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皇女の騎士 (2)
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コルネリアはフェルナンドの拳にそっと触れ、首を振った。
「大丈夫よ。きっと心が通じれば、愛はなくとも、家族になることはできるもの」
「しかし、それではコルネリア様の幸せが……!」
フェルナンドは激しく首を振る。
コルネリアは心配そうに、フェルナンドの肩に手を置いた。
「フェルナンド、あまりお父さまの決定を悪く言ってはいけないわ。貴方は今、皇帝騎士団の騎士なのよ? 貴方の立場が悪くなってしまうかもしれないから……」
「それでは、親愛なるコルネリア様が不幸になるのを、指を咥えて黙ってみていろと言うのですか?」
「それは……」
「ここに来られたということは、内心エツスタンに行くか、悩んでいらっしゃるということでしょう。コルネリア様は、悩み事があるといつもここにおいででした」
「…………」
「エツスタンはピエムスタ帝国の領土となっても、小癪にも未だにピエムスタ帝国に反抗している。そんなエツスタンが、この国の至宝たるコルネリア様を大事にするはずがないでしょうに! コルネリア様にもしものことがあったら、どうするのです!」
フェルナンドの口調が激しさを増す。しかし、コルネリアは、フェルナンドの勢いに臆することなく、落ち着いた声で答えた。
「さすがにエツスタンも、わたくしの命まで奪うことはないでしょう。それに、お父様には、この結婚は一時的なものだと言われています。数年我慢すれば、離縁してもらうつもりよ。その後は、田舎に領地をもらって、悠々自適に生活するの。……結婚する前から離婚の話をするなんて、おかしな話だけど」
苦笑するコルネリアの足下に、急にフェルナンドが膝をついた。
「コルネリア様、私と結婚していただけませんか? 私はいずれ侯爵位を継ぎ、ユーブルクの領主になります。僭越ながら皇女様の結婚相手として、不足はないはずです。貴女には、なに不自由ない暮らしをさせると約束しましょう」
ユーブルクは、ピエムスタ帝国の南西に位置するソルディ家の領地だ。肥沃な平原を有し、どこまでも続く小麦畑に沈む夕日が美しいと、何度かフェルナンドから聞いたことがある。
冗談かと思って曖昧な微笑みを浮かべたコルネリアだったが、見上げるフェルナンドの視線は真剣そのものだ。数多の令嬢たちの胸をときめかす榛色の瞳が、真剣にこちらを見ている。
「コルネリア様は、この帝国の至宝。だからこそ何があっても、私が貴女を守り抜くと誓います。ソルディ家もまた、貴女を全力で守るでしょう。陛下もまた、コルネリア様が私と結婚したいと仰れば、無下にすることはないはずだ」
恭しく伸ばされた手を、コルネリアはじっと見た。
この手を取れば、コルネリアは祖国に残ることができる。皇族としての義務を捨て、気の置けない間柄のフェルナンドと過ごす日々は、きっと心穏やかなものになるだろう。
――フェルナンドがいつも楽しそうに語るユーブルクも、いつか訪れてみたいとは思っていた。だけど……。
差しのばされた手を、コルネリアが取ることはなかった。
「……ありがとう、フェルナンド。貴方はいつだって、わたくしの忠実な騎士ね。でも、お父様の決めた結婚ですもの。抗うことはできないわ。皇帝の意思は、わたくしの意思だから」
「コルネリア様! 貴女は、ご自身のことだけを第一に考えていればいいのです!」
「そんなこと、ピエムスタ帝国の皇女に許されるわけがありません。それに、わたくしがフェルナンドに嫁げば、エツスタンにはわたくしの代わりに他の貴族令嬢が行くことになるでしょう。わたくしの代わりに誰かが不幸になるのは、嫌よ」
「しかし……」
「それに、夫となるリシャールはまだ家族を亡くした、可哀想な子なのよ。誰かが側で支えてあげないと」
コルネリアの胸の内に、ぼんやりと未来の夫が浮かんだ。髪の色や瞳の色すらもまだ知らない彼を、どうしても見捨てることができない。
フェルナンドは真意を探るような眼でじっとコルネリアを見つめていたが、コルネリアの決心は揺るがなかった。
長い沈黙のあと、フェルナンドはふと自嘲するように俯く。
「……貴女は誰よりも他人の幸せを祈っている。そのくせに、貴女自身の幸せは、考えていないようだ」
コルネリアはなにも答えなかった。これ以上受け答えをしてしまえば、自分の皇族としての義務を捨てて、甘く誘うフェルナンドの手を取ってしまう気がする。
一陣の風が、ふたりの間を通り抜ける。冷たい風は、間もなく来る冬の訪れを感じさせた。
ややあって、コルネリアは困ったように微笑んだ。
「フェルナンド、貴方の気持ちはすごく嬉しいの。だけど、忠義心で結婚相手を選んではいけないわ。心の底から好きな人に、プロポーズしなきゃダメよ」
「コルネリア様、私は――」
フェルナンドの言葉を遮るように、中庭にメイドがコルネリアの名前を呼ぶ声が響いた。どうやら、遠く南の領土に嫁いだ姉がリドス宮殿を訪れたらしい。隣国に嫁ぐ妹に、別れを告げに来たのだ。
遠方からの客人を待たせるわけにはいかないと、コルネリアは慌ただしく立ち上がった。
「もう行かなきゃ! フェルナンド、元気でね」
そう言って、コルネリアは美しい礼をしてガゼボを去っていく。静寂に包まれた中庭で、フェルナンはひとり立ち尽くす。
「……忠義心だけで、プロポーズをしたつもりはないのですがね」
苦み走った顔のフェルナンドがぽつりと呟いた一言は、思い出の詰まった中庭を去るコルネリアの耳に、届くことはなかった。
「大丈夫よ。きっと心が通じれば、愛はなくとも、家族になることはできるもの」
「しかし、それではコルネリア様の幸せが……!」
フェルナンドは激しく首を振る。
コルネリアは心配そうに、フェルナンドの肩に手を置いた。
「フェルナンド、あまりお父さまの決定を悪く言ってはいけないわ。貴方は今、皇帝騎士団の騎士なのよ? 貴方の立場が悪くなってしまうかもしれないから……」
「それでは、親愛なるコルネリア様が不幸になるのを、指を咥えて黙ってみていろと言うのですか?」
「それは……」
「ここに来られたということは、内心エツスタンに行くか、悩んでいらっしゃるということでしょう。コルネリア様は、悩み事があるといつもここにおいででした」
「…………」
「エツスタンはピエムスタ帝国の領土となっても、小癪にも未だにピエムスタ帝国に反抗している。そんなエツスタンが、この国の至宝たるコルネリア様を大事にするはずがないでしょうに! コルネリア様にもしものことがあったら、どうするのです!」
フェルナンドの口調が激しさを増す。しかし、コルネリアは、フェルナンドの勢いに臆することなく、落ち着いた声で答えた。
「さすがにエツスタンも、わたくしの命まで奪うことはないでしょう。それに、お父様には、この結婚は一時的なものだと言われています。数年我慢すれば、離縁してもらうつもりよ。その後は、田舎に領地をもらって、悠々自適に生活するの。……結婚する前から離婚の話をするなんて、おかしな話だけど」
苦笑するコルネリアの足下に、急にフェルナンドが膝をついた。
「コルネリア様、私と結婚していただけませんか? 私はいずれ侯爵位を継ぎ、ユーブルクの領主になります。僭越ながら皇女様の結婚相手として、不足はないはずです。貴女には、なに不自由ない暮らしをさせると約束しましょう」
ユーブルクは、ピエムスタ帝国の南西に位置するソルディ家の領地だ。肥沃な平原を有し、どこまでも続く小麦畑に沈む夕日が美しいと、何度かフェルナンドから聞いたことがある。
冗談かと思って曖昧な微笑みを浮かべたコルネリアだったが、見上げるフェルナンドの視線は真剣そのものだ。数多の令嬢たちの胸をときめかす榛色の瞳が、真剣にこちらを見ている。
「コルネリア様は、この帝国の至宝。だからこそ何があっても、私が貴女を守り抜くと誓います。ソルディ家もまた、貴女を全力で守るでしょう。陛下もまた、コルネリア様が私と結婚したいと仰れば、無下にすることはないはずだ」
恭しく伸ばされた手を、コルネリアはじっと見た。
この手を取れば、コルネリアは祖国に残ることができる。皇族としての義務を捨て、気の置けない間柄のフェルナンドと過ごす日々は、きっと心穏やかなものになるだろう。
――フェルナンドがいつも楽しそうに語るユーブルクも、いつか訪れてみたいとは思っていた。だけど……。
差しのばされた手を、コルネリアが取ることはなかった。
「……ありがとう、フェルナンド。貴方はいつだって、わたくしの忠実な騎士ね。でも、お父様の決めた結婚ですもの。抗うことはできないわ。皇帝の意思は、わたくしの意思だから」
「コルネリア様! 貴女は、ご自身のことだけを第一に考えていればいいのです!」
「そんなこと、ピエムスタ帝国の皇女に許されるわけがありません。それに、わたくしがフェルナンドに嫁げば、エツスタンにはわたくしの代わりに他の貴族令嬢が行くことになるでしょう。わたくしの代わりに誰かが不幸になるのは、嫌よ」
「しかし……」
「それに、夫となるリシャールはまだ家族を亡くした、可哀想な子なのよ。誰かが側で支えてあげないと」
コルネリアの胸の内に、ぼんやりと未来の夫が浮かんだ。髪の色や瞳の色すらもまだ知らない彼を、どうしても見捨てることができない。
フェルナンドは真意を探るような眼でじっとコルネリアを見つめていたが、コルネリアの決心は揺るがなかった。
長い沈黙のあと、フェルナンドはふと自嘲するように俯く。
「……貴女は誰よりも他人の幸せを祈っている。そのくせに、貴女自身の幸せは、考えていないようだ」
コルネリアはなにも答えなかった。これ以上受け答えをしてしまえば、自分の皇族としての義務を捨てて、甘く誘うフェルナンドの手を取ってしまう気がする。
一陣の風が、ふたりの間を通り抜ける。冷たい風は、間もなく来る冬の訪れを感じさせた。
ややあって、コルネリアは困ったように微笑んだ。
「フェルナンド、貴方の気持ちはすごく嬉しいの。だけど、忠義心で結婚相手を選んではいけないわ。心の底から好きな人に、プロポーズしなきゃダメよ」
「コルネリア様、私は――」
フェルナンドの言葉を遮るように、中庭にメイドがコルネリアの名前を呼ぶ声が響いた。どうやら、遠く南の領土に嫁いだ姉がリドス宮殿を訪れたらしい。隣国に嫁ぐ妹に、別れを告げに来たのだ。
遠方からの客人を待たせるわけにはいかないと、コルネリアは慌ただしく立ち上がった。
「もう行かなきゃ! フェルナンド、元気でね」
そう言って、コルネリアは美しい礼をしてガゼボを去っていく。静寂に包まれた中庭で、フェルナンはひとり立ち尽くす。
「……忠義心だけで、プロポーズをしたつもりはないのですがね」
苦み走った顔のフェルナンドがぽつりと呟いた一言は、思い出の詰まった中庭を去るコルネリアの耳に、届くことはなかった。
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