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アクアリウム
三
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ぼくは最後のおかずを口に入れ、ランチボックスのフタを閉めながら勇気くんへ顔を向けた。
「うん?」
「弟? 妹? ……結局どっち?」
「あー……」
ぼくのお母さんに赤ちゃんができたことは、勇気くんにも話していた。やっぱり嬉しかったから、クリスマスに会ったときにすぐに話した。
年末にうちで宴会するとなったとき、次郎さんにも話した。小林先生や、行田のおじいちゃんとおばあちゃん、川淵のおじさんのところにも。
一清さんの提案で、ぼくから伝えさせてもらった。
「お母さん……はっきりとは教えてくれなかったんだ。でも、お兄さんたちは男の子じゃないかって言ってる。ぼくとお兄ちゃんは、女の子希望なんだけど」
「あとのお楽しみってやつか。にしても、びっくりだよな。兄ちゃんが六人もいるなんて」
「うん……そうだよね」
五人もお兄さんができると聞かされたとき、ぼくもすごくびっくりした。しかも、初めて会う日に言われたから、そのあとはどんな話をしたか、いまだに思い出せない。
それにしても、その「兄ちゃん」の中にぼくもいるんだと思うと、不思議で、嬉しくて、照れくさくて、どういう顔をしていいのかわからなくなる。
「ただね、名前はもう決めてるんだって」
なになにと、勇気くんが身を乗り出した。
ぼくは左の手のひらに右の人差し指でその名をなぞった。
「虹に歩くって書くんだ」
「虹? 珍しいな」
勇気くんもテーブルに書いてみている。
「それで『なゆむ』と読むんだって」
「数字に関するものもちゃんとつくんだ。七の『な』?」
「それは篠原さんちの伝統だからね。で、歩くっていう字はお父さんの名前なんだけど……。行田のお父さん。あゆむっていうの」
ぼくが行田の名字を口にすると、勇気くんの表情がちょっと堅くなった。
「お父さんが、篠原のお義父さんとお母さんを引き合わせてくれたから、どうしてもつけたかったって、お母さんが言ってた」
「うん」
「篠原の──」
そこでぼくは言葉を切った。
テーブルに肘を乗せ、聞く態勢を作っていた勇気くんが、あれ? という顔をした。
「どうしてやめんの」
「なんか、あんまりいい話じゃないかもって」
「いいのも悪いのも、お前に関することなら、なんでも聞きたいよ。おれは」
「うん……」
「でも、無理には聞かない。お前がつらいならやめてもいいし」
ぼくは首を横に振った。
よし、と頷き、勇気くんはぼくの頭を撫でた。
「篠原のお義父さん、次郎さんのことでお父さんに会いに行ったことがあるらしいんだ。でも、そのときはお母さんに会えなくて」
「うん」
「お父さんのお通夜で初めて会って、それから何回か食事に行って……なんだけど。ぼく、お母さんがお父さんのことで立ち直れたのは、お母さんの強さだとずっと思ってた。でもほんとは、篠原のお義父さんが元気づけてくれてたお陰なんだって、このあいだわかったんだ。そしたら急に、篠原のお義父さんに会いたくなっちゃった。……これって、お父さん怒らないよね?」
すぐになにか返してくれると思った勇気くんが、その持ち前の太陽を翳らせ、黙ってしまった。
そんなに深刻な顔をされると思ってなくて、ぼくはすごく焦った。ごめんねと慌てて謝る。
「いや……。おれのほうこそ、なんにも言えなくなってごめん。おれは、人夢みたいに身近な人を亡くしたことないし……そんなやつがなに言っても逆効果かなと思った。なんでも聞きたいとか言っときながら、気の利いたこと言えなくて、ほんとごめん」
「ううん。変なこと言っちゃったぼくが悪いんだから」
「変なことじゃないって」
そこは力強く言って、勇気くんは真っ直ぐにぼくを見た。
「人夢が幸せなことがお父さんの幸せだってこと。おれ、これだけは絶対だと思うんだ」
うんと、ぼくも固く頷いて、勇気くんを見返した。
勇気くんらしい心遣いと、たしかなまなざしに胸がきゅっとなった。
「さて、と。そろそろ行こっか」
勇気くんが立ち上がり、カバンを肩にかける。
ぼくは急いで、テーブルへ広げていたものをリュックにしまい、勇気くんのとなりを歩いた。
きょうのメインイベントであるイルカショーの時間までお土産屋さんを見て回った。
勇気くんが、お弁当のお礼だと言って、白イルカのストラップを買ってくれた。そんなのいいのにって断ろうと思ったけど、携帯にストラップがないのはやっぱりさみしいから、素直にありがとうと受け取った。
イルカショーは相変わらずかっこよかった。大きいのも小さめなのも、ビュンビュンジャンプしてクルクル回っていた。イルカの背びれにつかまって人が乗ったりもする。
この水族館には家族で来たことも何度かあって、イルカショーは必ず観て帰っていた。でも、一度だけ、なにかの理由で観れなくなって、楽しみにしていたぼくはわんわん泣いたんだ。
プールに目をやったままぼくは首をひねった。
わんわん泣くぼくを宥めているお父さんのとなりには、お母さんじゃないだれかがいる。
……そうだ。あれはいつのことだろう。それとも、水族館へ行くのが楽しみで見た夢なのかな。
頭を、ちょっとよそへやっていたら、不意に話しかけられた。
変な声が出た。勇気くんが不審げにぼくを見ている。ぼくは、なんでもないと手を振って、目の前のショーへ顔を戻した。
「うん?」
「弟? 妹? ……結局どっち?」
「あー……」
ぼくのお母さんに赤ちゃんができたことは、勇気くんにも話していた。やっぱり嬉しかったから、クリスマスに会ったときにすぐに話した。
年末にうちで宴会するとなったとき、次郎さんにも話した。小林先生や、行田のおじいちゃんとおばあちゃん、川淵のおじさんのところにも。
一清さんの提案で、ぼくから伝えさせてもらった。
「お母さん……はっきりとは教えてくれなかったんだ。でも、お兄さんたちは男の子じゃないかって言ってる。ぼくとお兄ちゃんは、女の子希望なんだけど」
「あとのお楽しみってやつか。にしても、びっくりだよな。兄ちゃんが六人もいるなんて」
「うん……そうだよね」
五人もお兄さんができると聞かされたとき、ぼくもすごくびっくりした。しかも、初めて会う日に言われたから、そのあとはどんな話をしたか、いまだに思い出せない。
それにしても、その「兄ちゃん」の中にぼくもいるんだと思うと、不思議で、嬉しくて、照れくさくて、どういう顔をしていいのかわからなくなる。
「ただね、名前はもう決めてるんだって」
なになにと、勇気くんが身を乗り出した。
ぼくは左の手のひらに右の人差し指でその名をなぞった。
「虹に歩くって書くんだ」
「虹? 珍しいな」
勇気くんもテーブルに書いてみている。
「それで『なゆむ』と読むんだって」
「数字に関するものもちゃんとつくんだ。七の『な』?」
「それは篠原さんちの伝統だからね。で、歩くっていう字はお父さんの名前なんだけど……。行田のお父さん。あゆむっていうの」
ぼくが行田の名字を口にすると、勇気くんの表情がちょっと堅くなった。
「お父さんが、篠原のお義父さんとお母さんを引き合わせてくれたから、どうしてもつけたかったって、お母さんが言ってた」
「うん」
「篠原の──」
そこでぼくは言葉を切った。
テーブルに肘を乗せ、聞く態勢を作っていた勇気くんが、あれ? という顔をした。
「どうしてやめんの」
「なんか、あんまりいい話じゃないかもって」
「いいのも悪いのも、お前に関することなら、なんでも聞きたいよ。おれは」
「うん……」
「でも、無理には聞かない。お前がつらいならやめてもいいし」
ぼくは首を横に振った。
よし、と頷き、勇気くんはぼくの頭を撫でた。
「篠原のお義父さん、次郎さんのことでお父さんに会いに行ったことがあるらしいんだ。でも、そのときはお母さんに会えなくて」
「うん」
「お父さんのお通夜で初めて会って、それから何回か食事に行って……なんだけど。ぼく、お母さんがお父さんのことで立ち直れたのは、お母さんの強さだとずっと思ってた。でもほんとは、篠原のお義父さんが元気づけてくれてたお陰なんだって、このあいだわかったんだ。そしたら急に、篠原のお義父さんに会いたくなっちゃった。……これって、お父さん怒らないよね?」
すぐになにか返してくれると思った勇気くんが、その持ち前の太陽を翳らせ、黙ってしまった。
そんなに深刻な顔をされると思ってなくて、ぼくはすごく焦った。ごめんねと慌てて謝る。
「いや……。おれのほうこそ、なんにも言えなくなってごめん。おれは、人夢みたいに身近な人を亡くしたことないし……そんなやつがなに言っても逆効果かなと思った。なんでも聞きたいとか言っときながら、気の利いたこと言えなくて、ほんとごめん」
「ううん。変なこと言っちゃったぼくが悪いんだから」
「変なことじゃないって」
そこは力強く言って、勇気くんは真っ直ぐにぼくを見た。
「人夢が幸せなことがお父さんの幸せだってこと。おれ、これだけは絶対だと思うんだ」
うんと、ぼくも固く頷いて、勇気くんを見返した。
勇気くんらしい心遣いと、たしかなまなざしに胸がきゅっとなった。
「さて、と。そろそろ行こっか」
勇気くんが立ち上がり、カバンを肩にかける。
ぼくは急いで、テーブルへ広げていたものをリュックにしまい、勇気くんのとなりを歩いた。
きょうのメインイベントであるイルカショーの時間までお土産屋さんを見て回った。
勇気くんが、お弁当のお礼だと言って、白イルカのストラップを買ってくれた。そんなのいいのにって断ろうと思ったけど、携帯にストラップがないのはやっぱりさみしいから、素直にありがとうと受け取った。
イルカショーは相変わらずかっこよかった。大きいのも小さめなのも、ビュンビュンジャンプしてクルクル回っていた。イルカの背びれにつかまって人が乗ったりもする。
この水族館には家族で来たことも何度かあって、イルカショーは必ず観て帰っていた。でも、一度だけ、なにかの理由で観れなくなって、楽しみにしていたぼくはわんわん泣いたんだ。
プールに目をやったままぼくは首をひねった。
わんわん泣くぼくを宥めているお父さんのとなりには、お母さんじゃないだれかがいる。
……そうだ。あれはいつのことだろう。それとも、水族館へ行くのが楽しみで見た夢なのかな。
頭を、ちょっとよそへやっていたら、不意に話しかけられた。
変な声が出た。勇気くんが不審げにぼくを見ている。ぼくは、なんでもないと手を振って、目の前のショーへ顔を戻した。
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