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2 エルゼの秘密

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 エルゼ・ラグベニューには誰にも言えない秘密があった。彼女は、とある女の生まれ変わりであり、前世の記憶を産まれたときから持っていたのだ。

 この世界では、前世の記憶を持っていること自体、そう珍しいことではない。
 このサントロ王国では、ときどき前世の記憶を持っている子供たちが生まれるのだ。この国の宰相たちですら、数人は前世の記憶を持っているという。

――問題は、エルゼの前世がイヴァンカ・クラウンという名の女だったことだ。

 クラウン王朝最後の王女、イヴァンカ・クラウン。
 彼女は腐敗したクラウン王朝の象徴的存在だった。生まれながらの弱視を理由に、ほとんど公の場に現れなかったのにもかかわらず、である。

 イヴァンカ・クラウンはクラウン王家の純血性のある血統であったものの、王家の役割を放棄し、夫マンフレートの国政のことは全て任せきりで、陰で国庫が傾くほどの浪費を続けたとまことしやかに噂されていた。その上、誰にでも抱かれるような放蕩な悪女であったという。
 見かねた彼女の夫、マンフレート国王はイヴァンカを秘密裏に処刑し、かつて栄華を誇ったクラウン王朝の純血を継ぐ者は途絶えた。――と、歴史は語る。

 それを知ったエルゼは大きなショックを受けた。

 彼女がイヴァンカとして生を享け、死ぬまでの28年、彼女は瓦解しかけたサントロ帝国のために身を粉にして働いたはず。

 よく調べてみると、エルゼが考えた法律や予算案は、全てマンフレートの手柄とされていた。あれほど信頼していた夫は、イヴァンカをことごとく裏切っていたのだ。
 しかし、真実を語ろうにも、もはや過去のことだ。歴史の改ざんを、歴史家でもないただの令嬢が指摘したところで何になるだろう。なにより、証拠はどこにもない。

 その上、なによりエルゼが傷ついたのは、夫であるマンフレートは、イヴァンカを処刑した翌日には愛人のミニュエットとの婚儀を挙げていたという事実だった。まるで、処刑されたイヴァンカをあざ笑うかのように。

(うすうす気づいていたけれど、わたくしはマンフレートにちっとも愛されていなかったんだわ。なんて惨めな人生だったのかしら)

 マンフレートがイヴァンカに近づいた理由は、その血統と王位を狙ってのことだったのだ。その純真さゆえに人を疑うことを知らなかったイヴァンカは、狡猾なマンフレートに利用するだけ利用され、ついにその命まで無下に散らされた。

 傷心したエルゼはそっと前世の記憶を胸の内に封印した。そして、彼女はその秘密を誰にも打ち明けることなく、エルゼ・ラグベニューとして生きると決めたのだった。

 奇しくも伯爵家の令嬢に生まれ変わったエルゼは、完璧な令嬢として振る舞った。18歳になった時には、その美しさは洗練され、その若さにふさわしからぬ、堂々とした落ち着きと優雅さを兼ね備えていた。
 知識や淑女のマナーも完璧で、どれをとっても非の打ち所がない。
 マナー教育を担当した伯爵夫人は、「私なんかがエルゼ様に教えられることなんて、何もございませんわ」と逆に恥じ入るほどだった。
 
 その上、彼女は家柄が良かった。
 ラグベニュー家は長らく貴族派と改革派の中立を守ってきた家柄であり、数多の宰相や王妃を輩出してきた家門である。
 そういった背景もあって、エルゼはこの王国の王妃として選ばれたのは、半ば必然的なものだった。

 今度こそ愛し愛されるような幸せな結婚をしたいと願っていたエルゼだったが、一介の貴族令嬢である彼女には、なんの決定権もない。国王が望むのであれば、彼女は国王の花嫁になるのである。
 こうして、エルゼはあっという間にサントロ王国の王妃となった。

□■

(皮肉なものね。忌み嫌われたイヴァンカ・クラウンが、王妃としてヴォルクレール城に帰ってきて、夫から愛されない人生を送ろうとしているなんて。まるで同じ人生を二度繰り返しているよう)

 初夜を終えたロレシオは、こちらに背を向けてすでに横になっている。すでに眠ってしまったのかもしれない。心から好いた女ではない、政略結婚で一緒になった女を抱いたことを後悔しながら。

 エルゼはすっかり眼が冴えてしまい、石造りの重厚な部屋を見回した。
 かつてマンフレートが使っていた国王の部屋は、持ち主がロレシオに変わったことですっかり様変わりしていた。それでも、この部屋にいると嫌でもエルゼの脳裏に封印した記憶がよみがえってくる。

『イヴァンカ、君を愛している』
『君だけが頼りなんだ、イヴァンカ』

 かつての夫からこの部屋で囁かれた愛は、全てまやかしだったのだ。

(マンフレートのあの言葉も、この言葉も、全部嘘だったんだわ……)

 結局、愚かなイヴァンカ・クラウンは国王マンフレートに横領の濡れ衣を着せられ、ようやく自分がマンフレートに愛されていないとはっきり自覚した。最期の最期まで、なんて愚かで惨めな人生だろう。

 エルゼはロレシオの邪魔にならないよう、広いベッドの端の方で丸くなり、声を殺して泣いた。この城は、辛い思い出が多すぎる。

 エルゼが浅い眠りについたのは、明け方過ぎのことだった。

 眠りに落ちる寸前、「すまない」と誰かが謝って、エルゼの眼からこぼれた涙を拭ってくれたような、そんな気がした。
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