嗟に悲鳴が飛び出しそうになった私の口を、陛下が大きな手の平ですばやく塞いでしまう。

 花火見物をする皆の様子をちらりと窺い、再び私の手を取った。ためらいがちに己の胸元に引き寄せる。

「……本当は、俺は。君に会うのを恐れていたくせに――同時に、どうしようもなく心弾ませてもいた」

 まっすぐな視線が私をとらえて離さない。
 熱を宿した言葉に、どくんと鼓動が跳ねる。

「セシルから、何度も君の話を聞くうちに。君に……会ってみたい、と思った」

 人目を気にせず、己の思うがままに振る舞う姫。
 自由気ままに、人生を謳歌している姫。

「羨ましいと、思った。俺は、君とは真逆で……。人目を気にしてばかりで、己の望みすら言えないちっぽけな人間だったから」

 握った手に力を込めて、囁くように吐露する陛下に身を寄せた。震える手を伸ばし、すべらかな頬にそっと指を当てる。

「私には……話してほしいわ。あなたの思うこと。つらいこと。――それから、楽しいことも、嬉しかったことも」

 はにかみながら告げると、陛下も頬をゆるめた。くくっと小さく笑い、身をかがめて私の肩にコツンと額を当てる。

「なら、お言葉に甘えてひとつだけ。――君に嫌われてしまったと思い悩み、祭りの間中こそこそとみっともなく君を追いかけ回して。挙げ句にはずっと避けてきたレースに参加する羽目になり、しかも見事に敗れてしまい」

 吹っ切れたように顔を上げ、穏やかに微笑んだ。

「この上なく、醜態を晒してしまった。……だが、楽しかった。ずっと、終わらなければいいと。――このときが続けばいいと、願うほどに」

「…………っ」

 胸が詰まって言葉にならない。
 ただ何度も何度も、頷いた。

 震える呼吸を整え、目尻に浮かんだ涙をぬぐう。

「ええ……っ。私もよ? 楽しくて、嬉しくて。足が震えるぐらい怖くって、でもわくわくして。……そして終わってみたら、すうっごく」

『疲れたぁ!』

 見事に言葉が重なって、二人同時に噴き出した。笑い出した私達の声を掻き消すように、夜空に大輪の花々が咲く。

 今日という一日を締めくくる、色とりどりの祝福を。
 ガイウス陛下と二人、手を繋いで飽きることなく見つめ続けた。
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