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妻の決断

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「な、なんですと?」
「ですから、手紙の内容を読んでも良いと言っているのです。読まれて困るようなことは書いておりません」

 コルネリアの一言に、貴族たちがざわめいた。彼らが驚くのも無理はない。本来ならば、家族に宛てた手紙は、誰だって開かれたくはないもの。それを、コルネリアはそれをあっさり許したのだ。
 ブランジェット侯爵は丁寧に施された封蝋をむしり取るように封筒を開けた。

「は、はったりを! ピエムスタ語に詳しい者を呼べ! この手紙を今すぐ……」
「いい、俺が読む。多少のピエムスタ語なら読める」

 話を遮ったのはリシャールだった。貴族たちはざわめいた。
 リシャールはコルネリアの手紙を受け取り、手紙を開いた。

「親愛なる皇帝陛下……」

 一通りのピエムスタ語は読めるらしいリシャールは、たどたどしいながらもゆっくりとエツスタン語に翻訳しながら手紙を読む。しばらくは表情を変えなかったリシャールだったが、やがてその目に困惑の色が浮かびはじめる。
 内容は、エツスタンの城下の復興が進んでいないことや、城下町の人々の栄養状態が悪いという内容が詳細に示されており、末尾には資金援助まで要請していた。コルネリア自身の話には、一切触れていない。
 コルネリアを糾弾しようとしていたブランジェット侯爵の顔が、みるみるうちに強張りはじめた。
 貴族たちは、顔を見合わせてひそひそと言葉を交わしあう。

「まさか、ピエムスタ帝国に資金援助を願い出ているとは」
「資金援助に加えて食料を融通してもらえるのはありがたい。この国にはどんなに大金を積んでも食料すら、まともに買えないのだから……」

 ハンソニアとの戦いで、国庫はおろか、食料すら底をつきている状態だ。エツスタンの人々は飢えに苦しみ、雨漏りのする屋根の下で肩を寄せあうように暮らしている。今のエツスタンが復興するために、資金や食料はいくらあっても足りないだろう。
 リシャールが手紙を読み終わると、コルネリアは凛とした声で告げた。

「今のエツスタンは極めて危うい状況です。このままでは食糧が尽き、冬の間に餓死する民もいるでしょう。そうならないために、一刻も早くピエムスタ帝国に連絡すべきだと判断いたしました。……でも、勝手なことをして、不安を煽ってしまいました。申し訳ございません」

 そう言って、コルネリアは低頭する。ピエムスタ帝国の皇女が頭を下げる姿を前に、貴族たちは、気まずそうに顔をあわせた。プライドの高い彼らだからこそ、ピエムスタ帝国の気高い皇女の謝罪にどれだけの重みがあるのか分かるのだろう。

「資金援助ごときで惑わされるな! ここで漬け込まれては、エツスタンはピエムスタ帝国の言いなりになってしまうぞ! 第一、そこの皇女様はピエムスタ帝国から騎士たちを連れてきている。みたところ、皆腕利きの騎士たちだ! これでは、城内にいつ攻撃を仕掛けてくるかわからない反乱分子を抱えているようなものだ」

 旗色が悪くなったブランジェット侯爵は声高に反論する。
 確かに、コルネリアの側に常に控えている護衛騎士たちはいずれも立派な鎧を身に着けており、一騎当千の猛者たちだと一目でわかる。そんな状況で「信用してほしい」と訴えても、おいそれと信頼をえられるものでもないだろう。ブランジェット侯爵の言葉ももっともだ。
 しばらく熟考したコルネリアは、小さく息を吐いた。

「確かに、その通りですね」
「ほらみろ、やはり騎士たちは我々誇り高いエツスタンをを弾圧するために――」
「では、ピエムスタ帝国から連れてきた騎士とメイド達を、ひとり残さず帝国へ帰還させましょう。わたくしのことは、人質だと思っていただいて差し支えございませんわ」
「なっ……」
「わたくしはピエムスタの皇女です。価値のある人質でしょう? どうぞ存分に利用して、ピエムスタ帝国から支援を引き出してください」

 思わぬコルネリアの一言に、エツスタンの貴族たちはしばし唖然とする。水を打ったような沈黙が議場に流れた。まさか、ピエムスタ帝国の皇女が自分の国の騎士とメイドを全員帝国へ戻すと言いだすとは思わなかったのだろう。
 長い沈黙を破ったのは、リシャールだった。

「どうして、貴女はそこまで……」

 変声期前の高く透る声が、困惑の色に染まっている。結婚式以来まともにこちらを見ようともしなかったアイスブルーの瞳が、こちらをまっすぐ見据えていた。澄んだ瞳は美しく、さながら冷たく晴れた冬空のようだ。
 コルネリアはゆったりと微笑んだ。

「貴方の力になりたいのです」

 穏やかに、しかしはっきりとコルネリアは言う。リシャールは呆気にとられ、なにか言おうとに口を開いた。しかし、リシャールの言葉を遮るように、ブランジェット侯爵が唾を飛ばして反論する。

「リシャール様、このような言葉に決して心を許してはなりません! この女の目的は、このエツスタンをじわじわと内側から弱らせ、完全にピエムスタ帝国に服従させることだ! そうに決まっている! 毒婦とは、口ばかり達者なものです!」

 追い詰められたブランジェット侯爵の一言は、もはやコルネリアへの憎悪を隠そうともしていない。周りの貴族たちにも、同調するような雰囲気が流れる。
 言いようもないほどの暗い影が、コルネリアの心を覆った。

 ――やっぱり、わたくしなんかがどんなに訴えたところで、無駄よね。

 そう思って、コルネリアが諦めかけた時だった。

「ブランジェット侯爵、少し口が過ぎるようだ」

 リシャールがアームチェアから立ち上がり、議場を突っ切ってコルネリアの前に立った。

「コルネリア。こちらの誤解で、貴女の騎士を拿捕してしまい、申し訳ございません。彼は適切な治療の後、解放します。貴女の手紙も、お返ししましょう」

 先ほどまでの冷たい口調とは打って変わって、丁寧な物言いだ。
 コルネリアは差し出された封筒を受け取って、深く頭を下げた。

「……確かに拝受いたしました」
「貴女の指摘通り、このままでは民が苦しむことになる。それだけは、避けなければなりません。そのために、ピエムスタ帝国の資金援助は得ておきたい。ただ、必要なものは時によって変わってくるので、事前に相談していただけませんか」
「承知いたしました。次から父に手紙を書く時は、必ずリシャール様に尋ねます」

 淡々と返事をしながら、内心コルネリアは驚いていた。十二歳という若さで、自分のプライドより民を優先できる判断力がある。王族としての並外れた矜持があったとしても、彼は判断力を鈍らせないだけの冷静さも持ち合わせているらしい。
 議場をぐるりと見渡したリシャールは、さっと手をあげた。

「今日の議会はこれで終わりだ。解散しろ」
「リシャール様!」

 抗議するようなブランジェット侯爵の声は無視され、議場のドアが開かれた。
 壇上を去る前に振り返ると、リシャールの小さな身体がブランジェット侯爵の悪意に満ちた視線を遮っていたことに、コルネリアは遅れて気がついた。
 コルネリアは小さな背中に呟く。

「ありがとうございます。約束は、必ず守ります」
「……早く行ってください」

 目も合わせずに、リシャールはそれだけ告げる。コルネリアは微かに頷いて、豪奢な広間を出た。
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