上 下
10 / 87
第一章

第10話 そう。進むべき道はただひとつ。

しおりを挟む
 ふしだら。
 破廉恥。

 この世に生まれ落ちて十八年……ともう少し。
 未だかつて、そんな言葉を浴びせられたことはない。

 壁際へとじりじり後退していくガイウス陛下を、茫然として目で追った。
 頭の中をぐるぐると同じ言葉が駆け巡る。ふしだら……破廉恥……変態大変……。

 静寂の満ちた室内で、突如パンッという澄んだ音が鳴り響いた。
 はっと振り向くと、エリオットが両の掌を合わせている。その厳かな表情に、縋るように彼を見つめた。

「エリ――」

「ご馳走様でした」

 あっ、そっち!?

 じゃなくて嘘っ、あの量をもう完食したの!?
 ほっそりした見た目に反して、なんという大食漢……!

 思わずテーブルへと近付いて確認する。本当にお皿はすべて空になっていて、またしても私は言葉を失ってしまう。

 エリオットが眉間に皺を寄せて私を見上げた。

「……もう、残っていませんよ?」

「食べ残しを求めてるわけじゃありませんっ」

 ふてぶてしくたしなめられて、間髪入れずに怒鳴り返してしまった。……なんだか絶妙に腹が立つわね、この男。

 屈辱に震えていると、ノックもなしに扉が開け放たれた。だらしなく襟元を緩めながらイアンが入ってくる。

「うぃーっす、お疲れさんー。おおっ、姐さん来てたのか! ……と、ついでに姫さんも」

 ついで!?
 私はついでなのっ?

(……ふしだらに始まり、破廉恥へと至り……。意地汚いと見下され、とうとう『ついで』になってしまったわ……)

 短い期間で随分出世したものである。
 今思えば「ぐうたら姫」だなんて可愛いものだったわ。へっ。

 床に崩れ落ちてやさぐれる私を、イアンがきょとんとして見下ろした。側に屈み込んで目線を合わせる。

「便所なら出てすぐ右だぞ」

 お手洗い我慢してるんじゃないのよ!

 どいつもこいつも! と頭を抱えた瞬間、ドゴスッと鈍い音が響き渡った。宙を舞ったイアンが壁に激突する。

「ちょっと馬鹿弟子! 女性に向かってふざけたこと抜かしてんじゃないわよっ」

「で、でもよ姐さん……」

「そういうときはねっ。直接的な言葉を使うんじゃないの! 便所だなんてもってのほかよ!」

 腰に手を当ててイアンを怒鳴りつけ、メイベルはにっこりと私を振り返った。

「さ、リリアーナ殿下。お花摘みに参りましょう?」

 いやだからっ。私はお手洗いに行きたいわけじゃなくってね!?

 状況がこんがらがりすぎて、一体どこから解きほぐせばいいのかわからない。
 地団駄を踏みかけたところで、はたと思い至った。

(……そうよ。私がこんなに困っているのも、おかしな誤解を受ける羽目になったのも……)

 全部全部、ガイウス陛下のせい。

 単純明快な結論に辿り着き、腹立ちまぎれに陛下を睨みつける。
 ピンとおひげを伸ばした陛下は、戸惑ったようにたてがみをそよがせた。……あら、すっごくふぁさふぁさしてるわね。

 うっかり和みかけてしまい、慌てて緩みかけた口元を引き締めた。表面上は硬い表情を保ったまま陛下に歩み寄る。

「――ガイウス陛下」

「な、なんだ」

 静かに呼びかけると、意外にも陛下は気圧けおされたかのように仰け反った。
 しかしすぐさま体勢を立て直し、ふんっと突き出すように胸を張る。……まあ、胸毛もふっかふかね。

 なんとなくビクついた様子の陛下に、私の方は逆に落ち着いてきた。深呼吸して、真夏の太陽のような瞳を覗き込む。

「ガイウス陛下」

「……だ、だからなんだっ」

 吠えるように威嚇されても、今度はちっとも揺るがなかった。まっすぐに彼だけを見つめ、胸に当てた手をきゅっと握り締める。

「お仕事の邪魔をして申し訳ありません。ですが、ひとつだけお伝えしたかったのです。――わたくし。あなたとの婚約を解消するつもりなんて、これっぽっちもありません」

「…………は」

「ええっ?」

「はあぁ?」

「ほー」

 ぽかんとするガイウス陛下、素っ頓狂な声を上げるメイベルとイアン。ちなみに最後の気の抜けた「ほー」はもちろんエリオット。……どんだけやる気ないのかしら、この男?

 脱力する私に、メイベルが目を吊り上げて詰め寄った。

「リリアーナ殿下っ。どういうことです!? あたしはてっきり……!」

「そうだぞ姫さんっ。婚約解消ってなんだよ!? ガイウスを捨てるつもり……いや。解消しないんなら問題ない、のか?」

「ないんじゃないでしょうかー。全然全く興味ないですけどもー」

 ちっとは興味持てや。

 額に青筋を立てつつ、大騒ぎする外野はこの際脇に置いておくことにする。

 ガイウス陛下に向かってもう一歩足を進めると、立派な体躯が大きく跳ねた。長毛の見事な毛並みがしびびと波打つ。……くっ。今すぐこのふあふあを思う存分撫でくり回した……いえなんでもありません。

 突然降ってわいた己のイケナイ欲望に蓋をする。
 だって、このままでは変態道まっしぐら。私が極めたい道はそちらじゃないの。

 力なくかぶりを振ると、目尻から涙が一粒こぼれ落ちた。はっとしたように息を呑む陛下に、震える手を伸ばす。

「陛下……。どうか、お願いですから。わたくしを追い返したりなさらないで……っ」

 毛むくじゃらの、柔らかな腕をふかりと掴んだ。
 流れる涙を拭いもせずに見上げると、陛下は喉をごくりと上下させる。

「リ、リリア――」

「だって、だって私っ。――帰るのすっごく面倒臭いんですもの!」

『…………』

 執務室に静寂が満ちた。
 私がすんすん鼻を啜る音だけが、やけに大きく響く。……あら? 皆どうしたのかしら。

 目を丸くしていると、突然メイベルが爆発したように叫び出した。

「ちょっとリリアーナ殿下! 何もこんなときまでぐうたら精神を――もがっ」

「姐さんちょっと黙っててくれ。……ええと。つまり、だな? 姫さんは、ガイウスが良いとか嫌とかいう以前に――」

 メイベルの口を塞いだイアンが、目を泳がせて言葉を濁す。エリオットが無表情に後を引き取った。

「ランダール王国に居座りたい、と。リリアーナ様にとっての最優先事項はぐうたらすることである、と」

 そう。
 それよ、それ!

 初めてエリオットと分かり合えた気がする。
 拍手で肯定する私に、イアンとメイベルがへなへなと崩れ落ちた。

 ひとり黙然と立ち尽くしていたガイウス陛下が、途方に暮れたように長いおひげをそよがせる。

「……その、君は……。ランダール王国を気に入ってくれた、のか?」

 消え入るような声で尋ねる彼に、勢い込んで頷いた。

「ええ、とても! お米はあるし、お城も広いですし。まだ見ぬ素敵なお昼寝スポットが、きっとたくさんあるに違いありません」

「そ、そうか! あ、いや。……ならば、そのう……」

 ガイウス陛下はもじもじと尻尾を揺らす。扉に視線を走らせて、少しずつ私から距離を取った。

「ここっ、これから好きに過ごすがよいっ。俺、ではなくこのわたしが許可しようっ。――それではお、わたしはこれでっ!」

 大急ぎで言い終えて、飛ぶように執務室から出ていってしまう。……まあ。お仕事はよかったのかしら。

(……でも。なんにせよ、これでのんびりできるというものね)

 胸を撫で下ろす私に、エリオットがゆっくりと歩み寄った。重々しい表情で私の肩に手を置く。

「おめでとうございます、リリアーナ様。見事、変態発言を上書きできたようで」

「変態発言? 姫さん、アンタ何言ったんだよ……」

 呆れたように眉を上げるイアンに、とんでもないとかぶりを振った。

「別におかしなことなんか言ってませんっ。陛下に人型を見せてほしいとお願いしただけよ!」

 憤然と言い返すと、イアンは虚を衝かれたように黙り込んだ。ピクピクと口元を引きつらせ、半笑いの顔になる。

「ああ~……。そりゃマズったな。初対面の男相手に、裸を見せろと迫ったも同然だぞ」

「…………」

 あら大変。
 とんだ変態もいたものね?
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

召喚されたら聖女が二人!? 私はお呼びじゃないようなので好きに生きます

かずきりり
ファンタジー
旧題:召喚された二人の聖女~私はお呼びじゃないようなので好きに生きます~ 【第14回ファンタジー小説大賞エントリー】 奨励賞受賞 ●聖女編● いきなり召喚された上に、ババァ発言。 挙句、偽聖女だと。 確かに女子高生の方が聖女らしいでしょう、そうでしょう。 だったら好きに生きさせてもらいます。 脱社畜! ハッピースローライフ! ご都合主義万歳! ノリで生きて何が悪い! ●勇者編● え?勇者? うん?勇者? そもそも召喚って何か知ってますか? またやらかしたのかバカ王子ー! ●魔界編● いきおくれって分かってるわー! それよりも、クロを探しに魔界へ! 魔界という場所は……とてつもなかった そしてクロはクロだった。 魔界でも見事になしてみせようスローライフ! 邪魔するなら排除します! -------------- 恋愛はスローペース 物事を組み立てる、という訓練のため三部作長編を予定しております。

「デブは出て行け!」と追放されたので、チートスキル【マイホーム】で異世界生活を満喫します。

亜綺羅もも
ファンタジー
旧題:「デブは出て行け!」と追放されたので、チートスキル【マイホーム】で異世界生活を満喫します。今更戻って来いと言われても旦那が許してくれません! いきなり異世界に召喚された江藤里奈(18)。 突然のことに戸惑っていたが、彼女と一緒に召喚された結城姫奈の顔を見て愕然とする。 里奈は姫奈にイジメられて引きこもりをしていたのだ。 そんな二人と同じく召喚された下柳勝也。 三人はメロディア国王から魔族王を倒してほしいと相談される。 だがその話し合いの最中、里奈のことをとことんまでバカにする姫奈。 とうとう周囲の人間も里奈のことをバカにし始め、極めつけには彼女のスキルが【マイホーム】という名前だったことで完全に見下されるのであった。 いたたまれなくなった里奈はその場を飛び出し、目的もなく町の外を歩く。 町の住人が近寄ってはいけないという崖があり、里奈はそこに行きついた時、不意に落下してしまう。 落下した先には邪龍ヴォイドドラゴンがおり、彼は里奈のことを助けてくれる。 そこからどうするか迷っていた里奈は、スキルである【マイホーム】を使用してみることにした。 すると【マイホーム】にはとんでもない能力が秘められていることが判明し、彼女の人生が大きく変化していくのであった。 ヴォイドドラゴンは里奈からイドというあだ名をつけられ彼女と一緒に生活をし、そして里奈の旦那となる。 姫奈は冒険に出るも、自身の力を過信しすぎて大ピンチに陥っていた。 そんなある日、現在の里奈の話を聞いた姫奈は、彼女のもとに押しかけるのであった…… これは里奈がイドとのんびり幸せに暮らしていく、そんな物語。 ※ざまぁまで時間かかります。 ファンタジー部門ランキング一位 HOTランキング 一位 総合ランキング一位 ありがとうございます!

【完結】魔力がないと見下されていた私は仮面で素顔を隠した伯爵と結婚することになりました〜さらに魔力石まで作り出せなんて、冗談じゃない〜

光城 朱純
ファンタジー
魔力が強いはずの見た目に生まれた王女リーゼロッテ。 それにも拘わらず、魔力の片鱗すらみえないリーゼロッテは家族中から疎まれ、ある日辺境伯との結婚を決められる。 自分のあざを隠す為に仮面をつけて生活する辺境伯は、龍を操ることができると噂の伯爵。 隣に魔獣の出る森を持ち、雪深い辺境地での冷たい辺境伯との新婚生活は、身も心も凍えそう。 それでも国の端でひっそり生きていくから、もう放っておいて下さい。 私のことは私で何とかします。 ですから、国のことは国王が何とかすればいいのです。 魔力が使えない私に、魔力石を作り出せだなんて、そんなの無茶です。 もし作り出すことができたとしても、やすやすと渡したりしませんよ? これまで虐げられた分、ちゃんと返して下さいね。 表紙はPhoto AC様よりお借りしております。

異世界で猫になった公爵令嬢は王子様から婚約破棄されましたが、実は聖女だったのでまったりもふもふ優しく騎士様に愛されます。

友坂 悠
恋愛
さっきまでゲームをしていた筈だったあたし。 気がついたらなんだか猫になっちゃってて、おまけにそこは西洋風なお貴族様な世界。 って、これって夢だよね? 王子様にも婚約破棄されちゃうし、どうしよう。

妹に婚約者を取られましたが、辺境で楽しく暮らしています

今川幸乃
ファンタジー
おいしい物が大好きのオルロンド公爵家の長女エリサは次期国王と目されているケビン王子と婚約していた。 それを羨んだ妹のシシリーは悪い噂を流してエリサとケビンの婚約を破棄させ、自分がケビンの婚約者に収まる。 そしてエリサは田舎・偏屈・頑固と恐れられる辺境伯レリクスの元に厄介払い同然で嫁に出された。 当初は見向きもされないエリサだったが、次第に料理や作物の知識で周囲を驚かせていく。 一方、ケビンは極度のナルシストで、エリサはそれを知っていたからこそシシリーにケビンを譲らなかった。ケビンと結ばれたシシリーはすぐに彼の本性を知り、後悔することになる。

追放された薬師は騎士と王子に溺愛される 薬を作るしか能がないのに、騎士団の皆さんが離してくれません!

沙寺絃
ファンタジー
唯一の肉親の母と死に別れ、田舎から王都にやってきて2年半。これまで薬師としてパーティーに尽くしてきた16歳の少女リゼットは、ある日突然追放を言い渡される。 「リゼット、お前はクビだ。お前がいるせいで俺たちはSランクパーティーになれないんだ。明日から俺たちに近付くんじゃないぞ、このお荷物が!」 Sランクパーティーを目指す仲間から、薬作りしかできないリゼットは疫病神扱いされ追放されてしまう。 さらにタイミングの悪いことに、下宿先の宿代が値上がりする。節約の為ダンジョンへ採取に出ると、魔物討伐任務中の王国騎士団と出くわした。 毒を受けた騎士団はリゼットの作る解毒薬に助けられる。そして最新の解析装置によると、リゼットは冒険者としてはFランクだが【調合師】としてはSSSランクだったと判明。騎士団はリゼットに感謝して、専属薬師として雇うことに決める。 騎士団で認められ、才能を開花させていくリゼット。一方でリゼットを追放したパーティーでは、クエストが失敗続き。連携も取りにくくなり、雲行きが怪しくなり始めていた――。

悪役令嬢に転生したので、ゲームを無視して自由に生きる。私にしか使えない植物を操る魔法で、食べ物の心配は無いのでスローライフを満喫します。

向原 行人
ファンタジー
死にかけた拍子に前世の記憶が蘇り……どハマりしていた恋愛ゲーム『ときめきメイト』の世界に居ると気付く。 それだけならまだしも、私の名前がルーシーって、思いっきり悪役令嬢じゃない! しかもルーシーは魔法学園卒業後に、誰とも結ばれる事なく、辺境に飛ばされて孤独な上に苦労する事が分かっている。 ……あ、だったら、辺境に飛ばされた後、苦労せずに生きていけるスキルを学園に居る内に習得しておけば良いじゃない。 魔法学園で起こる恋愛イベントを全て無視して、生きていく為のスキルを習得して……と思ったら、いきなりゲームに無かった魔法が使えるようになってしまった。 木から木へと瞬間移動出来るようになったので、学園に通いながら、辺境に飛ばされた後のスローライフの練習をしていたんだけど……自由なスローライフが楽し過ぎるっ! ※第○話:主人公視点  挿話○:タイトルに書かれたキャラの視点  となります。

【完結】長男は悪役で次男はヒーローで、私はへっぽこ姫だけど死亡フラグは折って頑張ります!

くま
ファンタジー
2022年4月書籍化いたしました! イラストレータはれんたさん。とても可愛いらしく仕上げて貰えて感謝感激です(*≧∀≦*) ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 池に溺れてしまったこの国のお姫様、エメラルド。 あれ?ここって前世で読んだ小説の世界!? 長男の王子は悪役!?次男の王子はヒーロー!? 二人共あの小説のキャラクターじゃん! そして私は……誰だ!!?え?すぐ死ぬキャラ!?何それ!兄様達はチート過ぎるくらい魔力が強いのに、私はなんてこった!! へっぽこじゃん!?! しかも家族仲、兄弟仲が……悪いよ!? 悪役だろうが、ヒーローだろうがみんな仲良くが一番!そして私はへっぽこでも生き抜いてみせる!! とあるへっぽこ姫が家族と仲良くなる作戦を頑張りつつ、みんなに溺愛されまくるお話です。 ※基本家族愛中心です。主人公も幼い年齢からスタートなので、恋愛編はまだ先かなと。 それでもよろしければエメラルド達の成長を温かく見守ってください! ※途中なんか残酷シーンあるあるかもなので、、、苦手でしたらごめんなさい ※不定期更新なります! 現在キャラクター達のイメージ図を描いてます。随時更新するようにします。

処理中です...