45 / 77
むし喰い
二
しおりを挟む
どんな場面においても、そこに並々ならぬ背景があったとしても、黒澤は策士で、単に面白がっているとしか、俺には思えないから。
「変態で腹黒。救いようがねえ、馬鹿」
くすくすと笑いながらマキさんは言った。
もう満面の笑みだ。
「中野、いまならなに叫んでもいいよ。罵りでも悪口でも、なんなら愛の告白でも」
「え、」
文句はいくらでもあるけど、罵りも悪口も怖くて言えない。
あ、愛の告白はナシの方向で。
俺は顔を引きつらせ、手を振った。
「遠慮? なんでよ。いましかないよ、こんなチャンス」
「……マキ、うるさい」
「あ、起きた」
黒澤は寝ころんだまま、足と手を動かして伸びをした。低い声で唸る。
まだ眠そうな目をして、マキさんを見上げた。
「愛の告白? 俺にか?」
「なんでそこだけ聞こえてんのかね」
「真紀」
「やめろ」
「やめる? なにを。ていうかお前──」
と言ったあと、黒澤はいきなりマキさんの手首を掴んだ。
マキさんもびっくりしている。
というか、もしかしたら黒澤は、俺の存在に気づいてないのかもしれない。
状況はよくわからないけど、なにか面白いことが起こりそうな気がして、俺はあえて小さくなっていた。
「馬鹿、目を覚ませ。いますぐ手を放せ」
「断る。油断して捕まるお前が悪い」
黒澤はにやっとして、上半身を少し起こすと、マキさんの手を引こうとした。
とっさにマキさんは踏ん張り、目の前の髪をむんずと掴む。
「真紀、いてえって」
「いいから黙れ。そして、は、な、せ」
「ほんとは嬉しいくせに。いい加減、素直になれって」
「まじで黙れよ。変態」
「変態? お前、それはひどいだろ」
マキさんは目を三角にして、俺のほうを指さす。
その拍子に、ばさばさと紙が落ちた。
「おま、中野を呼んだんだろうが。いま、いんだよ」
マキさんを放し、がばっと、黒澤は起き上がった。俺を確認してからソファーへ座り直し、膝に肘をついて、首を下げた。
その頭を、マキさんが拳でぐりぐりする。
「中野。こいつねぼすけだから、いまのは馬鹿の世迷いごとだと思って、聞き流しといて」
マキさんは言いながら、床に散らばった紙を拾い、テーブルの上で整えた。
聞き流せと言われたって、どこのなにを聞き流せばいいのだろう。
それよりも、試合に負けたボクサーみたいにしてしょぼくれている黒澤が面白い。天下の副会長さまも、会長さまには頭が上がらないんだ。
でも、ミツさんのときはあんなじゃなかった気がする。
といっても、俺が会ったときには、ミツさんはすでに会長の椅子を降ろされていたけど。
「クロすけ!」
「ん? ああ」
マキさんに促され、黒澤は立ち上がった。
執務机にあるボロボロの本を取る。
それを、すっと俺に差し出した。
「……なに?」
「劇の台本だ」
「え?」
思わず二度見してしまった。
さっきちらっと確認したとき、なんかの古文書かと思っていた。
台本だったんだ、あれ。たしかに、「下剋上物語 台本 アリア(ヒロイン)用」と、表に書かれてある。……手書きで。
俺は本をめくってみて、頭を抱えた。しばし言葉を失う。
「ところで卓。松永の具合はどうだ」
「え? あ、うん。あしたから授業に出れるって」
「じゃあ──」
と、黒澤はもう一冊を渡す。
それには、「ハーラ(下役)」となっていた。
「松永に渡しておいてくれないか」
「なに、ハーラって。じゃあ、藤堂さんがやる敵役は、カザーミとかでもいうのかよ」
俺は冗談のつもりで言ったのに、至って真面目な顔で、黒澤は頷いた。
「……あのさ。この劇って、あくまでもシリアスなんだよね?」
「喜劇ではないはずだ」
「てか、この台本が、まず喜劇なことになってんだけど」
古さはあるものの、表紙はまだきちんとしているからいい。
問題は中身だ。
いろんな人の汗と涙の結晶……かはわからないけど、稽古が厳しかったのか、無骨に扱ったからか、字が薄れていて読めないところがあるわ、ページの半分がなくなっているわで、てんやわんやしていた。
本がこんなふうだと、下手したら違うストーリーなものになるかもしれない。
「途中切れてたり、破けてたりで、台詞が行方不明じゃん。ト書もそういうとこあるし」
「伝統の一冊だ。それも見どころだと思え」
「見どころもなにも、台詞がわかんなきゃ、劇になんないでしょってハナシだろ。いや、ちょっと待てよ……」
はっとなって、維新のほうの台本を開いた。予想通り、俺の台本にはない台詞が維新のにはある。逆に、維新のにはないト書が、俺の台本では残っている。
「変態で腹黒。救いようがねえ、馬鹿」
くすくすと笑いながらマキさんは言った。
もう満面の笑みだ。
「中野、いまならなに叫んでもいいよ。罵りでも悪口でも、なんなら愛の告白でも」
「え、」
文句はいくらでもあるけど、罵りも悪口も怖くて言えない。
あ、愛の告白はナシの方向で。
俺は顔を引きつらせ、手を振った。
「遠慮? なんでよ。いましかないよ、こんなチャンス」
「……マキ、うるさい」
「あ、起きた」
黒澤は寝ころんだまま、足と手を動かして伸びをした。低い声で唸る。
まだ眠そうな目をして、マキさんを見上げた。
「愛の告白? 俺にか?」
「なんでそこだけ聞こえてんのかね」
「真紀」
「やめろ」
「やめる? なにを。ていうかお前──」
と言ったあと、黒澤はいきなりマキさんの手首を掴んだ。
マキさんもびっくりしている。
というか、もしかしたら黒澤は、俺の存在に気づいてないのかもしれない。
状況はよくわからないけど、なにか面白いことが起こりそうな気がして、俺はあえて小さくなっていた。
「馬鹿、目を覚ませ。いますぐ手を放せ」
「断る。油断して捕まるお前が悪い」
黒澤はにやっとして、上半身を少し起こすと、マキさんの手を引こうとした。
とっさにマキさんは踏ん張り、目の前の髪をむんずと掴む。
「真紀、いてえって」
「いいから黙れ。そして、は、な、せ」
「ほんとは嬉しいくせに。いい加減、素直になれって」
「まじで黙れよ。変態」
「変態? お前、それはひどいだろ」
マキさんは目を三角にして、俺のほうを指さす。
その拍子に、ばさばさと紙が落ちた。
「おま、中野を呼んだんだろうが。いま、いんだよ」
マキさんを放し、がばっと、黒澤は起き上がった。俺を確認してからソファーへ座り直し、膝に肘をついて、首を下げた。
その頭を、マキさんが拳でぐりぐりする。
「中野。こいつねぼすけだから、いまのは馬鹿の世迷いごとだと思って、聞き流しといて」
マキさんは言いながら、床に散らばった紙を拾い、テーブルの上で整えた。
聞き流せと言われたって、どこのなにを聞き流せばいいのだろう。
それよりも、試合に負けたボクサーみたいにしてしょぼくれている黒澤が面白い。天下の副会長さまも、会長さまには頭が上がらないんだ。
でも、ミツさんのときはあんなじゃなかった気がする。
といっても、俺が会ったときには、ミツさんはすでに会長の椅子を降ろされていたけど。
「クロすけ!」
「ん? ああ」
マキさんに促され、黒澤は立ち上がった。
執務机にあるボロボロの本を取る。
それを、すっと俺に差し出した。
「……なに?」
「劇の台本だ」
「え?」
思わず二度見してしまった。
さっきちらっと確認したとき、なんかの古文書かと思っていた。
台本だったんだ、あれ。たしかに、「下剋上物語 台本 アリア(ヒロイン)用」と、表に書かれてある。……手書きで。
俺は本をめくってみて、頭を抱えた。しばし言葉を失う。
「ところで卓。松永の具合はどうだ」
「え? あ、うん。あしたから授業に出れるって」
「じゃあ──」
と、黒澤はもう一冊を渡す。
それには、「ハーラ(下役)」となっていた。
「松永に渡しておいてくれないか」
「なに、ハーラって。じゃあ、藤堂さんがやる敵役は、カザーミとかでもいうのかよ」
俺は冗談のつもりで言ったのに、至って真面目な顔で、黒澤は頷いた。
「……あのさ。この劇って、あくまでもシリアスなんだよね?」
「喜劇ではないはずだ」
「てか、この台本が、まず喜劇なことになってんだけど」
古さはあるものの、表紙はまだきちんとしているからいい。
問題は中身だ。
いろんな人の汗と涙の結晶……かはわからないけど、稽古が厳しかったのか、無骨に扱ったからか、字が薄れていて読めないところがあるわ、ページの半分がなくなっているわで、てんやわんやしていた。
本がこんなふうだと、下手したら違うストーリーなものになるかもしれない。
「途中切れてたり、破けてたりで、台詞が行方不明じゃん。ト書もそういうとこあるし」
「伝統の一冊だ。それも見どころだと思え」
「見どころもなにも、台詞がわかんなきゃ、劇になんないでしょってハナシだろ。いや、ちょっと待てよ……」
はっとなって、維新のほうの台本を開いた。予想通り、俺の台本にはない台詞が維新のにはある。逆に、維新のにはないト書が、俺の台本では残っている。
0
お気に入りに追加
31
あなたにおすすめの小説
モテる兄貴を持つと……(三人称改訂版)
夏目碧央
BL
兄、海斗(かいと)と同じ高校に入学した城崎岳斗(きのさきやまと)は、兄がモテるがゆえに様々な苦難に遭う。だが、カッコよくて優しい兄を実は自慢に思っている。兄は弟が大好きで、少々過保護気味。
ある日、岳斗は両親の血液型と自分の血液型がおかしい事に気づく。海斗は「覚えてないのか?」と驚いた様子。岳斗は何を忘れているのか?一体どんな秘密が?
家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
漢方薬局「泡影堂」調剤録
珈琲屋
BL
母子家庭苦労人真面目長男(17)× 生活力0放浪癖漢方医(32)の体格差&年の差恋愛(予定)。じりじり片恋。
キヨフミには最近悩みがあった。3歳児と5歳児を抱えての家事と諸々、加えて勉強。父はとうになく、母はいっさい頼りにならず、妹は受験真っ最中だ。この先俺が生き残るには…そうだ、「泡影堂」にいこう。
高校生×漢方医の先生の話をメインに、二人に関わる人々の話を閑話で書いていく予定です。
メイン2章、閑話1章の順で進めていきます。恋愛は非常にゆっくりです。
「短冊に秘めた願い事」
悠里
BL
何年も片思いしてきた幼馴染が、昨日可愛い女の子に告白されて、七夕の今日、多分、初デート中。
落ち込みながら空を見上げて、彦星と織姫をちょっと想像。
……いいなあ、一年に一日でも、好きな人と、恋人になれるなら。
残りの日はずっと、その一日を楽しみに生きるのに。
なんて思っていたら、片思いの相手が突然訪ねてきた。
あれ? デート中じゃないの?
高校生同士の可愛い七夕🎋話です(*'ω'*)♡
本編は4ページで完結。
その後、おまけの番外編があります♡
【完結】嘘はBLの始まり
紫紺
BL
現在売り出し中の若手俳優、三條伊織。
突然のオファーは、話題のBL小説『最初で最後のボーイズラブ』の主演!しかもW主演の相手役は彼がずっと憧れていたイケメン俳優の越前享祐だった!
衝撃のBLドラマと現実が同時進行!
俳優同士、秘密のBLストーリーが始まった♡
※番外編を追加しました!(1/3)
4話追加しますのでよろしくお願いします。
学園と夜の街での鬼ごっこ――標的は白の皇帝――
天海みつき
BL
族の総長と副総長の恋の話。
アルビノの主人公――聖月はかつて黒いキャップを被って目元を隠しつつ、夜の街を駆け喧嘩に明け暮れ、いつしか"皇帝"と呼ばれるように。しかし、ある日突然、姿を晦ました。
その後、街では聖月は死んだという噂が蔓延していた。しかし、彼の族――Nukesは実際に遺体を見ていないと、その捜索を止めていなかった。
「どうしようかなぁ。……そぉだ。俺を見つけて御覧。そしたら捕まってあげる。これはゲームだよ。俺と君たちとの、ね」
学園と夜の街を巻き込んだ、追いかけっこが始まった。
族、学園、などと言っていますが全く知識がないため完全に想像です。何でも許せる方のみご覧下さい。
何とか完結までこぎつけました……!番外編を投稿完了しました。楽しんでいただけたら幸いです。
台風の目はどこだ
あこ
BL
とある学園で生徒会会長を務める本多政輝は、数年に一度起きる原因不明の体調不良により入院をする事に。
政輝の恋人が入院先に居座るのもいつものこと。
そんな入院生活中、二人がいない学園では嵐が吹き荒れていた。
✔︎ いわゆる全寮制王道学園が舞台
✔︎ 私の見果てぬ夢である『王道脇』を書こうとしたら、こうなりました(2019/05/11に書きました)
✔︎ 風紀委員会委員長×生徒会会長様
✔︎ 恋人がいないと充電切れする委員長様
✔︎ 時々原因不明の体調不良で入院する会長様
✔︎ 会長様を見守るオカン気味な副会長様
✔︎ アンチくんや他の役員はかけらほども出てきません。
✔︎ ギャクになるといいなと思って書きました(目標にしましたが、叶いませんでした)
いとしの生徒会長さま
もりひろ
BL
大好きな親友と楽しい高校生活を送るため、急きょアメリカから帰国した俺だけど、編入した学園は、とんでもなく変わっていた……!
しかも、生徒会長になれとか言われるし。冗談じゃねえっつの!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる