7 / 30
新しい学校
四
しおりを挟む
「悪ぃ、勇気。歴史の教科書貸して」
最初、おんなじクラスの人かと思ったけれど、教科書を借りにきたなら、それは違うことに気づいた。
「勇気、もしかして例の転校生?」
すると、その男子と目が合った。
とっさに自己紹介の一つも出てこないぼくに代わって、三津谷さんが言ってくれる。
「ああ、そうそう。きのう言ってた転校生の篠原人夢くん。人に夢をで、「トム」くん」
「へえー……人夢くん」
『人に夢を』
三津谷さんの声に重なるようにして、ふと耳の奥で響いた。
ずっとむかしに聞いた、おまじないのような言葉。
『だれかに夢を与えるような人間になって欲しい。そういう意味があるんだ、お前の名前には──』
そのお父さんが、近くで微笑んだような気がして、ぼくは振り返ってみた。
でも、当たり前だけど、そこにだってどこにだって、お父さんはいない……。
「人夢?」
三津谷さんの声がして、ぼくははっとなった。
慌てて顔を戻すと、三津谷さんのとなりの男子も、不思議そうな表情でぼくを見下ろしていた。
「俺の自己紹介はちゃんと聞いててくれた?」
と、今度は苦笑する。
ぜんぜん耳に入っていなかったけれど、ぼくはそれをはっきりとは言えず、目を伏せた。
「ちょーわかりやす……。仕方ないからもう一回ね。俺は仙道健一郎(せんどうけんいちろう)。まあ、健ちゃんとでも呼んで」
ぼくが目線を上げると、三津谷さんに負けず劣らずの笑顔があった。
その笑みがふっと消えた。
三津谷さんの肩に手を回し、仙道くんがなにやら耳打ちをした。
しばらく、ひそひそ話が続く。
「──弟って、まじかよ!?」
「ばかやろう! 声がでけえだろ!」
その三津谷さんの声も相当なもので、近くにいた女子も男子も振り返って二人を見た。
「人夢、そろそろ次の授業が始まるから行くぞ。……健、歴史貸してやるから早くついてこい!」
ぼくの手を取った三津谷さんは、早口でまくし立てると、教室へ向かって歩き出した。
一方の仙道くんは、なにかを言いたそうに肩をすくめて、こっちを見た。
まるで、ぼくを値踏みするかのような視線。少し気分が悪かった。
けれど、次の瞬間には笑顔に変わっていて、ぼくは首を傾げるしかなかった。
給食のあと、三津谷さんに連れられ、ぼくは校内を見て回った。
生徒玄関前の体育館に始まり、特別教室が並ぶ棟や保健室、図書室などを案内してもらった。
教室へ戻る途中、ぼくはずっと気になっていたことを、思いきって三津谷さんに訊いてみた。
「──あの篠原さん? リエが言ってた?」
「うん。ぼくとなにか関係があるの。って」
三津谷さんは立ち止まって、坊主頭を掻いている。
それがだれなのか悩んでいるふうではなく、そのだれかを言いたくないように見えた。
「三津谷さん?」
「……たぶん、豪さんのことだと思うよ」
「え?」
「あの人、女子にやたら人気があるんだよ。あそこの兄弟はみんなすげえモテんの。だから、ウチの学校の女子は、大体が篠原って名字に敏感でさ」
ささっと言って、三津谷さんはまた歩き始める。
「篠原さんたちと兄弟になったってこと、あんまり言わないほうがいいかもな。バレたら、いろいろと大変なことになりそうだ」
なにが大変になるのか。それを考える間もなく、ぼくと三津谷さんの距離がどんどんと広がった。慌てて足を出す。
すると、三津谷さんが肩越しにちらりと視線を流した。
ぼくがいるのを確認したって感じ。
「人夢は、どこの部活に入るとか決めた?」
ぼくは首を振った。
「家の事情もあるから部活動は免除にしてもらったんだ。とくに入りたい部もなかったし」
「前の学校は?」
答えるのにちょっとためらってしまった。
「ええと……調理部かな」
「ちょうり?」
すっとんきょうな声が響いた。
ぼくはもっと恥ずかしくなって素早く切り返した。
「三津谷さんこそ。なに部なの」
「は?」
三津谷さんは、大きく目を見開いた。微苦笑を浮かべて頭のてっぺんを撫でる。
「いやいや。この髪型で一目瞭然でしょ」
「あ、そっか。あのボール……野球?」
「そう」
「やっぱりボールは返すよ。大事なものなんじゃ……」
「いいって、いいって。あんなのたくさん持ってるから。それより、人夢は野球好きか?」
スポーツ自体、ぼくはあまり興味がなかった。
野球好きな人も周りにいなくて、ルールもよくわからなかった。
「ごめん。野球のことぜんぜん知らないんだ」
「そうか。つか、なんで謝るの。あ、だったら放課後にでもグラウンド見に来いよ。練習やってるからさ」
にわかに瞳を輝かせ、三津谷さんが言う。
野球を知らないぼくを呆れるふうでもなく、馬鹿にするふうでもなくて安心した。
「ああ、でも人夢は早く帰らなきゃか」
三津谷さんは肩を弾いて言った。
その残念そうな声に、ぼくは頷くことができなかった。
本当は早く帰って、お兄さんたちのお手伝いをしなきゃならないんだろうけど、せっかく誘ってくれた三津谷さんをがっかりさせたくもなかった。
「ううん。ちょっとくらいなら大丈夫」
「マジ? ……無理とかしなくてもいいんだぞ」
「本当に大丈夫。三津谷さんが野球してるところ、ぼくも見たいから」
三津谷さんが破顔(わら)う。それにつられて、ぼくまで笑顔になった。
廊下を行き交う人が徐々に増えてきた。
それに気づいたぼくたちは、教室へと戻す足を少し早めた。
最初、おんなじクラスの人かと思ったけれど、教科書を借りにきたなら、それは違うことに気づいた。
「勇気、もしかして例の転校生?」
すると、その男子と目が合った。
とっさに自己紹介の一つも出てこないぼくに代わって、三津谷さんが言ってくれる。
「ああ、そうそう。きのう言ってた転校生の篠原人夢くん。人に夢をで、「トム」くん」
「へえー……人夢くん」
『人に夢を』
三津谷さんの声に重なるようにして、ふと耳の奥で響いた。
ずっとむかしに聞いた、おまじないのような言葉。
『だれかに夢を与えるような人間になって欲しい。そういう意味があるんだ、お前の名前には──』
そのお父さんが、近くで微笑んだような気がして、ぼくは振り返ってみた。
でも、当たり前だけど、そこにだってどこにだって、お父さんはいない……。
「人夢?」
三津谷さんの声がして、ぼくははっとなった。
慌てて顔を戻すと、三津谷さんのとなりの男子も、不思議そうな表情でぼくを見下ろしていた。
「俺の自己紹介はちゃんと聞いててくれた?」
と、今度は苦笑する。
ぜんぜん耳に入っていなかったけれど、ぼくはそれをはっきりとは言えず、目を伏せた。
「ちょーわかりやす……。仕方ないからもう一回ね。俺は仙道健一郎(せんどうけんいちろう)。まあ、健ちゃんとでも呼んで」
ぼくが目線を上げると、三津谷さんに負けず劣らずの笑顔があった。
その笑みがふっと消えた。
三津谷さんの肩に手を回し、仙道くんがなにやら耳打ちをした。
しばらく、ひそひそ話が続く。
「──弟って、まじかよ!?」
「ばかやろう! 声がでけえだろ!」
その三津谷さんの声も相当なもので、近くにいた女子も男子も振り返って二人を見た。
「人夢、そろそろ次の授業が始まるから行くぞ。……健、歴史貸してやるから早くついてこい!」
ぼくの手を取った三津谷さんは、早口でまくし立てると、教室へ向かって歩き出した。
一方の仙道くんは、なにかを言いたそうに肩をすくめて、こっちを見た。
まるで、ぼくを値踏みするかのような視線。少し気分が悪かった。
けれど、次の瞬間には笑顔に変わっていて、ぼくは首を傾げるしかなかった。
給食のあと、三津谷さんに連れられ、ぼくは校内を見て回った。
生徒玄関前の体育館に始まり、特別教室が並ぶ棟や保健室、図書室などを案内してもらった。
教室へ戻る途中、ぼくはずっと気になっていたことを、思いきって三津谷さんに訊いてみた。
「──あの篠原さん? リエが言ってた?」
「うん。ぼくとなにか関係があるの。って」
三津谷さんは立ち止まって、坊主頭を掻いている。
それがだれなのか悩んでいるふうではなく、そのだれかを言いたくないように見えた。
「三津谷さん?」
「……たぶん、豪さんのことだと思うよ」
「え?」
「あの人、女子にやたら人気があるんだよ。あそこの兄弟はみんなすげえモテんの。だから、ウチの学校の女子は、大体が篠原って名字に敏感でさ」
ささっと言って、三津谷さんはまた歩き始める。
「篠原さんたちと兄弟になったってこと、あんまり言わないほうがいいかもな。バレたら、いろいろと大変なことになりそうだ」
なにが大変になるのか。それを考える間もなく、ぼくと三津谷さんの距離がどんどんと広がった。慌てて足を出す。
すると、三津谷さんが肩越しにちらりと視線を流した。
ぼくがいるのを確認したって感じ。
「人夢は、どこの部活に入るとか決めた?」
ぼくは首を振った。
「家の事情もあるから部活動は免除にしてもらったんだ。とくに入りたい部もなかったし」
「前の学校は?」
答えるのにちょっとためらってしまった。
「ええと……調理部かな」
「ちょうり?」
すっとんきょうな声が響いた。
ぼくはもっと恥ずかしくなって素早く切り返した。
「三津谷さんこそ。なに部なの」
「は?」
三津谷さんは、大きく目を見開いた。微苦笑を浮かべて頭のてっぺんを撫でる。
「いやいや。この髪型で一目瞭然でしょ」
「あ、そっか。あのボール……野球?」
「そう」
「やっぱりボールは返すよ。大事なものなんじゃ……」
「いいって、いいって。あんなのたくさん持ってるから。それより、人夢は野球好きか?」
スポーツ自体、ぼくはあまり興味がなかった。
野球好きな人も周りにいなくて、ルールもよくわからなかった。
「ごめん。野球のことぜんぜん知らないんだ」
「そうか。つか、なんで謝るの。あ、だったら放課後にでもグラウンド見に来いよ。練習やってるからさ」
にわかに瞳を輝かせ、三津谷さんが言う。
野球を知らないぼくを呆れるふうでもなく、馬鹿にするふうでもなくて安心した。
「ああ、でも人夢は早く帰らなきゃか」
三津谷さんは肩を弾いて言った。
その残念そうな声に、ぼくは頷くことができなかった。
本当は早く帰って、お兄さんたちのお手伝いをしなきゃならないんだろうけど、せっかく誘ってくれた三津谷さんをがっかりさせたくもなかった。
「ううん。ちょっとくらいなら大丈夫」
「マジ? ……無理とかしなくてもいいんだぞ」
「本当に大丈夫。三津谷さんが野球してるところ、ぼくも見たいから」
三津谷さんが破顔(わら)う。それにつられて、ぼくまで笑顔になった。
廊下を行き交う人が徐々に増えてきた。
それに気づいたぼくたちは、教室へと戻す足を少し早めた。
0
お気に入りに追加
29
あなたにおすすめの小説
兄弟カフェ 〜僕達の関係は誰にも邪魔できない〜
紅夜チャンプル
BL
ある街にイケメン兄弟が経営するお洒落なカフェ「セプタンブル」がある。真面目で優しい兄の碧人(あおと)、明るく爽やかな弟の健人(けんと)。2人は今日も多くの女性客に素敵なひとときを提供する。
ただし‥‥家に帰った2人の本当の姿はお互いを愛し、甘い時間を過ごす兄弟であった。お店では「兄貴」「健人」と呼び合うのに対し、家では「あお兄」「ケン」と呼んでぎゅっと抱き合って眠りにつく。
そんな2人の前に現れたのは、大学生の幸成(ゆきなり)。純粋そうな彼との出会いにより兄弟の関係は‥‥?
家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
漢方薬局「泡影堂」調剤録
珈琲屋
BL
母子家庭苦労人真面目長男(17)× 生活力0放浪癖漢方医(32)の体格差&年の差恋愛(予定)。じりじり片恋。
キヨフミには最近悩みがあった。3歳児と5歳児を抱えての家事と諸々、加えて勉強。父はとうになく、母はいっさい頼りにならず、妹は受験真っ最中だ。この先俺が生き残るには…そうだ、「泡影堂」にいこう。
高校生×漢方医の先生の話をメインに、二人に関わる人々の話を閑話で書いていく予定です。
メイン2章、閑話1章の順で進めていきます。恋愛は非常にゆっくりです。
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
ダブルスの相棒がまるで漫画の褐色キャラ
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
ソフトテニス部でダブルスを組む薬師寺くんは、漫画やアニメに出てきそうな褐色イケメン。
顧問は「パートナーは夫婦。まず仲良くなれ」と言うけど、夫婦みたいな事をすればいいの?
新緑の少年
東城
BL
大雨の中、車で帰宅中の主人公は道に倒れている少年を発見する。
家に連れて帰り事情を聞くと、少年は母親を刺したと言う。
警察に連絡し同伴で県警に行くが、少年の身の上話に同情し主人公は少年を一時的に引き取ることに。
悪い子ではなく複雑な家庭環境で追い詰められての犯行だった。
日々の生活の中で交流を深める二人だが、ちょっとしたトラブルに見舞われてしまう。
少年と関わるうちに恋心のような慈愛のような不思議な感情に戸惑う主人公。
少年は主人公に対して、保護者のような気持ちを抱いていた。
ハッピーエンドの物語。
モテる兄貴を持つと……(三人称改訂版)
夏目碧央
BL
兄、海斗(かいと)と同じ高校に入学した城崎岳斗(きのさきやまと)は、兄がモテるがゆえに様々な苦難に遭う。だが、カッコよくて優しい兄を実は自慢に思っている。兄は弟が大好きで、少々過保護気味。
ある日、岳斗は両親の血液型と自分の血液型がおかしい事に気づく。海斗は「覚えてないのか?」と驚いた様子。岳斗は何を忘れているのか?一体どんな秘密が?
【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる