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暮れ泥むころ
三
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「謝るのは俺のほうだ。だから卓、自分を否定するようなことは……」
「違うって。いまのはウソ。俺もジョーダン言ったの」
「……」
「もうなしなし。ほんとさ、いろいろまじになっちゃって」
維新の後頭部を撫で、襟足の辺りをぽんぽんする。その手に手が重なった。
「俺が追い詰めたんだよな」
「だから違うよ、バカ。追い詰めてない。俺が悪ぃの」
手の甲から伝わる温もりとは逆に、頬に触れる厚めの髪は冷たい。いつしか、その真っ黒は夜気と同化し始め、にわかに俺を心細くさせる。
思わず「維新」と呼びかけた。
「なんだ」
すぐに返事があってほっとする。
「維新さ、覚えてる? 俺たちが会ったばかりのときのこと」
少し間を置いてから維新は頭を上げた。俺と目を合わせて、ふっと微笑む。
「もちろん覚えてるよ」
あれは、中学一年生になったばかりの春だった。いわゆる中一ギャップで、俺は不安しかなかったころ。
維新の幼なじみのメイジと、俺の幼なじみが知り合いで、俺たちはお互いをほとんど知らないまま、同じ仲良しグループの一員となった。
「卓は俺のこと嫌いだったんだよな」
「……嫌いだったんじゃない。ちょっと苦手だっただけ。それも、ほんの最初のころだよ。だって維新、いつも無表情でなに考えてんのかわかんなかったから」
初めて会ってから一週間くらいは、だいぶ苦手意識を持っていた。
維新は、友だちの輪の中にはいるんだけど、つねに一歩引いて見ている感じ。愛想笑いも本気笑いもしない。口数が少ないから、なにを考えているのかも読み取れない。
なのに、友だちは結構いる。俺からしたら、それがすごく不思議だった。
女の子に人気があったのは、顔の造りがいいせいもあったかもしれないけど。
ある日の朝、いつものように教室へ入ると、この世の不幸をすべて背負ったような顔で窓の外を見る維新がいた。メイジにそれとなく訊けば、朝から親とケンカしてああなってるんだと教えてくれた。
維新は口数が少ないぶん、怒りの感情が強くなると、顔や態度に出やすい超マイペースなやつだった。
みんなが笑っているときに笑っていないのは、笑いどころがわからなかったか、聞いてなかったかのどっちか。一点を真剣に見つめているのは、なにかを深く考えているとき。反対になにも考えてないと、見るからにぼうっとしている。
これらをところ構わず発揮する。おっかない先生がいようが、可愛い女の子がいようが、それこそヤクザと同席したって発動する。
俺は、そんな維新が珍しくて、気がつくといつも見ていた。
その視線に維新も気づいていて、ある日の放課後、俺に言ったんだ。
「あんま見んなよ。気持ちが悪いから。ってさ。ひどくね? 松永くんて」
少しだけ睨むようにして、維新を見上げる。
「俺、ほんとショックだったんだよ?」
「だから、悪かったってすぐ謝っただろ」
そうなんだ。
俺はショックのあまり、その場で泣いてしまったんだ。
親の前でも泣くのをガマンする俺なのに、涙がぼろぼろ出てきて、絶対ヒかれてると思ったら、維新はおろおろしていた。すぐに謝ってもくれた。
じつは、維新のあの「気持ち悪い」に他意はなく、感じたままを言っただけのことだった。
でも俺は、「気持ちが悪いから嫌だ。お前は嫌いだ」と考えて、泣いてしまっていた。
「気持ち悪くて嫌なら、嫌だってところまでちゃんと言うし、あのときは本当にいい気分じゃなかったから、ああいう言い方になってしまった。ほかに思いつかなかったんだ」
「俺ね、家に帰って、そのこと全部ママに話したんだ。そしたら、維新のこと『格好いいわね』って誉めてた。なんで泣かしたやつに『格好いい』なんて言うのかわかんなくて怒ったら、『だってちゃんと謝ってくれたじゃない』だってさ。向こうがひどいこと言ったんだから、謝るのは当たり前だと思ったけど、ママは、そういうつもりはなかったんじゃないのって。自分のせいとわかってることほど、すぐには謝れないものだって。むきになったり、からかったり、最悪笑い者にしたり。でも維新は、次の日も謝ってくれて、そのとき俺、ママの『格好いい』の意味がよくわかった」
「……」
「それから、維新を少し引いて見ることにした。そしたら、困ってる子がいたら迷わず手を貸すし、それは違うんじゃないかとなったら、ちゃんと相手に言う。興味のないことは、きれいなぐらいないけど、目の前に置かれた問題とかには真っ直ぐ向き合うやつなんだってわかった。ああ、だからあんな感じでも友だちがいて、なんだかんだ信頼されてて、女の子に人気があるんだっていうのもわかった」
維新が急な闇へ紛れていく。俺の声も掻き消されそうで、つい語調を強くした。
こんな話、次はいつできるかもわからないから。
「違うって。いまのはウソ。俺もジョーダン言ったの」
「……」
「もうなしなし。ほんとさ、いろいろまじになっちゃって」
維新の後頭部を撫で、襟足の辺りをぽんぽんする。その手に手が重なった。
「俺が追い詰めたんだよな」
「だから違うよ、バカ。追い詰めてない。俺が悪ぃの」
手の甲から伝わる温もりとは逆に、頬に触れる厚めの髪は冷たい。いつしか、その真っ黒は夜気と同化し始め、にわかに俺を心細くさせる。
思わず「維新」と呼びかけた。
「なんだ」
すぐに返事があってほっとする。
「維新さ、覚えてる? 俺たちが会ったばかりのときのこと」
少し間を置いてから維新は頭を上げた。俺と目を合わせて、ふっと微笑む。
「もちろん覚えてるよ」
あれは、中学一年生になったばかりの春だった。いわゆる中一ギャップで、俺は不安しかなかったころ。
維新の幼なじみのメイジと、俺の幼なじみが知り合いで、俺たちはお互いをほとんど知らないまま、同じ仲良しグループの一員となった。
「卓は俺のこと嫌いだったんだよな」
「……嫌いだったんじゃない。ちょっと苦手だっただけ。それも、ほんの最初のころだよ。だって維新、いつも無表情でなに考えてんのかわかんなかったから」
初めて会ってから一週間くらいは、だいぶ苦手意識を持っていた。
維新は、友だちの輪の中にはいるんだけど、つねに一歩引いて見ている感じ。愛想笑いも本気笑いもしない。口数が少ないから、なにを考えているのかも読み取れない。
なのに、友だちは結構いる。俺からしたら、それがすごく不思議だった。
女の子に人気があったのは、顔の造りがいいせいもあったかもしれないけど。
ある日の朝、いつものように教室へ入ると、この世の不幸をすべて背負ったような顔で窓の外を見る維新がいた。メイジにそれとなく訊けば、朝から親とケンカしてああなってるんだと教えてくれた。
維新は口数が少ないぶん、怒りの感情が強くなると、顔や態度に出やすい超マイペースなやつだった。
みんなが笑っているときに笑っていないのは、笑いどころがわからなかったか、聞いてなかったかのどっちか。一点を真剣に見つめているのは、なにかを深く考えているとき。反対になにも考えてないと、見るからにぼうっとしている。
これらをところ構わず発揮する。おっかない先生がいようが、可愛い女の子がいようが、それこそヤクザと同席したって発動する。
俺は、そんな維新が珍しくて、気がつくといつも見ていた。
その視線に維新も気づいていて、ある日の放課後、俺に言ったんだ。
「あんま見んなよ。気持ちが悪いから。ってさ。ひどくね? 松永くんて」
少しだけ睨むようにして、維新を見上げる。
「俺、ほんとショックだったんだよ?」
「だから、悪かったってすぐ謝っただろ」
そうなんだ。
俺はショックのあまり、その場で泣いてしまったんだ。
親の前でも泣くのをガマンする俺なのに、涙がぼろぼろ出てきて、絶対ヒかれてると思ったら、維新はおろおろしていた。すぐに謝ってもくれた。
じつは、維新のあの「気持ち悪い」に他意はなく、感じたままを言っただけのことだった。
でも俺は、「気持ちが悪いから嫌だ。お前は嫌いだ」と考えて、泣いてしまっていた。
「気持ち悪くて嫌なら、嫌だってところまでちゃんと言うし、あのときは本当にいい気分じゃなかったから、ああいう言い方になってしまった。ほかに思いつかなかったんだ」
「俺ね、家に帰って、そのこと全部ママに話したんだ。そしたら、維新のこと『格好いいわね』って誉めてた。なんで泣かしたやつに『格好いい』なんて言うのかわかんなくて怒ったら、『だってちゃんと謝ってくれたじゃない』だってさ。向こうがひどいこと言ったんだから、謝るのは当たり前だと思ったけど、ママは、そういうつもりはなかったんじゃないのって。自分のせいとわかってることほど、すぐには謝れないものだって。むきになったり、からかったり、最悪笑い者にしたり。でも維新は、次の日も謝ってくれて、そのとき俺、ママの『格好いい』の意味がよくわかった」
「……」
「それから、維新を少し引いて見ることにした。そしたら、困ってる子がいたら迷わず手を貸すし、それは違うんじゃないかとなったら、ちゃんと相手に言う。興味のないことは、きれいなぐらいないけど、目の前に置かれた問題とかには真っ直ぐ向き合うやつなんだってわかった。ああ、だからあんな感じでも友だちがいて、なんだかんだ信頼されてて、女の子に人気があるんだっていうのもわかった」
維新が急な闇へ紛れていく。俺の声も掻き消されそうで、つい語調を強くした。
こんな話、次はいつできるかもわからないから。
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