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1章

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 鈴を支えて立ち上がらせると、鈴は恥ずかしいのか耳まで真っ赤にして食堂をもう一度見渡した。

「これ、全部皆さんが?」
「ええ」
「わ、私の為に……?」
「ええ、そうですよ」

 何かを確かめるように鈴は千尋の袖をしっかりと握りしめ、たどたどしく言葉を繋ぐ。そんな鈴の頭を千尋は優しく撫でた。

「いつもありがとうございます、鈴さん。そしてもう一度言いますね。お誕生日、おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます!」

 感激したかのように鈴はよろよろとテーブルに近寄って、並べられた食事を見てとうとう涙をこぼした。そんな鈴に皆は温かい視線を送っている。あの菫でさえもだ。

「さあ、せっかくの料理が冷める前にいただきましょう。皆も席についてください」
「はい!」

 千尋の言葉に皆が動き出す。そんな様子を鈴は胸を押さえて見つめていたが、しばらくして鈴も動き出した。

 鈴が動き出したのを確認して千尋がいつもの席に座ると、鈴はどこに座ろうか迷うように菫と雅に何か話すとこちらにやってきて千尋の隣の席に腰掛ける。

「ここでいいのですか?」

 思わず千尋が問いかけると、鈴は笑顔を浮かべて頷きはっきりと言う。

「ここが、いいんです」

 その言葉は千尋の胸の中にゆっくりと沈み込み、冷え切った体を温めるかのように全身に染み渡っていく。

「そうですか」
「はい」

 言葉は少ないが、それだけで鈴の心の全てが分かるようで千尋が思わず微笑むと、鈴もそうだと言わんばかりに笑みを返してくれた。
 
「菫ちゃんのおにぎりと卵焼きだ!」

 和やかな食事会が始まると同時に、鈴が声を上げた。それを聞いて何故か雅が胸を張る。

「あんたが一番好きな料理だからね! ちょうどいいから作ってもらったんだ」
「ひ、久しぶりだからちょっと失敗したけど、味は変わらないはずよ」
「ううん! 失敗なんて全然してないよ! 前と一緒だもん!」
「ちょっと、それどういう意味? 今日のは形がいびつでしょ?」
「そうかな? むしろ前より綺麗な俵だよ?」
「三角よ!」
「ごほっ……す、すみません。私も俵かと……」

 どうやら菫ははりきって全員分のおにぎりと卵焼きを作ってくれたようで、千尋の前にもきちんと積まれたおにぎりと卵焼きが置いてある。

「ほんっとうに夫婦揃って失礼ね!」

 フンと勢いよく鼻を鳴らした菫に、菫の隣に座っていた楽が苦笑いしながら言う。

「いやお前、こんな風に積んだら誰でも俵だと思うと思うぞ。三角おにぎりは積まないっていうか、積めないだろ?」

 ごもっともな楽の意見に皆が頷きかけたが、それでも菫は楽に言い返す。

「そういう先入観は私の料理を食べる時は捨てなさい。私が三角だと言ったら、それは三角なの」
「ぶはっ! どんな理屈だよ! 滅茶苦茶だな、お前!」

 菫の言い訳にとうとう楽が吹き出した。こんな風に楽が笑うようになったのも千尋にとっては嬉しい事だ。

 一方雅達も菫の言い訳に笑いながら積まれたおにぎりを食べている。

「菫の真骨頂を見た気がしたね」
「ここまで素直じゃないと最早才能だと自分は思います」
「俺もだ。でも味はいいぞ」
「それでこそ菫ちゃんです! 美味しい……やっぱり菫ちゃんのおにぎりと卵焼きは美味しいなぁ……」

 グス、と鼻をすすりながらおにぎりを頬張り、卵焼きに箸を入れる鈴の目にはまた涙が浮かんでいた。

「良かったですね、鈴さん」
「はい! 最高の誕生日です! 皆さん、本当にありがとうございます。私、やっぱりここに嫁いでこられて幸せです」
「こちらこそいつもありがとうございます。ですが忘れないでくださいね。この今の幸せは、全てあなたが運んできてくれたのだという事を」
「そうだよ。あんたがここに来なきゃあたし達は今も別々に食事をして、必要の無い会話もしなかった。お礼を言うのはあたし達の方なんだよ、鈴」
「自分も毎日淡々と食事を作るだけで、誰かの為に食事を作る楽しさなんて忘れてたんです。鈴さん、ありがとうございます」
「俺だってそうだぞ。暑い日も寒い日も毎日庭の草むしりやら花の剪定をして、誰とも口利かない日ばっかりだったんだ。お前が来てからそういう日の方が珍しくなっちまった。ありがとな、鈴」
「お、俺もだよ。俺なんて最初はお前なんか居なくなればいいって思ってたんだ。そういう意味ではこの中の誰よりもお前に……感謝してる。あの時、本気で俺にぶつかってくれてありがとう」
「楽さん……」
「ちょっと聞き捨てならないわね! あんたそんな事思ってたの!?」
「まぁな。俺は本当に馬鹿の考え無しだったんだよ。そこを責められたら何も反論出来ない」

 そんな風に言って視線を伏せた楽に、恐らくいつもの調子で突っかかっただろうと思われる菫が焦りだした。

「ま、まぁ今は改心したんでしょ?」
「当然だろ。でなきゃここに居ない」
「な、ならいいのよ。ほら、食べなさいよ。あんたのは特別に殻が沢山入った卵焼きにしてあげたのよ」
「なんでだよ! ただの失敗作じゃねぇか!」

 楽と菫のやりとりに鈴はおかしそうに声を出して笑うので、千尋もつい釣られて笑ってしまった。

 鈴が喜ぶ事をしたい。最初はそう考えただけで思いついた誕生日会は、思いの外全員にとって良い誕生日になったようだ。

「私がこんな事を考えるようになるなんて……」

 ポツリと呟いた声が聞こえたのか、不思議そうに鈴が隣から千尋を覗き込んでくる。

「いえね、こんな風に皆が笑っているのを見て私まで楽しくなるのかと思いまして。こんな事を今まで考えた事も無かったのに、不思議なものです」
「それは違います、千尋さま。千尋さまはこんな時間を知らなかったのではなくて、忘れていただけです、きっと。千尋さまは今まで色んな事に心を砕いて自分の事を全て後回しにしていてくださったから」
「鈴さん……ありがとうございます。あなたはいつも私の心を救ってくれますね」
「それは私も同じです。お揃いですね」
「ええ、そうですね」

 そう言ってはにかんだ鈴を見て胸がギュっと苦しくなる。これが俗に言う胸が痛むという奴なのだろう。千尋はようやく、恋と愛を知ったのだ。



 楽しかった誕生日から2日。鈴は初めての神事を行うべく、神事部屋のベッドで襦袢姿で仰向けに転がったままドキドキしながら千尋を見つめていた。
 
 今日の千尋は真っ白な生地に金糸で森羅万象が描かれた神事服を着ていて威厳が凄い。

「大丈夫ですか? 鈴さん」

 そんな鈴を心配そうに千尋が覗き込んでくるが、鈴にとっては初めてのお勤めの日だ。色んな心配事が脳裏を過る。

「は、はい。あの、痛くはありませんか?」
「どうでしょうか……実は私にも分からないのです。今までの方は神事が始まるとすぐに意識を失ってしまっていたので……」
「そ、そうですか……体の安全装置が働くのでしょうか」
「安全装置ですか。そうかもしれませんね。さあ鈴さん、これを飲んで楽にしてください」

 そう言って手渡されたのは盃に入った透明の水だろうか? 鈴は体を起こしてそれを一口含んで笑みを漏らす。

「千尋さまのお水ですね」
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