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75.魔法と『賢王』
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コツコツ、と規則的な足音が遠くから響いてくる。
足音は少しずつ大きくなり、それに比例するように少年の呼気が震えを帯びていく。
私は彼の後ろに隠れ、小さな手で必死に抱き着いた。永遠にも思える時間が過ぎてから、ようやくピタリと足音が止む。
『……具合いは、どうだ?』
落ち着き払った低い声が、牢屋の中に重々しく響く。
これが……、ヴァレリー王?
少年が体を震わせ、苦しげにあえいだ。
けれどその口からは、何の言葉も出てこない。
『薬を持ってきてやった。それから温かなスープとパン、果物もあるぞ』
『…………』
『足りない物かあれば言うといい。寒くはないか?』
返事がなくとも気にせず、男は愛想よく喋り続ける。ジャラジャラと金属の触れ合う音がして、私は少年の背中からこっそりと顔を覗かせた。
カンテラを床に置き、男が鍵束から小さな鍵を選んで鉄格子に差し込むのが見えた。足元の小窓が開き、男はそこに食事の盆を押し込む。
小窓を再びきっちりと施錠してから、男は手を払って立ち上がった。
カンテラの頼りない明かりに、二十歳前後の男の顔が浮かび上がる。これがヴァレリー王だとするならば、絵本に書かれていた通り、女性と見紛うばかりの美形だった。
すっと通った鼻筋に、切れ長の目。口元は優しげな微笑をたたえている。
『……さて、それでは食事の前に練習をしようか。いつも通り手を出してもらえるか?』
男がすっと手を差し伸べた。
少年がゆっくりと腰を上げたので、私は慌てて体全体で彼にしがみつく。
鉄格子越しに二人は手を取り合い、男は長いまつ毛に縁取られた目を伏せた。じっと床を睨み、しばらくしてから低いうなり声を上げる。
『やはり、駄目だ。魔素など欠片も感じられない』
少年がじっとうつむいた。
荒い呼吸を繰り返し、振りしぼるようにして声を上げる。
『……当然だ。森の民ですら、そうやすやすとはいかないんだ。幼い頃から少しずつ少しずつ、訓練を重ねることで――』
『お前たちは恐ろしき一族だ。やはり、わたしの苦渋の決断は正しかった』
男が厳しく少年をさえぎった。
叩きつけるように手を放し、忌々しげに彼を突き飛ばす。
『……っ』
『火や風、水に雷。神でもないのにありとあらゆる自然を操って、獰猛な魔獣までもあっさりと屠ってしまう。果たしてお前たちは、我々と同じ人間と言えるだろうか? いいや、そんなはずはない』
崩れ落ちる少年に、冷たい言葉の刃が突き刺さる。
『大人しく森へ帰るなど、誰がそんな虚言を信じると思う? 魔素を宿す人間さえいれば、この世の全てを手中に収められるというのに。わたしが森の民を滅ぼさねば、きっと今後はお前以外にも魔素を宿す人間が生まれてきたことだろう。お前たちはもう、人の範疇を超えてしまっているのだから』
言うだけ言って、男はくるりと背を向けた。
荒々しい足音が、遠ざかってやがて消えていく。
うずくまったまま震えていた少年が、口元に微苦笑を浮かべて私を見た。
『ぱぇ……っ』
『あいつはな、どうしようもないほど臆病なんだ。疑心暗鬼に陥ったのさ。このまま自分に仕えろと命じたのを、族長がにべもなく断ったものだから。俺たちはただ自分の家へ、森へ帰るだけだったのに、あいつは躍起になって阻止しようとした』
――どこへ行く!
――今度は反乱分子にでも手を貸すつもりか!?
――それとも他国へ渡り、魔法の力を売りつけるのか!
『……それからは、あっという間だ。まずは俺が、一族から引き離された。俺がいなければ森の外で魔法は使えない。対抗するすべもなく、全員が殺された』
『ぱ、ぅ……っ』
『単純に、怖かったのさ。森の中で助けてやったその日から、あいつは必死で魔素を感じようとした。自分も魔法を使いたいと努力した。それでも、それが叶わなかったから……』
――王の意のままにならぬ武器など、この世に存在すべきではない
『……あいつは、そう言っていた。それでもまだ、魔法に未練があるのだろう。だから俺だけは殺すことなく生かしてる。俺の命が尽きるのが早いか、あいつが魔法を手に入れるのが早いか……。俺にはわからないし、知りたくもない』
少年は疲れたみたいに床に転がった。
ちょいちょい、と手招きされたので、私はためらいながらも彼に近づく。すぐに捕獲され、彼はぎゅっと私を抱き締めた。
『……これは人間ではない、魔獣なのだ。そう言ってあいつは、母たちを処刑したらしい。愚かしい欺瞞だ。そうは思わないか?』
怯えて身をすくませる私に、彼は昏い笑い声を上げる。
『本来なら俺は今すぐにでも、母たちの後を追うべきなのだろう。けれど、まだ死ぬことはできないんだ。だって今の俺にはわかっていない。一族に償うために、あいつを止めるために、己が最期に何を為すべきなのかを――……』
足音は少しずつ大きくなり、それに比例するように少年の呼気が震えを帯びていく。
私は彼の後ろに隠れ、小さな手で必死に抱き着いた。永遠にも思える時間が過ぎてから、ようやくピタリと足音が止む。
『……具合いは、どうだ?』
落ち着き払った低い声が、牢屋の中に重々しく響く。
これが……、ヴァレリー王?
少年が体を震わせ、苦しげにあえいだ。
けれどその口からは、何の言葉も出てこない。
『薬を持ってきてやった。それから温かなスープとパン、果物もあるぞ』
『…………』
『足りない物かあれば言うといい。寒くはないか?』
返事がなくとも気にせず、男は愛想よく喋り続ける。ジャラジャラと金属の触れ合う音がして、私は少年の背中からこっそりと顔を覗かせた。
カンテラを床に置き、男が鍵束から小さな鍵を選んで鉄格子に差し込むのが見えた。足元の小窓が開き、男はそこに食事の盆を押し込む。
小窓を再びきっちりと施錠してから、男は手を払って立ち上がった。
カンテラの頼りない明かりに、二十歳前後の男の顔が浮かび上がる。これがヴァレリー王だとするならば、絵本に書かれていた通り、女性と見紛うばかりの美形だった。
すっと通った鼻筋に、切れ長の目。口元は優しげな微笑をたたえている。
『……さて、それでは食事の前に練習をしようか。いつも通り手を出してもらえるか?』
男がすっと手を差し伸べた。
少年がゆっくりと腰を上げたので、私は慌てて体全体で彼にしがみつく。
鉄格子越しに二人は手を取り合い、男は長いまつ毛に縁取られた目を伏せた。じっと床を睨み、しばらくしてから低いうなり声を上げる。
『やはり、駄目だ。魔素など欠片も感じられない』
少年がじっとうつむいた。
荒い呼吸を繰り返し、振りしぼるようにして声を上げる。
『……当然だ。森の民ですら、そうやすやすとはいかないんだ。幼い頃から少しずつ少しずつ、訓練を重ねることで――』
『お前たちは恐ろしき一族だ。やはり、わたしの苦渋の決断は正しかった』
男が厳しく少年をさえぎった。
叩きつけるように手を放し、忌々しげに彼を突き飛ばす。
『……っ』
『火や風、水に雷。神でもないのにありとあらゆる自然を操って、獰猛な魔獣までもあっさりと屠ってしまう。果たしてお前たちは、我々と同じ人間と言えるだろうか? いいや、そんなはずはない』
崩れ落ちる少年に、冷たい言葉の刃が突き刺さる。
『大人しく森へ帰るなど、誰がそんな虚言を信じると思う? 魔素を宿す人間さえいれば、この世の全てを手中に収められるというのに。わたしが森の民を滅ぼさねば、きっと今後はお前以外にも魔素を宿す人間が生まれてきたことだろう。お前たちはもう、人の範疇を超えてしまっているのだから』
言うだけ言って、男はくるりと背を向けた。
荒々しい足音が、遠ざかってやがて消えていく。
うずくまったまま震えていた少年が、口元に微苦笑を浮かべて私を見た。
『ぱぇ……っ』
『あいつはな、どうしようもないほど臆病なんだ。疑心暗鬼に陥ったのさ。このまま自分に仕えろと命じたのを、族長がにべもなく断ったものだから。俺たちはただ自分の家へ、森へ帰るだけだったのに、あいつは躍起になって阻止しようとした』
――どこへ行く!
――今度は反乱分子にでも手を貸すつもりか!?
――それとも他国へ渡り、魔法の力を売りつけるのか!
『……それからは、あっという間だ。まずは俺が、一族から引き離された。俺がいなければ森の外で魔法は使えない。対抗するすべもなく、全員が殺された』
『ぱ、ぅ……っ』
『単純に、怖かったのさ。森の中で助けてやったその日から、あいつは必死で魔素を感じようとした。自分も魔法を使いたいと努力した。それでも、それが叶わなかったから……』
――王の意のままにならぬ武器など、この世に存在すべきではない
『……あいつは、そう言っていた。それでもまだ、魔法に未練があるのだろう。だから俺だけは殺すことなく生かしてる。俺の命が尽きるのが早いか、あいつが魔法を手に入れるのが早いか……。俺にはわからないし、知りたくもない』
少年は疲れたみたいに床に転がった。
ちょいちょい、と手招きされたので、私はためらいながらも彼に近づく。すぐに捕獲され、彼はぎゅっと私を抱き締めた。
『……これは人間ではない、魔獣なのだ。そう言ってあいつは、母たちを処刑したらしい。愚かしい欺瞞だ。そうは思わないか?』
怯えて身をすくませる私に、彼は昏い笑い声を上げる。
『本来なら俺は今すぐにでも、母たちの後を追うべきなのだろう。けれど、まだ死ぬことはできないんだ。だって今の俺にはわかっていない。一族に償うために、あいつを止めるために、己が最期に何を為すべきなのかを――……』
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