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1章

53話

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「安心してください。さほど入っていませんよ、その金庫には」
「え……金庫、何個あるんですか?」
「3つですね。その鍵は分配金の金庫の鍵です。他の2つは私用なので私がちゃんと保管しています。だからその金庫の中身は好きなだけ使いなさい」
「む、無理です!」 
「では、今のように出納帳をしっかりつけておいてください。ほら、これを着て」

 言いながら千尋は楽に外套を無理やり着せた。そんな千尋の行動に楽は唖然としているが、そんな楽の手を引いて屋敷を出る。
 
「ち、千尋さま? 一体どこへ……」
「言ったでしょう? 人間界では今日から新年です。縁起担ぎに私達も蕎麦を食べに行きましょう」
「ふ、二人で!?」

 こんな事、100年前では考えられなかった。きっと、楽はそう思っているのだろう。もちろんこんな事をしようと思ったのは千尋にとっても初めてだった。
 
 結局、楽は「無理だ、帰る」などと言いながらも千尋に付き合ってくれた。
 
 店について向かい合わせに座って楽を見ると、可哀想なほど縮こまってしまっている。そんな姿が何だか初めて一緒に買物に行った時の鈴と重なる。
 
「ふ……」
「千尋さまがわ、笑ってる……」
「すみません、少し思い出し笑いです」
「思い出し笑いですか。あ、この間の飲み会ですか?」
「いえ、あなたの今の姿が鈴さんにそっくりだったので、それを思い出したんです」
「そ、そうでしたか。それで飲み会は楽しかったですか? 100年ぶりですもんね。俺なんて帰りを待ってるつもりだったのに、途中で寝ちゃって……すみません」

 こんな失態は執事としてありえない! と言わんばかりに楽が落ち込むので、千尋はゆるく首を振った。
 
「いいえ、構いません。飲み会はそれなりに楽しかったですよ」
「それなり、ですか」
「ええ、それなりです。それ以上でも以下でもありません」

 こういう所が千尋だと流星が聞いていたら言いそうなセリフだが、本当にそうなのだから仕方ない。
 
「そう言えば初さまともお久しぶりに会ったのでは? あ、でも毎日鏡とかで連絡取ってますよね! だとしたらそんな久しぶりって感じもしないのか……」
「いえ、初とも100年振りですよ。鏡を私達が使う時は本来なら緊急の時だけですので」

 特に用事も無いのに頻繁に連絡をしてくるのは雅ぐらいだ。
 
 いや、先程の雅の連絡は素直に嬉しかったのだけれど、前回は本当に酷かった。
 楽はどうやら千尋と初がこまめに連絡を取っていると思っていたようで千尋の言葉に目を見開いているが、千尋が初と鏡でやりとりをするのは花嫁が決まった時にする事務的な連絡だけだ。だから初とは正真正銘100年ぶりの再会だった。
 
 それを告げると楽は明らかに驚いたような顔をして千尋を凝視してくる。
 
「じょ、冗談ですよね!? え……番、なんですよね?」
「ええ。ですが私達はどちらかと言うと幼馴染という事と優秀な遺伝子を残すための番ですから、特別な感情はお互いに抱いていませんよ」

 少なくとも千尋はそうだ。はっきりと聞いた訳ではないので初の方はどうかは分からないけれど、初から特に何を言ってくるでもないのでそこは想像するしかない。
 
「……高官のお仕事をされる人は皆さん、そんな感じなのですか?」
「どうなのでしょうね。大体は皆さんこんな感じなのではないでしょうか、あ、流星達の所は別ですが」
「へ、へぇ……まぁでも千尋さまは元々恋愛には現を抜かしたりしませんもんね。俺にもそのうち番が出来るのかなぁ」
「出来ますよ、きっと」
「どんな子かなぁ! 可愛い子がいいな!」
「顔で選ぶのですか?」
「んー……分かりませんけど、やっぱり自分の遺伝子に足りない部分を補いたいじゃないですか! いや、だったら俺の場合は頭脳の方も……」
「楽は十分に可愛いではないですか」
「か、可愛いじゃなくて格好いいって言われたいんです!」
「格好いい、ですか。それは私も言われた事ありませんね」
「いや、千尋さまは美しいですから……格好いいとか可愛いとかそういう次元じゃないんですよ……千尋さまは美形という分類だと思うので、そこはもう補わなくて良いです」
「そうですか? 悪い気はしないのでトッピングを好きなだけ追加してもいいですよ」
「本当ですか? やったー!」

 無邪気な楽に千尋は目を細めて言うと、楽は素直に喜んでメニューを食い入るように見つめていた。
 
 
 翌日、千尋が今日も書庫に行こうとしていた所を、流星に捕まった。
 
「ちーひろくーん! あーそーぼー!」

 屋敷の前で大声でそんな風に叫んだ流星を楽は慌てて屋敷の中に招き入れ、そのまま出かけようとしていた千尋の部屋に飛び込んできたのだ。
 
「あまり時間が無いのですがね」

 千尋は言いながら着ていた外套を脱ぐと、そのまま居間に移動する。
 
「どうかしましたか? 流星」
「単刀直入に聞いてもいい?」
「はい、何でしょう?」
「千尋くんってさ、初の事……本当に好き?」

 あまりにも唐突な流星の言葉に、珍しく千尋は言葉を失ってしまった。そんな千尋がおかしかったのか、流星が笑う。
 
「ごめんごめん、急に。でもさ、どうしても聞いておきたくて」
「いえ、それは構いませんが、好きというのはどういう意味合いの事を指していますか?」
「いや、どういうも何も恋愛の意味しか無いけど。だって、番でしょ?」
「そうですね。番ですね。ですが、私の番の認識は優秀な遺伝子を残すため。それにつきます。初は姫という時点で血統に申し分ありませんし、周りもそれを望んでいるでしょう? 何よりも初がそれを望んだので、罪滅ぼしをしたかったというのもあります。そもそも私達はあなたと違って初が運命の番という訳ではありませんしね。初には番の加護など一生渡せないと思いますよ」

 優秀な血統を残す。高官の役職についている者には特にそれを求められる。それが龍の世界だ。それを聞いて流星は困ったように笑う。
 
「あー……やっぱ千尋くんだなぁ。そうだよね。千尋くんはそもそも恋愛っていうか、愛がよく分からない人だもんね」
「酷い言われようですが、そうですね。最近特によく言われていたので、そろそろ耳が痛いですね」
「あ、よく言われるんだ? あの猫ちゃん?」
「ええ。今期の花嫁を最初は全力で否定してきていました。まぁ……彼女の言う事はもっともだったんですけど」

 鈴の事を心配するあまり、千尋に「鈴に金を渡して追い出せ」と言ってきた雅は、今思えば正しかったのかもしれない。
 
 以前は鈴一人の人生よりも国を守る方が大事だなどと啖呵を切ったが、日に日にそうは思えなくなてきている自分に、自分自身が一番戸惑っている。
 
「でも決まったんでしょ? 飲み会でも言ってた」
「ええ、決めました。彼女が最適です。ですから私は朝から晩まで書庫に入り浸っているのですよ」
「何でまた。それとこれって関係あるの?」
「大いにあります。龍の花嫁は皆、極端に短命になってしまうのです。どうにかしてそれを食い止めたいのですが、どうすれば良いのか分からないんですよ」
「そんな事初めて聞いた。今までの花嫁も短命だったんだよね?」
「ええ。色々と試行錯誤はしましたが、全て無駄でした」
「ふぅん。で、今回はこっちで調べようと思ったって事か。それじゃあ今は初どころじゃないんだね」
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