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1章

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「ええ。不思議とあなたはそういう人だろうなと思えるんですよ。私の認識は間違っていますか?」
「ど、どうなのでしょうか……千尋さまはどうですか? 私に慣れてしまいそうですか?」
「私の方こそあなたに慣れる日など来ないと思いますよ。何せようやく見つけた方ですから」

 そう、数千年生きてきてようやく見つけた運命の番だ。ちょっとやそっとの事ではこの気持ちはもう揺るがない。龍とは、そういう生き物なのだ。

「そうですか。やっぱり私はとても幸せ者なのですね」
「どうしてです?」
「買っていただいた本の中に婚約者とは違う方を愛しまったり、旦那様では無い方と一夜を共にしてしまったりという方がたまにいらっしゃるのですが、私の場合は愛した方が婚約者で旦那さまになった訳ですから、とても幸せ者だと思うのです」

 それを聞いて千尋は少しだけ眉を潜めた。一体どの本だ、そんな事を書くのは。

 千尋は静かにスプーンを置いて鈴をじっと見つめた。その視線に気づいた鈴は、慌てて居住まいを正している。

「鈴さん、次からあなたの本を買う時は今まで以上にしっかりと見極めたいと思います」
「は、はい」
「必ず旦那や婚約者と恋に落ちる話にしましょう」
「はい」
「そうでない物はその場で読むのを止めて、雅にでも預けておいてください」
「そ、それは何故?」
「出版社に問い合わせます」

 真顔でそんな事を言う千尋の言葉に鈴は青ざめて首を振った。

「そ、それはいけません、千尋さま! 書物は自由であるべきです。それに、私はそういう本を読んでその度に私は幸せだなぁと思うのです。そして無性に千尋さまに会いたくなるんです。意味もなくお話をしたりくっついていたいと思うのです。それも……いけない事ですか?」
「! いけなくないと思います。そんな事を思うのですか?」
「……はい。菫ちゃんや雅さんに聞かれたら、はしたないと叱られてしまうかもしれませんが時々無性にそう思うことがあります……」
「はしたなくなど! そうですか……ではこれからはそういう時は迷わず私の所へ来てくださいね」
「はい!」

 そう言って鈴は嬉しそうに恥ずかしそうに頬を赤くして微笑んだ。その顔の可愛さと言ったら、一言では語りきれない。そんな鈴を見て知らず知らずのうちに自分もまた微笑んでいる事に、千尋は気づかなかった。

 今日は止める人が居ないので二人の会話はずっとこんな感じだ。時折違う席から咽るのが聞こえてくるが、自分たちには関係ないだろう、きっと。

 千尋と鈴は幸せな二人きりの食事を終えて弥七との待ち合わせ場所に向かった。

 道中、色んな店を二人で見て回りそこら中で凝視されたり顰め面をされたり眉を潜められたが、今日はそんな事など気にもならなかった。千尋も鈴も出で立ちが特殊だ。どこへ行っても相変わらず良い顔はされないけれど、二人でいればそれは半減どころか全く気にもならないのだと言う事を千尋は初めて知った。
 
「――と、言うわけなんですよ。こんな感覚は初めてです。不思議なものですね」

 待ち合わせ場所に少し遅れた二人を心配した弥七に千尋がさっきまでの事を伝えると、それを聞いていた弥七が苦い口調で言う。

「……それはただ単に千尋さま達が他の人の事見えてなかっただけっていうか、他の人達も別に容姿の事で非難してた訳じゃないっていうか……」
「え? なんです?」
「……そりゃそんな仲良く手繋いで歩いてりゃ誰でも凝視するだろっていう話です」

 弥七の呟くような声が聞こえてきて千尋は思わず自分の手を見て納得した。なるほど、確かにずっと鈴と手を繋いでいたな、と今更ながらに気がつく。

「どうやら自分でも無意識に鈴さんと手を繋いでいたようです。なるほど、それであんなにも視線を集めてしまっていたのですね。てっきり私は鈴さんの美しさに振り返っているのかと」
「そ、それは違います! 皆さんが見ていたのは私ではなくて千尋さまです!」
「そんな事はありません。あなたはもう少し鏡を見たほうがいいですよ」
「ち、千尋さまこそご自分の美しさを知らなさすぎると思うのです!」

 鈴が握りこぶしを作って千尋に抗議してくるが、これだけは何を言われても譲れない。鈴は本当に美しいのだ。

 その時、耐えかねたかのように車を操っていた弥七が突然大声を出した。

「あーーーー! そう言えば、姉さんに買い物頼まれてるんでちょっと寄り道してもいいですか?」
「もちろんです。構いませんか? 鈴さん」
「はい! 何を頼まれたのですか?」
「え? ああ、えっと……あー……や、野菜をちょっとな」
「野菜?」

 首を傾げて不思議そうな顔をする鈴を見て千尋は思わず笑ってしまう。弥七はただ千尋と鈴の戯け具合に耐えられなかっただけだ。

「そうでしたか。では雅が喜ぶように沢山買って帰りましょう」
「そうですね! 雅さんは大根が大好きなので、きっと喜んでくれると思います!」
「あ、ああ、そうだな」
「後は今の季節だとカブとか白菜も美味しいです! それから――」
「え!? い、いやそんな沢山は別に……」

 ちょっとだけ弥七をからかってやろうと思ったのだが、鈴は全く気がついていないようで身を乗り出して弥七に話しかける。

 雅が大好きな鈴の勢いに困り果てる弥七が何だか可哀相になってきて千尋は笑いながら口を挟んだ。

「ふふふ。弥七、雅には一緒に謝ってあげますから安心してください」
「……ありがとうございます」

 渋々といった感じで呟いた弥七の顔はここからでは見えないが、きっと苦虫を潰したような顔をしているのだろう。
 


 雅に頼まれたという買い物を無事に済ませて鈴と千尋が屋敷に戻ると、辺りはすっかり暗くなっていた。

 屋敷の敷地内には既に電灯が灯っていて、何だか初めてここへやってきた時の事を思い出す。

「どうかしましたか? 鈴さん」

 頭上からの声に鈴が千尋を見上げると、千尋は電灯に照らされて微笑んでいた。

「いえ、少しだけここへやってきた日の事を思い出していました」
「ここへやってきた日の事、ですか。道中のお化けが怖かった日の事ですね?」
「そ、それは忘れてください! ここへ来た時、私は追い出される気満々だったんです」
「何故?」
「だって、そういう噂がありましたから。神森家に婚約者として行っても、誰一人実際に嫁げた人は居ないって。ましてや私は佐伯の娘でもなく、何なら日本人でもありません。だからきっと追い出されるに違いないって思っていたんです」
「それは否定出来ませんね。確かにうちはそういう所でしたから」

 申し訳無さそうに呟く千尋を見て鈴はすぐさま頭を振った。

「違うんです! 最初私はそれで良いと思っていたんです! 佐伯家にずっとお世話になっていて、これで少しでも恩返しが出来るならそれでいいって。佐伯家から追い出されるにしても、何か理由が無いと佐伯家が悪く言われてしまう。でも嫁いだ先で粗相をして追い出されたのであれば、皆さんも納得するだろうって……独りよがりですね」
「いえ、そんな事は。そうですか、そんな事を考えていたのですか。では何故ここへ嫁いでも良いと思えるようになったのですか?」
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